発言を取り消してもいいだろうか…?
シファ・ラルゼ 伯爵令嬢
※貧乏で、花好き。
レイン・ベファング 公爵
※殿下の側近で苦労気質。
エイシャ:シファの侍女
ゆるゆる設定でぬるっと書いていきます。
視点が頻繁に変わっていきます。
■
発言を取り消したい。
時間を戻したい。
もう数えきれないほどに切実にそう願った。
俺は公爵家に生まれ、殿下の良き幼馴染として育てられてきた。
そんな幼馴染の俺は成人を迎えると殿下の側近として使われ…いや、仕えている。
殿下はそれはもう思わず口に出してしまう程いい加減…いい性格をしていた。
目立つような仕事は積極的にする癖に、地味な書類仕事は側近の俺たちへ横流し。
殿下のサインが必要な書面が山ほど詰まれているのにどこかに姿を眩ませる。
のらりくらりとする殿下に、俺含め殿下に仕える側近三人は、睡眠不足と頭痛、倦怠感が通常装備となっていた。
それでも離れず側近を続けているのは、殿下が悪い人ではないとわかっているからだ。
幼馴染の俺は勿論、他の側近たちもこいつ…殿下が悪い人間ではないとわかっている。
ただ、集中力が長時間続かなく、楽しいことが大好きなそんな人間なだけで、泣いている者や落ち込んでいる者がいれば気を使える人間であり、必要とあれば手を差し伸べることができる人間なのだ。
そんなある日の事だった。
「君たちいつ結婚するんだ?」
殿下の非常に軽い一言に俺たちは手を止めることなく仕事を続ける。
【てめえの所為でそんな余裕なんてねーんだよ】と言いたいがぐっと堪え…、あ、俺の隣で仕事している側近3号が口を滑らせた。
「僕たちにそんな暇あると思ってるんですか…」
溜息交じりに呟かれた言葉に心の中で激しく同意した。
何故心の中で同意するのか。と疑問に思う人もいるだろう。
だがここで首を縦に振ってしまうと…
「あ、そうだよね!なら僕がお見合い企画してあげようか!」
ほらな!そうくるだろう!
だから言わなかったんだよ!
「ん?ん?」と何も発言しなかった俺たちにも笑みを向けてくる殿下にいらっとする。
おいおい。何も喋ってないのにこっちまで飛び火してるぞ。
ちなみに口を滑らせた3号は「ゲッ」という顔をしていた。
ああ、わかる。わかるぞ。
殿下は女を見る目がないからな。
出るところが出て、引っ込むところが引っ込んでいればいいと思っているような人間だ。
流石に王族として不貞なマネはしていないだろうが、よく鼻の下が伸びている殿下を見ればそんな顔をするのも無理はない。
紹介される女性の内面なんて保証できないからだ。
ちなみに殿下が不貞なマネをしない理由には婚約者がいる事があげられる。
殿下の好みを把握し、且つ能力的にも家柄的にも完璧な女性だ。
「殿下、私はこれでも縁談の申し込みがきているので結構です」
書類に走らせる手を止めずに断ったのは向かい側で仕事している側近…2号だ。
2号に続いて、素早く俺も断りの言葉を言う。
ちなみに3号は殿下に絡まれて仕事の手が止まっていた。
「ふーん。じゃあ君達は後で紹介してね」
にこやかに爆弾発言を投下する殿下に1号の俺と2号は固まった。
(こ、この場合すぐに結婚しないとどうなりますか!?)
(殿下おススメの女を紹介されるに決まってるだろう!?)
(うげ!こうしちゃいられない!今日定時上がりしてもいいですか!?)
(俺だってそうしたいところだが…まだ仕事が終わってないだろう!!!)
2号と目で会話を繰り広げる俺たちをニコニコ顔で殿下が眺める。
お気楽な頭を振り回したくなった瞬間だった。
◇
そして夜がどっぷりと更けた頃、急いで馬車を走らせて帰宅した俺はセバスチャンを起こして_自分の事はある程度できる為、夜食を用意しておいてくれれば休んでも構わないと告げていた_事情を説明。
「ということは坊ちゃま!遂に奥様を迎えられるのですね!」
眠そうな顔から一転、すぐさま輝かしい表情に変わるセバスチャン。
「あ、ああそうだ。それでセバス。お前には公爵家にふさわしい人を選んでもらいたい」
「心得ました…が、坊ちゃまも当然目を通されますよね?」
そんなセバスの問いに対し、俺は首を振った。
「俺にはそんな時間さえない。だからお前に頼んでいる」
「そ、それでは…!」
「とにかく誰でもいいんだ。いや、公爵家に泥を塗らないような女性で、俺が構わなくても文句も言わない女なら誰でもいい」
頼むぞ。とセバスの部屋を後にし、用意されていた夜食を食べ風呂に入って早々に眠りについた。
■■■■
「え、…もう一度言っていただけますか?」
驚きを隠せないまま、私はお母様とお父様にもう一度言って頂けるようにお願いした。
家のすぐそばに広がっている畑に茶色いワンピースを着た私はメイドと共に、瑞々しく実った野菜たちを収穫していた。
そんな私にお母様が手を振って声をかけるので、手にしていた野菜をメイドに手渡しお母様についていく。
そして告げられたのは
「公爵家から縁談の申し込みがあったのよ!」
という言葉だった。
ルンルンと上機嫌のお母様とお父様。
「こんな貧乏な家にお前のような可愛い娘を縛り付けるわけにはいかないからな」と手を取り合って喜んでいるが。
そもそも何故公爵家という高位貴族が伯爵家とはいえこのような貧乏貴族に声をかけたのかがわからなかった。
まぁそれでも2人が喜んでくれるのであればと思い、私は縁談を受け入れた。
詳しい内容を見る為にお父様から手紙を受け取ると、持参金は不要と下線を引いて書かれているじゃないか。
読み進めると必要な物も全て公爵家が負担するとも書いてある。
持参金すら払えないほどの貧乏暮らしではないが、それでもお金がかからないのは魅力的だった。
それから私は本当に身一つで公爵家に向かった。
勿論侍女のエイシャも一緒に。
公爵家はそれはそれは立派なお家だった。
うちの家とは比べ物にならないほどに、外壁もピカピカに磨かれていた。
勿論邸内も素晴らしい。どこにも埃が溜まっていない。
エイシャも圧倒されているようで、顔はまっすぐを前を向いているが目がきょろきょろと忙しなく動いていた。
「私は執事のセバスチャンと申します。旦那様はご多忙な為お顔を合わせることができませんが、…手紙を預かっております」
手渡される手紙を受け取り「ここで読んでも?」と尋ねると「はい」と許可を頂いた為、遠慮なく封を開けた。
【縁談を受けていただきありがとうございます。
多忙のため、手紙でのご挨拶失礼いたします。
早速ですが公爵夫人となる際に令嬢には約束していただきたいことがございます。
第一に夫人として夜会等への参加。
第二に邸の管理。
そして一番重要なことに、私に構わないでいただきたいと思っております。
以上の事柄に対して問題がなければ、同封した婚姻届けにサインをしていただき執事にお渡しください】
「………あの、これは?」
そう言ったのは私ではなく、侍女のエイシャだ。
いつもより声が数段低く、そんなドスが利いた声を出せたの?!と驚いてしまう様な声で、隣にいた私は思わずビクついた。
「も、申し訳ございません!!!! まさかそのような内容だと思ってもなく…!」
頭を下げる執事に私は顔を上げるように促した。
「大丈夫ですよ。私は気にしておりません」
「お嬢様!?」
執事が恐る恐る顔をあげ、エイシャは私に鬼気迫った表情で詰め寄る。
エイシャの顔は異性はおろか、同性にも見せられるものではないけれど、私は目をつぶり、頂いた手紙を胸に当てた。
「だってこれは所謂“契約結婚”と呼ばれるものでしょう!?
私知っているわ!お互いに利害関係が一致し、繋がる関係!
大体が溺愛ストーリーで幕を閉じているけれど、私はそういうの興味ないから、契約内容の一つである公爵様に関わらない。という点には異論はないわ!
しかもあと二つは夫人として当たり前のことよ!
それに契約結婚には普通期限が設けられているけれど、この手紙を見ると期限は書いてないから…無期限ということよね?!
つまり、夫人として過ごせば自由にいてもいいってことでしょう!?
それにもし離婚の話が出たときには、慰謝料を請求できるように今からお願いすればいいだけのこと!」
伯爵家では貧乏生活なだけに自給自足な生活を送っていたから、植物を育てるのなら花ではなく野菜や果物にしましょうと、好きな花たちを植えることもできなかった。
公爵様に関わらないということは、私のすることに対して公爵様もなにも言ってはこない。
つまり好きなお花畑を作ることができる!
なんて素敵な契約結婚なの!
本気でそう思った。
「…お嬢様……、小説の見過ぎです」
溜息交じりに、エイシャの呆れた声が聞こえた気がしたけれどきっと気のせいだわ。と執事には悪いけれど、私が公爵様への手紙を書くまで待ってもらった。
夜会の参加と邸の管理は問題なしにしても、関わらないことについてはいったい範囲はどこまでを含んでいるのか。
挨拶はいいのかダメなのか、寧ろ姿を見るのも見せるのもダメなのか、または一般的な交友以外の関わり合いは問題ないのか等尋ねる。
そしてこの結婚に期限はあるのか、私がしてはいけないこと許されることへの境界を手紙に記して、執事に渡した。
手紙を受け取った執事はしょんぼりと何故か落ち込んでいたけれど、公爵様に責任を持って渡すと言っていたから問題ないだろう。
そして数日が過ぎた日、夜中目が覚めてしまった私は旦那様となる公爵様と初めて対面したのであった。
■■■■
夜も更けた頃、いつものように静まり返った廊下を歩いていると白いワンピースを着た華奢な女性とぶつかった。
女性は意外にも倒れることはなく、数歩後ずさったところで見上げてきた。
といっても月明かりはあるが、表情が見えるほど明るくはない。
俺は女性のシルエットは見えたが、顔までは見えていなかった。
恐らく女性も同じく、俺の姿が見えていないだろう。
「レイン・ベファング…様ですか?」
「ああ」
働かない頭で目の前の女性を思い出そうとする俺に対して、女性はスカートをつまんでカーテシーをする。
「初めまして。シファ・ラルゼです。
この度の縁談の件ありがとうございます。…それで私からの手紙なのですが、届いていらっしゃいますか?」
そこで俺は思い出した。
自分で選ぶことなく_見ることもなく_執事がよさそうな女性に縁談申込を送ったと聞いた為、俺も令嬢に対して要求ともいえる手紙を書いた。
そうしたら面白いことに、要求に対する詳細について求められた手紙を貰ったのだ。
そうか。この女が俺の妻となる女性か。
「ああ、届いている。
今日返事を書こうと思っていたところだ」
睡魔で書きあげることができないかもしれないが、そう思っていたことは事実だ。
「そうですか。ではこうして直接お会いできたのも何かの縁、もしよろしければ直接伺わせていただきたいと思います」
「わかった。君の質問は複数あったな…。
まず、関係については書面上の夫婦と思ってくれ。見ての通り俺は忙しい。
君の為に設ける時間は無いということだ」
「つまり、挨拶はするが、雑談など余計な時間は取らせるな。ということでしょうか?」
「その通りだ。
次に結婚期間についてだが君に問題がない場合は離縁は考えていない。
また、常識の範囲内であれば自由にして構わない」
「そ、それは私の好きなお花をたくさん植えても構わないということでしょうか!?」
ここで初めて女性の声色が明るくなった。
「ああ、公爵邸には庭園があるが……君の好きにして構わない」
俯きぷるぷると身震いする令嬢が気にはなったが、睡魔が襲っている為一刻も早く寝たい俺は令嬢に構うこともなく歩き出す。
「お、お受けします!是非、末永くお願いします!」
あくまでも深夜を意識した声量でそう叫ばれた。
俺は振り向き「こちらこそ」と告げてその場を立ち去る。
幼い頃から公爵家という身分、そして殿下と親しくしているという立場、自分ではあまり言いたくはないがそれなりに整っている顔面に寄ってくる女性は多くいた。
だがいずれも裏で非道な行為を悪びれもなく行っていた女性ばかりであった為、女性関係は意図的に遠ざけ、仕事一筋で今まで生きてきた。
が、さすがセバスというべきか。
今回暗闇だった為お互いに顔が見えない状態ではあったが、それなりに常識がありそうな人物であることに安心した。
■■
旦那様とお会いしたとお嬢様に聞いたその日からお嬢様は公爵家の奥様になった。
でも奥様はとても不憫だ。
公爵家とはいえ、旦那様が多忙な為結婚式すらあげれずに、ただ交流があるものへ籍を入れたという手紙を送る日々を過ごされている。
今日も朝から筆をとり、同じ内容の手紙を書きあげまくっていた。
本来ならば例え豪勢じゃなくても綺麗なドレスを着て、ご両親にも花嫁姿を見せて祝ってもらえる立場な筈のお嬢様。
それなのにお嬢様はドレスすらも着ることがなく、ただ手紙を書きあげていく。
本当にお嬢様は、いえ奥様は…「終わったわーーーー!!!!!」
…全然気にも留めていなかった。
式無しはさすがの奥様も思うところがあるかと思った私がバカだった。
奥様は_私が仕えるようになってからしかしらないが_とにかく花が好きなのだ。
伯爵家は自然に囲まれているが生活第一の為、果物より野菜、花より野菜。
つまり奥様が好きな花を植えることは許されなかったのだ。
しかも昨年から、パンを作る小麦粉すらも作り始めたほどだ。
お花欠乏症という病気があるのかはわからないが、野菜作りに飽きたときなんて野原に花を咲かせていた雑草を眺めていた。
例え臭いと独特の匂いを放つと言われる雑草でも花を咲かせていれば、奥様は雑草を見つめてかわいがる。
見ているこっちが罪悪感を抱いてしまうほどだった。
今なぜ私がこんなことを思い出しているのか。
それは…
汚れてもいい茶色いワンピース_下には既に土がついたズボン_に使い込まれている軍手、紐がついている帽子を身に着けている奥様がこれまた使い込まれている長靴を持って私をキラキラした目で見つめているのだ。
これはやる気だと。
ついに花を植えることができて、嬉しいと。
見ただけでもわかった。
「わかりました!でも執事さんには言っておいたほうがいいと思いますから、ちょっと待っててください」
「え、何故?行くのなら一緒に行きましょう?」
奥様の時間のロスを避けたい願望がありありと伝わってきて、私は思わず笑ってしまう。
「ええ、是非」
奥様と共に部屋を出て、一緒に執事の元に向かう間奥様はずっとテンションが高かった。
仕えている私も喜ばしいほどに。
だから。
奥様にあんな酷い約束をとりつけた旦那様のことは許せないけれど、奥様をこんなに笑顔にさせた点では感謝している。
■■■■
「どうだ?最近」
書面に走らせているペンを止めることなく俺にそう尋ねてきたのは、俺と同じく殿下の側近2号だった。
ちなみに執務室には俺と2号だけがいる。
殿下と3号はどうしたのかというと、殿下主催のお見合いが開催されるため、店の予約や当日のスケジュール確認などの調整に入っていた。
3号を連れて行ったということは殿下主催のお見合いで、3号が主役の筈なのに、その主役にセッティングを行わせているのだろう。
どうでもいいが仕事をしてくれ。
「どう…とは?」
「貴方も妻を迎えたと殿下に言っていましたよね?
その後の生活ですよ?変わったりしましたか?」
そう聞いてくる2号はだいぶいい方向に変わったのだろう。
目の下は濃いクマがそのままだが、ちらりと見た表情はどこか明るい。
「特に変わらない。今まで通りだ」
そう答えると驚いたように声を上げる。
「何故ですか!?」
「何故って……」
帰っても睡眠の為にベッドにまっしぐらな俺が籍を入れたとしても変わるわけがないだろう。
「私は結婚をしてよかったですよ。
もともと気になっていた女性ではあったのですが…、家に帰ると彼女が出迎えてくれる。
美しい微笑みで“お疲れ様”と言われた時には疲れも吹っ飛ぶってもんですよ」
もう一度言うが、2号の目の下には濃く色づいているクマが存在している。
だが無表情に近かった_こんな仕事尽くしの毎日を送っていたら表情も変わらなくなるのもわかる_2号がこうも表情を和らげるとは。と俺も驚いた。
ちなみにこの間も手は止まっていない。
早く殿下と3号戻ってこい。
幸せそうな2号を見て、俺も俺の妻となった女性に歩み寄ってもいいかもしれないと思った。
◇
そして数日後。
本当に久しぶりの休み。
いつもならば殆どの時間を寝て過ごしているが、この日は何故か目が覚めてしまった。
そして耳通りのいい声が聞こえてくる。
どこかで聞いた声だった。
ベッド横にある鈴を鳴らして従者を呼ぶと、俺がこの時間に起きていたことに驚きつつも食事の支度をするために戻っていく。
服を着替えながら聞こえてくる女性の声に耳を澄ました。
(ああ、俺の妻となった女性の声か…、名は確か…)
働かない頭で妻となった女性の名前を思い出す。
「シファ…、そうだ、シファだ」
窓から外を覗くと花壇にシファと思われる女性とメイドが数人いた。
何故シファだと断言できないかというと、女性は鍔の広い帽子を被っているからだ。
上から見ている俺からでは彼女の姿が帽子で遮られて見ることができない。
また俺自身彼女の顔をいまだに知らないのだ。
だが、あの夜聞いた声と同じということは、あの帽子を被っているのが俺の妻であり、シファという女性であることが分かる。
俺は引き寄せられるように、彼女がいる庭園へと足を向けた。
眩しかった。
外は昼近い時間なのだから当たり前だと思うかもしれないが、俺が感じた眩しさは別に太陽のことではない。
シファに対しての感想だ。
緑色の瞳は宝石のように輝き、茶髪の髪の毛は陽に当たり、ところどころキラキラと輝きを放つ。
メイドに向ける微笑みも、花を愛でている姿も、どれも俺には眩しかった。
ドクッと胸が激しい音を立て始める。
ドクドクと激しく脈を打つ心臓を握りしめて、俺はセバスがいるであろう食堂に向かった。
「坊ちゃま!?どうなされましたか!?」
俺の慌てぶりにただ事ではないと察したセバスが駆け寄る。
「彼女は…」
「はい?」
「…妖精なのだろうか…」
俺はセバスの感情が落ちたような表情を生まれて初めて見たのであった。
◇
「アハハハハハ!それで!?レインは奥さんに一目惚れしたってことか!」
僕も君んところのセバスの珍しい顔見たかったよと盛大に笑っているのが、俺の主でもある殿下だ。
そもそもこいつが仕事を真面目にこなしてくれたら、俺は彼女…シファに対してあんな言葉を伝えることがなかったのだ。
そこも含んでこいつに話してしまうと、床に転がりそうだから伝えはしないが。
(ああ、それにしてもどうして俺はあんなことを…。
仕事に明け暮れていたからといって、“関わるな”だなんて夫婦となる妻に言うべきことではないとわかるのに)
願いが叶うのならばやり直したい。
約束を無かったことにしてしまいたい。
セバスが彼女を妻に選び、彼女の家に文を送ったその日に戻りたかった。
そして、そう願う俺にチャンスが訪れたのだ。
◇
「旦那様!」「坊ちゃま!」
そう呼ぶ様々な声に目を覚ました俺は状況を確認する。
まず俺を覗き込むようにして前のめりになるセバス。
うむ、近いな。
公爵家の主治医である先生。
適切な距離感。
そして一歩離れたところで心配そうにしている彼女。
そんな顔もかわいらしいが、どうせならセバスと位置を交換してほしい。
セバスが近いんだ。
他公爵家で働くメイドたちが俺を囲っていた。
「頭は平気ですか?」
「…ああ、大丈夫です…俺はどうしたのでしょうか?」
そう問うと答えたのはセバスだった。
「坊ちゃま…いえ、旦那様は踏み間違えた階段から落ちて頭をうってしまったのです」
どうやら考え事_シファとの関係改善_をしていた為、注意がおろそかになってしまったらしい。
「私たちは旦那様を部屋にお運びいたしました。
すぐに先生を呼びましたが、異常は見当たらない。すぐ目覚めるとの診断だったのですが、旦那様がなかなかお目覚めにならずこうして再び先生にお越しいただいたのです」
寝不足だったからな。
打ち付けたところが痛い気がするが、よく寝たお陰で気分はだいぶすっきりしている。
「旦那様は頭を打ったのです。どこも異常がないかもう一度診ていただけませんか?」
先生にそう頼むセバスを見て俺はチャンスだと思った。
やり直しができる絶好のチャンスだと。
ゴクリと唾を飲み込んで、そして告げる。
盛大な嘘を。
「セバス、俺は大丈夫だ。診察は必要ない」
「旦那様!?」
思った通り、セバスが食いついてくる。
ここで「そうですか」なんて身を引かれてしまえば今迄と何ら変わらないが、長年共にいたのだ。
「……で、お前が俺を“旦那様”と呼ぶ理由と、そこにいる女性は関係しているのか?」
俺の一言で部屋にいる誰もが息をのんだ。
こいこいこいこい。俺が欲しい言葉!
「だ、旦那様…まさか記憶が…!?」
よっし!さすがセバスだ!
セバスは前から俺がシファに約束させたあのことに苦言を呈している。
だからこそ、俺が記憶喪失だとわかれば約束のことなど伝えずに、ただ俺の妻だと紹介するだろう。
信じているぞ。セバス。
「すまない…、覚えていないんだ…。だから、教えてくれないか?」
■■■■
旦那様が階段から落ちて、意識が戻られないと伺った私はすぐに旦那様の部屋に向かった。
旦那様に関わるなと言われたとしても、やっぱり人が怪我をしたら心配するのは当たり前で。
第一私の生活は旦那様がいてこそ成り立っているのである。
そして眠りから覚めた旦那様が目覚めたとき、私のことは何一つ覚えていらっしゃらなかった。
初めて旦那様を“ちゃんと見た”のは、植えた花の苗が満開に花を咲かせた日だった。
私は綺麗な花が沢山咲いている様子を見てとても嬉しかった。
メイドたちと喜びを分かち合っている時、視線を感じた私は振り向いた。
振り向いた先には旦那様がいて、挨拶くらいは問題ないと仰っていたから挨拶だけでもしようと思ったのだが、急いでいたのかすぐに走り去ってしまったのだ。
私は少し残念な気持ちになった。
でもかと言って私は、旦那様の眉目秀麗な顔立ちを見ても男女の関係にはなりたいとは思っていない。
ただ。
ただ…おはようございますと挨拶して、
旦那様からもおはようとあの夜に初めて聞いた凛々しい旦那様の声が聞きたいと。
綺麗な花を旦那様に渡したいと。
そしていつか、旦那様の執務室に私が育てた花を飾ってくれたらいいなと。
そう思っただけなのだ。
それが今、旦那様が形だけとはいえ私という妻の存在を忘れてしまった。
どうしようと、旦那様との“契約結婚”の今後についてを心配するよりも、
ただ……ただただ旦那様が私を覚えてない事実が悲しかった。
涙が込み上げてきた私はこの場にいられないと、踵を返して部屋を出る。
エイシャや仲良くなったメイドたちが「奥様!」と私を呼ぶ声の中で、一人だけ「シファ!」と呼んだ声が聞こえた気がした。
■■
勢いよく飛び出していった彼女に「シファ!」と思わず叫んだ俺を、ギラリと目を光らせたセバスが俺を睨んだ。
「………旦那様…もしかして記憶喪失というのは…」
「え…」
固まる俺に、セバスがニコリと微笑んだ。
「奥様のことを知らないと仰っていたのに、何故奥様の名前を?」
「あ…、それは…」
言い淀む俺に対して、セバスが目尻を吊り上げる。
「あんなに素晴らしい奥様を気に入らず、挙句の果てには妻として認められないと追い出すつもりだったのですか!?」
そう声を荒げるセバスにメイドたちからも非難の視線を向けられた。
セバスのように声に出して俺を咎めることができないのはわかるが、さいってーと目がもろに言っている。
「違う!俺はシファとの関係を見直したかっただけだ!」
「ほぉ?それはどういう?」
「…俺に関わるなと言ってしまった以上、シファにどうやって近づけばいいのかわからなかった…。
でも俺が記憶喪失になったらもう一度初めからやり直せるのでは?と思ったんだ…だから…」
ごにょごにょと口籠る俺にセバスが大きく息を吸う。
「無礼をお許しください。
………起立!!!!!!!」
セバスは元々俺の教育係だった。幼い頃から悪いことにはしかり、良いことをすると褒められてきた。
そんなセバスに教育を受けていた頃のように“指示”を受けると、自然と俺の体は立ちあがる。
「今すぐ奥様の元に向かいなさい!!」
シファの元といってもどこに向かえばいいのかわからなかったが、セバスの迫力に俺は部屋から走り出すこと以外の選択肢はない。
「旦那様!奥様きっと庭園に居ます!」
そんなときシファの侍女として公爵家に来た女にそう教えられた。
俺はそこからスピードを乗せて、一気に庭園に向かって走った。
◇
庭園に着くと、小さくひっくひっくと声を押し殺して泣くシファの泣き声が聞こえてくる。
そっと足を踏み入り、あの日シファを見た花壇の前に向かうと、しゃがんで涙を流すシファの姿があった。
俺を見て逃げ出そうとするシファを捕まえて抱きしめる。
「すまない…記憶喪失は嘘なんだ」
ビクリと体を揺らして、俺を見上げるシファの瞳は戸惑いに満ちていた。
「聞いてくれ…俺は君が好きだ」
俺の言葉に驚いたのか、いつの間にか涙が止まっていた瞳はそれでもウルウルと潤っていた。
「君を初めて見たとき恋に落ちた。
妖精のように美しくかわいらしい君に恋をした。
だが、俺は君に“関わるな”と告げていた。
君にも好いてもらいたいのに、俺自身がさせた約束の所為で、どうすればいいのかわからなかった」
「旦那様……」
「ずっと悩んでいた時だった。意図せず階段から落ち、君やセバス達に心配をかけてしまった。
だが俺は“記憶喪失の振りをしてしまえば、君と約束した内容が無効になるのではないか?”とそう考えてしまったんだ。
そして君を泣かせてしまった」
すまない、と謝るとシファがゆっくりと首を振る。
「許して、くれるのだろうか?」
その問いにシファはまるで開花した花のように微笑んだ。
■■■■
旦那様が…私を好き…。
その言葉を理解してからは早かった。
私は基本顔に出ない。
怒った時、恥ずかしい時、嬉しい時、頬が赤くなる人を見るととてもかわいらしい。
でも私は基本的には顔に出なく、代わりに耳に出るのだ。
旦那様が私を好きと告げて、私が言葉の意味を理解してから燃えるように耳が熱くなった。
私は本当に、本当に今まで旦那様のことを男性として、異性として見ていなかったというのに。
旦那様に忘れられて悲しくて、締め付けられるように痛かった心臓が、今では好きと告げられてドキドキと激しく鼓動を刻んでいた。
今が夜で良かった。
寝る前だから上げていた髪の毛を下ろしていたのだ。
だから真っ赤に染まる耳を旦那様に見られる可能性はあまり高くなかった。
「あの…旦那様」
そう旦那様を見上げると、旦那様の頬が赤く染まる。
かわいらしいなと思った。
こんなに整っていて、可愛いよりもカッコいいお顔のつくりなのに。
男女の関係を求めていなかったはずなのに、私は意外とイケメンに弱かった。
「旦那さまって、私のこと好きで、私に好かれたいと思っているんですよね?」
その問いにコクリと頷く旦那様。
ああ、その仕草もかわいい。
「ああ、その通りだ。
出来れば君との約束の3つ目を取り消したい」
「はい!それは構いませんよ!」
私も旦那様に避けられたあの日、悲しい気持ちでいっぱいだったのだ。
そして今は旦那様がどんなお仕事をしているのか、旦那様が好きなことや、好きな食べ物色々と知りたくてたまらなかった。
その為にはたくさん、たくさんお話ししたい。旦那様と。
「ありがとう、シファ」
整った顔面を最大限に有効活用する旦那様の微笑みが素敵すぎて、顔に出ない私でも赤くなりそうだった。
「あ、あの!私のこと好きなら、私の好きな男性のタイプを知りたくありませんか?」
私には幼い頃から夢があった。
伯爵家でも貧乏な私の家族はみんなで畑作業をしていた。
それに影響されているのか、私は夫となる男性と共に花を育てたいと思っていたのだ。
「!知りたい!教えてくれ!」
そう間髪を容れず聞いてきた旦那様の耳に囁くと、旦那様は口角を上げた。
そして次の日、手配した花の苗を二人で植える姿があったとか。
レイン基い1号が何故次の日も休みなのかというと、頭を打っているから大事をとってです
暫くはブラックな仕事状況が改善されることはありませんが、
殿下が結婚して王子妃とシファや2号の奥さんが仲良くなってから、
奥さんたちの間で夫の仕事のブラックさが話題となり、それを聞いた王子妃から直々に殿下をしかりつけ
やっとブラック環境が改善された側近の1号2号はラブラブ溺愛新婚生活を送ります。
ちなみに3号は殿下の女性の好みが悪すぎて、結婚できていない設定ですが、ブラックな仕事環境が改善されたので、自分の時間を持てるようになり、婚活でも始めようかなと思っていると思います。