4 美しい執事
2日後の朝、ラウールから電話が来た。
「君を我が家の夕食に招待したいんだ。夕方にハルキを迎えにやるから。」
とのことだった。
夕方、ハルキが迎えにきてくれて、ホテルを出た。
ハルキはその前日も陽介の顔を見に来ていた。
ホテルで缶詰めになっていた陽介を、「おびえちゃって。かわいいですね。」などとからかい、暇つぶしの相手になってくれた。
持ち込んだボードゲームを楽しみながら、南米に行っていたころの話を、面白おかしく話してくれた。何度も命を落としそうになったことを、まるでゲームだったかのように、楽しそうに。…しょっちゅういつきのケーキの爆食いに付き合わされて、スウィ-ツが微妙にお腹一杯になってしまっていることや…いつきがいろんな奇跡をやったこと…。
陽介とハルキは2時間ほどで昔のようにうちとけて、楽しく話せるようになった。
…それでも陽介は、帰りがけのキスは、頑強に拒んだ。
そんな前日の幾分気まずい別れなどさらさら忘れたといった様子で、ハルキは陽介をタクシーに乗せた。
「ラウールの部屋、僕も初めてなんですよね。
ベルジュールの本宅は巨大なお城らしいけど、市庁舎からは遠過ぎて通えないから、普段はマンションにいるらしいです。
…なんか、噂だと、綺麗な執事さんと暮しているらしいですよ。あ、あと、桜。ほかに、ボディガード兼給食のおじさんがいるとか聞いたな。男ばっかりだって。」
…ボディガード兼給食のおじさん、まるでうちの冴みたいだな…、と思った。
ラウールの部屋は、庁舎にほどちかいマンションの、上のほうのフロアを丸ごと買いとったものだった。セキュリティチェックもかなり厳しかった。
エレベーターで部屋の階まで上がり、降りるとそこはもう、小部屋になっていた。玄関前の前室なのだろう。綺麗に整えられていて、ニスの光るアンティークな家具に花が飾られていた。ハルキがノッカーを鳴らすと、少ししてから、カチャリ…と静かにトビラが開いた。
「…いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
静かな声で、黒髪を長く伸ばした黒い瞳の麗人が出迎えた。
なるほど、ラウールの部屋に住んでいるだけあると…感心してしまうような、美しい人間だった。…性別がまったくわからないのだが、ハルキの情報に間違いがないのであれば、男のはずだ。
…ハルキが執事さんに驚いて固まってしまったので(ハルキはちなみに冴を初めてみたときも固まっていた)、陽介は顔をのぞかせて、執事さんに笑いかけた。
「今晩は。」
執事さんは軽く会釈して微笑みかえした。ほころぶ白い牡丹の花のようだった。…美しい人間って、すばらしい、と陽介は感動した。冴と2人、花車に乗せて、表通りをパレードしたい、とか馬鹿なことを思った。
「…どうぞお入りください。ラウールもじきに戻ると思います。」
中に入ろうとしたが、ハルキがまだ固まっている。陽介はハルキの踵をけとばした。
「いたっ!!」
ハルキの耳もとにひそひそいった。
「…早くいけ。なに見蕩れてるんだ。失礼だぞ、おまえ、…他人のものに…」
ハルキは顔をしかめて、ひそひそやりかえした。
「ものって、あんた。その言い方のほうがよっぽど失礼なのでは…。
…いやそれより、似てる。」
「誰に。」
「いつきさんのお母さんに。」
「…男なんだろ?」
「…でも似てる。」
…ハルキはコノヨならぬところで、いつきの母親に会っている。
聖地が陥落して以来、いつきの母親に会った人間は、ただ一人、ハルキだけだった。
「…どうぞお入りください。」
もう一度声がかかったので、2人は気をとりなおして、中に入った。
広いフロアはいくつかに区切られているのだろう、手頃な広さだ。
最初の空間には放し飼いにされた猛獣よろしく、桜がいた。…ソファに逆さにすわっている。座っているというか、ひっくりかえっているというか…。
「あ、桜、久しぶり。僕のこと覚えてる?」
「…たてがみくん!」
桜はぱっと笑うと、そのままコロンと床に転がり落ちてから立ち上がり、大股に歩み寄ると、ハルキの頭をなでなでした。
「たてがみくん、ふさふさになったねえ。りっぱだねえ。がおーっ。」
「がおーっ。…桜は全然変わらないね。」
「…そっちは?」
「陽介さん。…いつきの友達だよ。」
「ああ、めぎつねの友。」
桜は興醒めしたように陽介をちらっと見て、またすぐにハルキに目を戻した。
「…たてがみくんが来るんだったんだね。今日、ラウールが料理人をやとったんだ。久しぶりの御馳走。」
「あれっ、なんかここ給食のおじさんがいるってきいてたけど…?」
「おっさん、いなくなっちゃったの。だから僕が飯つくりしたり、リンが飯作りしたり。」
「リンて、あの美しい執事さん?」
「そうだよ、ラウールの猫。ここでは主にアイロンがけと掃除が仕事。」
桜がハルキを「わーいごわごわーっ」などと言いながら、だきゅーっと抱くのを通路の向こうから振り返って見て、美しい執事さんのリンが言った。
「…ムッシュー・クガ。こちらへどうぞ。お連れさんのお接待は桜がいたします。あなたのお相手は、わたしが。」
そしてゆっくり微笑んだ。
…ぞくぞくするような微笑みだ。
+++
案内された部屋は、日当たりの良い温室のような部屋だった。
たぶん、角にあたる場所なのだろう。今は夕日がいっぱいに射している。
壁面2方がガラス張りで、たくさんの観葉植物でうめつくされていた。
その森のような部屋のまんなかにある、洒落たテーブルと、居心地のよいソファ。陽介はすすめられるままにそこに座り、落ち着いた。
向うの部屋では、桜とハルキが陽気な大声で楽しく話し続けている。ハルキは桜と、どうやらとても仲がいいらしかった。
リンは丁寧に紅茶を沸かしてくれた。
「…音楽はなにがお好きですか?」
「…なんでも。」
「植物の機嫌がよくなるので、静かなのでもかまいませんか?」
「ええ。」
リンは薄紫のすきとおった砂の入った砂時計に目をやってから、音響装置にコマンドを送った。…ジムノペティが流れ出した。
「…綺麗な砂時計ですね。」
陽介が言うと、リンは言った。
「…アメジストを砕いたものとか。ラウールのファンからの贈り物です。」
「…沢山おくりものもらうんでしょうね、あの方は。」
「そうですね。なにか、夢をみてしまうんでしょう。…ただの愚図なおじさんなんですけど。あの顔にあの髪は、印象がキョーレツですよね。」
「あはは。」糞味噌だ。仕方なく陽介は笑った。「…でも、美しい人を見ているのって、いいでしょう?
…俺はあまりそういうことを…考えないほうだったんですが、最近は美しい人間がすごく嬉しくて。
…なんか、気分がよくなる。」
「…なんでも、ムッシュー・クガは美しい恋人と暮していらっしゃるとか。」
「誰がひろめたんだろう。みんな知ってるみたいですね。」
砂が落ちきると、リンは香りの良い紅茶をついで、陽介の前にカップを置いた。
「…どうぞ。」
「いただきます。…御一緒にいかがですか?」
「…ありがとうございます。わたしはけっこうです。」
リンは丁寧にそういって、陽介の向いに座った。
…そこが彼のいつもの居場所であることが、すぐにわかった。
彼を美しくみせるように、周囲の植物が全て念入りに配置されていたからだ。
「…妹がずいぶんお世話をおかけしたようで…。」
リンは突然そう言った。
「…は?」
陽介は何を言われたのか、まったくわからなかった。
考えたが、まずここだ、と思って、問い返した。
「…妹さんがおいでなんですか?」
「…ラウールは、まだなにも?」
「ええ。」
「…そうですか。あなたたちがイツキとよんでいる女は、わたしの妹です。」
…陽介は高いカップを、あやうく落として割るところだった。
「全然似てませんけど! なにからなにまで!」
「…私は母親似で、妹は父親似です。
…それと、わたしと妹は折り合いがわるかったので、妹はわたしのことをほとんど誰にも話さないはずです。
ラウールも、あれに兄がいることは、長いことしらなかったのです。
おかげで私も、妹のことに気付くのが随分遅れました。」
…入り口で、ハルキがいつきの母親の話をしていなかったら、いったいなんの冗談かと思ったことだろう。
…この兄にして、あの妹とは。遺伝子とはなんと残酷なことか。兄のほうが数十倍美しいのだ。
「…わたしがここに雇われたのは、ほんとうに偶然からでした。
わたしは軽い怪我と衰弱で難民として収容されて
キャンプの病院にいましたが、
戦闘能力もない文民ですので行く先もなく、
体がよくなっても、そのまま医療の手伝いをして、
難民キャンプでくらしていたのです。
…ある日、ドームからやってきた医者の一人に、
前職の経験と私固有の資質が生かせる再就職先を勝手にきめてきたので、
ああだこうだいわず従えと言われまして、
しぶしぶキャンプを出て、
迎えの車に乗りました。
洗われた後、つれてこられたのがここでした。
…ラウールが珍獣と2人でずぼらな独身生活を謳歌していました。
…幸い2人ともわたしを邪魔にしなかったので、わたしはそのままここにいます。」
リンはさらさらとそう事情を説明すると、あっけにとられている陽介に、お菓子をすすめた。…陽介はクッキーを食べて、気を取り直した。
「…そうだったんですか。」
「…実は妹は、わたしが生きていることを知りません。ラウールは勿論、だれも、真実を告げる勇気がなくて…。」
…気がついたら実の兄が養父の愛人でした…、確かに、それはきつい。兄としても養父としても、いつきとしてもだ。
「…無理に言うほどのことでもないかと思っているのですが、
…弟は亡くなっております。
今となってはお互い2人きりの兄妹ですので…
できることなら、生きていることだけでも伝えたいと…」
陽介は思わずザクっとクッキーを噛み砕いた。
…次の言葉は予想がついた。
「…おりをみて妹に、なにげなくお伝えいただければ、と思うのですが…。」
俺がかよ?!
クッキーをごくりと飲み込むと、リンがじつに美しい顔でにっこりと媚びた。
そして返事を待たずに言った。
「…ありがとうございます。」
+++
まてよ!! …そういおうとしたところ、リンが遮って言った。
「…ラウールにはちょっと言えないことがあるのですが…妹のことで。聞いて頂けますか?」
陽介はのどがつまりそうになって紅茶を飲み、仕方なくうなづいた。
リンは言った。
「…多分このあと、ラウールから一つ申し出があると思います。
…少し前までここにいた一人の男のことなのですが…
実は、彼は…わたしの亡き父の、古い友人です。」
「…」
「…妹は、彼のもとで幼いころ行儀見習いをしていました。
妹にとっては、実の父親以上に親密な…本当の父親以上の父親代わりです。
父は…とても優しい人でしたが…残念なことに、妹のことをあまり愛していなかったので…。」
…こんな美しい母親似の兄がいたのでは、それはどうしようもないことだろう、と陽介は思わざるを得なかった。…そうか、そういうことだったのだ、いつきが父親と今一つうまくいかなかったのは…陽介はそう思った。
「…それは彼のほうも同じです。
彼はずっと独身をとおしてきて、妻も子もありませんが…
妹のことは、なぜか、自分の本当の娘のように愛していました。
それは、…もう、ラウールなど、いかに名ばかり金ばかり口ばかりの養父であるか、歴然とわかってしまうほどに…。」
リンはそう言って、悲しそうに目を伏せた。
「…あの人を追い詰めないようにしてください。
…あの人が、妹を手にかけるようなことがあってはいけません。絶対に。」
陽介はカップを置いた。
「…なぜ、手にかけるなんて…?」
「…わたしは父の大いなる災いも、母の大いなる呪いも、幸か不幸か受け継がずに生まれました。…或いは、受け継いだけれど封印を切らぬまま育ちました。
…けれども妹は、その両方を継ぎ…能力は顕在化しています。」
「…」
「…彼も父と同じ災いを生まれつき被っています。
…彼が、なんらかの真実にいきついたとき、…そこに絶望しかなければ、彼は、妹を手にかけるでしょう。
…それは、愛ゆえに。
…今、現実問題として、実力行使で妹を制止できるのは自分だけであるのを、彼は知っていますし、それに関して責任をひきうけるつもりだと思うのです。」
「…それは…」陽介は眉を寄せた。「…それは、勿論、あってはいけない。」
「…ええ。」
「…ですが…俺には、どうようもないです。」
「…」
「そうでしょう?どうやって…
おれは、いつきに襟首をつかまれるだけでも震え上がって、それだけで気絶したことだってあるのに…
そんな…そんな2人をとめることはできません。」
「…できます。」
リンは静かに言った。
陽介が抗議をこめて堅い表情でリンを見ると、リンはふっと視線をそらした。シュガーポットを開け、小さなハート型のかわいらしい角砂糖を一つ拾い上げると、陽介の口に押し込んだ。
「…そのとき彼に救済を。それだけでいいのです。」
「…救済っていわれても…」
そう言いかけたところで、インターフォンが鳴った。
リンは顔を音の方に向けた。…さらさらと長い髪がくずれて、肩をすべる。
「…失礼、ラウールが戻ったようです。」
リンは静かにそう言うと、席を立った。