2 かぐや父
「僕もラウールと会うの、ほんとに久しぶりなんですよ。まーあのおっさんは何言い出すかわかんないから、いろいろ覚悟してくださいねーっ。」
ハルキはさばさばした口調でそう言った。
陽介は、ラウールと対面するのは初めてだ。何かのパーティーで遠目にみかけたことはあるが、近くで話したわけではない。
今朝、電話で固まってしまった陽介をラウールは陽気に笑い飛ばし、夕方に時間をとるので、市庁舎に会いにくるようにと言った。
…盗聴どころか、電話をいつきから取り上げていたのだ。
まったく酷い養父だった。独身で養父になるとこうなってしまうのだろうか?陽介は自分の将来を見てしまったような、複雑な気持ちになった。
そのあと、あのとんでもなく早い時刻に、ラウールはホテルを使うよう勧めてくれて、(ラウールが普段アパート代わりにつかっているところの一つなのだそうで、ずっと借りっ放しの部屋なのだそうだ)その豪勢なホテルへ行くと、夜勤明けのフロントが恭しく陽介を案内してくれた。…部屋は、最上階でもスィートでもなかったが、2間続きの落ち着いた豪華な部屋で、ベットなぞ天蓋付きの5~6人は眠れそうな巨大なしろものだった。陽介はそのあとの仮眠で、お姫さまになった夢を見た。隣に亡くなったはずの直人が一緒に寝ていて、「金というのは、あるとこにはあるな。」と、やけに本物っぽいコメントをする夢だった。
ハルキと電話がつながったのは、起きた後だ。
夜中に兄の夜思からの連絡で叩き起こされていたハルキは、寝ていないそうだが、「南米以来、心身共に鍛えてますから」の一言だった。大学も休んでくれたらしい。ちょっと申し訳なく思った。ハルキのところには陽介到着の報はラウールからはいったそうで、陽介に市庁舎を案内するようにという言い付けだったそうだ。それで、どうして僕に先に電話しないんですかという話になったのだった。
市庁舎に我が物顔で入って行くハルキのあとに続いた。
中庭を見下ろしながら登って行くエレベーターを降りると、最上階だった。
市庁舎の屋上は、庭園になっていた。
一般の人間でも入れるそうだが、宣伝しているわけでもないらしく、ひっそりしていた。
…市長と顔をあわせる可能性があるとなると、一般の職員もあまりはいってこないそうだ。
「ラウール。」
ハルキがよびかけると、潅木のそばのブロンドの頭が動いて、こちらを向いた。彼はひとりでその庭園にいた。黒いビロードのマントを割って、白い手が、少し、上がった。…ハルキは陽介をラウールのそばに連れていった。
「…お久しぶり。」
「…こんばんは、神父様。」
「…先輩を紹介しますね。」
ラウールはにっこりした。
…よくできた置き物のように美しい男だった。
アメジストのような、澄んだ薄紫色の目をしている。
微笑むと、何か蜂蜜のようなものがあたりにこぼれ出るかのようで、…胸がいっぱいになる。
…この人ならば、そこに居るだけで人から熱愛されるだろう、陽介はそう思った。
「…久鹿陽介さん。…まあ、プロフィールとかは、ラウールのほうが詳しいんでしょ?」
「…はじめまして、だよね?…もうずっと前から、知己のような気がするよ。いつきと随分、きみのことを、話した。」
差し出された白い手を、陽介は握った。…温かみがある。あたりまえだ、生きている人間なのだから。当り前だが、不思議な気がした。
「…こんばんは。…綺麗なお庭ですね。」
「のんびりするだろう?庁舎では貴重な場所さ。…日暮れてきたね。あの夕焼けをみてごらん。」
指をさされて、陽介は空を見上げた。…ドームの殻に、めくるめく夕焼けの映像が投影されている。
「…きれいだろう。いくつかパターンがあるんだけど、今日のこれは、うちの桜が描いたやつなんだ。」
「…そうなんですか。凄いな。…きれいですね。」
陽介は偽物の夕日に目を細めた。
ラウールは、その横顔を、満足そうに見た。
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「きみのおイタには泣かされたねぇぇ、ハルキ。」
「おイタなんか、別に。」
「まあいいけどね。タカノやワイトはきみが好きみたいだし。」
「…2年も生かさず殺さずで、まだ気が済まないんですか。」
「…いいよ。きみがヨースケと破局したと各方面から聞いて、胸がすっとした。許してあげよう。」
「…ムカつくなー。」
ハルキのコメントに、ラウールは嬉しそうに笑った。
「他人の不幸は蜜の味、だよ。」
「ひょっとして殺されたいわけ?」
「ああ、僕は僕にそれを言う人は大切にしているんだ。」
「マゾか。」
「あははははははは。」
ラウールは機嫌よく笑った。
ラウールは2人を連れて、庁舎の近くのレストランに案内した。宮殿の小部屋のような華やかな個室を優雅に借り切って、テーブルに御馳走を盛り上げた。
「さ、おなかすいたろ、たべなさい、ヨースケくん。」
「…僕は?」
ハルキが厚かましい態度でわざとたずねると、ラウールはにくたらしそうに言った。
「…お前は食うな。」
「ぜったい食ってやる。」
…ハルキとラウールは案外気が合っているのかもしれない、と陽介は思った。
陽介はあまり下品にならないように気をつけつつ、お食事を頂いた。
…ハルキはわざとのか、もうすでに物凄く食べ散らかしている。
ラウールはきれいな色の赤ワインをグラスのなかでくるくる回しながら
「…きみ、かわいいね。」
と陽介に言った。
陽介が返事に困る以前に、ハルキがラウールの前の皿の肉に自分のフォークを突き立てた。
「…ひょっとして、今、殺されたいわけ?」
「…素敵。でも、今殺すと、みんなが困るよ。」
ラウールは優雅に言ってワインを飲んだ。
料理はどれもおいしかった。
「…大人しいんだね。猫かぶってるんだろう。そんないい子じゃあ、いつきに食いつくされる。」
「…飯を食うスピードでは、どう逆立ちしても、あいつには到底かないません。」
とぼけて答えると、ラウールはニヤニヤ笑った。
「…それは僕もだ。」
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「…ところで、いつきに何の用だったの?あんなに朝早く。」
「…いつきというか、ナルミを探しているんです。それでいつきが知らないかと思って。」
「おおお、なるほど。」ラウールはとぼけた様子で言った。「ナルミに急用なんだ?美人の恋人ほったらかしてパリにすっとんでくるくらいの。興味があるなあ。」
陽介はパッチリ目を開いてから、にっこりした。
「教えたら何くれますか?」
「あはははは。」
ラウールは面白い冗談を聞いたかのように笑った。
「…で、ナルミに何の用だい。…いまさら、いつきを俺にクダサイ、なら、ナルミじゃなくて、僕に言うべきだ。」
「…教えたら助けてくれます?」
陽介はあっけからんと聞いた。
「…」ラウールは沈黙した。「…まあ、中身をきいてからだなあ。」
「…ベルジュールさん、俺は一応、ナルミの友達だってことになってまして。」
「ラウールでいいよ。…きみがナルミの友達なのは知ってるよ。…タカノは頑強に口をわらないが、見当はついてる。いつきに見合いを持ち込んだのはきみなんだろ。…ほかのつては考えられない。ひととおり以上に調べたけど。」
「…ナルミとは…御会いになられたんでしょ?」
「…うん、まあね。会ったよ。」
ラウールはデザートを食べた。
そして指をたてるかわりにスプーンを立てて言った。
「…親愛なるヨースケくん、わかった、きみからじゃ、話がながくなりそうだ。僕は言えないことがたしかに多過ぎるからね。立場というやつだ。きみがそれに気を使いながら、というんじゃあ、話がすすまない。
率直に簡潔に言おう。…いつきとナルミとの婚約は保留にしてある。彼が信じるに値する人間かどうか、僕が計りかねたためだ。
…きみも政治家の息子なら、僕の猜疑心を許してくれるだろう?なにしろいつきは、彼女自身が機密みたいなものなんだ、それも、二重にね。P-1と、彼女の故郷との。」
陽介はうなづいた。「それは…勿論です。」
ラウールはにっこりした。
「…今、彼は、僕の出した課題にいつきとともに取り組んでいる。この課題をクリアしたら、2人に婚約を許す予定だ。…日本州の古いSFに、カグヤヒメって物語があるだろ。タカノに聞いたんだ。…まあ、さしずめ僕はカグヤ父というわけだね。」
陽介は意外な展開に驚いた。
「それは…どういう…」
「まっ、きみに言う筋合いもないんだけど。…それで、ナルミに何の用なの。…とりついでやらなくもない。僕はナルミが課題放棄するのを狙っているから。なにしろ、ほら、カグヤ父だからね。別に悪気はないんだよ、ただ、いつきを嫁に出したくないだけ。」
「…」
陽介は呆れた。そういうのを悪気というのではないか?
「用っていうか、ナルミのやつハルキんちの教団ともめてて、…教団がナルミをさがして俺を追い回してて、自宅を包囲されちゃって帰るに帰れないんですけど。」
「おおお、それはそれは。」ラウールはもみ手して喜んだ。「…そこできみは僕に助けてほしいというんだね?なんて可愛いんだろう。そんなことを言って、僕がきみを助けるとでもおもってるの?僕はきみのお父さんじゃないんだよ?」
「だめでしょうね。」陽介はうふっと照れてから、真顔に戻って言った。「…ナルミの居場所を教えて下さい。教団の件はナルミに処理させます。俺やあなたが引き受ける筋合いはありませんから。」
ハルキがボタンをおして、コーヒーを頼んだ。…デザートを半分以上のこしている。げっそりといった顔だった。うまいのにな、と陽介は思った。
「…今、ナルミは手が離せないよ、ヨースケ。…手を放せば婚約の件は永久に失格だ。教団を捌くのであれば、課題をやってる暇はない。どっちかだ。…どっちにしろ、きみの目論みが一つ潰えることになるね。」
「俺の目論見ですか?」
陽介はなにいってんだか、という顔を作って笑った。
「そう、きみの目論見だ。」
ラウールは面白そうに笑った。
「…きみは何だって、いつきに婚約なんか持ち込んだんだ?
しかも自分が婚約するならともかく、…友達?だかなんだかしらないけど、別の男との。」
…そうか、この人にとってはそこが重要なのだな、と陽介は察した。
「…俺は…ナルミといつきのことをいろいろ話しているうちに…ナルミが、いつきを救ってくれそうだって、思ったから…。だから、いつきをナルミに託してみたいと思って。」
「…救う?」
「…あなたにいっちゃいけないことなのかもしれないけど、…いつきは、…今でも、苦しんでるから、弟のこと。」
「…」
ラウールは口を噤んだ。…そう、その苦しみを与えたのは、ラウールだ。
「…でも、いつきは、こっちの世界でなんとかやってこうとしているし…もし、ナルミにいつきが懐いてるんなら、ナルミにあずけてみたらどうかと思って。あいつが男に心を許すのは、珍しいでしょう?」
「…」
コーヒーが届いた。
ハルキは黙ったままコーヒーを飲みはじめた。
ラウールが言った。
「…きみは、それを、自分がしてみようとは思わなかったの?」
陽介は、いつきがよくやるように、肩を竦めて、笑った。
「俺が?…正味は女で、独りでたった1年半待てなくて、男が死んだだけで病気になってるような俺が?…無理ですよ。いつきの傷どころか、自分の血に溺れるのが関の山です。」そう言いきってから、ぼそぼそと付け加えた。「…俺があいつにしてやれることなんてなにもありません。金持ちで陽気で鷹揚な…でっかい夢を馬鹿みたいに追いかけてる飽きない男を紹介してやるくらいがせいぜいだ。…それが現実ですよ。」
ラウールはコーヒーを一口飲んだ。そして、ふと気付いたように、ミルクを入れて飲みなおした。
軽くため息をつき、言った。
「まあ、元気をだしたまえ、親愛なるヨースケくん。…それならいいさ。いつきが嫁にいっても、女友達でいてやってくれ。あの子は女の友達があまりいないから。」
そして更に砂糖を入れて、また飲んだ。
「…うーむ、なるほどね、きみは…ナルミといつきが一緒にいることが、いつきにとっていいことだと思ったんだね。」
陽介はうなづいた。
「…わかった。…もう一つきみにききたいことがある。」
「なんですか。」
「…聖地にはきみも行くの?」
陽介は顔を上げ、眉を寄せて笑い、首を横に振った。
「…無理ですよ。俺、今、パニック発作がときどき出てて…日常生活もままならないのに。」
「…」
ラウールは陽介の顔をだまって見つめた。
陽介は目をそらさずに、ぼんやりとラウールの美しい顔を見ていた。冴もそうだけど、綺麗な顔ってみていて飽きないなあ、などと思っていた。
ラウールは目線を外し、飲みかけのコーヒーをわきにおいた。
「…少し時間をもらえるかな。それまでの間、きみの身柄は私の責任で保護しよう。あのホテルにこのまま滞在してくれてかまわない。なんでも好きなものをフロントに言い付けて飲み食いしてくれ。セキュリティは一級だ。安全だよ。」
「…何時間?」
「…言うね。…とりあえず、明日一日。すまないが明日は時間がとれないんだ。明後日もう一度会おう。」
陽介はうなづいた。