三話。旅立ちと準備
そこはなんの変哲もない孤児院だった。
強いて特徴を上げるならば、他の街にある孤児院よりも、栄養状態も良く子供に元気が溢れているくらいだ。
そこに俺はいた。今年で十五歳を迎える。
この大陸に於いては一般的に成人を迎える歳でもあった。
この歳になると教会で洗礼を受けて、適正の神託を得る。
適正と言っても『戦士に適正がある』と言って戦士にしかなれない訳じゃない。
ただ、なんとなくこっちに行ったら割と楽だよといった程度で、適正が戦士と出て、大魔道士になったり、高位司祭になったりした偉人も少なからずいる。
かく言う俺も適正を測ったら『適正は魔導師』と判断されているが、剣も槍も弓も一通り、世界でも指折りの戦士以上に使えるし、回復魔法も使える。
「もう、行かれるのですか?」
私物の荷物を纏めていると、不意に女性から声を掛けられる。
手を止めて振り返るとそこには髪に白い物が混じり始めた女性が微笑みながら立っていた。
「ええ。さっさと出ていかねぇーと、年下のガキに早くベッドを空けろってせっつかれかねませんからね。シスターフレイア」
俺は肩を竦めながら、今まで自分が寝起きしていたベッドをぽんっと叩いて苦笑する。
私物の荷物といっても、ズタ袋一つで纏まるほどしかない。
ある程度の仕事はして金は得ていたが、半分は貯蓄して、残りは孤児院に渡したり、孤児院に住むガキどもに菓子を買ってやったりで、私物を買う余裕などあるはずもない。
「ここも寂しくなりますね……。あなたには手は焼かされましたが、良くも悪くもこの孤児院の名物でしたからね?」
シスターは年の割りにはコロコロと童女のように笑いながら、俺の肩に触れる。
そしてその手を頭に乗せると、子供の頃と変わらない優しい手付きで髪を撫でてくれた。
「ははっ。止めてくださいよ。今生の別れじゃあるまいし、孤児院にはちょくちょく顔を出させて貰いますよ」
少し恥ずかしかったが、払い退けるような真似はしない。
この人は血の繋がりこそないが、母親のように思っている。
俺だけではなく、孤児院にいる子供たちはみんな胸を張って答えるだろう。この人が自分の母親だと。
それほどまでの人格者であるのは街でも有名だし、スラム街に程近いこの孤児院には悪さをする人間は誰一人としていない。
「お世話になりました。それといってきます。……母さん」
最後に今まで言ったことのない一言を付け加えると、シスターは笑み細めていた瞳を大きく見開くと、その瞳から大粒の涙を零した。
「……あなたって子は。本当に……。いってらっしゃい。どうか元気でね」
俺はシスターの横を通り過ぎて部屋のドアを潜ると、迷いなく孤児院の出口に向かって、足を止めることなく外へと出た。
いい孤児院だ。本当に大陸でもこれほど暖かい陽だまりの様な場所はそうはないだろう。
どんな荒んだ心でも受け止めて暖めてくれる。そんな場所だった。
「兄ちゃん! 何も言わずに行っちゃうの?」
孤児院から出ると、後ろから元気な声が掛けられて振り返る。
そこには泥だらけになった綺麗な金髪の少年がいた。
腕白小僧を絵に書いたこの少年こそが、勇者様なんだが、その雰囲気は疎か面影すら感じられない。
だが、俺にだけは見える物もある。その胸の内に輝く神々しい聖波動の光が見えていた。
「ははっ、さっきもシスターにも言ったけどよ。別にこれで会えなくなる訳じゃねぇんだぞ?」
「でもさぁ。兄ちゃんは冒険者になんだろ? そしたらもしもがあるじゃん……」
「馬っ鹿! アレク! おめぇ縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ。祝え祝え」
「なあ、兄ぃちゃんのお祝いに鳥を取ってきたんだぜ? これを食ってってくれよぉ」
アレクは右手に持つ山鳥を持ち上げながら、情けなく眉尻を下げる。その背中には俺が作ってやった弓を背負っていた。
その普通の子供にしか見えないアレクを見て、無意識に口角が上がり目を細めた。
「そりゃあんがとさんよ。でも、成人になった俺が孤児院の飯を食うよりも、ガキ共に食わせてやれ。それとお前ももっと飯食え! でかくなんねぇーぞ?」
「う……うるさいなぁ! これでも僕は大きくなってんだぞ! この前測ったら去年より三サントも伸びてんだからな!」
「はははっ、おめぇは元が小せえからな。それ位は伸びるか? アレクの成人はあと十年だっけか?」
「四年だよ! どんだけ子供だと思われてんのさ!? 身長だって剣だってもっと伸びるんだから、あっという間に兄ぃちゃんを追い越してやるからなあ!」
ムキになって食って掛かってくるアレクを、俺は愛おしく感じながら、距離を詰めて陽の光で輝く柔らかい髪を掌で包み込むように乗せると、シスターがいつもするように優しく撫でる。
「そうだな。あっという間だな……。追いかけてくるのはゆっくりでいいぞ。直ぐに追い抜かれちまいそうだからな」
いつもとは違う俺の雰囲気に、アレクは戸惑いを隠せない。
「兄ちゃん?」
「俺が出てったらお前が一番年嵩だ。みんなを守れよ。頼んだぞ?」
アレクの肩に手を置くと、子供に対してする顔ではなく、男に相対する真剣な眼差しで、アレクの瞳を見つめる。
アレクもまた物怖じせずに真剣な眼差しで見つめてくると小さく頷いて返した。
「うん!」
その返事に肩を叩いて、頭を一撫でして満足気に頷いて返した。
「頼もしい限りだよ。じゃあな。たまにゃ顔も出すから鳥はそん時にでも貰うわ!」
今度こそ踵を返して、ギルドのある街へと歩いてゆく。
「絶対だからなぁっ!」
後ろから約束を迫ってくる馬鹿でかい声を、振り返りもせず、手を軽く上げて答えると、俺は最高の最後を迎えるための準備を始める。
兄ちゃんが出ていく姿を、ただ見つめ続ける。
僕が初めて兄ちゃんに会ったのは、僕が孤児院に捨てられてすぐの事だったらしい。
ママシスターにそれを聞かされても、僕にはピンと来なかった。
気付いた時にはいつも兄ちゃんがそばにいたし、僕も兄ちゃんのそばを離れなかったから、居て当たり前の存在で、初めて会った時とか他人だとか考えたことも無かった。
遠く小さくなった兄ちゃんの背中は相変わらず、すごく頼もしく安心感を感じさせてくれた。
銀色の綺麗な髪を風に靡かせながら、颯爽と歩く兄ちゃんは、僕にとっての英雄そのまんまだ。
今、手に持つ鳥の獲り方や捌き方も兄ちゃんから教わったものだ。
兄ちゃんはいつも適当でズボラでいい加減な態度をとっているけども、本当はそうじゃないのはこの街の人間なら誰でも知っている。
お使いに行った僕が、酔った冒険者に絡まれた時もどこからともなく現れて、大人で冒険者の人を殴り倒してくれた。
鼻血を出して少し格好悪かったけども、凄く格好良かった。
いつも狩りに行って、薬草まで取ってきて、薬師に習ったって事も無げに薬を作り、孤児院だけじゃなくスラムの人にも分け与えてたのもそう。
乱暴な言葉遣いで、エッチで馬鹿な事をしてるけど、誰よりも優しいのもみんな知ってる。
これからはその兄ちゃんに代わって僕が孤児院のみんなと、スラムで困ってる人を助けなきゃいけない。
凄く怖く感じるけども、尊敬してる兄ちゃんにあんな眼で頼まれたんだから、僕は頑張らなきゃいけない。
流石に兄ちゃんみたいにお風呂を覗きに行ったりとか。お金をかけて殴り合いとかはしたくないけども……。心に穴が空いたように寂しく不安になる。
「アレクシス。あの子……。タクトに挨拶はできた?」
「うん。ママシスター。兄ちゃんが僕にみんなを頼むって……」
「そう……大変ね。でも、大丈夫よ。貴方だっていつも無茶をするタクトのそばに常にいたのだからね」
ママシスターの言葉が、心に空いた穴を埋めるように染み込んでいく。
そうだよ。僕はずっと兄ちゃんのそばにいたんだ。
だから、兄ちゃんも僕にあんな眼をして託してくれたんだ。
僕なら出来るって信じてくれたから。
「ママシスター……ううん。シスターフレイア。僕頑張るよ。タクト兄ちゃんみたいに成れなくても頑張る!」
シスターフレイアは、僕の言葉に驚いた顔をしたけど、直ぐにいつもより大きな笑みを浮かべる。
そして、少しだけ伸びた僕の背中を押して、孤児院の中へと促した。
軽く感じ始めてた背中の弓矢が少しだけ重く、そして暖かく感じた。