【二章】三話。美容と健康にはミルクが一番
シッ、シッとまだ暗い部屋の中から鋭い呼気の音を響かせる。
部屋の中央で、積み木の中でも一番長い物を床に置き、その上で爪先立ちをしながら、身体の捻りだけを使って蹴りを繰り出す。
蹴りと同時に上体を反らす。爪先だけが辛うじて乗る程度の積み木は床に固定されているようにぴくりとも動かない。
蹴りが放たれる度にまだ幼いと呼べる身体から、息が鋭く吐き出されて、脚が空気を切る音と共に、まるで空気を相手に戦っているようだ。
私はいつもの寝間着姿ではなく、全裸になり部屋の中でトレーニングする。
寝間着では動きが制限されるし、汗で汚れてしまう。
同じ理由で下着も着けない。その結果全裸なのだ。
身体から吹き出した汗が飛び散るが、予めベッドのシーツを敷いてあるので、部屋も汚れることはない。
シーツなら翌日には綺麗に洗濯されるだ。
幾度目かの蹴りを放つと、ゆっくりと息を吐きだして、上げた足を下ろした。
そして最後に積み木を蹴って宙を一回転して羽のように音もなく床へと着地する。
蹴られた反動でただ立てられただけの積み木はカタンという軽い音を立てて倒れた。
「ふぅ……。やっばりまだまだよね」
倒れてしまった積み木を見つめて、ぽつりと呟いた。
積み木が倒れたのは、蹴って飛び上がる際に芯がぶれた証拠だ。
軽く息を吐くと、次は壁に前蹴りを放つようにして、壁に足の裏をぴったりと付けて、身体を前に倒してゆく。
腕も伸ばすようにして、足の先へと手を伸ばした。
この時な骨盤を意識しながら、少しずつ軸足の後ろ足を後ろへとずらして、さらに身体を折りたたむ。
ダンサーが見れば、それはバレリーナのトレーニング方法と気付いただろう。
靭やかに、より強靭に身体を作り変えていく。
筋トレと違って身体の動きを骨に、自分の体幹へと向ける。
無駄な筋肉は一つとして要らないのだ。ただ、身体の動きを補助しながらも、瞬発力だけを高める筋肉へと作り変えてゆく。
次に床に敷いてあるシーツの上で脚を右と左、180度開いて座り、両手を広げながら体を前に倒すと、膨らみ掛けの胸が床につくほどまで、曲がった。
やはり柔軟は子供の頃からやるのが一番効率がいい。
トレーニングを一通り終えると、サイドテーブルに置いてある水差しを取ってコップへと注ぐ。
一息に飲み干すと、残りの水はタオルに染みこせて身体を拭いてゆく。
井戸に水を浴びに行きたいところだが、すでに使用人達が起き出してくる頃合いだ。
貴族の令嬢が井戸で水浴びしてましたなんて、奇行が過ぎる。
微かに湿っているシーツを拾うとベッドへと敷き直してから、登り始めた朝日を明かりに、書庫から持ってきた植物学の本を開いた。
今、調べているのは薬草の効用と毒草の作用を見ている。
過去にアールブから、薬草学を学んだが、遥か昔のことでうろ覚えの部分があるのだ。
魔導倉庫から保存している記憶を引き出せればこんな苦労はないのだが……
朝日が入り始めた部屋の中で、指を一本立てる。
「クオル・イフ。灯せ灯せ。生命の根源。イフル」
フル詠唱で種火の魔法を詠唱すると、ろうそくの火の様な炎が指先に灯って、数秒もせずに掻き消える。
胸の内で心臓が早鐘を打ち、微かに目眩を感じる。
初級の初級、小さな村の村人でも半分は使える魔法でこの有様だ。
あと数秒も灯していれば気を失っていただろう。
根源魔力と同じく健在魔力も生まれた時には魔力量が決まっている。
これだけは鍛えようがないのだ。
非力過ぎる。力でも魔力でも一般人にすら及ばない。武器が必要だと実感する。
しかし、今の魔力量で魔導倉庫から武器を、それも一見すると武器には見えない魔法武器が必要だ。
頭の中で魔導倉庫にある該当する武器をいくつかピックアップする。
腕輪に見えるが意思に反応して、レイピアになる魔法武器。
持ち手の意思で重さを自由に変えられるダガーはだめだ。
あといくつかの武装が思い浮かぶが、取り出す為の魔力を考えると諦めざる得ない。
はぁ、とてもではないが無理だ。
無意識に溜息を吐く。再び本の中へと視線を落とすと、今できることに集中する事にする。
フォルネーゼが部屋へ、私を起こしに来たのは、それから少し経っての事だった。
いつものように食事が始まる。ほぼ変わることのないメニューだが、私の目の前には水差し一杯のミルクが置かれている。
この世界のミルクは大半がヤギミルクで、味に臭みがあり、好んで飲む人はほとんどいない。
だが、チーズに加工したりするために大半の貴族の屋敷で飼っているし、ミルクを採っていた。
「ね……ねぇ、マイラちゃん……今日もそれを飲むの?」
恐る恐るといった感じで、姉が聞いてくる。
一月前から飲み始めたものだが、それから日課のように誰かが定期的に聞いてくる。
その顔は顰められ、母と父は悲痛な表情で、兄は露骨に舌を出している。
全員が一度は飲んでみたのだが、阿鼻叫喚の絵図となった。
一口含むなり、無作法にもトイレに走っていったほどだ。
ヤギミルクを飲むのは基本的に乳の出ない赤ん坊の代理乳としてか。加工品としてしか使われない。
どれぐらいまずいかと言うと、水と沼の水ぐらいの違いがある。
だが、これは必要な事なのだ。この世界では便利なプロテインなんてものがあるわけもなく。
成長期の体に負担を掛けすぎないように筋肉を作るための栄養が足りていない。
とはいえ、これでもかなり飲みやすくしたほうなのだが……
粉末にした炒り大豆と蜂蜜を中に溶かし入れて、疑似プロテインとして飲んでいる。
臭味も抑えられるようにもなったのだが、最初のアレがトラウマ過ぎたらしい。
「はい。ええ、姉様。これを飲んでいると早く大きくなれるんですのよ? 本に書いてありましたわ」
「ん? そんな本があったかね?」
「はい。奥に自然の恵みの五巻に書いてあったものですが、事実、これを飲み始めてから朝の早起きになりましたものね? ファルネーゼ?」
「ええ、ええ。それはもう。朝は起こしに参る前には起きてらっしゃいます。まさか、そのような効果があっただなんて……」
椅子に座ったまま胸を張る。その胸な六歳の割りには膨らみが大きくなってきている気がする。
「うむ。ならば私も頑張って試してみるか? 娘が我慢出来ているのに、父である私が我慢できぬなど、恥ずかしいからね」
父は私からミルク入りの水差しを、受け取ると自身のコップに注ぎ、そろそろと一口だけ口に含んだ。
一瞬だけ眉を潜めたが、そのまま嚥下させる。
「飲めんことはない。ザラリもした舌触りと微かな臭味はあるが、これはこれで中々の味のある飲み物だ。それに仄かな蜂蜜の甘みが丁度よい」
「でしょう? お父様。これは美容にも良いと書いてありましたわ」
私の一言で家族の女性陣が動いた。
母が父から奪い取るように、ヤギミルクの水差しからミルクをコップに注ぎ入れていると、横から姉のコップまで差し出されていた。
二人共、最初はトラウマから口に含む程度だが、少しだけ舌の上で味わうと、コップの中身を飲み干した。
私は嘘を一つも言ってない。ヤギミルクは実は牛のミルクよりも脂肪分が低い。
そのため吸収率が高い分太りにくく、美肌効果は非常に高い飲み物なのだ。
適度なトレーニングに、食生活の改善と少しづつではあるか日々改善しながら過ごしてゆく。
 




