12 テーブルアイランド
週明け月曜日、3人で、島に渡った。
真昼の海を航る船は、3人の他に20人ほどの客を載せていた。
海は静かで、船は1時間ほどかけて、ゆっくりと島に渡った。
「…ここの海きれいだね。」
いつきは船の売店で買ったサンドウィッチを食べながら言った。
陽介が多少の空腹を感じて時計を見ると、まだ11時だった。
「そうだな…。
…腹減るかな?俺もサンドウィッチ買おうかな。」
「海はきれいだけど、サンドウィッチはまずいぜー。塩味がまったくしない。」
いつきはぼそっと言った。
陽介はまったくピンと来なくて、サンドウィッチを買おうと小銭をさぐった。…ナルミに食うか尋ねると、ナルミはにっこりして「いらない」と言った。
2人のそばを離れて売店へいくと、背の低い金髪の男がゆで卵を買っていた。
順番がきたので、サンドウィッチを買おうとしたら、
「にーちゃん、えっらいまずいで。覚悟してなー。」
と、馴れ馴れしい調子で言われ、びっくりした。
背の低い客は、金髪で色白だが、日本人だったのだ。
「…ゆで卵のほうがいいですかね。」
「…塩なしで食べられるんなら、おすすめやな。」
「…無理です、ありがとう。
俺ぱさぱさの黄味ただでさえだめなんですよ。咳き込む。」
「あーわかる。でもそうもいってられへんよ。
…まったく、最悪の食事情やで、このへん。
あんた、ぼんぼんやろ。みるからにそうやわ。可哀想にな。
まあ、これを機会に、粗食に耐える訓練するしかないな。
…島へ行くン?」
「はい…。」
「まあ、この船なら聞くまでもないな。
島の飯もまずいで。
はらへったら、コーヒーショップでケーキたべることや。
かろうじて味がする。パイナップルケーキの日はラッキーや。缶詰めつこてるから、けっこううまいー。
島の紅茶はでがらしや。合成使えばいいのに、変にこだわって茶葉つことる。むしろ牛乳のんだほうがええよ。コーヒーはインスタントやから、まあまあ飲める。
島はせまい。きっとまた会うよ。懐かしいわぁ、日本語。
ほな、またお会いしましょ、おきれいな坊っちゃん。」
男はにこっとして小さくバイバイと手を振って立ち去った。
…島に、仕事でかよっている商人という風情だった。
プレ・ドームの時代から、アイルランドのミュージシャンと日本のビジネスマンは世界中どこに行ってもいるとかいうが、本当のことらしい。
…ちっさくてかわいいにーさんだな、しゃべりはおっさんぽいけど、にーさんなんだろな、まだ20代だろう…などと思ったが、すぐに忘れた。
予定通りサンドウィッチを買い、いつきたちの所へ戻った。
袋を破いて取り出すと、見た目はまあまあ普通だ。
それほど気にせずにかぶりついて、後悔した。
「まずいだろ?」
いつきが冷静に言った。
…サンドウィッチなんてこんな俺でも作れるようなもん、どうやったらここまで不味くなるんだ、と思った。
+++
島に上陸したのはちょうど昼頃だった。
港店というよりは船着き場、だろうか。…桟橋の近くに小さなレストラン、コーヒーショップ、少しむこうに小さなホテルくらいの大きさのB&Bがあった。
3人はまず宿をおさえ、そこで色々きいてみた。
宿の女主人が簡単に島の地理をおしえてくれた。
「…ここのとなりにツーリストインフォメーションがあるの。そこか、あとは巡礼路の真中あたりにヒストリーミュージアムがあるから、どちらかで詳しく聞くといいわ。地図もそこでもらえるし、自転車もかりられるわよ。巡礼路は石垣に囲まれていてすぐわかるし、ところどころに案内版があるわ。」
…それで全部だった。
3人は隣のレストランで食事をしようとしたが、生憎、10席ほどの狭いレストランは満席だった。
仕方なくコーヒーショップに入って、軽食をとったが、これがまたまずい。
「あ、そういえばさっき、通りすがりの日本人に、パイナップルケーキだけは美味しいっていわれたよ。あと、コーヒーのほうが紅茶よりましだし、もっといいのは牛乳だって。」
「日本人?こんなところに?珍しいね。」
カズは意外とてきぱきと食事し、出がらしの紅茶もあまり気にせずのんでいた。いつきは陽介の残したまずいキッシュを、勿体無いと言って全部食べた。
「てゆーかさー、そう聞いたなら、ケーキと牛乳たのめばいいのに、なぜキッシュとコーヒーなの、陽介。」
「…コーヒー中毒なんだ。」
陽介はめんどくさいのでそう答えた。
…直人さん泣いてるな、こんなコーヒーじゃあ、と思った。
ナルミがニヤリと笑って言った。
「…死んだ恋人の中毒ね。はやく卒業しな。嫁に逃げられるよ。」
陽介がきっと目をあげると、ナルミはクスクス笑っていた。
いつきは退屈そうに欠伸した。
+++
午後、3人は帽子を被り、防寒具を着込んで出かけた。
天候がかわってしまって、ときおり小雪がふきつけていた。風が強く、寒かった。
「…こーれーはー、寒いっ。」
いつきがぼそっと文句を言った。
「…寒いな。」
陽介はラウールが用意してくれた軍用のウィンドブレーカーの上にコートを着込んでいたが、それでも体温は、容赦なく奪われた。
ツーリストインフォへ行くと、
「今日は風が出て来て危険ですので、巡礼路が封鎖されました。
行っても祭壇は見られないですよ。
自転車も無理でしょう。馬車は運休です。
ミニバスが周回道路をまわりますよ。乗りますか?」
と尋ねられた。
呆然、だった。
「…車かしてくれそうな民家ない?」
いつきが訪ねると、センターの受け付けさんは言った。
「そもそもこの島は基本的に自動車が禁止なのです。
正確には禁止というより許可制です。
共用の交通手段としてつかわれているミニバスのように、公共性が高いと認められた場合しか車両の持ち込みはできません。」
「…あたしたち、ウィッカンのガーデンへ行きたいの。どうすればいける?」
「ガーデンですか。島の向う側なので、今日は無理ですね。天候の回復を待つしかありません。」
「…バスはその近くは行く?」
「いつもでしたら。今日はいきません。」
「…歩くとどれくらいかかるの?」
「天気がよければ2時間ほどですよ。…悪いことは言わない、今日はおやめなさい。」
「たかが吹雪きでしょ、いきたいわ。地図にガーデンの場所をかき込んで。」
いつきがゴリ押しすると、受け付けのおばさんはしぶしぶ書き込んでくれた。
「…何日のご滞在ですか?」
「…用事がすむまで。」
「…それならお急ぎにならないほうがよろしいですよ。
自然の力に、人間は勝てません。」
そういわれれると、いつきは挑戦的に笑った。
…たとえ神にであろうと勝ってやる、そう言いたげな顔だった。
+++
島は船着き場になっている小さな湾をのぞくと、海岸は全て切り立った断崖になっていた。山や森などはなく、なだらかな丘陵のようになっている。船から見たときは、まるで海にぽっかりと浮かんだ小さなステージのように見えた。
上陸してみると、つまり、吹きっ晒しだった。
「…こんなとこによく移住したぜ。人間の生命力ってすげえな。」
「…あたしも砂漠とジャングルは慣れたけど、…ここは寒いわさ。」
歴史博物館まで行ったものの、御曹子2人がへばってしまった。
いつきもなんとなく、それを叱咤激励する気力がなかった。
パーティーは仕方なく博物館の展示物をあてもなく見たり、島の歴史の映画を見たりした。…今日はもう無理だ。
「まあ、前向きに。…島の模型もあることだし、地理のお勉強しておこうじゃないか。」
ジオラマを前にしてそういうナルミは、冷えたらしく、震えがなかなかとまらないのであった。気温はエリア・ト-キオより高いくらいなのだが、エリアでは雨雪があまり降らず、降ったとしても風はない。おそらく吹雪というものと正面からぶつかるのが、ナルミは久しぶりなのである。
陽介はベンチに座り込んだまま、ぼけーっと遠くをみている。こちらは多分、空腹なのだ。
…この2人のひよわな御曹子、なんとかならないものであろうか、などといつきが悩んでみても、日頃の鍛え方の問題なので、今すぐには無理だ。
いつきも気力がでなかった。
ラウールのところにあの兄がいると聞いて以来、気持ち悪くてしょうがない。兄に対してはもとより、ラウールに対して拒絶感がわいた。
それでも我慢するしかない。ナルミがまさか本当にいつきと結婚するわけがないし、そうであれば、我慢してラウールの娘のふりをする以外、連邦で生き残るのは難しいだろう。
その我慢に、気力をもっていかれていた。
…それでも時間がたてば、自分の中でも折り合いがつくはずだ、ということは分かっていた。
いつきはいつだってそうやって全部のことに折り合いをつけて生きて来た。父のこと、母のこと、弟のこと…。
恨んだりとか憎んだりとか、そういう、情念的なものが、いつきは嫌いなのだ。たとえ自分の気持ちであっても。
博物館を過ぎると、あとはなにもない原野の中、巡礼の道がのびているばかりだ。向う端まで行けば、祭壇遺跡がある。遺跡から西へいったところに小さな集落があった。それがガーデンだ。
「…これなんだろ。他にも遺跡があるんだね。」
「…日時計みたいだな。ドルメンだ。」
「こっちは灯台跡ね。プレドームのころには灯台があったわけか。」
「…ここの遺跡なんだろ。」
「んと…ああ、修道院跡だって。」
「修道院! こんなところに…」
陽介がいつきを見て言った。
「…この島、巫女さん的にはどうよ?」
いつきは肩を竦めた。
「そぉね。いいんじゃない?空気はきれいだし、静か。俗世と切りはなされてるしね。」
「…パワースポット的には?」
「…うん、まあ、いいんじゃないの?…気持ちいい。ハイになるでしょ。ならない?」
「…俺はさむくてそれどころじゃねー。」
「プ。…しっかりせえ、御曹子。」
「うるせいわい。」
陽介がきれいな顔をにくたらしくひんまげて言うと、ナルミが笑った。
「…観光地図のほうには面白いものがのってるよ。」
「なに?」
「…コンビニエンスストア。」
「えーっ」「ええっ」
いつきと陽介はナルミのひろげていた地図を覗き込んだ。
…たしかに少し遠いが、祭壇からの復路にあたるところに、連邦の有名なチェーン店のマークがあった。陽介の家の近くにもあるやつだ。いつも冴と散歩がてら行っている、あのチェーン店だった。
「いきてぇぇぇぇっ!」
陽介が力んで言った。ナルミは笑った。
「このショップの近くの交差点、クラフトショップがあるね。」
…土産屋だ。
「…このマーク、『お食事できます』でしょ?この交差点がつまり、この島のささやかな繁華街なのね。なんでこんなにはなれてるんだろ。」
「…仲わるいんじゃね。」
「かもね。」
「いや、これは…ここ、交通関係があつまってるんだ。ほら、馬のマーク。」
「馬?」
陽介が問いただした。
「うん、馬借りれるっぽいよ。…この寒さで馬は嫌だけど。」
いつきは、へえ、と思った。
ナルミと遊び歩いていたとき、たまに馬を飼っている家を田舎のほうで見かけたが…交通に現役で使っているのは珍しい。
「…そういえば観光馬車があるっていってたっけ。」
陽介が言った。
なるほど、そういうことで馬単体でも現役なのかもしれない。
観光地図を睨んでいたナルミがため息をついた。
「…このまま宿に戻っても追加料金で晩飯がでたらお終いだ。…少しあたたまってから、港のパブへ行ってみよう。観光客がいてわずらわしいだろうけど、お店の人がライリアのことを覚えてるかもしれない。」
陽介がうなづいた。
…一応御曹子たちも、くじけてはいけないということは分かっているのだ。ただ体がついてこないだけなのだ。
…男の子ってキホン、健気よね、といつきは思った。