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生きるという事

作者: †狗神†

ゴーン・ゴーンと鐘がなる。頭の中を幾ら整理しても見つからないものがある。それは己の感情や思考……。

自分の身体の事の筈なのに、何故か自分がよく分からず他人がそれを理解する。それは一体何故なのか、自分があまりに無知であるからだと私は過程する。

 では、一体それが理解できず他人が知っているかというと、声や態度、表情に出てしまうからである。

「何故、私は私なのだろうか」

そう言葉を口に出してみても、分からないことばかり。じゃあそれを理解するために努力したことがあるのだろうか。

努力……それは、目標の実現の為、心身を労して務める事。なら元々疲れてしまっている心や身体にどうやって鞭を打ち頑張ることができるのだろう。

世の中の皆はどうやって努力をしているのだろうか、理解が難しい。

「〇〇さんなら、頑張れるよ」

そう期待の眼差しを向けられても、答えられる気がしなくて答えたくなくてもそれでも、きっと無理をして答えようとしていまうのは

自らの意思を持たないからだと、自分は考える。

「全部全部自分の事じゃん。相手の意思は??」

と問いかけられても、人の意図してくみとれる訳でもなく如何していいのか、分からない。

分からないことばかりだから人は学び、知恵をつけていく。

なのに、身体ばかり大きくなってしまった自分は、どのようにして人の『心』というものを学べばいいのだろう。

気づいたら、周りに人がおらず。気づいたら独りぼっちになってしまっていた者に、学ぶ資格があるのだろうか。

そう考えてるうちに、きっと40歳、50歳となっていき、朽ちていくのだ。


 じゃあそうならないようにどうしたらいいかと聞かれるときっと「努力」という言葉に行き着いてしまうの。

人は努力せず何かを得る事はできないと、師が教えてくれた。では、一体どういう事に目標をたて、それを得る為にどう努力するべきか…。何てことは分からない。

人は、誰しもが目標を持っているわけではないと思う。なにも得られず唯々、日常を生き歳だけが更けていく。そういう人達が沢山いると、考えている。

今こうしているだけで、沢山のことを考えてしまう。でもきっと、これが世の中でいう「普通」なのだろうと思う。

思うことばかりで、実際本当に考えているのかと聞かれてしまうときっとそこまで深くは考えていないのだろう。

この世の中に、何人目標があり生きている人がいるかは、統計をとっているわけではないから分からない。では何の為に生きているのかを考える。


「お金??。それとも愛??。また恋人や家族の為??。趣味??」


きっと色々出てくるのだろうと思う。ちなみに作者が思い浮かべるのは「無」だ。

何もない。何かを得るために努力をしているわけでもない。唯々風のように生かされ生きているだけだ。

「じゃあ、何故死なないの?」

と聞かれみると死にたくてもきっと心の奥底では「死」に対し恐怖を抱いているからだと思う。

此処まで話してみて十二分に世の中に対し偏見を持ち、偏屈な生き方をしてしまって、自分で自分を押し殺してしまっているのだろう。


 いつものように鏡をみて思うことは、自分の姿が自分に見えない事である。

では、何に見えているのかと聞かれると、薄ら笑みを浮かべている自分だったり泣いている自分だったりと、その日その日で違う自分が鏡に映る。

じゃあ本当の自分は何処ですか??と別の質問をされてもこの生きてきた年数分生きてきた自分の顔なんてもう覚えていない。

外に出ると日差しは眩しく見える筈なのに、辺り一面は黒く見え人の顔色は灰色かかって見える。

これはきっと気持ちの問題なのであろう。きっと世の中をそうだと思い込んでいる思考回路からでてくる目の前の出来事なのだ。

ならこの現象をどうにかするには、どうしたらいいのだろうか……。

世界に対しての見方を変えてみよう。そっと目を瞑り妄想をする。内容は、これを読んでくれている人に任せるとしよう。

作者なら、こう妄想をする。崖に立っている一人の女の子が海を眺めながら波打ちの音を聞いている。思っている事といえば「今日のご飯は何にしようか」と下らないことを考えながら適当な所に生えている一輪の花を毟ると、手に持ち微笑みながら考えている。

こういった事を考えられる余裕が大事なのだと思う。ならどうやって心に余裕を作ればいいのだろう。財があるわけでもなく、だからといって本当の意味で頼れる人なんていない。けれど、人は決して一人では生きていけない。人と人とは支えあって生きるべきだと誰かが言った。

なら人を頼れば心に余裕が持てるのかと聞かれたら、どうだろう??。その人を頼ったとして罪悪感は生まれたりしないだろうか……。頼るのではなかったと後悔をしたりしないだろうか。

「頼れるときに頼って?」

という人がいる。是非頼り方を教えてほしい所だ。

分からないから、悩むのだ。考えるのだ。でも決して全部を全部教えてほしいわけでない。ただどうやってうまい生き方ができるのかを教えてほしいだけなのだ。

器用な人は凄いと思うし羨ましいと思う。全てにおいて器用なのだろう。

なら、どうやって器用になればいいのだろう。柔軟な考えがあればいいのだろうか。でも感じ方は人それぞれである。

だから余計に悩むのだ。どうやって生きれば自分に生きやすいようにできるのかを……。


 さて、此処まで生きる事に対し悩んできたが、次は命の在り方について考えるとしよう。

命、それは生物の生きる力であり期間の事である。ならその期間はいったんいつまでなのだろうか。

きっと大勢の人は死を迎えるまでと答える。なら自分が命を終えるなら「限界」が来た時だ。

なら限界はいつなのだろう。自分が生きることに疲れたときだろうか…。

色々考えるものの結論には行きつかず、次の日になれば、この気持ちはどこかへと消えて行ってしまう。

そんな毎日を過ごしているうちに、命を浪費していくのだろう。何かしないといけない。何かしないといけないと気持ちが焦れば焦るほど、周りが見えなくなり最終的には序盤に戻るのだと思う。

なら、どのように生活していくのが正しいのだろうか。悩みはするもののやはり答えは出ない。


 では、今日も無駄で結論が出ないことで時間をつぶすとしよう。

生きる理由を考えながら、悩みながらの生活を過ごすとしよう。


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