9 教会で
ドームの中は四季など忘れてしまったかのような代り映えのなさだった。ただ夜明けの遅さだけが、冬を物語っていた。
年中寒めのP-1のドームと違い、ロンドンのドームはまさに「適温」に保たれている。
年中マントの必要なパリに慣れると、ぬるいというのが本音だ。
「…ロンドンつまんない。食べ物が地味なんだもん。」
テーブルに並んだきれいな朝食に偉そうに文句を言いつつも、いつきの食欲は今日も朝から旺盛だった。
「…その食べ物は、一体どこにきえていくんだろう。君の胃袋は四次元に通じているのかなぁ。きっとそうだね~。」
ナルミは目をぱちくりしながら、イツキの食事風景に魅入っている。毎日繰返される、大食いショーだ。
ナルミは朝は2~3枚の小さなトーストとフルーツとお茶くらいで充分な男だった。いつきにしてみれば、あんたの体は何で動いてんの?である。…実際聞いてみたら「…炭水化物と水?かなあ。」というほにゃほにゃした返事だった。まったく、斧を振り上げてワ-ッと大声を出して追い回してやりたい。こいつに比べればラウールやら陽介やらの御曹子どもも、充分に肉食だったという気がした。
「…きみとゴハンを食べると、なんでも美味しい気がしていいや。」
「なんでも美味しく食べるわよ、あたしは。」
「だよね。…ゴハンが終わったら散歩にでもいこうか。」
「そうね。チューブに乗ってスコットランドにでもいかない?アイルランドもいいな。クリスマス近いから、田舎で市場が見たい。」
「…うーん、今日はちょっと行きたいところがある。」
「どこ?」
「…教会。」
「えーっ、何しに。」
「なにかな。わからないけど、…昨日寝る前にネットに上がったら、僕を呼び出すメッセージがあちこちにあって、メールも来てた。」
「だれ。」
「さあ。誰かな。…一緒にいく?」
「いくいく! おもしろそーじゃん! ケンカできそうかも!」
「あははははは、頼もしいね。君が一緒だと怖いものがないや。痛快痛快~。」
ナルミは陽気に笑って、カップのお茶を飲み干した。
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「…騙したわね?」
「…うん、実はね。」
質素にプロテスタントのミサコスプレして教会に座っていたら、見知った顔が隣に座ったのだった。だからいつきはそう不平を言って、ナルミを横目で見ていた。ナルミは逆を向いている。向う隣にもう一人、見知った奴が座っていた。
「あたしを騙すたぁ、太い男だよ、カズヒーは。」
「僕に騙されるなんて、馬鹿な女だよ、きみは。…せめて安西くらいの男に騙されてほしいね。」
「せめてラウールくらい引き合いにだしてよね。」
「あっ、そうだね。それは言える。」
「…静かにしなきゃ駄目ですよ、ミサがはじまるから。」
いつきの隣で代役の弟がにっこりして言った。
「…そう、話はあとでな。」
ナルミの向こうから横柄な日本語が飛んだ。
いつきは憮然とした。
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「まあ、それにしても久しぶりじゃン!」
ミサのあと席をたち、ため息をついていつきが言うと、
「だな。」
と陽介は短く言った。
あいかわらずなんとなく、細い全身からぽたぽた清い水を垂らして歩いてるようないかにも美少年的な風情だったが、いつぞや見たときよりは、少しはしっかりしていた。
「…具合どうなのよ。」
「…まあ、それなりに適当に生きてる。」
「大分よくなってるの?」
「一時期よりはな。発作がおこると一緒だけど。」
「最後はいつ?」
「水曜日に、ラウールの前で。」
キャー、といつきは喜んだ。
「…襲われたのね、すももちゃん!」
「…いつきさん!」
ハルキがたしなめた。
「襲われてねーよ! だれがあんな、皆さんの前で!」
陽介の怒鳴り声にナルミは陽気に笑った。
「ラウールに会ったんだね。」
陽介はナルミに肩を竦めた。
「…いつきに電話したら、電話をラウールが持ってたんだ。」
いつきは思い出して怒った。
「そうなのよ! 酷いやつでしょーっ?!」
「でもおかげで話が早かった。」
「…どういう話になった?」
ナルミは楽しそうに尋ねた。
「…まあ、立ち話もなんだから、どっかで茶でも。」
同意して、4人は教会を出た。
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石畳の道を歩いていると、突然、6人ばかりの男たちに取り囲まれた。
逃げ腰の陽介とナルミを後ろに押しやり、いつきは切れ味よく言った。
「…だれがこんな、皆さんの前で!」
言いながら、一人目の顎をいつきは華麗に蹴りあげた。
2人目を投げ飛ばし終わっていたハルキだけは、げらげら笑った。
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「…教団ですね。ドームの中で待機してた感じだ。」
あとかたもなく逃げられてから、ハルキが言った。
「…何でわかる?」
「…受け身の型でわかりますよ。父の型ですから。…目標はナルミさんだ。まっすぐ来た。…先輩、ナルミさん、お怪我は?」
「うん、大丈夫。」「とくにない。」
いつきは口を尖らせてハルキに言った。
「…あたしにも聞けよ。」
ハルキは呆れて言った。
「あるわけないでしょう。」
「わかんないぞーっ、ハイヒールとかはいてたりーっ、パンツはいてなくて足あがらなかったりとかーっ、…」
いつきがムキになって言うと、ハルキはめんどくさそうに手を振った。
「…さっきあげてたでしょ。パンツははいてください。それでも一応女の子なんだから。」
面白がってナルミがきいた。
「…男の子ははかなくていいのかい?」
「…先輩ははかなくてもいいですよ。ナルミさんははいてください。」
「なんで俺限定なんだよ?!」
「なんでって…」「受けだからじゃん。ばっかみたい。」
「ねーっ。」「ねーっ。」
「何がねーっ、だ!!」
「キャー怒った!」「やったー!」
「何が嬉しいんだ、このエセ姉弟!!」
「…まあまあ、おちついて、3人とも。
とりあえず、全員、ぱんつははこうね。
いいこだから、3人ともこっちへおいで。」
「はぁい。」「ハーイ。」「はーい。」
最年長のナルミが引率をかってでて、4人はぞろぞろ移動した。
ランチには早かったし、建物の外でも問題のない気温だ。適当な広場の一角にかたまった。
「…とてもクリスマス前だとは思えない。春先みたいだな。
ドームって不思議だ。」
陽介が言った。
「便利ですよね。」
ハルキが言うと、ナルミが言った。
「…便利だけど、モスコーみたいに、クリスマス前だけでも、雪をふらせるのもいいよね。」
「…雪なんか、ちょっとドーム出て北へ行きゃいくらでもあるじゃない。」
いつきがうんざり言うと、陽介が言った。
「…お前って、わかってねーよな。
…もう少し日本にいたほうがよかったんじゃねぇの?」
「なんでよ。」
「…四季の風情も知らないままじゃ日本に来た意味がねーだろ。」
陽介が口煩く言うと、ナルミが微笑んだ。
「そうだね、また暇になったら、日本へ行こうね、いつき。」
「えーっ、四季の風情って、日本州の必修単位なの?」
「まあ、そう。」
「しらなかった。」
いつきがふくれていると、「まあそれはさておき、」とはるきが言った。
「…あんたら、何遊んでンですか。」
…いつきとナルミは、思わず2人でとぼけてハトの群れを指差しあい、和やかに微笑みあった。
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「…遊んでるわけじゃないもーん。ちゃんと仕事もしてるもん。」
「遊んでるデショ。ラウールに、ライリアを見つけだして連れ帰るようにいわれてるんでしょ?」
ハルキが容赦なくいつきに言うと、いつきは口を尖らせて、ナルミの腕に抱きついた。
「だから、ちゃんと探したもん!」
「じゃあどうしてここで遊んでるんですか。」
「…ライリアはアフリカに渡ったわよ。もう大分前。」
「じゃあラウールにすぐ報告して、追うなり撤収するなり。」
「…チャンスだから観光するなり。放浪訓練するなり。」
ナルミが言った。
「チャンスだから飽きるほど遺跡巡りするなり。」
いつきがうなづいた。
…ハルキは額を押さえた。
「…完璧な組み合わせミス。…ミステイクパーティー。」
「…だな。…いつき。」
陽介が呼ぶので、いつきは顔を向けた。
陽介が電話を差し出した。
「…衛星回線だ。ラウールから預かって来た。
…これで電話が通じないとかいう言い訳はきかなくなるぞ。
いくらドームの中でカードを使わなくても。」
「ちっ、時間切れか。」
「そういうこったな。」
「陽介なにさ、
まるっきりラウールの手先じゃん!
咲夜みたい!」
「うるせえな、俺は被害者だ。」
「…教団も無事、僕のところにたどりついたみたいだしね。」
ナルミが笑った。
「というわけだ。
…以後は一人歩きしないで。必ずいつき同伴で。
…まともにきても歯が立たないと分かったから、一人の隙ねらって攫いに来ると思うよ。」
「そうだねーっ。
一回くらい攫われてみようかと思うんだけど。」
「…薬漬けにされて同意書かかされんじゃないの?」
「あっはっはー、そりゃこわい! 」
「あっはっはーじゃないでしょ。」
「…でもいつきが毎度蹴飛ばしてたら、話し合いの余地はないからね。」
「けとばすわよ、と牽制しつつ、話す、辺りが妥当。
捕まっちゃダメだ。
教団は話し合うつもりはない、と、言って来た奴がいる。」
「えーっ、僕、捕まって、いつきに助けに来てほしいな-ッ!」
「…あんたね…」
ハルキが口をはさんだ。
「…いつき、悪いんだけど、
僕、今日中にパリに戻らなくちゃならないんだ。
…ナルミだけでなく、先輩のことも頼むね。」
「いいわよ。おやすい御用。
3人のほうが会話にバリエーションがあっていいし。
ね?ナルミ。」
「そうだね、
…それより…
陽介はラウールから、電話の他に何か申しつかってるの?」
「…いささかな。」
「…話してよ。」
「…教団をナルミにおしつけるなら、ナルミが婚約試験にとりくめなくなるから、代わりに、ライリアの件は俺がやれってさ。」
「おおっ」「おー、来たね、ラウール。ナルミの予想通りね。」
「ラウールっていうより、多分側近の判断だろうからね。」
「…予想済みかよ。」
「いささかね。
…よろしい、僕らが調べたライリアのことを全てお話しよう。
といっても、あまり多くはないんだけどね。
…教団はひきうけるよ。」
…陽介は、周到な罠にはめられたとでも言うかのように、少し顔をしかめた。