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転生人生〜終わりなき転生の果てを彷徨う〜  作者: 黒猫鉤尻尾
二章。花は咲いてこそ華
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【二章】番外編。孤狼の夢と眠りの歌


 彼女が嫌いだった。


 私達が住む南方は肥沃な土地柄ではなく。毎年の様に冷害や干ばつで、常に少しでも肥沃な土地に移動を繰り返していた。

 羊と山羊と馬を連れて旅をする流浪の民である。


 そんな部族の中にあって、彼女は特別だった。

『界を視る巫女の一族』


 当時は何をする者か理解できなかった。

 ただ、毎日肉を食う事が許され、獲った獲物はまず巫女の一族に饗される。

 優遇された特別な人間だと思っていた。


 一等いいゲルに住まい。飢えも狼に襲われる恐怖も知らない。


 そして、この寒さも知らない。


 北方賤民である私のゲルは薄っぺらく、日を防ぐ事は出来ても風は防げない。

 冬の寒さも、誰かが捨てたボロ皮を掻き集めて凌ぐしかなく。飢えを少しでも忘れようと、犬が食い残した骨を齧る。


 頭の中には死にたくないという思いだけだ。そんな生を足掻く者でしかなかった。


 でも、流石にその年は強く死を意識した。

 寒さ強く、肥沃な大地は残り少ない。

 

 北方賤民の仲間は次々と倒れ、祖に帰ってゆく中で、私も辛うじて、この世に留まることしか出来なかった。


「薄汚い野良犬ね!」


 彼女と最初に会った時に聞こえたのは、そんな言葉だった。

 綺麗な衣服を身に纏い、飢えなど感じたことがないであろう瑞々しくハリのある肌に、仔馬の鬣の如く綺麗な淡いの髪、整った顔立ちには嫌悪感が滲み出していた。

 見下ろすと見窄らしく垢だらけでやせ細った自分の、まだ幼い腕と見比べる。


 ああ、なんて理不尽なのだろうか?


 胸の内に燻るだけの残り微かな命の火が怒りの炎となって、身体の内から身を焼き焦がす。

 周囲には腰に剣を漉き、背に弓矢を背負う戦士達がいるが知った事ではない。

 最後の命をこいつの肌に少しでも傷を刻み、髪を毟る為に使ってやろうと、身構えた時に目の前に食べ物が投げ置かれた。


 まだ肉のついた骨だった。

 それを目にすると今までの怒りも自分の意志も、私を蔑んだ女の目もある事を忘れて、飛び付き腹を少しでも満たすためにがっついた。


「ほら、やっぱり野良犬ね」


 何も言い返す事も、やり返す事もできなかった。

 ただ、私を見下ろし蔑む女を射殺すように睨み上げることしかできなかった。


 それから何かと私に絡んでくるようになった。

 いつしか、私はこの女を利用してやろうと考える。

 蔑むためだけに肉を、時にはパンの欠片を投げ与えてくれるからだ。


 奴は嫌な女だ。それでも利用するには丁度いい愚かな女だ。

 餌の如く与えられる食べ物を口にして、奴が汚れたと投げ捨てた上等な鞣し皮の外套を集める。


 いつか私があの女を殺してやる。それまでいい気分で私を飼うがいい。

 いつかお前は野良犬ではなく、野生の狼を育てていた事を知るのだ。

 密かにその日を夢見てほくそ笑む事が日課だった。


 次の年も、その次の年も私は生き長らえた。

 不思議なことに無為に振るわれていた暴力も、狼の見張りも無くなった。

 あの女の玩具と認識されてから、無意味に壊すと叱られるらしい。

 あの女がそれなりに偉い人間で助かった。


 暴力はなんとでもなる。殴られ慣れたこの体は自然と痛くない殴られ方を学んでいたからだ。

 でも、狼の見張りが無くなったのだけは助かった。

 羊の狼番は、狼が現れたら羊を守る為に、時間稼ぎに食われる運命だからだ。

 

 簡単な文字も読めるようになった。ある日、行商が来た時に、薬の材料を買ってこいと言われた。

 すらすらと訳のわからない言葉を言われて、必死に覚えて買いに向かうと買い忘れがあり、女の手で折檻を受けた。


「グズ! ノロマ! 馬鹿犬が。文字程度も書けないとは使えもしないっ!」


 そう言いながら書を投げつけて来た。

 どうやらこれで覚えろというらしい。私は運がいい。

 折檻を受けたが鍛えてもいない女の腕だ。暴になれたこの体に痛みなどあるものか。

 むしろ殴るお前が痛いだろう。盛大に痛がるフリをしながら、笑みを浮かべているとは思ってもいないようだ。


 だが、あのバカ女のお陰で文字が書けるようになった。

 地面に文字を書いては、必死に覚えた。

 これであの女を殺した後で生きる術が出来た。

 しかし、まだ早い。あの女の愚かさは底抜けだ。

 私は物覚えはいい。だから、文字を覚えてあいつが作る薬の作り方も学んでいるなんて思ってもいないだろう。


 あいつが作れる薬の全てを盗み取ったら、毒殺でもしてやろうか?

 

 次の年は酷い年だった。

 冷害は今までの味わった事が無い程で、ほんの微かにしか残されていない家畜に必要な草のある土地も、他の部族達と争い合いながら、なんとか確保する。

 そんな中で部族の男衆も、次々と数を減らした。


 それでも何とか年を越すことができた。

 ここ数年の付き合いで、この女が部族長より偉い『界の最後の巫女』だとわかった。

 私はそれを聞いて、内心で狂喜乱舞した。

 この女が死ねば、この部族も滅びる。

 この女を殺せば、この部族を殺せる。


 体を鍛える事にした。男衆が減った分だけ狩りが出来る者が減ったということでもある。

 本来ならば、女が武器を持つのは穢れと言われて持たせられないが、私は賤民だ。

 穢れと関係なく武器を持ち、狩りにでる許しが出た。


 私は目もいい。だから、狼番でもいち早く狼を見つけて生き残れてきたんだ。

 必然と弓は上手く射る事ができた。

 それなりに大きくなり、歳も十二になれば体も出来上がる。

 力も日頃、あの女に扱き使われて、更に自分でも鍛えていたから男にも負けない。


 獲物を狩って余った時間は、薬草になる草を探した。


 自分の金も手に入れられるようになった。

 大穴ネズミの皮は卑の皮と呼ばれて、部族の者は触らない。

 私は食える獲物と、大穴ネズミを狩って、皮を剥いでは鞣して売った。

 これで逃げる金も作ることができた。

 あの女を殺して逃げたら、北の都に行き薬師にでもなって生計を建てられる。

 あと少し、あと少しだ。



 ある時に女が倒れた。

 流行病らしい。拙い。まだ早い!

 まだ金もそれほど溜まっていない。それに成人まであと二年も残っている。


「お前みたいな野良犬を飼うのではなかったわ。お前が私に病を持ってきたのね。野良犬と思ったらとんだ病犬だわ……。部族から消えなさい。私の部族に病を運ぶ犬はいらぬ」

 

 お腹の中に火が点る。その熱は口から火が出るかと思うほどだ。

 病は私のせいではない。それほどの力があれば容易く貴様を殺し、部族を殺している!

 この女の言われるままに、部族を去って堪るか。


 私は必死に看病をした。火む神の病には高原花がよく効く。

 知っている病と作れる薬で良かった。

 しかし、行商の元を訪ねて高原花を買おうとしたら無いと言われた。

 南の都でも火む神の病が大きく流行って、売り切れているそうだ。


 私は部族の馬に乗ると、高原花が咲く山へと急いだ。

 あの花なら狩りの間に見た。


 あの女を殺すのは私だ。私が殺さなければならない。そうでなければならないのだ。


 高原花は合った。私は急いで部族の元に帰ると、高原花の根を煎じて、いくつかの薬種と共に水で効用を染み出させる。

 火む神には水で薬を戻せ。いつか火む神の病が出た時に、そんな事を言っていた女の言葉を思い出した。


 そうだ。この女を救ったのは、この女の過去だ。私ではない。

 私はこの愚かな女を殺す者だ。

 

 女は一命を取り留めることが出来た。よかった。

 これで私が殺す事が出来る。

 周囲は何を勘違いしているか知らないが、お付きの鏡だなんだのと、私を褒めそやす。

 巫山戯るな! 私は忘れていない。この女が蔑んだ目で私を見下して犬と呼んだことを!

 お前達が私を汚らしい賤民と影で嫌がらせした事を、この女を殺し部族を滅ぼし、私だけが生き残った時に笑ってやる!


 


 漸く、成人となる年がきた。奇しくもこの女も成人を迎えるらしい。

 皮肉だな。私は成人で自由になり、お前は成人で殺されて躯を晒す。

 ああ……。早く成人の儀が来ないだろうか?


 北から鉄の服を纏った戦士達を引き連れた男がやってきた。

 それを見ても私は何も思わなかった。

 ただ、あんな物を着られて馬に乗られては、馬も重くて仕方ないだろうにと思うぐらいだ。

 その男だけが、皮でもなく綿でもない。光沢のある手触りの良さそうな衣服を身に纏っている。

 キラキラと輝く衣服を纏った男の顔は、部族の男より髭はなく、女よりも綺麗な肌をしていた。


 だが、なよなよとした感じは受けず、まるで我らが信仰する御山を見るように、どんな男よりも大きく見える。

 切れ長の目は鋭く、部族の鷹を思わせた。


 見惚れている内に、男は戦士を天幕の外に置き、一つのゲルに入っていった。

 そのゲルは部族の中で一番立派な物で、よく見慣れたゲルであった。


 そして出てきた時には、あの女が抱き上げられて出てくる。

 その男は北方の大国である帝国と呼ばれる国の皇帝であった。


 皇帝はあの女を妃として貰い受けに来たのだ。

 頭の中に灼熱が点る。

 それは八年で培った憎悪、八年間育てた憤怒。それは八年間も燻った強欲。


 それは私のモノだ! 私だけが殺して良いものだ! それは私のみが生きる事を許せるものだ!


 相手が皇帝だろうが神だろうが奪わせてなるものかっ!

 

 私の心に巣食う魔の狼が吼え猛る。

 皮剥用のナイフを片手に疾走り出していた。


「ほう。嫁御を取りに来たが、面白いモノまで飼っているな」

「陛下御下がりをっ! 御下がりをっ!」

「よい。南方は力が全てと聞く。ここで力を示さねば、威を布く価値などこの身にないわ! こい!」


 鉄の服の男達が咄嗟に男を守る為に、前へ出るがそれを手で押し留めて、剣を抜くのが見えた。

 見ると、あの女が男の横で引きつった顔して、こちらを見つめていた。


 ああ……ああ。いってやるとも。いってやるともさ!

 私の物を奪う者は敵だ。獲物だ!

 貴様の、その喉笛を噛み千切り女も殺す! 全てどうでもいい!


 私は速度を落とさぬまま、斬りかかった。

 だが、この身は人の身で、この力は女の力でしかなかった。

 振るった皮剥ナイフは容易く折られて、身体を吹き飛ばされて地面を転がる。

 すぐに立ち上がり、歯を剥き出しにして、喉笛に噛みつこうと突進をした。

 その度に、地面を舐めることになる。

 何度、土の味を知ったのだろう。途中からは鉄錆の味までしていた。


「とんだ狂犬だな。ここで殺しておくか?」


 朦朧とする意識の中で、皇帝は剣を手に近付いてくる。


「お待ちを、斬るまでもない薄汚い犬に御座います。そのような者の血を皇帝陛下にお見せするわけには行きませぬ」

「さようか。確かに道理である」


 女がこちらを顰めた顔で、憐れむように蔑むように見つめながら皇帝と呼ばれた男へとしなだれ掛かっていた。


 私はありったけの力を使い、男の元まで近付くと、男の足へと牙を向く。

 既に立ち上がる力すら残されては居なかった。


 だが、上から顔を踏みつけられて、男の足へと届かなかった。


「分を弁えなさい! この野良犬が! 皇帝陛下に牙を剥くなんてっ! この馬鹿犬! 野良犬が!」

「ふん。もし噛み付いていたら一刀に首を落としてくれたものを、興が冷めた。いくぞ。お前も帝国にゆけば妃だ。慎みを覚えよ」

「は……はい。皇帝陛下!」


 私の頭を踏み付けにして、何度も蹴ったのはどうやらあの女のようだ。

 あの愚かなバカ女め。私から殺す自由を奪い、死ぬ自由まで奪うかっ!


「わ……たひ……は、ほほかみは(私は狼だ)っ!」

 

 私が残された最後の力で、せめてそう口にすると、私の獲物を奪った男は、その綺麗な顔を振り向かせた。


「ほう。まだ吼えよるか? 娘、お前の名は?」

「この者は……卑しき者、名はありませぬ」


 もう、口を開く力すら残されていない。口は微かに動くだけで、答えずにいると、あの女が横から口を出してきた。


「ふむ。お前は孤狼だな。ならば、貴様に名をくれてやろう。今日より孤狼ルーシーと名乗るがいい! そして我が身、我が妃を追ってこい! 出来れば猟犬として飼ってやらんこともない」


 覚えているのはそこまで……。気が付けば、部族の姿もなく。あの男の姿も鎧の服を纏った戦士達の姿もなくなっていた。


 そして、私の獲物の女もいなくなっていた。


 側には荷が積まれた馬が一頭と、私だけが取り残されているだけだった。

 私は泣いた初めて泣いた。満天の星空の下で声が枯れるまで、泣いて疲れて眠って起きて、また泣いた。

 体の中から涙という涙を出し尽くした後で、立ち上がった。

 取り返す。そして殺す。何年経とうがどれ程に離れようが、必ず追って、必ず殺す!


 お前も今日から私の獲物だ。


 いつしか、私は頬が痛いほどに口を釣り上げて、笑みを浮かべている

 手には知らぬ間に、短剣が握られていた。

 柄に複雑な紋の入った綺麗な短剣である。

 


 

 



 微睡む。暖かな空気と綺麗な旋律が、私を眠りの底から離してはくれない。

 ちゃんと眠ったのはいつ頃以来だろうか。

 あの日から眠れる夜など来たことはなかった。

 だが、どうして私は今眠っているのだろう?

 何か大切な事をしていたはずだ。大切な物を守っていたはずだ。

 眠い。どうしても眠い。いい匂いが鼻孔を擽り、眠りへと誘う。

 歌が聞こえた。それは甘く蕩けるような歌。

 透き通る草原の風を思わせる暖かで爽やかさを含んだ歌声が、耳から入り脳を満たし、心を震わせる。

 どうでもいいわ。今は眠りたい。この歌に揺られて眠りたい。

 あの人がいた時の様に……。でもせめてと思い薄っすらと瞼を開いた。


「草原を駈ける……てゆく。

 地平線に夕日が……の先に向かって。

 空を飛ぶあの鷹達も……彼方。

 眠る場……飛んでゆ……の果てへ。

 あなたは……の中で眠り……」


 ベッドの脇に一人の女性が座っていた。

 褐色の肌に、仔馬の鬣の如く綺麗な淡いの髪の女性の後姿が……

 瞼はそこで夢と世界とを切り離し、私を甘美の世界へと連れて行ったのだった。

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