【二章】八話。知られた過去と友よ
この皇女はなんなの?
目が惹きつけられる。仰ぎ見るように視界に納めて、皇女様と目があった瞬間に目が離せなくなった。
帝国では珍しくない金髪に翡翠の瞳、少し珍しい褐色気味の肌だが、その瞳から目が離せない。
怯えを含んで揺れる瞳……。水底を覗き込んでいる気さえする濃い翡翠の奥にしっかりと燃え盛る何かを見たような気がする。
「あのっ! だいじょう……ぶ?」
声を掛けられて、始めて許可もなく自分が正面から、皇女様の尊顔を見つめていた事に気が付いて、咄嗟に深く頭を垂れた。
「し……失礼いたしました。この御無礼は何卒っ! ご容赦を!」
不味いと思った。下手をすれば不敬罪に問われてもおかしくない行為だった。
叱責程度で済めばいい。家に迷惑を掛けることになるかもしれない。
しかし、与えられたのは叱責の声ではなかった。
頭が柔らかい物に包まれる。額が柔らかい物に押し付けられ、頭を包み込まれるように抱き締められる。
「だいじょう……ぶ? 辛かったね。色んな別れに心が痛かったね? 色んな人に別れを告げる事が苦しかったね? 頑張った……よね」
眼の前には皇女様の体があり、心臓の音がとくんとくんと規則正しく刻まれる事が心地よく感じる。
鼻の奥がつんとして、目から熱いものが流れ出る。
なんなのだろう? どうしてこんなに心から感情が溢れ出るのかわからなかった。
それ以上に頭が混乱する。始めて会った筈だ。話したのもこれが初めての筈なのだ。
なのにどうしてか途轍もない懐かしさと、寂寥感が胸を押しつぶして、感情の押さえが効かなかった。
「あれ? どうして……あれ?」
「酷いよね……。酷すぎるよね。こんな長い旅路を独りぼっちなんて……寂しすぎるよね」
皇女様の声は耳から入り、まるで乾いた砂に水が染み込むように心に染み込み広がってゆく。
乾いた心に優しい言葉の水が、染み込み凝り固まった心が溶けて溶けて……。
そして、私は思わず皇女様を押し退けて後退っていた。
「どうしたの?」
「皇女様……あなたは一体、何者なのですか?」
「私は何者でもない。ただ、人の軌跡を感じるだけ。その人の心の痛みが感じてしまう」
気圧されるように温室の中を後退る。足に力が入らずに、気を抜けば腰が抜けそうになる。
私のそんな姿を、皇女様は何も言わずに黙って見つめ続ける。
翡翠の綺麗な瞳が、私の心を捕らえて離さない。
「ごめんなさい。覗く気はなかったの……。でも、強い思いは見えてしまう。貴方が歩んできた辛く険しい痛苦が」
皇女様はそれだけを言うと踵を返して、温室の外へと駆け出そうとする。
しかし、そうする事は出来なかった。ドレスグローブを嵌めている手が引っ張られて足を止められてしまう。
どうしてそうしたのか? 無礼だとわかっていた。今度こそ不敬罪に問われてもしょうがないと理解していた。
なぜ、私の手は去ろうとする皇女様の手を握っていて、足を止めさせたのか。
それは私自身にもわからないことだった。
「あ、あの……。お、お喋りをしませんか?」
私の口から飛び出した言葉は、謝罪でも弁明でもなく、そんな他愛のない提案だった。
気まずい沈黙が温室に落ちる。
恐れ多くも、皇女様とベンチを共にして座っていた。
私から言い出したことであるのに、何も話題が思いつかない。
というよりも、未だ思考は混乱の最中にあり、何を話していいのか頭の中で纏まらなかった。
突然、くすくすという笑い声が隣から聞こえてきた。
「あの……」
「ご……。ごめんなさい。ふふっ。長く生きた貴方でも戸惑うことはあるのかと思うと……。ああ、今はまだ大丈夫なんだなって。うふふっ」
どうにも調子が狂う。この少女はどういう人なのか。
「アリマ皇女様は……その、私の過去が見えるのですか?」
「全て見えているわけではありません。ほんの表層……数世代の今に至る世界です。おそらくは私でも貴方のすべてを受け入れられない。まるで底のない深淵の谷を覗き込んでいるかのよう……」
やはり、この少女は知っている。私のこの呪われた転生を……
「そうですか……」
こう言う他なかった。気持ちと同じくして、ベンチにもたれ掛かって項垂れる。
「あっ、でもでも! そんな深くは見えてなくて、なんとなく気持ちだけがイメージとして伝わるかというか……で、ごめんなさいね?」
最初のオドオドとした雰囲気とは違って、必死に慰めてくれようとしている。
むしろ、私の落ち込みように、おどおどとしてられなくなったというべきか。
「いえ……。でも、気持ち悪いですよね。死んでもまた生まれ変わりますし、前はその男だったわけですし……」
「そんなことない!」
自嘲気味に言った言葉に、強い言葉が返ってきた。
頭を上げると、すぐ目の前には皇女様の顔が間近にあった。
強い瞳が私の瞳を覗き込む。その視線に射竦められる。
「貴方は気持ち悪くない。貴方はエゴを自覚しながらも、必死に生きてきた。誰かの為に本当に必死に……。だから、誇り高き人よ」
その言葉に私の胸が熱くなる。
ああ……。そうか。助けたとしてもそれは単なるエゴなんだと、自己満足だと自覚はしてたと思っても、誰かに認めてほしかったんだ。
胸から溢れ出した想いは、止め処なく溢れ、それは瞳が涙という形となって落ちてゆく。
あーあ、泣かないと決めてたのに……。
こういう人生を歩むと決めた時に涙は流さないって決めてたのにな。
反則だよ。こんなのは。
涙で滲んで見える世界には、ただ声もなく涙を零す私に、どうしていいのかわからずに、右往左往する皇女様の姿があった。
「友だちになりませんか?」
「えっ?」
涙を流し尽くした後で、ぽつりと皇女様がとんでもないことを言い出した。
「私の友達になってください。私、今まで友達がいた事がないんです」
「私でいいんですか?」
私は驚いて、そう問い返すとくすりと、皇女様が小さく笑った。
「そちらこそ、いいんですか? 私は鼻つまみ者の質姫だから後ろ指を指されてしまうかもですよ?」
「それはこちらのセリフです。転生を繰り返す。化け物のような娘ですから、皇女様を振り回すかもしれませんよ?」
「望むところですっ!」
威勢よくそういうと、皇女様は淑女らしからない腕捲くりをして、筋肉が全く付いていない腕を見せる。
その仕草に可笑しくなって笑い出すと、皇女様も釣られるように笑い出し、温室内に明るい笑いが木霊する。
そして、ふと見ると視界端に、兄がこちらへと向かってくる姿が映るのだった。
お兄様にはなんと言おうか? 皇女様と友達になったと言ったら、どんな顔をするだろうか?
私はそんな悪戯心を抱いて、兄が温室に来るのを待っていた。




