七話。武器と獅子と戦い
城塞の一角に練兵場がある。俺一人そこに居た。アレク達は夢の中だろう。昨日は俺以外は歓待から抜け出せずに苦労したようだ。
部屋に帰った時には、みんなしたたかに飲んで食って眠っている。
俺は解毒を常に掛けているから、飲んでも酔う事はない。
夜明け前ということもあり、街は死んだように静かな頃合いだ。
俺はひとり練兵場で剣を振るっていた。
傍から見ればゆっくり降っているように見えるだろう。一太刀一太刀の剣筋を確かめながら振る。
次第にその剣速が目で追える速度から、目から残像すら残さない程にまで上がってゆく。
最後に一振りして振り下ろした体勢で止まると、そのままダラリと腕を垂らした。
「ふうぅー。まだまだだな」
最後の最後に、剣筋が微かにズレてしまった。
四年間も鍛え直してきたが、剣に合った身体の時とは違い、今の体ではこれが限界の様だ。
今回は仲間がいるとはいえ、魔の森に入るのは二度目だ。
一度目よりも身体の性能は数段ぐらい劣っている自覚がある。
こんな体で不安はある。だが……
「行かんとだめだろうなぁ」
「朝っぱらからブツブツと、どうした?」
不意に練兵場の出入り口から声がして、大柄な体がのそりと入ってきた。
獣人の体には人間の出入り口は狭いのか、少し屈んで頭を下げて扉を潜って出てくる姿は、獅子というか熊にも見える。
「よう。ガド。酔いは覚めたのか?」
「ふん。葡萄酒如きで酔えるか」
「ドワーフの龍酒でも用意されてればよかったのにな。獅子のお前の酔った姿をアレクにも見せてやりてえ」
「吐かせ。二度と飲むか」
くつくつと笑う横を通り、右手に戦斧を持って、ガドは俺から少し距離を取り、軽く戦斧を振った。
剣とはまた違う豪快な風斬り音が響き、体を動かして汗を掻いた体を押すような風がぶつかってくる。
一振り一振り見るだけで、ガドの腕の凄さがよくわかる。
人間三人が漸く持ち上げることが出来る巨大な戦斧をまるで細身のロングソードを振るかのように軽々と振り回す。
「どうだ? 久しぶりに手合わせをせんか?」
俺の視線に気付いたガドは、豪快に振り回していた戦斧をピタリと、俺に向けて止めると好戦的な笑みを浮かべる。
肩を竦めると、さっきまで振っていた剣を片手に持つと、ガドに相対するように構えた。
きっと、俺の顔にはガドとよく似た好戦的な笑みが浮かんでいることだろう。
「ひっさびさに胸を貸してもらいますか」
「こい」
ガドとの距離は十歩ほど、しかし、ガドの獲物は長柄の戦斧で、片や俺は愛用のロングソードを下段に構える。
逆にガドは戦斧を肩に背負い、空いている左の掌で狙いを定めるように、こちらに向けて牽制する。
お互いジリジリと動き、間合いを測る。
たった二歩でガドの間合いに入るのに対して、俺の間合いにガドを捉えるためには五歩は詰める必要がある。
朝日がゆっくりと上っていくのが体感で判る程の時間、お互いに間合いを測りながら、ゆっくりと距離を詰めていく。
時折、切先を微かに震わせるが、ガドはぴくりとも動かずに、冷静に俺を見ている。
釣られないその姿に感嘆すら覚える。一流に近いほどにこの手のフェイントには反応してくれるものだが、ガドのように超がつく一流には意味がないらしい。
「こないのか?」
「いかせてくれるのか?」
挑発に対して軽口で答える。しかし、次の瞬間には、俺は大きく飛び退いていた。
意識してではなく。完全に無意識だ。防御に回した剣から火花が散って凄まじいと言わざる得ない衝撃が俺を襲う。
会話の呼吸の乱れを感じて攻撃に転じたのだろう。卑怯とは思わない。冒険者の攻撃とはこうあるべきだ。
だからこそ、俺もやり返す。
俺が飛び退いて着地した瞬間に乾いた土を金属で補強されたブーツが蹴り上げて、土煙を上げる。
直後にカンッと軽い金属音がして、土埃が晴れた時には俺とガドは、鍔迫り合いの形になっていた。
土埃に紛れて飛礫を投げつけて牽制して、攻めに転じたのだが、飛礫は戦斧で簡単に防がれ、攻めに転じた剣ですら金属の柄で受け止められた。
「飛礫とはずいぶんじゃないか?」
「さて、蹴った土の中に石でも混じってたんじゃないか?」
ガドは不敵に笑いながら、態と押し込んでこずに俺と拮抗させる。
その力加減は絶妙で、力を流すには相手の押しが弱く。押し込もうとするには余力を残している。
俺は敢えて下半身から力を抜いて、鍔迫り合いの剣を支点に、ガドの懐に入り込むと鳩尾に肘を入れようとするが、直後にガドの左手が横合いから殴りつけてきて、剣の柄で巌の様な拳を受け止めて衝撃で体を横へ流すだけで精一杯だ。
信じられないような膂力で飛び退くように跳ね飛ばされて、ガドの右へと吹き飛ばされると、威力を殺さずに体ごと流して、地面に着くと大きく踏み退いて距離を開ける。
剣を握る手を緩めるとダラリと左手で下げおろして空いた右手を振るって痺れを逃す。
「やめだやめだ。これ以上は殺し合いになっちまう」
「そうだな。だが、相変わらずの良い腕だ」
「よく言うぜ。そんだけ余力を残しておいて」
俺は微かに手に痺れを残して、少し息が上がっているにも関わらず、ガドの方はというと戦斧を肩に背負って余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)である。
誰が見てもガドが勝ったと思うだろう。
「お前には魔法がある。剣だけでここまでやれれば十分過ぎるだろう?」
肩を竦めて剣を鞘へと納める。そうして近くにある水瓶に向かう。
近くにあるカップで水を一掬いして、喉を潤す。水が体に染み込むようで美味い。
適当に体を動かすつもりだったのに、とんだ訓練になったもんだと思った。
ふと見るとガドは近くの壁に戦斧を立て掛けて、寄りかかって腕を組んで立っていた。
「なんだ? 体が動かし足りないんじゃないか?」
「いや、タクトとの試合は千の素振りに勝るからな」
「言ってろよ。んで、なんか話があんだろ? 顔に出てるぜ」
「俺の顔色が判るのはお前ぐらいのものだ」
俺は苦笑を浮かべて、ガドと同じように壁に背を預けてもたれかかる。
「んで、ガドくんの悩みは何かね? 恋バナなら夜にしてくれ。オールで付き合ってやっから」
「ふっ、浮いた話などではない。聖女の事だ」
俺がおちゃらけて言っても、ガドは至って真面目な表情を浮かべたままだ。
「聖女は……。いや、ルクセリアは本当に教会の回し者なのか?」
「どういうこった?」
ガドは触り心地が良さそうな顎下を擦りながら、うむと唸った。
「どうも、邪気が感じられん。考えは甘く青臭くはあるが善意しか感じられんのだ。これでもこの稼業に置く身だ。人の見る目はあるつもりだが……」
「お前さんがそう言うんならそうなんだろう。だとしたら、余計に不安になる」
「何がタクトをそこまで疑心に追い込んでるのか俺にはわからん」
「ああ。俺らしくないってんだろ? 俺でもそう思うよ。だが、少なくとも俺が知る限り……。調べる限り、聖女と呼ばれる人間は教会にいなかった。アレクの奴が勇者として神託を受けた途端にどこからともかく現れた」
ありえないのだ。聖女の名に列せされてるのなら、それなりの功績や秘跡の降臨がある。
調べる限り、聖女ルクセリアの名はない。
金をかなり使ったが裏をとっても間違いはない。
そもそも、教会所属の神官籍にルクセリア自体がいないのだから、不信を抱かない方がおかしいというものだ。
「だが、腕は確かなのだろう? 組んだ数こそ少ないが、俺が見るに良い腕だと思う」
「確かに腕はな。考えすぎかもしれん。アレクと組ませるためだけに在野の人間を引き入れたのかも知れんが……」
「まんじりとしているぐらいならいっそ本人に聞いてみればどうだ?」
「貴方は教会が送った回し者ですかってか? 馬鹿言えよ」
俺はガドの言葉に大仰に首を振ってから笑う。
しかし、ガドは笑みを浮かべない。
「買い出しにでも連れ出して、それとなく出自なんか聞けばいい。教会の人間で裏があるなら切ればいい。冒険者の奴ならギルド側から裏取りできるだろう」
ガドは仲間を疑うなんて行為がまどろっこしくなってきたのだろう。それになにより信じられない相手を連れて魔の森に行くことを危険視しているようだ。
俺としても確かに危険だと思う。魔の森とはガドや俺を持ってしても禁忌と言えるほど危険な場所なのだ。
「しょうがねぇなぁ。今日の昼にでも買い出しで連れ出して見よう。だが、期待すんなよ」
壁から背を離して、歩き出すとガドが微かに笑う気配を感じるが、
俺は後ろに向けて手を軽く上げて、城塞の中へと入る。ガドはやはりまだ体を動かし足りないようで、戦斧を振るう音が直後に聞こえてきた。
まったく、やれやれである。