19 ラウール
「やあ、ご苦労さま。…なんで陽介だけ小汚いんだい?」
ラウールはむしろ機嫌よさそうに悪気なくそう訊ねた。
「それはみんなで寝坊して陽介だけシャワーを浴びる暇がなかったから。」
いつきは肩をすくめて答えた。
「…すみません…汚いなりで現れてしまって。」
陽介が苦虫をかみつぶしたような顔でいうと、ラウールはきれいな顔でにっこりした。
「かまわないよ。わたしは戦場から戻ったばかりの兵士たちとも会うことがあるから。慣れてるといえば慣れてる。…ただ陽介が小汚いっていうのがなんだか新鮮でね。そんなに会ってるわけじゃないけど、噂はいろいろ聞いてるから。」
「…ポケットマネーで俺に見張りつけてるんですって?…悪趣味ですよ。」
「いつきの友達なのにわたしに挨拶もないからちょっと拗ねたんだよ。クリスマスカードくらいくれてもいいだろう?」
「毎月二百通ぐらいファンレターが届く人にですか?」
「ははは、誰から聞いたの。そうだよ、全部読んでるよ。わたしのビタミンだ。返事は一括して秘書が出してる。」
「冷たいわね。読まなきゃいいのに。」
「たまに面白いことが書いてあるから読んでるよ。」
ラウールはそう言うと、足を組み替えた。
「まあ、座ってくれたまえ。四人とも。」
そこはパウロの病院『緑の家』の奥にある比較的小さな会議室の一つだった。パウロは立ち会っていないが、多分どこかで聞いているのだろう。菊と一緒に。他の付き人もいない。四人がきたとき、ラウールは一人でそこで待っていた。
「…さて、陽介くん。君は途中まで僕の頼みを聞いてくれたね。礼を言おう。途中だけどね。同じ途中でも、途中で行方をくらませたいつきと鳴海よりはだいぶ誠意がある働きをしてくれた。」
「…お役にたったなら光栄ですよ。…親父に会ったら叱られそうなんですけど。こんなことにまで首つっこんで、と。」
「お父さんには内緒にしておいてくれたまえ。…まあ、もうある程度ご存じとは思うけどね。今回のことで君が得た情報の詳細は伏せておいてくれ。」
「…そうですね。」
ラウールは鳴海に目を移して言った。
「…さて、鳴海くん。君からは弁明を聞こうか。」
「…」鳴海はにっこりして言った。「…いつきがなかなかライリアに会う踏ん切りがつかなかったみたいだったので、様子を見ていました。」
「いつきのせいにする気かい。」
するといつきが言った。
「…んー…でも、それは本当だよ、ラウール。鳴海は無理強いはしない。というか、鳴海は待ってくれる人だからね。わたしが待たせたのは確かだよ。」
いつきは不快そうに顔をしかめて続けた。
「…おかげで取り逃がしたんだけど、その後は都市客船にのったところまではつきとめてたんだよね。」
「そうらしいね。…都市客船の乗船記録は菊が調べておいたよ。後で聞くといい。まあ、治外法権だけど一応連邦都市だからね、客船は。」
「…さすが手早いね。」
「きみの感情に配慮もしてあげたいけど、わたしの養女ならこのくらいのスピード感はもってもらいたいものだね。」
「はい。ゴメン。」いつきは肩をすくめた。「…ところでラウール。」
「…なにかな。」
「…あたしの死んだはずの兄貴、あんたんとこにいるんだって?」
ラウールは少し沈黙した。そして言った。
「…全然似てないから気づかなかったんだよ。」
「それにしたってクリスマスカードくらいくれたっていいんじゃない?」
いつきがたっぷりの皮肉でやりかえすとラウールはちょっと片方の眉を上げた。
「…そうだね。…陽介に聞いたの?」
「うん。」
「陽介はどうしてあれといつきが兄妹だってわかった?」
「本人に頼まれたんで。…つまり、今となっては二人きりの血縁だから、クリスマスカードくらいは…とはいってなかったけど、まあ、知らせてほしい、と。…俺も言うの嫌だったんですよ?」
「…それはリンが酷いお使いを頼んで申し訳なかったね。」
「…まあ、別に、それはいいんだけど。無事…無事だよな…済んだから。いつきに殺されることもなく。うん、無事、だな。」
「無事、だね。わたしも今のところは無事だ。いつきに殺されるほど責められることもなく。…まあ、これからいくばくか責められるんだろうけど…」
「…まあね、いいわよ、大人なんだから、あんたは。誰とどうなっても。兄貴だって子供じゃないわ。」いつきは不機嫌に言った。「…でもはっきりいうけどあたしは気持ち悪いわよ!養父と兄貴がデキてるなんて!」
陽介は、いつきが陽介にも滅多に出さないど直球で言ったので、内心驚いた。
ラウールは目をとじて天井を仰いだ。
「…そう言うと思ったので、ますます言えなかったんだよね。」
「あたしの実父は弟と一人の男をとりあってて、それもすごく気持ち悪かったんだよ!」
「…それはわたしのせいじゃない。」
「わたしの養父ならスピード感をもって解決してほしかったわね!何年黙ってたのよ!」
「わかったのは最近だよ。」
「嘘つけ。」
「…まあ、君を南米に送ったころかな…」
「どうだかね!戦災で拾ってくる人員はみんなパウロがDNA鑑定してるでしょ!咲夜とあたしが従弟ぐらいの可能性が高いってことだって最初からあんたたち言ってたわよね。」
「…DNA鑑定はしてるね。」
ラウールは諦めて言った。
「…まあ、きみにはすまないが恋愛沙汰なので勘弁してくれたまえ。」
「…まあ、仕方ないけど。」
いつきは吊り上がった目でジロリとラウールを見て言った。
「だいたい、誰が兄貴拾ってきたのよ。あんたにあてがうために!」
「…パウロだ。」
「あいつもグルか!」
「…わたしが中々結婚しないので周りがいろいろ手を焼いてね…まあ余計なお世話だが…リンとは瓢箪から駒的な展開だったよ。あんなきれいな子滅多にいないしね…。何よりリンは桜とうまくいって…ああ、まあ、今はどうでもいいことだね。人工子宮で後継ぎとか言われるのもそう遠くないんだなんて話も。」
「そうね。」
いつきは少しラウールに貸しを作った状態で話を戻した。
「…で、このあとどうするの。」
「君と鳴海は引き続きテスト続行だ。クリスマスのディナーを食べ終わったら二人で今度こそライリアを追ってくれ。事情がかわったので、陽介は一旦家に帰すから、陽介を追ってきた教団は君たちが連れて行け。どうやらだらだらするのは余裕があるのもいけないようだ。それにもともとあいつらは鳴海を追ってきてるんだろう?…カーチェイスしてコンビニに突っ込んだ件は調べて分かった。君たちを送り出した後かなり調べなおしたからね、鳴海のことは。コンビニに突っ込んだニュースは名前が伏せられていたので最初に調べたときは出てこなかった。それにしても鳴海の過去は全く分からないな、アジアのお金持ちの養子だったところまでは突き止めたが、それ以前はまったく出てこない。」
「…クリスマス休暇の件本気だったの。」
「…本気だよ。陽介はきみと鳴海をつかまえるところまではやってくれた。今回のことで恋人との仲に溝が入ったら申し訳ないだろう。このままだと彼はクラスメイトと駆け落ちしてしまうよ。」
「え、そんなことになってるんですか?!」
陽介は驚いて言った。はるきが皮肉な口調で口をはさんだ。
「ふうん、冴と先輩、意外と似たもの同士ですね。寂しがり屋なんだ?」
「あの藤原ってやつはヤバイと思ってた!」
「ヤバイのに置いてきたんだね。連れて来ればよかったのに。学芸都市の出席日数なんていくらでもごまかしてあげるよ。S-23にはわたしはコネがあるしね。いつきを預けていたんだ、君なら気づきそうなものだけど。」
「あっ!!そうなんですね?!」
「そうだよ。」
陽介は目を覆った。
「…顔、広いんですね。」
「それだけが取り柄といってもいい、政治家なんて。」
「…思い至らなかった…」
「…恋は盲目だね。」
ラウールはなぜか満足そうに笑った。
「…ところで陽介、一旦きみは引き上げるとして、そのあとまた戻っていつき達を助けてくれる気はないかな?勿論、きみの美しいと評判の恋人を連れてきてくれてかまわないのだけれど。…出席日数はきみと恋人の分、わたしが何とかしよう。…こいつらは放っておくといつまでもダラダラしてる可能性が高いから、だれか付けようと思ってたんだ。」
「…ラウール、僕のアカデミーの出席日数もなんとかならない?」
はるきが口をはさんだ。
「…きみの話はまとめてこのあとするよ。ちょっと黙ってて。」
ラウールはいささか冷たく言った。
「…」
はるきは口をつぐんだ。…ダメなのかな…という空気がなんとなく場に流れた。
「…陽介、どうかな。」
「…冴を連れてきてよくて、出席日数も何とかしてくださるなら考えてもいいんですけど…ただ…」
「ただ?なんだい、要求があるなら言ってみてくれ。」
「…要求じゃなくて、俺腹が減って…。アウトエリアの不味い飯に耐えられなかったんですよね。いつきたちを追いかけてアフリカに渡ったら、餓死するかも…。」
「ええ?」
ラウールはきれいな薄紫の目を見開いて、楽しそうに笑った。
「さすがグリーンマップがある日本州のお金持ちは育ちが違う!」
「…いや、悪い意味でお坊ちゃまなんですよ、俺。惰弱なんです。」
陽介は頭をばりばりかきたかったが、我慢して眉をひそめるにとどまった。この汚い頭をラウールの前でかくのは恥ずかしかった。
「…日本刀が使えるそうじゃないか。それなりに鍛錬はしているんだろう?」
「…何でも知ってるんですね。なら居合の先生に『毎日十キロ走れ』と言われているのも知ってたりして。…いつきにも同じことを言われた。」
「そこまでは知らなかった。」
「本当かな。」
「本当だよ。…そうか、少しいろいろな鍛錬がたりないか…。でも軍で一年訓練を受ける余裕は君にはないし、わたしとしても時間がないね。」
「そうですね。」
「…まあ、食べ物は美味しい携帯食をこっちから持っていけばいいし、まさかアフリカの岩石砂漠を足で歩かせる気はないよ?ライリアが見つかってピンポイントでそこへ向かえば二泊三日くらいのものだろう。」
「そんなにさっさとすむ用事ですか?!ライリアを説得してつれもどすのが?!逃げられでもしたらおいつきませんよ!」
「力仕事はいつきがやるよ。…それに…逃げてもどうせ行先はわかってる。アフリカに戻ったライリアが行くとしたら樹都以外にあり得ない。」
「ちょっと待ってよラウール、あたしライリには戦闘になったら勝てない。」
「大丈夫だよ。あの親ばかは必要ならきみを殺すと言ってたらしいが、そんなこと誓ってできないからね。」
「あたしをなんで殺すのよライリが。」
「ほら、きみもそう思うだろ。」
「まぜっかえさないでよ。ライリがあたしを殺すってどういう意味なの。」
「…もし悲劇が起こるなら、血筋の戦士の血脈をきみと自分の代で断つってことだ。わたしが私用できみに頼み事をするくらいはどうということはないが、連邦が本格的にきみを兵器利用するとまずいからじゃないの。…まあその辺はわたしもタカノもよくわからないんだけど、あるいはきみが連邦に生きながら解剖されて戦士の血筋の存在や仕組みが探られたらあまりにもきみが気の毒だから、ってことかもしれない。こうやって考えてみるとわたしはかなり友好的なきみの保護者でありつづけたね?自画自賛だと笑ってくれてもいいけど。」
「…」
「…いつきはちょっと自分の価値がよくわかってないところがあるから…普通の高校生がやりたいとか謎のこと言いだしたりするし…なかなかこういう話は難しいんじゃない?」
「…連邦が兵器利用したいなら好きにすればいいじゃない。もう樹都はないんだし。あたしの人生でしょ。ライリがそんなことにこだわるとは思えない。」
「…きみはあの親ばかを誤解しているよ、いつき。」
「なんなのよ、その親ばかっていうのは。」
「彼は今でも君の保護者意識が抜けていないってことさ。…きみのしでかすことは何であれ責任をとるつもりなんだよ。たとえそれが世界の滅亡とかでもね。」
「…あたしは世界を滅亡させる気はないわよ。せっかく助かったのに。」
「…きみのほうでは友好的でも連邦の側もそうとは限らない。きみは今はわたしの保護下にあるけど、わたしは正直言っていつ暗殺されてもおかしくはない立場なんだよ。そうしたらきみの上司は別の人間になる。もう保護者じゃない、上司だ。下手をすると上司ですらないかもしれない。まああまり話を複雑にしてもしょうがないね。単純化しよう。
…たとえば、きみに友好的でない上司が各種ハラスメントをしてくるなんてこの世ではよくある構図だよ、天国じゃないんだからね。きみのことを連邦の領土でないところで育った野蛮な雌ライオンだと思う男もたくさんいる。きみは勿論、そんないけすかないやつの首を個別にひねって殺すことなんか朝飯前だろうけど、そうすることで立場を失うってことはわかっているだろ。
…きみと連邦世界の間が対立する可能性は全くもって低いとはいえないね。わたしはそう思う。…ライリアの真意はわからないけれど、きみが連邦に組み込まれることに失敗する可能性は、君自身にはなかったとしても、世界のがわにはあるということだね。そのとき世界はきみを始末しようとするだろう。きみは抗うだろう。…きみが本気をだしたらどうなるんだい。ちょっと力んだだけでトーキオの巨大な倉庫をこなごなに吹き飛ばした君が。本気をだして抵抗したら。…わたしは大戦になりかねないと思うね。…逆にきみに甘言を呈して寄ってくる勢力もあるだろうし。
…たとえばの話が大きくなったが、まあようするにライリアはそういうとききみを助けられれば助けるが、助けられなければきみを他人の手ではなく自分の手で処分したいだろうね。でも誓って言うが、できない。親ばかだから。…まったく、あの男がどれだけ真剣に自分の子供でもないのに親友の子供としてきみを愛しているか、きみは全然わかってない。…おそらくライリアはきみの父親のこともバディとして愛していたんだろうね。至らない部分は補い合ってた。子育ての面まで。きみの父親がライリアにきみを預けたっていうのはそういう信頼あってのことだろう?」
「…」
「…きみを殺すの殺さないの、そういうごたごたはわたしの死後に起こるかもしれないが、わたしが生きているうちにおこる可能性もなくはない。まあ願わくは死んだ後にしてほしいね。」
ラウールは片方の眉を器用に上げ下げした。
「…で、何の話だったかな?…そうだ、陽介をアフリカに二泊三日で連れて行くという話だったね。力仕事はいつきがやるから、どう?って話だった。脱線したね。」
「いや二泊三日は無理でしょう、という話でしたね。」
「そうだったね。まあ、実質は旅程をいれても三泊四日ぐらいですむだろう。わたしのもとに戻ってくれるよう説得するだけだからね。…居所がピンポイントで見つかっていればの話だけれど。菊のことだ、抜かりはないさ。…移動は軍用機だから早いよ?説得そのものは鳴海がするさ。きみはついていって二人がダラダラしないように尻を叩くだけだよ。」
「…あの、万が一死ぬと、やっぱり困るというか、嫌なんですけど。」
「死なないだろ?」
「でもアフリカですよね。ドームないんですよね。連邦法の外ですよね。」
「そうだけど、だから、歩いていくわけじゃないよ。」
鳴海がそのとき口を開いた。
「…陽介が来てくれれば僕も助かるけれど。陽介はいつきと話をするのが早いから。僕だと時間がかかる。」
「あーそれ、わかるよ。」ラウールが笑った。「いつきが最大限にこちらを尊重してくれてても、なかなか話をするのは…まあわたしでも手間がかかる。」
陽介はいやだなー、と思った。それが顔に出た。ラウールが笑った。
「…嫌がってる。」
「…知り合いの霊能者にいつきについていったら死ぬって脅かされてるもので。」
「なにそれ。誰よ。まさかミモリーじゃないよね?」
「…」 冴だ。「…それと…おまいらラウールに本当のこと話すんじゃなかったのかよ。」
「本当のこと?…聞き捨てならないね。」ラウールはにっこりした。「本当はライリアにかこつけて、樹都がどうなったか見に行きたいってことかい?その目的がいつきと鳴海で一致しているってことかな?」
「…あたしそれ言った?」
「うーん、わたしはいつきが樹都を見に行きたがってるのは薄々感づいてたよ。というか、あちこちからそんなようなことをきいていた。菊とか、咲夜とか、パウロとかね。そうなんじゃないか、って。でも陽介は鳴海っていう怪しい男を突然放り込んできた。多分、鳴海も樹都に行きたいってことなんだろう?ハズレかな?…樹都に行くなら三泊四日じゃ無理だし、陽介は男殺しの結界に八つ裂きにされて死ぬ可能性がある。だから陽介は行きたくないのかと思った。」
鳴海もにっこりした。
「当たりです、お義父さん。」
「まだお義父さんになってないよ。」
「失礼、当たりです、市長閣下。」
「鳴海が樹都に行きたい理由を教えてもらおうかな。」
「…長くなりますけど、いいですか。」
「今日から休みだから、長くてもいいよ。…まずはなぜ鳴海が樹都を知っているのかから聞こうか。」
+++
鳴海の長い物語が終盤にさしかかったとき、新しい話がそこに割り込んだ。
「…僕は父のことを知りたいというのもあったんですが、実は高い確率でいつきの知り合いが僕の父ではないか、という話に今なっていましてね。」
「ふうん、面白いね。運命的だ。」
ラウールは姿勢を保って聞いていたが、瞬きを一つして足を組み替えた。
「知り合いっていうのは何ていう人なの、いつき。」
「ロバート総長だよ。…グレースってあだ名のほうが知ってるかも?ライリアなら多分グレースって言うと思うから。」
「…ライリアの上司か。ちらっと彼から聞いたことがある。根拠は?」
「…さっき鳴海もいったけど、鳴海の持つ祈りの力っていうのは、とても珍しい特殊能力の一つなんだ。普通は巫女さんが持ってる。でもまれに男でも持っている人がいる。男の巫女さんだね。グレースはそれだった。」
「…その力を鳴海が受け継いでいる、と。なるほど。でも決定打ではないね。」
「ラウール、鳴海はね、顔とか後頭部とか、グレースに似てるんだ。」
「…似てる、」
「うん。わたしも能力のこと言われて、それで初めて気が付いたんだけどね。」
「…それは…難しいがそれも決定打ではないね。」
「あと鳴海はお母さんから、お父さんは『歌うこと』で能力を発露させていたってきいてて、それはグレースのやり方と一致する。とても珍しいんだよ。『魔法樹に愛されしトレブル』って言われてたこともある。勿論あたしが知ってるロバートはとっくに声変わりしてたけど、でも歌はうまかったし、小声で歌うだけでも祈りの力は働いたよ。」
「トレブル…ボーイソプラノってことか。」
「そうだね。その当時は歌うと、魔法樹が祝福して砂漠の真ん中のドームの中で雨が降ったと聞いてるよ。大人になってからのほうが力は弱かったらしい。それでも集団催眠で試験結果をごまかすとか、ちょこちょこ悪いことやってたらしいよ。…ラウール、ロバートはね、魔法樹に愛されてたっていうのは本当。神じゃなくて魔法樹にね。その証拠に、ロバートは男殺しの結界に引っかからなかった。まあ、神殿に来るときは念のために結界破りの金の輪を額にしめてたけど…。あの結界は巫女さんたちが祈って魔法樹に張ってもらっているものなんだ。」
「興味深いね。まずその結界破りの金の環というものに興味がある。」
「いいよ。あとでまとめて話す。今は話がそれるからしないけど。」
「…わたしはそれを見たことがあるな…」
「え…ああ、あたしの弟が死ぬときね。」
「うん、君の弟も金の環を額に締めてた。激しい戦闘の中でも落ちなかったから普通の物理法則を無視したものなんだろうなとは思ってたよ。」
「あたしの弟も由緒正しい男の巫女さんだったからね。血筋の戦士でもあったから、あたしと同じように両方の教育を受けてた。」
「…あの環は持ってきてある。」
「…え」
「…使えるな。鳴海なり陽介なり、結界に入るクジをひきあてた男につけさせればつれていける。…出発するとき渡そう。」
「…なぜ持ってきてるの。」
「…きみの弟の片身だよ。」
「…じゃなぜあたしに渡さずに持ってたの。」
ラウールは少し黙って考えている様子だった。いつきたちは待った。
やがてラウールは口を開いた。
「…言い訳がましく聞こえるかもしれないが、わたしはきみの弟を死なせるつもりはなかった。目的は食料だったからね。」
「…まあ食料がなくなれば餓死するけどね。」
「きみやリンは生きてるじゃないか。」
「…それは結果デショ。」
「いいたいことはわかるよ。死んだ人間のほうが多いってことはね。わたしが殺したんだからね。」
ラウールは言った。いつきは少し考えて訊ねた。
「…弟も連れてくる気だった?あたしや兄貴みたいに?」
「まあ、そういうことだね。…リンは別にわたしが連れてきたんじゃないよ。」
「そうね。」
「…わたしは樹都のそばで飛行機事故にあって死にかけたことがあってね。」
「え…それは初耳なんだけど…」
「そうだね。きみはそういうことは調べないからね。ライリアは調べてたよ。…というか、領土外とはいえ、近郊に飛行機が落ちたことは、軍の中枢にいた彼は知っていた。元は国境にいたこともあるから、国境の軍隊とつながりも残ってたんだろう。
…樹都を襲う数年前のことだ。君の弟はまだ子供だったよ。偵察に来たんだ。彼一人で十分とみなされたんだろうね。軍がのんびりしていたわけじゃないだろう。樹都は鎖国していた。国境は固かった。…きみの弟が有能だった、ということだ。」
「え、弟にそのとき会ってたって言うの…?」
「そう。連邦の重鎮をのせた航空機だったけど、生き残ったのはわたし一人でね。足に怪我をした。それだけで済んだのは、全く奇跡だったね。」
「それがあたしの弟だって、なんでわかるのよ。」
「…額に金の環をしめていた。」
いつきはさすがに驚いて口を開けたまま黙った。
「…だから、きみの弟がきみをかばって死ぬのを、助けに行って間に合わなかったとき、わたしはあの時怪我をした私を助けてくれた少年だとわかっていた。金の環をしめていたし、成長していたが顔は変わってなかったからね。…そう、咲夜みたいな顔だ。咲夜をあの顔にできたのはなぜだったと思ってる?まあ、君の気をひく演出だったけど、わたしはきみの弟の顔を知っていたんだ。まあ、死んでからも見たけどね。それ以前から。…医療器具と人工知能を使ったモンタージュ画像で再現して、パウロに渡せるくらい正確にね。」
「弟がなぜあんたを助けたの?国境の外だろうが、怪我をしている連邦の人間なら始末するのが普通だよ。」
「…わたしもずっと謎だったよ。でも今はわかる。…わたしが神様に似ていたからだろ。きみの弟は男の巫女さんで、きみたちの神様の顔を知っていた。きみは知らなかったけどね。巫女さん能力は弟のほうが上だった。ひょっとしたら兵士としても。」
「…」
「助けたと言っても応急処置をして、かなり引きずられて歩かされて、水場に連れて行ってもらっただけだよ。あのままだと数日で死んだだろう。生きていても障害が残ったかもしれない。実際に生体信号を追ってわたしを発見してパリに連れ帰ったのは菊とパウロだ。…ともあれきみの弟は殺さずに、わたしの生死を運に委ねた。わたしはドロドロに汚れていたけれど、この珍しい目が神様に似ていて、多分殺すのが嫌だったんだろう。ずいぶん迷っていた様子だったからね。」
「…」
「わたしはきみの弟に、礼を言う機会がなかった。…樹都を落とした時、もし彼がいたらスカウトして連れてくるつもりだったよ。ご存じのようにわたしは能力者の子供を集めているのでね…。間に合わなかったのが惜しまれるけれど。…まあそういう事情で、わたしはきみの弟の形見がほしくなったんだよ。」
「…なんで話してくれなかったの。」
「デリケートな話題だとおもったから。機を見て話すつもりだった。…まあそれはさておき…お城が往時のままの状態で荒れていたら、お城のグレースのご遺体に、金の環が残っている可能性は、あるな。」
「…」
「…きみに回収しにいけというのは酷な話かい?きみの弟とお父さんが恋人の座を争ったという男の死体だからな…。いろんな意味で生々しいだろう。でもあれば便利なのでは?二人連れて行ける。」
「…死体は慣れてるから、平気よ。生きてたらあの人は怖いけど。」
「怖い?きみが?」
「…嫌われてたからね、あたし。シェハル…父があたしを嫌ってて、弟は逆にあたしにベタベタだったからだと思うけど。いろいろ、…嫌味いわれてた。いつも。」
「…それはただの嫉妬だろう。怖いというのは大げさじゃないの。」
「…あんたにだって嫌われたら怖いわよ。権力あるもの。グレースには特殊能力もね。簡単に殺せない。」
「…どういうこと?」
いつきはフン、とため息をついた。
「わたしは死者の怨霊とか信じていないけど、…というのは死体をいっぱい、毎日はこんでたからなんだけどね…。魔法樹が死後もグレースの願いをかなえる可能性はあったと思ってる。」
「…それはちょっと怖いね。」
「怖いでしょ。」
「…で、お城のミイラを見に行くつもりは?」
「…ラウール…、いいの、あたし、墓参りに行って。」
「…いいよ。」
ラウールは静かに言った。
「…そしてパリが持て余している荒廃都市を偵察してきてくれ。…ついでにライリアも連れて行ってもいいよ。ただし、ライリアも含めて、帰ってくること。君は僕の能力の高い養い子で、連邦生活を受け入れてて、将来を嘱望されているから。それにライリアはわたしの管理下にいてくれないといろいろ不安だ。」
「ラウール…」
「…」 ラウールは顎をあげてちょっと笑った。
「ラウール、ありがとう。」
「…最初から行きたいと言えばいいのに。」
「…樹都はパリの機密事項だから、駄目っていわれるかと思ってた。ラウールはるきちゃんのことで機嫌も悪かったし。そもそも樹都とパリのことは、わたしとラウールの間ではデリケートな話題だったし。」
「…そうだ、そのはるきちゃんのことだが…。」
ラウールは一旦目を閉じて、それから薄く開いて、はるきを見た。
「…教団対策に連れて行くといい。はるきがいれば教団は様子をみるだろう。陽介や鳴海の命までは取るまい。アカデミーは一年留年するように手配しておく。」
「エッ、僕は留年なんですか?!」
「いいだろう、どうせ一年早く入ったんだ、その隙にS-21を卒業したことにしといてあげるよ。」
「せっかく先輩と同じ学年になったのに!」
「そこか。」 ラウールは笑った。「いいじゃないか。日本州の先輩後輩関係はちょっと距離感に含みがあって、わたし的には好感だ。ロマンティックだ。」
「いやロマンティックって言われても。」
「…それで陽介、そんなメンバーでどうかな?パーティーにライリアが入れば安全性はかなり上がると思うけれど。きみの恋人もボディガード程度の役には立つだろうし。」
「…ライリアと合流して聖地に向かうとなると…日数だいぶかかりますよね…?…その間、飯が…」
陽介は正直そう言っている今も空腹でふらふらだった。そもそもクロワッサン一個でどうにかなるような空腹ではない。食事が重要であることは今回の仕事で痛いほど実感していた。
「…軍用機なのでキッチンカーと料理人を積んでいくのは無理だけど、パリの軍の携帯食は連邦の軍のなかで多分一番美味いよ。ワシントンの比じゃない。まあ、北京にはまけるか…?負けるというか、味の系統が違う。アジア人なら北京のほうがすきかもしれないね。…取り寄せようか?」
「…ううん…」
「どうしても嫌かい?」ラウールは首を傾げた。「…きみはいつきたちの故郷に興味はないの?行ってみたくはない?」
「…命あっての物種、とか日本州ではいうのですが。」
「きみは鳴海とちがって冒険心が少し足りないようだね。」
「…グリーンマップのある土地で育つと砂漠育ちよりはだいぶ軟弱になるんですってば。」
「…人間はときどき冒険したほうがいい。」
ラウールは哲学をのたまうようにそう言った。
「…特に君ぐらいの年齢の時には。わたしもきみたちぐらいの時、ローマの地下に探検に行ってたよ。パウロが慌てて追いかけてきてね。そこで菊と桜の双子を拾ってきたんだ。わたしの最初の、能力者の側近のスカウトだね。桜はまあ、うちの留守番兼ボディガードで絵描きだが、菊はよく成長してくれた。今ではわたしの傍にいてくれなくては困る二人だ。…虎穴に入らずんば虎児を得ず、とか言うんだろう?タカノに教わったよ。…きみも冒険すれば得るものがあるだろう。」
「…俺、病気もあって、自分のことに自信がないんですよ。」
「…わたしのうちで倒れた後、一回でも倒れたのかい?…まあ、倒れたらいつきかはるきが背負うよ。君の美しいと評判のボディガードでもいい。」
「…」陽介は不安だった。「正月明けまで考えさせてくれませんか?冴とも打ち合わせなきゃいけないし。冴をつれていくなら冴のお母さんには知らせないと。」
「知らせなくてもいいだろ、別に。」
「死ぬかもしれないのに?」
「君の行くところへはどこへでもついていく、それがボディガードというものだし、それはお母さんも了承済みなのでは?だいたいきみが死んでしまったら冴くんもお母さんも困るだろう。彼もなかなか寄る辺ない身の上だ。エリアトーキオではきみが頼りだよね。…きみを守るのは彼の当然の使命の一つだ。」
「…」
「…まあいいだろう、いつきと鳴海にはクリスマス明けには行ってもらうが、きみは正月明けに別便で追ってもらうことにしようじゃないか。日本州では正月は大事らしいからね。タカノも毎年休暇を延長して里帰りするよ。…それでどうだい?それだけ休めば疲れも取れるだろう。胃もふくらませることができる。」
「…あなたの中ではもうパーティーに俺は組み込み済みなんですね。」
「うん。」
ラウールはまったく悪気なく答えた。
陽介は腹を決めた。断るのは難しいと判断した。もし断ったら、今度はラウールの部下に家を囲まれて追い立てられることになるだろう。
「…わかりました。冴に言ってみます。」
「ありがとう。きっとそうしてくれると思っていたよ。」
ラウールは愛想よく笑うと、立ち上がって陽介に握手を求めた。陽介も立ち上がり、その手を握り返した。
「…おや、もうこんな時間だね。今夜はパリでもう一泊して明日チューブラインにのるといい。なんかふらふらしてるし。…ああ、パウロが検査すると言ってたから、付き合ってやってくれたまえ。…パウロ!」
ラウールが天井の一角に手を振ると、すぐに男の看護師が部屋に入ってきた。
「…お話はお済みですね。では四人ともチェックしますので、ついてきてください。」
「えーっ、アタシは別にどこも悪くないよ。」「僕もべつに。」
いつきとはるきが言った。鳴海は少し考えて立ち上がって言った。
「僕は頼もうかな。念のため。」
「四人ともとのことですので。」
ピシリと言われて、いつきとはるきもしぶしぶ立ち上がった。