番外編。悲劇と出会い。エルフィエナ
暖かい。じんわりとした温もりが背中を通って、全身へと広がる。
魔力が乱れて冷たくなった手足を温めて、息苦しさも得も言えぬ苦しみも、全て溶かして洗い流してくれているようだ。
まるでお風呂みたいと場違いな感想が思い浮かぶが、軽く頭を降って掻き消した。
また、駄目だった。高等魔導とはいえ基礎ですらまともに出来ない。
師匠は私に落胆しただろうか? 中等高位魔導までは余り苦労せずできたのに、高等になった途端にまるで世界が違う。
今までのが赤ちゃんが這って、二本足で立ち歩くといった人間の基本動作とするならば、高等になると、剣で演舞を舞わさせられるようなものだ。
それほどまでに中等と高等に差がある。高等魔導が廃れて、中等魔導が主体になるわけだとわかった。
それでも師匠は難なく使いこなされている。
なおかつ、適正は魔導師にも関わらず、剣の腕も一流に使えるのだからどれほどの才があるというのか。
全ては必要に迫られたから、そうなっただけだと言われる。
必要に迫られたからって、どれほどの人間がそこに到れるのだろう。
心の中で溜息を吐く。師匠と出会ったのは二年前だった。
私の住んでいた村は辺境にあって貧しいながらも日々逞しく生きていた。
大好きな父と母、まだ、乳離できない弟の四人で懸命に生きていた。
あの日、野盗が村を襲い、村が焼かれるまでは……
父は粗末な槍を持って、懸命にわたし達を護ろうとしたけれども、斧で頭を割られて死んでいった。
母は凌辱の限りを尽くされて、目の前で幼い弟が殺されるのを見ておかしくなり、笑いながら槍で貫かれて死んだ。
私は凌辱をされることもなく、抑えつけられてただ見ていることしかできなかった。
私は幼い見た目だが成人を迎えていた事で、奴隷として売られる為に運ばれていた。
売り物して見られた為に犯されることもなかったが、全てがもうどうでもよかった。
野盗に対する憎悪も、家族を失った悲しみも、何も感じない。
きっと、私の心は家族と一緒に殺されてしまったのかもしれない。誰の手でもなく自分の手で殺したのだ。
師匠と会ったのも野盗が奴隷商へと引渡す為に向かう途中の街道だった。
最初は怒声が聞こえていたと思う。私はただ何も考えずに、ただ、幌を眺めていることしか出来なかったからだ。
そして怒声が全て苦痛の声に変わり静かになると、馬車の後ろの覆いが開けられて、その人が顔を出した。
「一人だけか……一人でも無事で良かった……とはいえねぇよな。まったくひでぇもんだ」
師匠は私の手足を縛る縄を手の一振りで消し去ると、私に手を当てて、今のように回復してくれた。
何も感じなかった当時でも、とても暖かく感じたことを強く覚えている。
その後で師匠は私の横に同じ体勢で坐った。
「よっこらしょぉ。こっから何が見えんのかと思ってみたんだが、なぁにも見えやしねぇな?」
師匠は私に聞く風ではなく、ただ独り言を呟いたように言うと、立ち上がって私の体を持ちあげた。
私はされるがままに体を預ける。何もする気もないし、何もしたくなかった。
むしろ、この人が殺してくれたならなんてことを考えてたと思う。
馬車から私を抱えたまま、外へ出ると五人の男達だった黒焦げの物が転がっていた。
師匠は私を男達が見えない所まで連れてきて、草の絨毯の上にそっと降ろした。
馬車の時のように、力無く後ろに倒れ込むと背中に暖かい物が当たる。
それは師匠の背中だった。私を降ろした後で背後に座って、同じように私にもたれ掛かっていた。
不意に周辺が暗闇に包まれる。光に慣れていた特に気にしてはいなかったけども、夜に移動していたようだ。
「驚かせたか? 光球を上げてたんだが、とりあえずは邪魔なんでな。消させてもらったよ」
邪魔? 何が邪魔なんだろう? すぐにその言葉の意味がわかった。光が消えて暗闇に目が慣れてくると、それが目の前に広がった。
満点の星空と中天に輝く大きな月が一際目立つ。絶景なのだろう。だが、久しく見てなかった星空を眺めても何も感じなかった。
それから二人共、馬車でしていたように、ただ力無く背中を預け合いながら宙を見つめる。
「どうせ、おんなじ所を見つめるしたって、クソきたねぇ幌を見つめるより綺麗なもん見てた方がいいわな」
「……ど、でもいい……」
なんとなく、本当になんとなく言った。思わず出てきた言葉は掠れていた。
「そっか、どうでもいいか。そうだな。どうでもいいことだ。だけど、そのどうでもいいことがとっても大切なことなんだぜ? 人はそれを無くしてから気付く」
師匠はそういうと両手を上げて、両手の人差し指と親指で長方形を作り出すと、指で作った空間越しに夜空を捉えた。
「この世界の夜から星が無くなったら物足りなくなっちまう。月がなくなっちまったら、俺みたいな奴は道を見失っちまう。そして、そうなるまで人は気付けねぇ」
私と同じ場所で見ている風景は同じなのに、感じ方の違いを不思議に思う。
もしも、こうなる前の私がこの星空を見たら綺麗だと思うのだろうか?
もしくは何も感じずに、早く寝ないと明日の畑仕事に差し支えると思うのだろうか?
背中からはじんわりとした体温の暖かさが背中を通して伝わってくる。
師匠はそれからなにも言わなかった。なにも聞かなかった。
ただ、黙ってお互いに背中合わせに座って、夜空を眺め続ける静かな時間だけが心地よかった。
夜が白み始めて星が空に溶けてゆくまで、ずっとそのまま座っていた。
そして地平線から朝日が顔を覗かせた時に、師匠は立ち上がり、座っていた私の頭を二、三度くしゃりと撫でた。
「さて、お前さんの名前は?」
「どうでもいい……」
そう投げやりに言うと、頬に鈍い痛みが走った。
みると、私の両頬には師匠の手があり、私のほっぺたを抓んで引っ張っていた。
「な・ま・え・は?」
「エル……エルフィエナ」
目と鼻の先にまで顔を近付けられて、改めて聞いてきた気迫に押されて、思わず答えてしまっていた。
私の名前を聞いた師匠は、にかっと歯を見せて満面の笑みを浮かべると、ほっぺたから手を離した。
「雪割りの花か。綺麗ないい名前だ」
そんな意味があったのかと驚いた。
「冷たい世界でも可憐に咲き、春を知らせる花だ。名前は大切にしろ。親が最初にくれる贈りもんだぞ」
それを微笑みながら言うと、私の頭に再び手を置いて撫でてくれる。
私は不思議と撫でられるたびに心が安らいでいく。
「とりあえずは、エルフィエナが住んでいた村に行くぞ」
「どう……して?」
「決まってる! お前の両親に娘さんをくださいって言いにだよ」
満面の笑みを浮かべて、そんなくだらないことを言う男性に、私は知らず僅かながら笑みを浮かべることが出来ていた。
それから師匠と私は村に着くと、そこは荒れ果てていた。
死体は動物に食い荒らされ、建物も半分以上が焼けて崩れていた。
焦げ臭い匂いに腐臭が混じり、不快感がこみ上げてくる。
「いい村だったみたいなのにひでぇ話だ。報われない話だ」
師匠の顔を見上げると、その顔には不快感の欠片も浮かんではいなかった。
ただただ、深い悲しみの色を瞳に湛えて荒れ果てて見る影もない村を見つめていた。
「バゼ・アルドス・フィエ・スアル。開け開けよ。花開け。歌え草花。舞えよ花びら。この地に安らぎの野を開け……」
突然謳うように流れ出た旋律は、風に乗って消えてゆく。
だが、変化は劇的だった。周囲から草花が小さざ波のように、村の端の農地を飲み込み。建物を飲み込み。私の家を飲み込み。家族の遺体を始めた全てを飲み込み一面の花畑へと変貌させてゆく。
「こんな寒々しい場所で眠りたかぁねえだろうからな」
「ありがとう」
思わずお礼が口について出ていた。
師匠はそんな私に何も言わずに頭を撫でて返してくれた。
何も言わない優しさというものが、この世にはあるんだと思った。
あれからもう二年と言うべきか。まだ二年と言うべきか。
私には魔導師としての才能があったらしく、私を拾った師匠は厳しくも優しく見守りながら、色々と教えてくれている。
師匠の弟さんの勇者様、その従者の聖女様、戦士のガドさんとも知り合えた。
けれども、未だに人との付き合い方に戸惑いを隠せない。
何を話していいのか。相手が不快に感じないか。つい顔色を伺ってしまう。
もっと、仲良くしたいなあ。