【二章】二十一話。連れ攫われた先で……
意識が少しずつはっきりしてくるのがわかる。
気を失う前の事を思い出して、体が飛び起きそうになるのを、必死に抑え込んだ。
手足は拘束されてない。たかが侍女と思われたのか。
体の下に柔らかい感触と体の上に掛けられた毛布の感触からして、攫われたようだがそう悪い扱いはされていない。
「目を覚まされたようですね」
久しぶりに聞き慣れた声を聞いて、一気に頭が覚醒して、体を起き上がらせる。
しかし、上半身を起こす間もなく頭に酷い鈍痛がして、体から力が抜けてベッドへと倒れ込んだ。
「まだ、無理はなりませんよ。貴女には強目の薬が嗅がされているのですから」
「ここは何処なのでしょう。ルーシーさん」
そう、声の主は侍女長であり、暇を貰っている筈のルーシーであった。
「こんな時にも貴女は慌てないですね」
呆れたような物言いが、私の脇から聞こえてくる。
痛みに顰めて閉じていた瞳をゆっくりと開いて、横を見ると隣にも寝かさせられているベッドと同じようなベッドがあり、ベッドと間にルーシーの姿はあった。
ルーシーが前のベッドにはアリマ皇女か眠らされていて、規則正しい寝息に胸を上下されている。
「私にとって大事なことはアリマ皇女殿下の御身だけです。ルーシーさんが側におられると言うことはそういうことなのでしょう?」
「ここは皇族が所有する私邸の一つですよ」
「皇族の私邸?」
皇族の私邸に運ばれいるということは、既に救い出された後ということだろうか?
もしも、皇帝の差し金ならば、私やルーシーとアリマ皇女を一緒にするはずもない。
「何がどうなったのかお聞きしても?」
「構いませんが、どこまで覚えてらっしゃるんですか?」
「覚えているのは、アリマ皇女殿下と皇帝の夕食会に出席して、皇帝が倒れられた所ぐらいまででしょうか?」
ルーシーは私の言葉を聞いて、小さくうなずいて見せる。
「貴女達は何者かに拐かされて、連れ攫われた」
「はい」
「その連れ去った者は私の手の者……正確には先帝の者と言ったほうがいいでしょう」
「先帝の?」
「この帝国も一枚岩ではないということですよ」
「これを仕組んだのはルーシーさんだったって訳ですか?」
ベッドに横になったままで問いかける。
溜息を吐くように言った言葉に、ルーシーのくすりと笑う声が微かに聞こえてきた。
「ええ、お察しの通りです」
「全て?」
「はい。皇女殿下の御為に」
ルーシーはアリマ皇女を救う為に、全てと言った。
そこには皇帝の暗殺も含まれている事は、想像に難くない。
よくもまあと思わざる得ない。皇帝の暗殺など、そう簡単に出来ようはずはない。
よほど……そう、それこそ何年も何年も準備に準備を重ねても、細い綱を渡る程の確率しかないだろう。
それを成し遂げたのだとすれば、それは凄まじい執念と言わざる得ない。
「最初から計画されていた事だったのですか?」
私の声に不信感が滲み出ていたかもしれない。
その計画には、アリマ皇女の倒れたことも含まれている可能性がある。それを見過ごすことはできない。
再び、くすりと笑う声が聞こえて、ルーシーはアリマ皇女の側から立ち上がり、私のベッドまで来て脇に腰掛けた。
「いいえ。計画はしていましたが、もっと先の事と考えていました……」
「そう……ですか」
「どうしてと聞かないんですか?」
「もう聞きましたよ。全てはアリマ皇女殿下の為と……」
魂を吐き出すような深い溜息が、横から漏れ聞こえてきた。
「貴女には申し訳ない事をしたと思います」
「私にですか?」
ルーシーはベッドから降りると、私に向き直り、深く頭垂れる。
それは所謂、最敬礼と呼ばれるものだが、そう呼ぶには、あまりにも潔さがあった。
言うなれば、どうぞこの首を落としてくださいと姿勢で示しているような。
「貴女をここまで巻き込んでしまった事は、私の不徳の為したこと、全てが終わったらどうか私をお好きになさってください」
地面に腰が折れてしまったのではないかと思えるほどに頭を下げて口にする。
血を吐くように放たれた言葉に、私は言葉を失い、慌てて這うようにルーシーへと近付いた。
「頭をお上げください! 私の事なら別にいいのです。アリマ皇女殿下……私の大切な友達の為ならば、この身を気にされる必要などございません!」
ルーシーの肩を掴んで力が入らないなりに、必死に頭を上げさせると、そこには少し疲れたような微笑が浮かんでいた。
私は悲しい笑みを浮かべるルーシーに、話し掛ける。
「いつから計画を為さってたことなのでしょうか?」
私の素朴な疑問に、ルーシーは呟くように事の始まりを語り始めた。
「そう……、あれはあの日……。アルタンツェツグ様を私が殺した日から全ては決めていました」
寂しそうに、罪を告白するかのように、ルーシーは過去から続く因果を語り始めた。
「私が嘗てアルタンツェツグ様にお仕えしていたことは以前に話した通り、一つだけ話していない事があります」
それは悲しい物語であった。
アルタンツェツグ妃が身篭られて、二月ほど経った頃だという。
次々と帝位継承者が不審な死を遂げたのだそうだ。
そして、当時の皇位を持っていた先帝も、体調を崩した。
そんな時に発覚したのが、アルタンツェツグ妃の妊娠なのだ。
馬鹿げた話だと思うが、この時期の妊娠が発覚するのは非常に拙かった。
生まれるまで男か女か解らない。
もしも、こんな時期に身籠った事を、臣下に知られればどうなるか。
答えは簡単だ。皇位継承者の不審な死。更には皇帝陛下の体調の悪化の全てはアルタンツェツグ妃が裏で仕組んだ事と思われる。
前の皇帝陛下もそう思われたのだろう。
アルタンツェツグ妃を信用が置ける数名の侍女と使用人だけを付けて、後宮の最奥である別宮へと移して妊娠を隠したのだ。
「その後、皇帝陛下は更に病状が悪化されて崩御なさいました。アルタンツェツグ妃は死を看取る事も……。別宮に移されてからは皇帝陛下とお目通りができぬままに……」
悲劇はそれで終わる事はなかった。
皇位を継承したのは、崩御なされた皇帝陛下の弟君であった。
弟君がまず行った事が、アルタンツェツグ妃を側室に入れた事だ。
正妃もなく最初に先帝の側室を、己に入れる事は流石に皇族といえども、あり得ることではない。
そして……。アリマ皇女がお産まれになった。
「生まれたその日に取り上げられてしまったアルタンツェツグ妃は全てを見たのですよ」
己のこれからの運命と、この運命に導いた因果の果てを。
「自裁を成されたと聞きましたが?」
「ええ。毒酒を呷り……。そしてその毒を用意したのが……」
「ルーシーさんだったいうことですか」
これで全てが繋がった気がした。
ルーシーの執念に近いアリマ皇女への忠義心。
それは恐らくは贖罪にも似たもので、自分自身への言い訳でもある。
狡く言えば、それはエゴだ。俺が僕が私が今までこの世界で、愛して来た人たちに押し付けたものと同じエゴだ。
だからこそ、私は何も言うことが出来ない。
言う権利を持っていない。
お互いに言うべきことを言って、沈黙が部屋に満ちる。
それを破ったのは、思いも依らぬ人であった。
「ルーシー……。私は貴女を許します」
それは私が横たわるベッドの隣、もう一つで寝かされた人間の言葉であった。
「皇女殿下!?」
私もルーシーも話す事に夢中になっていて、気付いてはいなかった。
「知っていました。母の最後も……それがどういった物で、皇帝陛下が父でない事も、その思惑も……」
私は何も言わずにアリマ皇女の言葉を聞く。
ルーシーを見ると、顔は真っ青に血の気が失せていた。
「私はそれでいいとも思っていましました。その上でルーシーの考えも知っていました。だからこそ、決められなかった……。流されるままにここまで来てしまった」
「皇女……さま」
「界の渡りの身のままに、往くべき道を託した愚かな女なのよ。そんな愚か者が忠厚い者を責める資格などありはしないのですよ」
アリマ皇女は体を起こすと、自嘲の笑みを浮かべる。
その姿をみて、ルーシーは声も無く涙で頬を濡らした。
その時、外から慌ただしい足音が近付いきた。直後に乱暴なまでにドアが開かれて、一人の男が入ってきた。
私は咄嗟にアリマ皇女のベッドに飛び込むと、精一杯、小さな体を広げて、その身を守る。
ルーシーは腰から小型のシミターを抜き放つと、私とアリマ皇女に背を向けて男に向き直る。
「アリマ皇女様はお目覚めか!?」
「っ!? ガレアス殿。一体どうしたのです?」
飛び込んてきた軽鎧の男は、ガレアスと言うようだ。
よくよく見ると、それは夕食会にいて、私とアリマ皇女を眠らせた男だった。
そこでようやく男がどこで見た顔か思い出した。それは数年前に行われた顔見せ舞踏会で見た使用人だ。
「皇帝が……。皇帝が崩御した!」
崩御なされた? 死んだということか。
男の言いようからして、この人もルーシーと心を同じにする人だろう。
敬称もつけずに乱暴な物言いが、皇帝という位に対しては敬意を払っても、陛下という個人を嫌悪してる節が見える。
しかし、皇帝が亡くなるとは……。
男の言葉に私達は言葉を失い。三人が三人共に顔を見合わせるのだった。




