8 土曜日
その晩は港町のホテルに泊まった。
直人の話をさかんにチラつかせたせいか、ハルキは大人しく別の部屋をとった。
翌朝、ホテルの朝食をとり、2人は港町を少し散歩した。
朝日は紫外線が強い。2人で黒い日傘をさし、黒い手袋をつけ、黒いゴーグルをかけると、もうなにがなんだかわからない、すごく怪しい人になった。
だが、朝日は美しく、冬の海風は冷たく、心地よかった。
…魂が目覚めるような心地がした。
このあたりの海は日本近海とちがって、汚染が少ない。
水がとてもきれいだった。従って、風もとてもきれいだった。
「…土曜日ですね。」
「…うん。」
「…そこで問題です。」
「うん?」
「…僕、日曜の夜にはパリへ戻りますが。先輩をどうしたものでしょう。」
「どうって…まあ、一人でなんとかするよ。
お前もせっかく入ったダイガク、出ないともったいないし。」
「まあね。
…でも先輩を一人にしてほったらかすのはとても心配です。」
「なんとかなるよ。」
…直人さんがついてきているし、と思ったが、陽介はわざわざ言わなかった。
「…先輩、ライリアの足取りは島のウィッカンガーデンまでは掴めています。好調な進み具合です。そこはいいとして。
僕らは今の所、追っ手を出し抜いている。…これは、善し悪しです。」
運河のベンチに座った。
根性逞しい水鳥が、餌を求めて寄り集まって来たが、あいにく2人とも、何も手持ちがなかった。
「…まあな、追っ手を鳴海に会わせるのも目的の一つだ。」
「…僕はいつきさんや鳴海もこっちにいるだろうとふんでいたんですが…
あの目立つ2人組を誰も知らない。
…気配がないですね。」
…それは陽介も感じていた。
陽介はうなづいた。
ハルキは言った。
「…今日明日、一旦戻って鳴海といつきさんを探しましょう。
…ドームの中にいるか、もしくはいつきさんが先輩のそばにいてくれれば、僕は安心して大学に戻れます。」
「…いつきが見つかるまでドームにいろっていうのか。あいつはフィールドにいる確率が高いぞ。カードの引き落としが…」
「…僕らほど手際よくいかなかったとしても、鳴海がついていますから、2人はガーデンまでは知っている可能性が高いと思いませんか。ここはせいぜい、ドームから2時間の近場です。」
「…それはそうだ。」
「…いつきのカードはどうであれ、鳴海は現金を持ってるんじゃないですか?」
「…現金!」
「…とはいえまさか大量の現金を持ち歩いてるとも思えない。
週に一度くらいは食料調達も兼ねてドーム入りしていると考えるほうが妥当だと思います。」
「なるほど。週一度と言うと、…」
「…日曜はキリスト教のミサがある。
それに紛れて出入りしているとは思いませんか。」
「…思う。それなら明日つかまえられるな。
…鳴海がネットに上がってるなら、呼び出しかけてみるか。」
「ネットのメールですか?」
「…とか、いろいろ。」
2人はベンチを立った。いい加減、風で耳も冷たい。
+++
「…遺跡巡りも飽きたねえ?レイディ。」
ナルミカズヒコがうかがうように言うと、いつきが口を尖らせて言った。
「…白鳥も見飽きた。」
「…きみさ、こんな、遊んでばっかりで…少しは将来のために勉強しようとかさ、思わないの?」
「勉強してるじゃん、遺跡みて。」
「何を」
「歴史とか。」
鳴海は頭を掻いた。
「…まあ、言いたいことは、ここしばらく一緒にほっつき歩いてわかったけどさ、
…君が遺跡でみてるのは『ホンモノの事件』だろ。
歴史っていうのは、『後世の解釈』なんだから、レアな事件を目の当たりに幻視したって、どうしようもない。
だれとも話合わないよ?」
「話合わせるために真実があるわけじゃないよ。」
「そうだけど、歴史っていうのは、
その『解釈』に含蓄というか、まあ、いわば価値がある思われているシロモノなのであって、要するに、哲学的なものなんだよ。
だから事実は、適当なもんなんだってーの。
むしろ解釈の邪魔になるものは隠されたりねじ曲げられたりする。それが歴史なんだ。削除隠蔽も含めて、さ。
ものすごーく悪く言えば、つまり断片的な情報をある思想のもとにつなぎ合わせた御立派な妄想なんだよ。
だって事実なんかキミみたいな人以外にわかりっこないじゃないか。
てゆーか、君もただ事件映像を見ているだけであって、真実がわかるわけじゃない。
君のそれもつまり、とっても特異な解釈の一つだってことだよ。」
「…だからさ、そういうことを勉強しているじゃない?
今ナルミが言ったような、…
認識の差異、とか、解釈の妥当性、とかさ、そういう哲学的なことを。」
「…まあね。」
鳴海がまた頭を掻いた。いつきは笑った。
「…ナルミはホントのこと言うからわかりやすくていいわ。
タカノとかは話がまったく通じない。
同じこと言っても。」
「…僕はタカノさんに、多くのことについて賛成なんだけどなあ。」
「…そんなんで、あたしと一緒に聖地なんか行けるの?」
いつきが顎を上げて挑戦的に言うと、鳴海は笑った。
「…こういう温度差があるからこそ、行けるんじゃないの?
君の激情にみんながいちいち巻き込まれていたら、
世界が破滅してしまうよ。」
鳴海はいつきの前髪のあたりをぽんぽん、と軽く撫でると、2人ならんで腰掛けていた柵から軽く飛び下りた。そして手を差し出した。
いつきは面白そうにその手に自分の手をのせ、まったく頼りにせずに飛び下りた。それはハタからみると、おそらく優雅な舞の仕草のように見えたことだろう。
実際いつきはただ余興で手をとってやったにすぎない。むしろそのナルミの紳士然とした手が邪魔にならないのは、身体能力がたりるからであって、たりなければ、その手は、邪魔になる。けれども、いつきほどでなくとも、並の女であれば、それを楽しんであまりあるほどに、バランスも筋力もある。…紳士と淑女のふりの、楽しいごっこ遊びなのだ。そんな助けは、本当はないほうが楽なのだ。そこが、面白い。
「…ナルミ、日焼けしたね。スプレーちゃんとかけなきゃ危ないよ?」
「大丈夫。僕はもともとは結構色素が強いほうなんだ。長く殻の下にいたから、なまっちろくなっちゃったけどね。
…世界混血児だから、必要とあれば黒人の体質が開花する。」
「…まっ、あたしもお日さまには滅法強いんだけどね。」
「君はホワイトニングしなさい。日本人女性でしょ?レイディ。」
「馬鹿馬鹿しい。おとといきやがれ。」
いつきはそう言って呵々と笑った。
「…土曜日だね、ナルミ。明日はドレス着てどこかで御馳走たべようか。」
「いいね。最近お菓子とサンドウィッチばかりだからね。」
「あたしはフィッシュアンドチップスばっかり。」
2人は笑い、「競争!」といって車まで走った。
だいたいいつでも、いつきが勝つ。あまり勝ち続けると、いつきはハイヒールをはかされる。…笑ってはいて、負けてやる。楽しいカップルごっこだ。
+++
いつきとナルミの2人は、もうここへきてだいぶたつ。
毎日遊び暮していた。
…いつきの養父のラウールから、ライリアというもう一人のいつきのもと養父を、探して連れ帰るように言われているのだが、「なんかめんどくさい」のだった。
いつきもナルミも、だった。
それでも最初は足取りを追ったりしていたのだが、なんだかどんどんどうでもよくなった。
いつきは、ライリアのことが子供のころから好きだ。
いつきにとっては、ライリアは完璧な王子様みたいな人だった。
ライリアはいつきの父親の幼馴染だから、父親と同じ歳だ。つまり、だいぶおじさんである。ラウールよりも年上だ。
ただ会いたいか、と言われれば、会いたい、のだが。
…いつきは、故郷である聖地に、墓参りにいきたい。
でも聖地を略奪した戦争責任者のラウールが今の養父なので、大変言い出しにくい。
ナルミも、いわば墓参り派というか、死んだお母さんの故郷を訪ねたいというルーツ派というか、まあ、いつきに近い。
それで、友達の陽介のすすめで、ナルミと組んだのだが。
おいそれとラウールがいつきを貸したがらないので、ナルミは偽装婚約を仕掛けて、いつきを引っぱり出そうとした。
そうしたらラウールが、ナルミに資格試験を持ちかけた。
いつきと協力して、一緒にライリアを探して見つけだし、つれて帰ってこられたら、という条件だ。
ナルミは受けた。
で、2人でここにきた。
…ライリアは、聖地の元軍人で、聖地が殲滅されてから、今回いなくなるまで、どうやらラウールのところにいたらしい。
いつきからしてみれば、なんで、である。
ラウールが言うには、刺客として潜り込んで来たのを、そのまま飼っていた、という話なのだが。
…陽介からは愛人候補だったらしいと聞いている。ただ、それは、陽介にそう言ったタカノのジョークだったのかもしれない。
だが、ジョークになる程度に楽しく暮していたのは間違いない。
なんで、だ。
…本当に刺客であれば、ライリアは、ラウールを殺すことなど簡単だったはずだ。聖地を殲滅したラウールを、聖地のライリアが暗殺するというのなら、それはつまり復讐だ。わかる。
だがライリアは殺さずに出て行った。愛人候補とからかわれながら、仲良く一緒に暮していたのだ。刺客ではなかったことになる。
ライリアは何をしていたのだろう?
…ナルミについて「今度結婚するふりすることになったナルミだよ。」と紹介していいのだろうか。それとも「結婚することになった」とか「結婚したいと鋭意努力中」とか、ラウール向けの嘘をいったほうがいいのだろうか。…つまり、ライリアはこっちなのだろうか、ラウール側なのだろうか。
いつきは正直、ラウールに反対されても押し切れる自信があった。それはラウールがいつきに甘いからではない。ラウールと殴り合いをしたら、絶対にいつきが勝つからだ。
だが、ライリアに反対されたら、いつきはいささか自信がなかった。
ライリアはいつきの能力を開花させた指導員で、父親よりも父親らしく、深い愛を注いで、厳しく、それでいておおらかに、いつきを育ててくれた。…いつきを同族嫌悪していた実の父親の代わりに、だ。
…いつきはライリアが殴れない。
多分、地球上で、いつきが、唯一なぐれない男が、ライリアだった。
…そうしたことごとを考えると、大変「めんどくさい」気分になった。
鳴海は、いつきが「気乗りしない」とき、てこでも動かない…というか、のらくら逃げるのを、なぜかよーく心得ていた。…というか、そういういつきを説得するのが、鳴海は「めんどくさい」のだった。
…そういうところが似たもの同士なので、一度逃避すると2人でどこまでも逃避してしまうのだった。
…おかげですっかり仲良くなった。
友情を深めるには、悪いことを一緒にするのが一番なのだった。
「…まっ、時がくれば動くよ。」
ナルミはのんびりと、運転席でチョコレートバーをかじってそう言った。
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「先輩。」
「ん。」
陽介は通信端末の画面から顔を上げた。
「あそこ、食事できそうですよ。」
ハルキはそう言いながらハンドルをきり、まだドームまで30分ほどある地点で車を止めた。見ると、かわいらしい絵本の挿し絵のような古い民家に「お茶飲めます」みたいな看板がかかっていた。
「ね、可愛いでしょ。寄ってみませんか。」
「ああ、食っちまうか、昼。」
「ランチあるかどうかわからないけど、スコーンくらいならあるでしょう。」
「そうだな。」
2人は車を降りて、そこの店に入った。
驚いたことに、店のおばあさんには、連邦の共通語が通じなかった。ハルキが英語で話し掛けると、やっと通じた。おばあさんは愛想よく、2人を席に案内した。それでも10席ほどある、小さなコーヒーショップだった。
食べ物があるかたずねると、キッシュがあると言われたので、頼んだ。ハルキは紅茶を、陽介はまたコーヒーを頼んだ。
「…すっかりコーヒー党なんですね。」
「…ううん、まあ、あれだ、…仏前に供える、みたいな。」
「ヨクコウ教団の宣教師の家庭で育った僕にわかるように言って下さい。」
「…生け贄の代わり。」
「コーヒーは生きてないデショ。死んでもいないけど…。」
「なんとなく分かれ。」
「…昔はうんと丁寧に説明してくれたのに…。もう愛してないんですね。」
「お前とは終わったんだよ。」
「酷いですよ、独りで勝手に終わって。さんざ浮気したあげく独りで終わらせたんですからね。僕は忘れてませんから。」
「あーあーわかったよ、つまりその死んだ浮気相手がここいらへんにうかんでて、コーヒーのみたがってるから供えてるんだよ。どうだわかったか?ああ?!」
ここいらへん、と右肩のあたりを手でぐるぐるやると、流石にハルキはあきれた。
「…考え過ぎですよ。」
乗り移られてコーヒー飲み干したやつがよく言うよな、と思ったが、めんどくさいので黙ってた。
「ところで、ネットの呼び出しとやらはどうですか。」
「ああ、今あちこちに仕掛けたよ。まあ、うまくいけばメールがくるかも…。」
「だといいですね。」
「うん。」
おばあさんがコーヒーと紅茶とキッシュを運んで来てくれた。ハルキがにっこりして礼をいい、ついでになにか世間話した。
おばあさんが去ってから、ハルキは言った。
「…日本人懐かしいって。おばあさん、昔ドームに住んでた頃、政府の福祉プログラムで、日本人留学生のヘルパーを家に入れてたんだって。」
「福祉プログラム?」
「独居老人が心配だから、政府はヘルパーをたくさん用意したかったんだけど、なかなか人員がみつからなくて、それで留学生を語学実習と称して老人宅に送り込んだんですよ。ヘルパーといっても買い物と掃除くらいだし、退屈な老人は言葉もゆっくりだし、外国人から珍しい話がきけるっていうんで、けっこういい組み合わせだったそうです。アカデミーの友達にきいたことがあります。それですね。
…たまたまあのおばあさん、日本人引き受けてたんですよ。」
「へえ。」
「ドームを出てからはなかなかみかけなくなったなーって。」
「…そうだな、留学する金持ちはドームからは出ないわな。危ない。ドームの外は冬だったりするしな。」
おばあさんがまたやってきて、ハルキに話し掛けた。ハルキはにこにこ応じた。
「ハルキ、きいてみて。ここんとこぜんぜん日本人みてないのかって。」
陽介が小声で言うと、ハルキはおばあさんにたずねた。
おばあさんは少し考え、このあいだアジア人が来たが、フランス語を喋ったから違うだろう、と言った。
「…キツネみたいな猜疑心に満ちた顔で髪ぐしゃぐしゃで、高額紙幣つかう痩せた男と一緒でなかったかきいて。」
きくと、おばあさんはうなづいた。知り合いか?とたずねた。
…ビンゴだ。
「友達なんだ。」
陽介はにっこりしておばあさんに言った。
…いつきはこういう「はぐれカフェ」みたいなところを食べ歩きしているな、と看破した。
…仕事をほったらかして遊んでいるらしい。
おばあさんのキッシュはおいしかった。