【二章】五話。社交界と嫌われ皇女
ダンスホールは結構な広さを持っている。
壁際には多種多様の料理や珍しい酒が置かれて、その前には貴族の当主達やそのご婦人方が歓談しながら、料理や酒に舌鼓を打つ。
皇族所有の楽団がゆったりと繊細な音楽を奏でる。
部屋にはランプや蝋燭などといった照明は使われてはいない。
流石は帝城だけあって、全て魔道具の灯りか壁際に控えた魔導師達が使った魔法の灯りが照らす。
それだけではない。夏に差し掛かり、外は熱帯夜とはいかないまでも、昼間の暑さが残っているにも関わらず、室内は快適そのものだ。
温度調整の魔法も使っているのだろう。
メイン会場であるホールを覗いたあとで、使用人に案内されるままに、二階の隣接する部屋へと来ていた。
兄と一緒に控えの間と呼ばれるダンスホールと繋がった小部屋で控えている。
ダンスにはもちろんパートナーが必要だが、婚約者などの特定の相手がいない場合は、家族をパートナーに選ぶ事が通例だ。
「マイラ、そのドレスはよく似合っているね」
「口がお上手ですのね。ありがとうございますわ」
「世辞ではないのだけれどもね」
兄は微かに苦笑を浮かべて、タキシード姿の肩を軽く竦めた。
今日のドレスは、この日のために新しく仕立てられたものだ。
赤いドレスには銀糸で複雑に絡み合った草花が刺繍され、銀髪は後ろで纏められている。
そして細い金のチェーンと黒水晶のヘッドドレスが頭を飾る。
首筋には黒く染められたシルクの幅広チョーカーが巻かれていて、そこから垂れ下がるように金のチェーンが揺れて先端に付けられた大粒の真珠がきらりと光る。
自分で言うのはなんだけども、鏡で見た時には銀の髪と相まって、派手な赤いドレスなのに、清楚さすら感じられた。
女性のファッションセンスは恐るべしだ。
今日の参加者は十五組を超える。どうやら私が一番下の年齢で、後は婚約者のお披露目も兼ねた十二〜十五歳の男女達となっていた。
ダンスの参加人数としては、いささかもの寂しいものだが、初顔見せの両親達も参加するために、結構な人数がダンスホールにいることになる。
しばらくすると一人の使用人が訪れて、入場口のドアまで案内される。
『エルドルトン伯爵家の御令嬢、マイラ・エルドルトン様のご入場です。パートナーはエルドルトン伯爵様のご子息であり、次期当主のタシス・ヒルシャー・エルドルトン様です。盛大な拍手を持ってお迎えください』
「それじゃあ、行こうか。マイラ緊張してるかい?」
「大丈夫ですわ。お兄様がドジをしなければよろしいのですけれども?」
「はははっ、言ってくれるね。精々気をつける事としますよ。では参りますか? 妹君」
「ええ、エスコートしてくださいますか? お・兄・様?」
お互いにくすりと小さく微笑み合うと、腰に当てられている兄の腕に細い腕を絡めて、楚々と歩き始めた。
兄は私の歩調に合わせながら、開いた幕の向こう側へと堂々と足を進める。
中に入ってまず飛び込んてきたのは。一階から二階に現れた私達を見つめる人々の視線だ。
直後に万雷というにはかなり少ないが、舞踏会に参加している者の家族や、先に入場していた家格が下の参加者達が送る拍手の音だった。
羨望の視線、嫉妬の視線、中にはいやらしい視線で見つめてくる視線も感じる。
それら微笑みを称えた瞳で、見つけては脳内フォルダーに顔と姿を保存してゆく。
好意を示す視線は、どうでもいいけれども、悪意に塗れた嫉妬等の視線を送る人間は要注意だ。
特に性的な視線を八歳児に送るなど、正気とは思えない。
どちらにせよ。貴族としてのみ力量は下だが、その手の人間は感情で動くこともままある。
だが、一人だけ気になる人間が混じっていることに気付いた。
貴族ではなく使用人なのだが、大抵の使用人は入場があると入場者に視線を向けたり、もしくは何かをしているかだが、その使用人は格好からして給仕を行う者のようだが、何もせずにただ立っているだけだ。
何をしているのかしら? ただ、サボっているだけのようにも見えるが、何かが引っ掛かる。
まるで“意識してこっちを見ないようにしている”かのようだった。
「どうかしたのかい。マイラ?」
一瞬だが気を取られて足取りが乱れたようで、それを素早く察知した兄が小声で聞いてきた。
周りから見れば緊張した妹を思い遣っている。優しい兄に見えるだろう。
「いえ、なんでも……。少し緊張しているのかもしれませんわね」
「おや、僕にあんなことを言っていたのに、可愛い妹君だね」
私の返答にくつくつと言う小さな含み笑いを、兄のタシスが漏らす。
衆人環視の元とあってやり返すこともできず、せめてもの腹いせに、捕まっている腕をギュッと抓った。
しかし、所詮は未だ八歳の女児の身体で、兄は平気な顔をして足並みを元に戻すだけだ。
階段を下まで降りると、兄と二人で観衆の中に混じる。
次に入ってくるのは恐らくは侯爵家の人間だろう。
伯爵の家格ではエルドルトン家が最上位だからだ。
気になってちらりと横目でさっきの使用人を見るが、既にそこから姿を消してしまっていた。
やはりサボっていただけなのか。
そして、次の入場者が入って来た。
王家に仕える執事がよく通る澄んだ低い声で、次の入場者の紹介を行う。
『マイシーヌ侯爵家の御令嬢、アウロラ・マイシーヌ様のご入場です。パートナーはアウロラ様の御婚約者であられる。ダリアス伯爵家の御子息、レヴァン・ガリタ・ダリアス様でございます。皆様、盛大な拍手を持ってお迎えください』
名乗りの声が余韻を残してる中で一組の男女が入場してきた。
この舞踏会で最年長十七歳のダリウス伯爵家の長男と、マイシーヌ侯爵家の十四歳の側室の娘だったかと思い出す。
マイシーヌ侯アウロラ様の婚約のお披露目でもあったらしい。
強かだと思った。普通なら婚約者などと名乗りに付けないものだけども、敢えて付けるということは皇族からの祝いの言葉を願ってのことだろう。
今回の舞踏会に皇帝陛下はいらっしゃらないが、第三王位継承権を持つ皇子が、姫の付き添いで参加される予定だからだ。
しかし、この舞踏会に参加される姫君は誰かは知らない。
私が知る限りの皇族は年頃の女性はいないはずなのだけども……
確か、末姫はまだ御年六歳になられたばかりのはずだから、次の舞踏会に御参加される予定だったと思い出した。
では誰が? そう疑問に思った時には、主役である姫君と皇子の名が読み上げられた。
『皇帝陛下の御子様であり、第三王位継承者で在られるクレミア様と、側室アルタンツェツグ妃が御息女、アリマ皇女様の御入場です。皆様万雷の拍手を持ってお迎えくださいっ!』
皆少し戸惑いながらも、全身全霊で拍手する。
流石に拍手が小さいからと言って咎め立てされる事はないが、少しでも覚えを良くされたい貴族としては手を休めることはない。
帰ったら皆拍手した手が痛むだろうなと思いつつも、淑女らしく拍手する。
しかし、聞いた事のない名前だ。ネーミングから南方の遊牧民らしいイントネーションだなと思うけども、側室に南方の妃がいる事に驚いた。
帝国が南方の一部を持っていることを思い出して、そこから嫁いできたのかと考える。
それにしても幾ら属国から来た人質に近い側室が産んだ姫とはいえ、この扱いは随分な事だと思う。
本来名乗りは必ず女性を先に読み上げられるのに、それが皇子とはいえ男性名を先にしたのだから、後宮での扱いはそれなり程度なのだろう。
貴族の闇の見た気がしてうんざりとする。
二階の入場口から、舞踏会最後の男女が現れた。
女性は褐色の肌を持ち、翡翠色の綺麗な瞳と金糸を思わせる細かい金髪を編み込んで、頭の後ろに纏めている。
皇子は綺麗な金髪を整えられ、優雅に笑みを浮かべながら、階下の貴族達に少しだけ手を上げながら、階段を姫君と共に降りてくる。
だが、私は見逃さない。その笑みが微かに引き攣り、アリマ皇女と繋ぐはずの腕は拒否するように隙間は薄く。
格好だけはアリマ皇女はクレミア皇子の袖付近の布を摘んでいるために、手を引かれているように見えなくもない。
複雑な皇室一面を見ているようで、微妙な気持ちになった。




