20 クリスマス休暇
医療チェックが終わると、すでに夜になっていた。見たことのない検査薬やら造影剤やらを服用させられて、今度はそれを下剤でだせと言われていたので、空腹こそ感じなかったが、陽介はシャワーにも食事にもまだありついていなかった。
しばらく格闘ののちホテルの部屋のトイレを出ると、いつきがこっちをむいて訊ねた。
「…出た?」
「…出た。」
「…やっとご飯ね、陽介。」
「全然食欲ねーし、もう検査で消耗して寝そう。」
「なんか食べたほうがいいよ?」
いつきがそう言ったときには陽介は今朝まで寝ていたベッドに倒れこんで眠っていた。
「…息や心臓は苦しくないみたいね。ホント体力ないわこの男。」
「…うるせえ、ほっとけ。」
「あっ、聞こえてた?」
「…」
かろうじてそこまで言ったという様子で、もう返事はなかった。
「…今更だけど、アフリカにつれていっても大丈夫なようにお祈りしなきゃだめだね。」鳴海が神妙な面持ちで言った。「…霊能者がどうって言ってたけど、死を予言するのは禁じ手だよ。」
「そうね、誰なんだろう。あたしの知ってる強い女の子じゃなかったみたいだし…ほかにいたかな…。あ、トイレ次あたしね。」
「はいはい。大丈夫だよ、廊下に出たとこにもトイレあるから。」
「お先に~」
いつきがトイレに消えると、はるきが鳴海に言った。
「…カズ、…ちょっと気になる人がいるんだけど、霊能者の件で。」
「心当たりが?」
「うん…まあ僕はお山の修行にいくまで、霊とかそういうの、あまり信じてなかったんだけど…お山での体験が色々強烈でさ…否定しきれなくなったって言うか。」
「お山の話、よく出てくるね。いつきでも新鮮な体験があったというから、相当な霊山なんだろうね。」
「うん…。その山で先輩は年の離れた男と僕の目を盗んで浮気してたんだけどね。まあ、夏の恋ってやつ?」
「…なるほど?」
「そのひと死んじゃったんだよね。よその子供をかばって車に轢かれたらしい。」
「え、そうなの。」
「うん…。その人、かなり色々体験している人だったんだよね…。」
「霊的体験てこと?」
「まあ、そういっていいと思う。その人、中学をでてすぐ、いろんなところの修行を片っ端からしてて…相当辛かったんだと思う。何とかしようとしてたらしいんだよね。」
「なるほど?」
「でも大人になっても直らなかった。そういう体質ていうか、まあ、特殊能力の一種を持ってたってことかな。…その人、コーヒーがすごく好きでさ。先輩がコーヒー飲むようになったのも、その人の影響だと思うんだけど…。今回の島行きでさ、僕、ときどき無性にコーヒーがのみたくなる瞬間があって…先輩のコーヒー横取りして飲んじゃったりとかして…あれ?なにやってんだろ、僕…みたいなことがあって。」
「…」
鳴海は黙って先を促した。
「…僕の家族も特殊能力色々もってる家族でさ…僕にはないと思っていたんだけど、双子のように育った年子の姉は、…なんていうの、巫女さん体質…いや、ヨリマシ体質って感じかな。…のりうつるっていうか、催眠に陥りやすいというか…。『憑く』んだ。それで魔法樹を召喚するのにも使われたんだ。…もしかしたらそれは僕にもあるのかも、って思ったんだ。 」
「…その陽介の亡くなった浮気相手が『憑いた』ってこと?」
「うん、コーヒー飲むのにね。…先輩はあのお山でも別に普通だったし、比較的『憑きにくい』体質だと思うんだ。そういう意味で僕のほうが感度…というか、同調率が高い。…で、亡くなった彼は先輩の守護についてきてたんじゃないかと…。それでコーヒーが飲みたくなってちょっと僕に乗っかったんじゃないかと…。僕はあの人…直人さんて言うんだけど、あ、冴のお父さんだよ。」
「!親子丼か。」
「そういう言い方やめてあげて…。可哀想だから…。」
「…なるほど、陽介がこんなふらふらでもなんとかここまで帰ってきたのはその人の守護があったからだと、きみは言いたいんだね。」
「うん、まとめていうと、そう。」
「…祈りはねえ、守護の方に頼むと通りやすいっていう説がある。僕は守護の方っていうのが実感ないのでわからないんだけど、世の中の一部ではわりとまことしやかにそう言われてるんだ。守護天使とか守護霊とか言ってね。」
「そうなんだ…じゃありかもしれないってこと?」
「憶測の域を出ないけれどね。」
「先輩が寝ているうちに先輩の荷物ちょっとあさってみよう。直人さんの依り代があるかもしれない。ちょっと思い当たるオブジェがある。」
はるきはそういって陽介の荷物をほどいた。
貴重品と、少しの現金が陽介らしく丁寧にそろえて畳まれて入っていたあたりに、はるきは目当ての物をみつけた。
「あった。これだ。」
それは小さな小柄だった。
「…日本のナイフだね?」
「これ、山で先輩が直人さんから借りたままになってるナイフなんだ。」
「なるほど。…これにくっついて来た、と…いうわけか。」
そのときドアがコンコン、と二回ノックされた。
「どうぞ。」
こだわりなく鳴海が許可すると、ドアが開いた。
…ドアがあいただけだった。
はるきは黙って立ち上がり、歩いていってドアを閉めた。とくに何の反応もしなかった。はるきにとってはこういうことは「たまにあること」なのだった。
「…で、死を予言した霊能者の話なんだけど、直人さんか、それでなかったら冴じゃないかと思うんだ。」
「息子も父親の血をひいている、といいたいんだね。」
「うん。…だとしたら、あながち嘘ではないかもしれない。」
「…」
鳴海は少し考えた。
「…あの嫁がいつきについていくな、といったのなら、それは単なる嫉妬の可能性もあるね。」
「…まあね。」
「…陽介は直人さんとやらの声が聞こえたりするのかな。世の中には聞こえる人もいるみたいなんだけど。」
「直人さんの場合だと、死ぬ前に言ってる可能性があるね。」
「なるほど。」
「…直人さんは…ゴメン、鳴海、変な話するけど、僕もよくわかってないからつっこまないでね、…直人さんは、本来は亡くなった後はあのお山の霊世界に迎え入れられているから、山を離れられないはずなんだよね。」
「…お山の霊世界?」
「突っ込まないでってば。…まあ、こんなふうな考えだと思ってくれるといいかも、『直人さんは山の神様たちとのなんらかの契約で、山のために奉仕が義務付けられている』。」
「…契約、」
「…直人さんはお山の神様にえらく愛されていたんだ。『みんなまってるのよ』って言われてた、生きてた時に。」
「そんな場面に居合わせたの?」
「居合わせたんだ。先輩も聞いてたと思うよ。一緒だったから。本当にそれでぞーっとして、逃げ出したんだよね、僕たち。…直人さんは、お山に呼ばれてたんだよ。死んじゃったらもうひとたまりもないと思う。肉体っていう一種の…この世との『クビキ』みたいなものがなくなっちゃうからね。そういっていいなら魂だけの無防備な状態になる。そうなったらあの数の神様衆には抗えないよ。」
「…昨夜も感じたけど、きみの話は荒唐無稽だが、僕個人としてはすごく面白い。きみも霊能者といっていい域だと思う。」
「僕が冴えてるのはお山でだけだよ。あそこはすごくあの世に近い場所だったんだ。本当に不思議な体験をしたよ。きっとあそこでは誰でもそうなんだと思う。…冴は小さい頃あそこで育ってるはずなんだ。…まあ、神霊の英才教育受けてるようなものだよ。」
「…なるほど、世界一美しい花嫁は、嫉妬ではなく本当に感じていた可能性があるわけだね。」
「わかってくれてありがとう。整理しないで話しちゃってごめんね。」
「いや、よくわかったよ。僕は枝葉のある話のほうが分かりやすいから。」
「…それでいつきと話すの難しいんだね。いつきはストレートに主題だけドーンとくるから。」
「それはあるな。いつきが苦手だという意味じゃないよ。一緒にいると楽しいし、気も合う。でも話合いや打ち明け話は難しい。ダラダラさぼってるのが楽しい。」
「ラウールの部下でだいたいは枝葉しかはなさない桜ってひとがいるんだけど、あの人もいつきとはまったく会話にならないらしいよ。」
いつきの話をしていたらいつきがトイレから出てきた。
「出ました!」
「おー、おめでとう。はるき次いいよ。」
「大丈夫?下剤のんでるは一緒でしょ。」
「廊下の向こうにもトイレあるから。」
「そうだった。じゃ、僕使わせてもらうね。」
「すごいわね!蛍光緑だったわ!」
「蛍光緑なんだ?」
「今あたしの話してたでしょ。」
「してた。きみがすごくストレートに話すのでたまに右往左往してしまうって話。」
「わざと、わざと。」
いつきはふふふと笑った。
「女はいばってるくらいじゃないと話きいてもらえないからね。やってるうちに癖になった。…鳴海はそうじゃないって思ってるけど、まあ、クセだね。ごめん。」
「いや別に謝るほどのことでもないよ。陽介や菊さんとはうまくかみ合うんだから、そういう形のコミュニケーションもあるってことだろう。」
トイレの中で「わーっ!」とはるきの声がした。
+++
陽介は結局シャワーも浴びずに頭がかゆいと思いながらも泥のようにねむっていた。しかし突然誰かに揺さぶられて、目をさました。心臓がどきどきして、体がカーッと熱くなる。体が「起きろ」と覚醒を強制したかのようだった。驚いて起き上がる。三人はまだ眠っている。時計をみると、六時だった。…無論、朝だ。ものすごい胸騒ぎがした。
「ちょっとまて…ちょっとまて!」
目は恐ろしいほど覚めていた。
「何日だ?!」
陽介は思わず叫んだ。
「二十四日だよ…」
陽介の声で目を覚まして、鳴海がふにゃふにゃ答えた。そして鳴海も言ってからびっくりして目を見開いた。
「あっ」
「時差七~八時間だったよな!間に合う!危なかった!」
陽介は布団をはねのけてベッドをでると、バックパックの荷物から貴重品だけを取り外して(ちいさなポーチになる)、中を急いで確認した。
「鳴海、すまん、残りの荷物まかせる。もうチューブにのらないと間に合わなくなる!トーキオのほうが時間が早い。…じゃ、行くから!」
「あ、うん、わかった、グッドラック!嫁によろしく!」
汚れていたが服は着たままねていた。陽介は幸いひげもほとんどはえない。もっともはえていたとしてもそのままだっただろう。
「二人にはよろしく言っといてくれ!」
陽介はそのまま部屋を飛び出した。フロントでは「市長の部屋の客」に慇懃な一礼があっただけで何も言われなかった。通りに飛び出して無人タクシーを拾う。
「連邦チューブラインステーションまで飛ばしてくれ。」
タクシーは陽介の声を認識し、早朝の街へと走り出した。
「んにゃ?陽介どうしたの?」部屋では寝ぼけ眼でいつきが起き上がった。
「…日本州でクリスマス休暇を過ごすべく今発った。…本当は昨日発ちたかったんだろうねえ。でも寝ちゃったから。」
「よく起きられましたねこんな時間に。」はるきもむにゃむにゃ言った。
「きっと守護霊様が起こしてくれたのさ。日本で待ってる息子のために。」
「…なるほど。…ふあー、先輩が叫ぶから起きちゃいましたよ。」
「もう少しウトウトしてて。シャワーは僕一番もらってもいい?」
「んあー、僕はいいですよ…いつきは?」
「シャワーの順番なんてあたしゃどうでもいいわよ…プリンスからどうぞ。」
いつきもふあーっともらいあくびして、もう一度枕に顔を押し付けた。
+++
そのころ陽介はイライラしながら法定速度で走るタクシーに揺られていた。
パスポートやカードを確認する。
「あっ…携帯が入ってねえ…」
移動しながら冴に連絡を入れるつもりだったが慌てて出てきたので携帯端末を忘れていた。…仕方がない。そのうちいつきか誰かが送ってくれるだろう。
朝の街はまだ暗く、静かだった。冬至を終えてすぐだ、夜が長い。
パリのチューブラインサービスの駅向かいながら、これはタクシー代けっこういくな…と思ったが場合じゃない。陽介は頭の中で何度も時差と所要時間とを計算したが、ねぼけているせいか腹が減っているせいか思考にいつものキレがなく、何度計算しても別の答えが出た。だが多分、数日前の計算が正しければ間に合うはずだ。とにかく日付が変わる三十分前までに州都中央につけばいい。数日前の計算は昨日発つ予定の物だったが、頭の中で時計をぐるぐる回すに、多分夜には間に合うはずだった。冴、駆け落ちしないで待っててくれ、俺ちゃんと帰るから…頼む…陽介は祈った。
小一時間ほどかかってタクシーはチューブラインの駅に着いた。カードで清算をすまし、急いでタクシーを飛び降りる。出国手続きは連邦内なので簡単に済むはずだし、便は遅くても二~三十分間隔で動いているはずだ。混んでいれば十五分ほどだが。イライラして頭がかゆくなった。
出国手続きは機械に、行く先であるエリアトーキオの州都中央の駅名をつげ、パスポートをかざし、網膜認証して、カードで精算して終わりだった。復路のせいもあったのだろう。ゲートを抜けると税関がある。陽介の荷物を機会がチェックして、すぐに税関のゲートも開いた。陽介は走って乗り場に急いだが、腹が減って早く走れない。
「くそっ、がんばれ俺!今が頑張り時だ!」
膝に力が入らない。日本州への乗り場はゲートから遠く、絶望的な気分になったが、途中で何か球体が追い付いてきた。
「オイソギデスカ」
妙にきれいな、機械特有の共通語できかれて、陽介はうなづいた。
「急いでる。」
「オノリクダサイ。オ荷物ハ後方ノ荷棚にオイテクダサイ。準備ガ良ケレバ画面ノ光ッテイル部分ヲ触レルカ、音声デ発車トイッテクダサイ。」
ぱかりと球体の一部が開く。陽介が言われた通りにすると乗り物はまたぱかりと入口を閉じて、柱の向こうの通路の端の赤いゾーンに移動した。球体が触れると自動的に透明な壁が開き、乗り物を受け入れた。「高速移動者専用・歩行禁止」と繰り返し共通語で大きく書かれている。
「網膜スキャンシマシタ 陽介・九鹿さん、エリア・トーキオ、州都中央御出立搭乗口でよろしいですか」
途中から突然日本語になった。機械特有の滑らかな日本語だ。
「はい」
「了解しました、両手でしっかりとおつかまりください。」
陽介がハンドルに捕まると、その球体の乗り物は急発進した。体には自動で引力がかかって自然と安定するようになっている。風を切る勢いで通路の端を疾走した。
「…すげえ…トーキオにはないサービスだ…」
陽介は素直に感動した。ハンドルを握っている手が空腹で震える。
「危険ですので しっかりと おつかまりください」
アナウンスがあって、陽介は震える手に力を入れた。
時刻のせいもあってか、高速移動の通路はすいていた。特に渋滞することもなくすいすい進んでいく。あっという間に出発ロビーについた。球体はまた静かに透明な壁に触れ、歩行者通路でぱかりと出口を開いた。
「保護力解除いたします お気をつけください」
体にかかっていた引力が消える。陽介は少しよろめいたが、急いで乗り物を降り、ポーチをひろって、思わず球体に「ありがとう」と言った。すると球体は「ヨイ旅ヲ」と共通語で返した。
出発まで10分あったので、ゼリーの食糧を自販機で買った。そしてチューブラインのランチに飛び込んだ。往路と同じく、客は陽介一人だった。陽介は席につき、ゼリーを飲んだ。空腹の足しにはならなかったが、手の震えはおさまった。
+++
それでもチューブラインのランチにのっている数時間の間、陽介はニュースをつけたままねむっていたらしい。ポーンと音がして、「あと20分で到着いたします」というアナウンスが大きめの音で入った。自動的にニュースチャンネルは切れていた。何のニュースがはいっていたのか、全く覚えがない。
チューブラインのランチが静かに減速し、やがて停止すると、到着のアナウンスとともにドアがひらいた。陽介はポーチを掴んでランチを飛び降りると、到着ロビーにはサービスのロボットがいて「オ疲レサマデシタ。右手、入国審査ニナリマス」ときれいな共通語で言った。陽介は右手のゲートに走り、荷物とパスポート、網膜のチェックをした。ゲートは簡単に開き、陽介はゲートを抜けた。
「ええと…ここはどこだ。」
見回すと案内機があったので、「出口はどこだ」と聞いた。
「乗り継ぎは何をご利用ですか。」
「タクシー。」
「エレベーターで地下一階までお降りください。エレベーターは右手奥になります。」
「ありがとう。」
陽介は迷わずエレベーターに飛び乗り、地下一階の指示を出した。乗って来ようとする別の客を、ドアを閉めて無情に追い払った。
地下一階は無人バスとタクシーの乗り場になっていた。おそらく、公道に出る際に地下から上がったほうが出やすいのだろう。地上は迎えの車などで混む。
「おじさん、とばしてくれる?」
有人タクシーを見つけて陽介は運転手に訊ねた。
「いいよ。どこまで。」
「自宅だからカードかざすね。」
「あいよ、了解。」
陽介はタクシーに乗り込んで後部座席のスキャナーに市民カードをかざした。ドアが閉まった。
「…いいとこすんでるね、兄ちゃん。」
「ああ、親父の持ち物だよ。」
「まあ、そうだろうけど。」
タクシーは地上へ向かっての登り道を力強く登り、出口の信号で一旦停止した。
「…どこからの帰り?」
「パリ。」
「豪勢だね。」
「チューブだから安いんだよ。」
「パリからにしては冒険者みたいな格好だね。」
「そうなんだ。マジで風呂にはいりてぇ。てか、おじさんの日本語なんかうれしいわ。」
「日本に帰ってきた気がするってことかい?」
「そう、そういうこと。」
「まあポーチ一つでパリから来るのは今の御時勢でも珍しいね。ロストバゲージしたわけじゃないよね。」
「仲間に荷物預けてほぼパスポートと市民カードだけで帰ってきた。」
…あと直人の小柄と。
「はい、動くよ。」
タクシーが地下通路から飛び出すと、まばゆいばかりの街灯の灯る州都中央の夜景が広がっていた。
「うそだろ、まだ24日だよね?」
「そうだよ。」
「よかった…」
「慌てて帰ってきたんだね。クリスマスだからかい?」
「そう、それ。家に家族待たせてるから。」
「そりゃ大変だ、急がないと。」
運転手はスピードを上げてくれた。
「なんか俺がいない間、嫁が浮気してたらしいんだ。」
「嫁いるの?若いのに凄いね。高校生かと思ったよ。」
「あーいちお大学生。」
「学生なのに嫁いるの?」
「…まあ、嫁ってか、同棲中?」
「やれやれ、お金持ちはやることが違う。…お相手ほっぽりだしてパリなんかいくからだよ。まだ若いのに。自制きかないだろ、お相手も。若いから。」
「うーん、そうだね。きれいな子なんだよ。」
「のろけてやがる。」運転手は笑った。「…それなら余計一人にしちゃいけないよ。」
「…そうだね。」
陽介も一人が耐えがたいタイプなので、その言葉の意味は、多分言った運転手よりもよくわかった。
陽介の家から州都中央までは混んでいても車で30分ほどだ。
「はい、もうすぐつくよ。」
「やあ、有人タクシーあって助かった。無人だと融通効かないからね。」
「まあ、無人もじきに改良されると思うけど、頼りにされるのはうれしいね。俺もいつまでこの稼業でいられるやら。」
車が止まった。
「ありがとう。」
「はい、まいど。請求に登録番号入るから、困った時呼んでみて。空いてたら駆けつけるよ。」
支払いは自動だ。
陽介は時計をみて、やっと落ち着いた。…間に合った。
「ありがとね。」
もう一度言うと、タクシーは扉を閉めて去った。
陽介はふらふらと自宅の門に向かった。
…帰ってこられた。とりあえず。直人さん、ありがとう…。陽介は何とはなしにそう思った。12月のエリアの冷たい風が、つむじ風のように巻いて吹いた。
門をあけ、玉砂利によろめきながら玄関に着いた。
網膜がスキャンされると、鍵が開いた。
ドアをあけると、座り込んで靴を脱いだ。
そこへ、帰宅をききつけた冴がやってきた。
「…陽さん。」
冴が万感をこめて言った。陽介は顔を上げて、冴を見た。冴だ。会いたかった。帰ってこられた。
「遅くなってごめん。」
冴の顔がふわっと花開くように笑った。美しい。陽介はうっとりした。見つめ合うと、心が満たされていく。飢えていたのは、胃だけじゃなかったんだな…陽介はぼんやり思った。愛しい冴。俺の、冴。
「おかえりなさい、陽さん。」
「冴、ただいま!」
陽介は冴の腕の中に身を投げた。
背後で二人の家の鍵がぱちり、と閉まった。
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FROM 19RA WITH LOVE.
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