後日談。誰かは誰かの勇者
気が付くと目の前に竜車があった。近くでは走竜が腹這いになり、欠伸をしていた。
僕達は自分の体が動くことをわかると、慌てて周囲を見回す。
もしかしたら全ては兄さんの悪い冗談で『わりぃわりぃ』と後ろ頭を掻きながら、現れるんじゃないか?
そんな期待を込めて周囲を確認するが、ガドさんにルクセリアさん。エルさんが僕と同じように周囲を頻りに見回す姿だけだ。
「あんっの……馬鹿者がァァァァァ!」
間近にいるガドさんが、地面に拳を突き立てて怒りに吠える。
声が僕の身だけでなく魂まで震わせる。
「ししょぅ……? 師匠! 行かなきゃ! 早く戻らなきゃ!」
エルさんが慌てて森の中に行こうとして、腕の中にあった兄さんの長杖が澄んだ金属音をたてて、地面に落ちる。
「あっ! あ……あぁ、あぁぁぁあぁ」
落ちて土に汚れた長杖を慌てて拾い上げようと屈み込む。その杖の存在が全ては現実だと訴えかけてくるようだ。
エルさんは手が震えて長杖が上手く拾えずに何度も手の中から落として、ようやく拾えた時には、長杖をもう離さないとばかりに胸に抱え、子供のように大声を出して涙を零す。
「どう……どうしてっ! どうしてなんですかっ! どうしてタクト様が……どう、して……」
ルクセリアさんは地面に腰を落として、下を向いてぶつぶつとつぶやき続けている。
その胸には兄さんから貰った本を抱えている。
顔からは表情が抜け落ち、眼から光も消えてしまっているようだ。
僕は冷静に周りを見ている自分に驚くと同時に嫌悪感が浮かんでいる。
兄さんがいない。それも永遠に……
もう二度と会えず、もうあの軽口も聞けない。頭だって二度となでてもらえない。
それなのに僕は、寂しいと思っても悲しいとは思えない。
そう、今の気持ちを表すならば、その一言で収まってしまう。
身勝手な『寂しい』だ。なんて、自分勝手で醜い感情なのだろうか。
自分自身に腹が立ち、直ぐ側にあった馬車を殴りつけてしまう。
兄さん……僕はまだ一人前にはなれないよ。こんな自分勝手で醜い人でなしが勇者だなんて笑ってしまう。
殴った手から鈍い痛みが引いた時に、幌の掛かった馬車の中から、金属の何かが崩れる音が聞こえて、びくりと背が跳ねた。
少しだけ警戒しながら、幌の中を覗き込むと馬車の兄さんが愛用していたロングソードが倒れていた。
「兄さんの……?」
思わず口についてでた言葉に、止め処なく涙が出る溢れ出してくる。
『アレク。お前ちゃんと飯食え! 肉をガッツリと食え。筋肉つかねぇだろ』
『いや、にいさん。そんなに食べられないから……兄さんはどんだけ食べるのさっ!』
『食える時に食う。生きれる時に生きる。死ぬときゃ死ぬ。それが冒険者ってもんだ』
『いや、死んじゃ駄目じゃん……』
『いいんだよ。冒険者ってもんは何かしらの命を奪って生きてる。食うためにしょうがないっちゃしょうがないんだが、それでも自分が死ぬ時には死にたくねぇだの。殺さないでなんて都合が良すぎだわ。だから、死ぬときゃ笑ってだ!』
頭の中で色んな光景が浮かんでは消える。
その全て兄さんが笑っている姿だ。そういえば、兄が辛そうな姿も、泣く姿も見たことがない。
辛そうでもいつでも笑みを浮かべてた。苦しい時でも常に苦笑を浮かべて、周りに気を配っていたことを思い出した。
『アレク、泣くな!』
『でもぉ……』
『よっしゃ。行くぞっ!』
『えっ、どこに?』
『決まってる。俺の大事な弟を泣かしたクソ野郎をぶん殴りにだっ!』
『だ、だめだよぉ! 相手は貴族様だよっ!?』
『関係あるかっ! 気に入らねぇつったら気に入らねぇんだ! 仲間を泣かす奴は王様だろうがぶん殴る!』
『泣かないからっ! 泣いてないから! 駄目だよタクト兄ちゃん!』
『だったら、笑えっ!』
『えっ!? ……えっとこう?』
『そうだ。苦しくても辛くても泣いちまったらその苦しさを仲間にもわけちまう。悲しいことがあっても笑え! そしてみんなが悲しむ時だけは共に泣いていい!』
子供の頃の兄さんの言葉が蘇る。自分は何をやっているんだろう?
みんなが悲しいとは思っている今は泣いていいのだろうか?
なんか違うと思う。兄さんは笑ってた。幸せだと笑って別れたんだ。それなのに僕が自分勝手に泣いていいのだろうか?
『笑えよ! 笑ってりゃ、いつかは心から笑える日が来る。泣いてりゃ笑える日を逃すぞ! 笑え笑え。声高らかに空に向かって笑ってやれ!』
兄さんの剣を馬車から引き出すと、鞘からすらりと抜いて、空に翳す。
それはよく手入れされた剣だった。
細かい傷はあれどもへこみや欠けなど全く見られず、刀身は使われるべき時を待っているようだ。
空は既に茜色に染まり、血のような空の色が剣に反射して剣自体が燃えているようにもみえる。
剣がりぃぃいんと鳴った。その物悲しい音は泣いるような気がした。
「君は……兄さんがもう帰ってこないとわかっているのかい?」
剣からは音はしない。単なる思い込みかもしれないけれども、それは肯定を示しているように思えたのだ。
遥か遠く、魔の森の奥で大きな音が響き、空を真っ白に染め上げて、純白の光が夜に姿を変えつつある空へと登ってゆく。
――リィイィィィン……
手の中にある剣が一際大きい音を鳴らした。
光と音で僕はわかった。今、兄さんが旅立ったと、みんなもそれがわかったのだろう。
エルさんはへなへなと杖に寄りかかるようにへたり込み。
ルクセリアさんは呆然と空へ空へと伸びてゆく光を見つめる。
ガドさんはその光に痛みを堪えるように顔を顰めて拳を固く握っている。
僕は……ただ……そのどこまでも世界を白く染めて登ってゆく光を見つめて、綺麗だという思いが込み上げてくる。
……僕が兄さんに勇気を与えた勇者なら、兄さんはいつだって僕の勇者だったんだよ?
今日はもう一話投稿します。




