3 銃殺の森
「先輩、お時間あるんでしょ、少し2人で話しませんか。せっかくお会いできましたし。」
ラウールと別れた後、ハルキが言った。
「…。」
陽介はいやだな、と思ったが、断る口実がなかった。
人目のあるところがよいと思い、どこかカフェみたいなところ、と言うと、…さすがはカフェの本場だ…すぐに場所は決まった。
ハルキはエスプレッソを頼み、陽介はコーヒーをブラックにした。あまりコーヒーが飲みたいという気はしなかったのだが、気がついたら、コーヒーにしていた。
「…今日は悪かったな、ハルキ、忙しいのに時間とらせて。」
「…それはいいです。べつに。」
「ナルミとは仲良くやってるか?」
「ああ、あの人ね。たいして話したこともないけど、陽気な人で、軽くて、賢くて。付き合いやすいひとですね。すごく突き抜けた明るさが、魅力かな。」
「…だれとでもね。」
「そうなんでしょうね。…いつきさんとカズは、いまP-1にはいません。連邦にいるかどうかも、微妙です。」
「…なにやらされてるんだ?」
「…」
ハルキは少し間をあけて言った。
「…僕も詳しくはしらないんです。
ただ、いつきさんがでかけるときの装備がね、
とても都市に滞在するようには見えなかった。」
「…フィールドか。」
日本州のフィールドはグリーンマップでありアウトエリアだが、ヨーロッパのフィールドは、主に砂漠だ。砂漠といっても砂の海といった雰囲気ではなくて、岩石の荒れ地といったイメージが近い。…いつきはともかく、あの華奢なナルミには似合わない場所だった。
もっとも彼は、みかけによらずかなり過酷な幼少時代をおくっているので、べつだん、故里に戻ったような感慨でしかないのかもしれないのだが。
鳴海一彦は、教会ともP-1とも、まったく別の事情で聖地を目指す一人の個人的な冒険家である。冒険家といっても、冒険家に転身したのは今年の春で、それまでは銭転がしだった。資産はかなりある。見た感じもいかにも優雅なお金持ちといった風情で、細くて華奢な、それなりの二枚目だ。
彼には気の狂ったお母さんがいて…すでに故人だったが、幻想のような思い出話を、カズ少年にいろいろ吹き込んで育てた。カズ少年は、成長するにつれだんだんと、母の物語がおかしいことに気づく。そんなまちは、世界になかったのだ。ではどこにあるのだろう。まるっきりの創作にしては、母の話には妙なリアリティがあった。カズ少年は次第にそのまちに興味を抱く。お金稼ぎにあらゆる意味で嫌気がさしたとき…カズ青年の手にのこっていたロマンといえば、そのあるはずのない母の故郷のドームの物語だけだった。
最初はおそらく暇つぶしに、半信半疑で…しかししらべているうちに、カズは衝撃の事実を次々に知っていく。紫斑虫のこと、教団のこと、数年前にリゾート地で遊んだ女の子のこと…。運命が彼を取り囲み、そして行くべき方向へと押し出す。もう、行かずにすますことはできない、母の故郷へ。
聖地は今、P-1が荒廃都市管理法のもと、管理している。しかし実際は、P-1も後始末に入れないほどの何かがその座標で起こっている。
カズはいつきに接触するために、陽介にたどりついた…。
いつきに、そしてハルキに、一目会って気持ちを精算したかった陽介は、P-1にいつきの見合い話として、ナルミの写真を持ち込んだ。
ナルミはラウールに会うことに成功し、…そして、いじめっこ養父に罠にはめられたというわけだった。
「…先輩、ナルミに教団を押し付けるのは…まあ、筋だとは思うけど…あんまりじゃない?
彼は今ホントにピンチですよ、多分。」
「…」
陽介は天井に目をやった。
…照明がかわいい。
…のはどうでもいい。
「…自業自得だろ。」
「先輩!
…先輩もラウールと同じで、
いつきさんの婚約、じゃましたいとでも言うんですか?」
「…俺はあいつらが会うきっかけを作っただけで、婚約の正味は別にどうでもいいんだけどね…。
そうじゃなくて、…俺がこう動くのは、ナルミの計画のうちなんだ。
教団が動くように、ナルミが餌を撒いたんだよ。
餌撒いたからね~と、告知はされてた。
…交通費までもらったぜ。」
ハルキはそれを聞いて、呆れた。
「…ナルミは、楽観的ですよね。」
「まあ、そうなのかもしれないし…
もしかしたら、それすらもナルミの計画の一部なのかもしれない。
そこまでは俺もわからんわ。」
「…ラウールがさっき、先輩に何を聞いたのか、分かってますよね?」
「何聞かれたっけ。」
ハルキは指を一本立てた。
「一つは、
先輩がどうしてナルミの見合い写真を持ち込んだかでしたよね。
…あれはラウールにしてみれば、
先輩がラウールのところに、変なナルミってやつを差し向けて来たともいえるわけで。
ケンカ売られたのか、利用されそうなのか、…
裏に先輩の思惑があるかを確かめたんです。」
「あっそう。
別に、俺はどうとられてもいいけどね。
ケンカは買わないし、ラウールを利用する予定もないし。」
「よくないですよ。闇から闇に葬られても知りませんよ?」
「…もう一つは?」
ハルキは指を2本たてた。
「聖地に行きたいのがナルミなのか先輩なのかを確かめてたでしょ。
もし行きたいのが先輩だったら、
先輩は野望のためにいつきさんを売ったわけで…
なにしろナルミはお金持ちですからね。」
「…でも行きたいのはナルミだったわけだが。」
「そう。
先輩はうまくぼけーっと逃げた。
先輩はすべての嫌疑を手際よく免れたと思います。
でも…それがナルミにとって吉と出るか凶とでるかは、…
明日、ラウールの側近が集まって会議ですね。」
「逃げたわけじゃねーよ。
俺はナルミのプランどおり進めてるだけさ。
利用されてる下っ端だ、それ以外にどうしろつーんだ。」
「ラウールはあんな言い方してるけど、いつきのことはそれなりに心配してるんです。
ナルミのところに嫁にやったものかどうか、悩んでる。
…婚約もやみくもに反対してるわけじゃない、
ただ本当にナルミが信用できないから、テストしてるだけなんです。
だからナルミにいつきをつけてやったんです。
相性があってるのかどうか試すのも兼ねて。
…まあ、僕のそばから離すって目的もあったと思いますけど…。
ラウールは、僕を独りで泳がせれば、教団が何かしら接触してくると思っているらしいです。
…もしくは、教団以上の何かが…。」
「…。」
「…先輩には言っておいたほうがいいと思ったんだけど、…
このあいだ会ったときは、先輩あまりに具合悪そうで…。
だから、今、話しますね。」
ハルキはそういって、エスプレッソを飲んだ。
+++
「ラウールいうところの僕の『おイタ』の件は、
…いつきさんあたりからききましたか?」
陽介はうなづいた。
教団の絵描きを本部に送って、教団の覆面企業の買収を危機一髪、阻止した件だ。
「…そのあと、僕、ラウールに呼び出されましてね。
…2人で話を。
まあ、お説教というか、八つ当たりというか。
…場所はパウロの病院のうらにある植物園でした。
…そのとき僕は…ラウールから、ある極秘の話を聞かされました。
それで…僕は、
多分、本当に話をしなければならないのはラウールなんだということがわかって…。
僕の事情をラウールにうちあけたんです。」
「…事情って、どの事情。」
「…僕が約束の履行をせまられている話です。」
「…ああ。」
「…尾藤家が行った、現行法では罰せられない犯罪の話も。」
「…」
陽介は驚いた。それはあの集団自殺の真相だった。
教団というよりは尾藤家を守るために、ハルキが決死の覚悟で隠し続けたことだった。
社会に明かされれば教団が終わり、教団にあかされれば、尾藤家が終わる、そんな毒だった。
ハルキは笑った。
「…大丈夫です。
ラウールは、おいそれと、呪いとか、魔法とか、そういうことを人に打ち明けられる立場ではないんです。
ラウールの部下のなかには超常現象を受け入れられないようなカタブツが何十人もいるし、タカノさんですら理解できないくらいなんです。
…下手にラウールが騒ぎ立てたら、僕といっしょくたにパラノイア呼ばわりされて、ラウールも終わりだってこと。
…それはね、実は…
教団の内部でも同じなんです。
…教団の連中は、母があんな凄い技を使うことを知りません。
言ったところで信じないでしょう。
教団の連中も、なんだかんだ言って、しょせんは連邦育ちの軽い社会不適応者が、ファンタジーごっこしているだけなんです。
…善良で、夢見がちな、オタクさんでしかないんですよ。」
…それは確かにその通りなのだろうが…
だが、馬鹿正直な形でなく、…なにかに見せかけて目的だけ達成するという手だってあるではないか。
それにラウールがそれを教団の、尾藤家でない一派に首尾よく説明できたら、尾藤家がそれで終わることにかわりはない。
「…だが、ラウールは理解できないわけじゃないだろう。
ラウールの手許にはいつきもいるし…パウロもいる。」
「…ラウールはね、先輩。自分にも痛いところがあるんですよ。
だから怖くてそんなこと到底言い出せないんです。
…呼ばれているんです。」
「…だれに?」
「…僕に約束の履行をせまるあいつに。」
「…」
「ラウールはそれを僕に言ったとき、多分、その場で僕を殺す気でした。
殺す気だったから、座興でうちあけたんです。
時代劇でよく悪役がやるでしょ、冥途の土産ってやつです。
…出口に銃殺隊が並んでる中、僕は入って行ったんです。
ラウールが一人、待つ場所へ。
多分、話が終わったら、ラウールがそこを先に出て…
残った僕が、
殺される予定だったんです。」
「…。」
「…でも、座興とはいえ、彼はそれを誰かに言わずにはいられなかったんです。
…僕は、その気持ちが分かります。
それは…あれに会った人間なら、だれでも分かると思います。
人間が一人でかかえるには、…それは、あまりに圧倒的な恐怖なんです。
ラウールは、それを…
理解し共感してくれる相手など、持っていないんです。
みんな、…世界のことばかり考えて…対策ばかり思いめぐらして…だれも彼の個人的な恐怖のことなんて、かえりみることはないんです。」
「…」
「…呼ばれている…その意味がわかりますか。
…ラウールは奴に呼ばれて、聖地を陥としたんです。」
「…え」
陽介は耳を疑った。
「…その恐怖がわかりますか。
自分が、得体のしれないものにひきずられて…
気付くとドームを一つ壊してしまっていた…
その恐怖が。
彼は、連邦という巨大な乗り物のハンドルを握っている人物の一人なんですよ。
…いわば世界のハンドルを。」
「…」
陽介が何も言えずにいると、ハルキはまたエスプレッソを飲んだ。
「…ラウールを、このまま見捨てて僕がここで死んではいけない、と思ったんです。
…それは、世界を見捨てることなんだと…。
この人は、誰かわかってくれる人に助けを求めている、と。
それは現状、皮肉なことに僕くらいしかいないのだと…。
ラウールは僕を傲慢なのではないかという目で見たけれど…僕は、傲慢ではない、と思います。」
陽介は黙って、すっかり大人びたハルキの顔を見た。
ハルキは、勇気がある。
昔からずっとそう思っていた。
…破格な勇気だったんだな、と今更ながらに驚いた。
そしてハルキは、間違いなく、まごうかたなき、宗教的な一家で育てられた、宗教家の息子なのだった。
…救済を求める魂の呼び声を一旦耳にしたら最後、もうハルキはそれを見捨てることなど出来ないのだ。決して。…それがどのような困難を伴うのであろうとも。
「…僕の事情を全部うちあけて、
…そう、先輩にも言ってない、僕が待合室の居眠り中にうっかり奴としてしまった取り引きのことも全部ね…。
…最後にそれを彼にいいました。つまり…ラウールは救われなくちゃいけないことを…。僕にはそれがわかると…。
彼は激怒しました。
…できるものなら僕を救ってみるがいい、馬鹿な子だ、何も出来ないくせに、自分がなにもできないことすら分からないのかと…
吐き捨てて…
その怒号とひきかえに、銃殺は中止になりました。
…そのあと、僕の顔を見ているとイライラするからといって、南米へ。
いつきさんがそのときかなりラウールを止めようとしたらしくて、じゃあ一緒に行きたまえ、と言われたそうです。
いつきさんは、とんだとばっちりですよ。」
返す言葉もなかった。
陽介は静かにため息をついて、手付かずのコーヒーを見た。
…気のせいか減っているきがする。自分で気付かずに、飲んだのだろうか?…まあ、それはどうでもいい。
…なんでそれを俺に言うよ、オマエラだけでやってろ勝手に、俺はしらない、世界の行く末なんか、俺はクリスマスまでに、愛する冴の傍らに帰って、冴と一緒にチキンを食べて、大学かよって、冴に綺麗な服きせて学校卒業させてやって、2人愛しあって静かに幸せにイチャイチャ暮すんだ…2人がおっさんになってもずっと…
…と、思いつつも、次の台詞にはだいたい予想がついていた。
「…先輩だって、僕を見捨てたりしませんよね…?
たとえ恋人じゃなくなったって…。
…なんか、知恵貸して下さいよ。
先輩だけが頼りなんですから。」
…結局、陽介だのみなのだった。
…その末っ子根性なんとかしろ。いっとくけど俺だって弟族なんだぞ。
…陽介はそう思った。