【二章】二十話。罠にかけられたのは……
「こちらはグラディオス産ルサル海老のコンソメゼリー寄せ。滑らかなカリフラワーのムースリーヌとなります」
長々と説明されたが、銀製の皿には腰の伸びた海老にカリフラワーのムースが掛けられ。
横には冷製のコンソメゼリーが添えられている。
眼の前には、アリマ皇女様の皿から切り分けられた一切れの海老の身と、コンソメゼリーが乗せられた小皿が置かれる。
それを手に取ると毒味で口にした。
緊張で舌が鈍い気がするが、即効性の毒ならば直ぐにわかる。
護衛の騎士も見守る中での毒味に、心臓がいつもより激しく鼓動を打っている気さえする。
今、私とアリマ皇女は皇帝陛下が催す夕食会に参加していた。
あの日来た皇帝陛下の第二執事が持ってきたのは、翌日に催される夕食会への招待状であった。
ご丁寧に参加者として皇帝と皇子との連名でだ。
断るのは非常に難しかった。下手に体調不良を出しに使うと、上級医師か医療系の魔導師が来る可能性がある。
ルーシーがいない今は、強硬に断る事が出来なかった。
一見すると、和やかな皇族一家の夕食風景に見えるが、皇帝の真実を見た現在としては、何とも薄っぺらく薄気味悪くすら見える。
アリマ皇女の力で、皇帝の心底が見えるのではないかと、聞いたことがあった。
ルーシーが言うには、アルタンツェツグ妃でも集中しなければ心の奥まで見る事は不可能だったらしい。
アリマ皇女の不完全な能力では強い思いではない限り、集中しても心の表層を掬い取るのが精一杯なのだそうだ。
常に自分の心を偽る処世術を持つ皇族などの心の奥は覗くことはできないらしい。
見なくていいものもこの世にはある。
「陛下。どうして急に夕食会など催されたのですか?」
皇族家族だけとはいえ、公的に近い夕食会であるために、父と呼ばずに、陛下と敬称でアリマ皇女は問い掛ける。
「うむ。今日は良き日だからな」
皇帝はアリマ皇女を見つめると、始終にこにことした笑顔を浮かべている。
私はその笑みに足元から這い上がるような嫌な予感をひしと感じる。
「良き日でございますか?」
「はっはっ。めでたい事だよ。愛しい我が娘が一歩大人となったのだからな」
皇帝の言葉に、私は時間が凍りついたように感じる。
輝く蝋燭の明かりも綺羅びやかなシャンデリアの光も、すべてが灰色に染まってゆく。
なぜ? どうして、皇帝が知っているのか!?
上級医師にも魔導師にも診せていない。倒れて寝込んでいる時に、徴の予兆でも感じ取られたかとも思ったが、下半身は疎か身体も診せていない。
あの時には脈と呼吸を見て、口腔内しか診ていない筈だ。
いくらなんでもそれで見抜けるとは思えない。
なぜ? 何故? ナゼ? という、疑問が頭の中でグルグルと渦を巻く。
「今日から余の後宮に入るがいい。男も出入りできるあの屋敷で間違いがあるといけないからな」
「ぁ……っ!」
咄嗟に反論を口にしかけ、皇帝が視線を微かに動かすのを見て、私は口を噤んだ。
毒味として来ている侍女風情が、皇族の団欒に口を挟むなど許されない。
そうなれば嬉々として私を不敬罪で幽閉でもするだろう。
決して声を漏らさぬように、エプロンドレスのスカートを強く握りしめて我慢する。
駄目だ。ルーシーがいない今、私までアリマ皇女から引き離される訳にはいかない。
「……その、はい。わかりました」
「アリマの後ろの侍女はなんと言ったか?」
皇帝はアリマ皇女の言葉に、口角を上げてニヤリと大きな笑みを浮かべると、私の方へと顔を向けるのがなんとなくわかった。
「マイラですわ……陛下……」
「そう。マイラというのであったか? お前にはアリマ皇女の側を離れて、新たな妃を迎える準備をしてもらう」
その言葉に私は今度こそ声を失った。
初めからすべて考えつくされた上の夕食会だったのだ。
自分の愚かしさを呪う。
「お……おそれ、ながら……」
「ん? どうした? 申してみよ」
断れるか? 返事を貰ってから頭を回転させてあらゆる可能性を考える。
その結果……
「わ、たくしには勿体なきお言葉です」
「はっはっはっ! 本当に聡い娘だ! 新たな妃はこのような聡い側付きを得られるのだから安心だな」
やられた! 恐らくは使用人も全て新しく配属されているだろう。
その中には女に見える男が多くいるに違いない。
そして……、それを不貞の証拠として使うのだろう。
私は皇女の第一侍女でなく、側妃の侍女長になるのだから栄転だ。
それを断る術は私には持ち得ない。
全て知っている。月の物が来ている事も、その事を私が申告していないことも知っているのだ。
反論すれば不敬、唯々諾々に従えば、引き離せられる。
ルーシーさえ居れば……、私より上手く立ち回れただろうに、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
いっそ、この場で皇帝を殺すか?
虚ろな気持ちで、肉切り用のナイフに目をやる。
皇帝の位置も視界の端に映し、護衛の位置も頭に浮かべる。
結論としては無理だとしか言えない。
この皇帝の事だ。私の挙動は注意しているだろう。ともなれば私が初動でナイフを手に取るまでに、皇帝は護衛の影に隠れているだろう。
だが、ナイフを投げて使うならば……。そこに一縷の望みを掛けるしか手段は残されていない。
あとは……、ルーシーが何とかしてくれる事を祈るしかできないのか。
私がアリマ皇女の前に置かれている。ナイフへと視線を向けた時に、近くにいた護衛の騎士が微かにこちらへと躙り寄る気配がして、冷や汗が背中を伝う。
だめだ。やはり警戒されている。と強く瞳を閉じると、異音が耳に届いた。
最初は吐息のように聞こえたそれは、グラスの割れた音を境に、より鮮明に苦しさが伝わる声だとわかった。
「く……か、かかっ! ……ぐうっ……」
最上段の上座である皇帝陛下の席から聞こえてきて、顔を見せないように俯かせていた頭を上げて、正面から見つめる。
そこには顔を歪めて歯を剥き出しにして、ヨダレを垂らしながら、胸を掻きむしるように抑える皇帝の姿があった。
「ど……毒だ……!」
誰かが呟いた言葉と同時に、甲高い悲鳴が聞こえる。
私は咄嗟に懐に入れてある嘔吐薬を、アリマ皇女の口の中に入れる。
アリマ皇女は直ぐにその場に嘔吐した。
私はテーブルにあった水を口に含むと、毒が入っていないことを確認して、アリマ皇女に飲ませる。
直ぐに近くの水差しから水を入れて、また飲ませる。
食べた物が出てこなくなるまで、飲ませては吐かせるを繰り返す。
夢中になって胃洗浄を行う中で、誰かが悲鳴と同時に解毒の魔導師を呼びにいかせる。
ふと見ると、皇帝お付きの毒味が取り押さえられているが、毒を口にしたようには見えない。
近くで人の気配がして、顔を上げた瞬間に顔に布のような物が押し付けられた。
「なにをっ! ……っ!」
言葉を口にすると同時に甘い香りが口と鼻から入ってきた。
それが睡眠効果のある薬品だと気付いた時には意識が闇に落ちていく感覚が訪れる。
退けられた布の向こう側に、護衛の騎士鎧を身に纏った見た事のある男の顔が映った。
しかし、それが誰かを思い出す間もなく、意識は闇に閉ざされてしまった。




