英雄の敗北。
今日も今日とて雲一つない快晴な空。
どこまでも続いてそうな農園地帯には、背中に赤い布を張り付けられたリリスが、狂暴化した牛ドンの大群を引き連れて、涙で顔を濡らして俺達の方へと走ってくる姿があった。
「何でですかあああ! 何でまた私が囮になってるんですかあああ! いやーーっ!」
「だってさー! やっぱりなー? こっちの方がー! 効率良いんだってー! だからー! 頑張れー? ……よーし、行ってこーい!」
俺は、いつものように金貨を投げ捨てる。
「わあああっ! お金が……って、わあああああ! ヒデオさんの糸目ー!」
「糸目じゃないよー、細目だよー」
悪態を吐くリリスへと、俺は大きな声で訂正してあげた。
今日はシェナという仲間も増えたので、リリスにはいつも以上に牛ドンを引き連れて貰っている。
おおよそ30体ほどが、俺の探知に引っ掛かっている。
そんないつもの光景を眺めている俺に、背後のシェナが心配そうな表情で口を開いた。
「ヒデオはリリスにいつもこんな事をしているのか? 少しばかり可哀想ではないだろうか……」
「我もそう思います」
結託して俺を非難する一人と一本に、俺はやれやれと溜息を吐く。
「大丈夫大丈夫、いつもの事だからあんまり気にすんな。それによく見ろよ、リリスは牛ドンに追い付かれていないだろ? あいつのステータスの俊敏はAでな、スプリント力だけはもの凄いんだよ」
「確かにそうだな、追い付かれてはいないが……」
「だろ? んじゃ、そろそろ駆除の準備をするとしよう。……よーし、これでラストだ、行ってこーい!」
俺はいつものようにいつもの如く、遠くにいる日本では見た事のない野菜を食べている呑気な牛ドン達の近くに、惜しげもなく金貨を投げ捨てた。
牛ドン達は投げられた金貨に見向きもしない。
赤い物を見せるか刺激をしない限り、狂暴化しない事は知っている。
「リリスがギルドで喚いていた事が本当だったとは……。だが、リリス以外楽なのは分かるのだが、ここからどうするのだ? ヒデオは魔法を使えないのだろう? リリスが引き連れている魔物をどうやって討伐するというのだ」
ドン引きするシェナは、俺を疑うような目を向けそう言った。
俺は髪を掻き揚げながら、背負っているキューショナーを見せつけて、
「フッ……。この魔剣。キューショナーの広範囲に及ぶ必殺技で、あの大群を消し飛ばすんだ。お前にも金を分配しなきゃならない手前、もちろん手伝って貰うからな」
「うむ、分かってはいるが、何をすればいいのだ?」
「そうだな……、シェナのやる事は俺の撃ち漏らしの駆除を頼む。さすがに必殺技だっていっても撃ち漏らす可能性があるかもしれないしさ。全部消し飛ばせたら儲けものくらいに思っておいてくれ」
「な、なるほど。だが本当に可能なのか? ちょっと半信半疑なのだか……、あの大量の魔物の群れを、ヒデオが消し飛ばせるとは思えないのだが……」
不安そうなシェナに俺は笑顔を向けて、キューショナーを背中から抜いて待機する。
「まあ見てろって。だけどもう少し離れたほうが良いと思うぞ」
「ムッ? 何故だ?」
「そこまで近いとお前のミニスカートが捲れあがって俺が興奮してしまう。それでもいいならもっとこっちに来てくれ。俺は全然構わない、むしろこっちおいでよ。その大きな胸を擦り付けてくれたらやる気がでるから、さあ早く!」
「おい……、貴様っ!」
おおっと、ゴミ以下の汚物を見る目なりました。
……まあいいや。
俺は気にせずリリスに視線を向ける。
「あああああっ! ああああああっ!」
もう金貨を拾ったようで、こちらへと走っているのが遠目でも分かった。
だが、まだまだ距離はある、心の準備をするのには余裕がある。
俺は金貨を取り出して、恰好を付ける為に指で背後に弾いた。
耳で金貨が落ちる音を聞きながら、キューショナーを構え、ガラス玉を押そうとするとキューショナーが何やら言いたげに震え出した。
「なあなあヒデオ。相談したい事があるんですけどー」
「……んん? それってあとで聞くこと出来ないか? 今、ちょっと取り込み中でさ」
「我って今日は調子出ないんですけどー」
……えっ?
「連日連続でぶっパナすから、魔力の回復が足りてないんですけどー」
言われてみればガラス玉から放たれる光量がいつもと違う。
いつもならもっと光り輝いているのに、今日は鈍く光るだけ。
「……マジ? それマジで言ってる? 嘘だろ?」
言いながら半信半疑でガラス玉を押して試すのだが、反応は無い。
いつもなら黒い炎が刀身に纏い、俺を中心に風が舞うはず。
もう一度、ガラス玉を連打をするも、
「おっおっおっ!」
喘ぐキューショナーから白煙が上がるだけ。
……っべー、マジか、どうしよう。
「な、なあ、それって朝に言ってくれてもよかったんじゃないの? 何で今言うの? せめてさ、前もって言ってくれれば対策を立てられたのに! 違う作戦立てたり、違うクエストに行ったのに!」
リリスが徐々に近づいてきて、俺との距離はそれなりに近い。
意味のないやり取りで時間を潰しているのは理解してるが、聞かないワケにはいかなかった。
パニックの状態異常に掛かっているから。
「流石の我も、どうしようか困惑してます。反省するのでお休みをください! 今日一日まるっとお休みしたら回復すると思いますんで!」
バイトを休む時の常套句を告げるキューショナー。
違う、そんな事が聞きたいんじゃない、てか本当にヤバイ。
額から汗を流し焦る俺はシェナへと振り返り、
「シェ、シェナー? シェナー? 助けてくれ! キューショナーが役に立たねぇの! このままじゃ全滅してしまう! 申し訳ないんだが作戦変更で! お前の実力は知らないが、早速だけど力を貸してくれ!」
「明日から頑張る、明日は頑張りますんで!」
俺はキューショナーを無視し、振り向いて助けを求めると、既にシェナは魔槍を構えている姿が視界に写る。
なんて頼りになるんだろうか。
「うむ、何やら様子がおかしいと思っていた所だ。私に任せろ! 少しばかり数は多いが、この魔槍と私の実力を見るがいい! 『エンチャント・アイシクル』!」
何かの詠唱を唱えたシェナの左手から、吹雪のような現象が発生し、それを右手に持った魔槍へと近づけると、魔槍がそれを纏った。
あれが属性付与の魔法か、すげーな。
俺は思わず感心して立ちすくむ。
「……って、感心している場合じゃないよな」
戦闘体制に入り自信満々なシェナの表情をみるに、余裕そうではある。
これならイケる、多分イケる。
俺のレベルは35で、このレベルならば防御力はそこそこあるだろう。
多少の痛い思いはするだろうが仕方ない、それは俺の自業自得だ我慢しよう。
「俺が先陣を切るから、後に続いてくれ。ムリだと思ったら逃げてもいいから!」
「ああ、分かったぞ!」
「よし、行くぞ!」
俺は掛け声と同時に走り出す。
その瞬間、背後で『んぎゅ!』と言う情けない声が聞こえた気がした。
だがそんなのは気にしている場合ではない、リリスとの距離が近くなっているからだ。
だが、そのあとに続くヒュンヒュンヒュンという風切り音と共に、俺の右ケツに何かしらの違和感が走った。
「んっ!」
次に冷たい感触がケツにくる。
そして徐々に冷たいのが広がって、すぐさまそれは激痛に変わっていく。
直後に右足に力が入らなくなり、その場で大の字になり転倒してしまった。
「い、いたいっ!? いたたっ! ななな、なんだっ!?」
「びゃぁぁぁ!」
あまりの痛さにキューショナーを放り投げ、俺は右ケツへと手を伸ばしてみると……。
「な、なんだこれ!?」
長い棒が俺のケツから挨拶をしていた。
装飾過多な槍を生成出来る程、俺のケツは高性能ではない。
平均的な普通のお尻だ。
なのに、なのに……。
「や、槍が刺さってるううう!? 何でえええ!? 冷たくて痛いんだけど!? 何でえええ!? おおお、おいシェナ! どどど、どういうことだよ!?」
叫びつつも激痛を我慢しながら魔槍の持ち主へと視線を移すと、鼻から血を流して心配そうに俺を見るシェナ。
「しゅ、しゅまなひ、こりょんだ!」
ふざけた結果を言いながら鼻血を拭い、ゆらゆらと立ち上がるシェナの姿。
……何がどうなって、こうなったんだ!?
そんな事を思っているとシェナがまた、鼻血を垂らしながら此方へと歩いて来て、
「まだ鼻血でてくりゅ! ……んっ! と、とりあえず魔槍抜くぞ! ……ああ、凍り付いて取れないぞ!」
シェナは鼻血を啜り、抜けない槍で俺のケツを抉りだす。
「やめっ! バカっ! 痛い痛い! ……ああっ……。…………いってぇんだけど!? ……ってか、俺のケツが凍ってるんだけど! 何してんだよ、グリグリすんな!」
あまりの痛さに意識が飛んで、その痛さで覚醒を繰り返す俺。
もし今日を無事に生き残れたら、この女の装備を剥いで売り払い、全裸で土下座させる事を心に誓う。
「しゅ、しゅまなひっ! ああっ、鼻血がまた出てくりゅ……。……んっ! 凍って抜けないのならば……。『エンチャント・ブレイズ』!」
何かの魔法の詠唱を終えたシェナ。
その直後、俺の背後で炎が舞い、俺のケツが燃え上がる。
「ああああああっ! あああああっ!」
熱いのと痛いので、もうどうにかなりそうだ。
今ならためらいなく殺人の罪だって犯せる思う。
セミロングの赤い髪で金色の瞳を持つ爬虫類系の女を、ためらいなく殺せると思う。
シェナは俺のケツを抉る様に槍を動かし、その度に俺の中で激痛と憎悪が膨れ上がっていく。
「抜けたぞ、ヒデオ! 私の魔槍が引き抜けたぞ!」
シェナは抜けたのが嬉しいようで、俺へと声を掛けて来たのだが……。
「な、何が抜けただこんちくしょう! お前、マジで、後で、覚えとけよ……。……いってえ!」
冷たい激痛と熱い激痛なら、まだ冷たい激痛の方がマシだった。
と、そんな酷い状況で、さらに俺を追い打ちする者が来た。
「わあああ! ヒデオさぁぁぁん! 助けてくださいーーっ!」
リリスが泣き叫びながら牛ドンの大群を引き連れて、俺の元までやってきた。
もちろん俺は動けない、もちろん俺に出来る事はない。
『ああ、俺って死ぬんだな』と、走馬燈のような物を感じながら、
「ま、不味いぞ。ヒデオ! どうしようっ!? お前がいないと私だけじゃ無理だ!」
困惑するシェナの声が背後で聞こえてきて。
「……なんでこうなった……」
と、思う暇もなく俺は牛ドンの群れに、『ドンッ』という音を聞きながら跳ねられた。