十九話。過去との対面と不始末の対価
頭の下に柔らかい感触を感じる。
全身の痛みは消え去っていた。
目を覚ますと、白い天井と視界の大半を覆う白い二つの盛り上がりが影を作っている。
その盛り上がりの向こうから端正な顔が覗き込んでいる。
「おおうっ! どうやら天国に来れたようだな」
俺はそのままの体勢を維持したままで、ぽつりと呟いた。
「兄さん。無事で良かったっ!」
声がした方を向くと、アレクが心配そうに見つめていた。
「よぉ。アレク、お前も無事で良かったよ」
横になったままににっと笑うと、アレクは胸を撫で下ろした。
「あ……あの……」
二つの素敵な双丘が声を掛けてきたが無視する。
「ふっ、殺しても死なん奴だ」
ガドは少し離れた床に胡座をかいて座っていた。俺が気付くと片手を上げた。
鎧は流石にだめになったのか。今はプレートメイルの下に着ていたなめし革の鎧だけになっていた。
「いえ……その……」
また、頭の上から声が降ってきたが、聞こえないったら聞こえない。
「師匠」
「おう。エルか? 治癒してくれたんだな。ありがとよ」
「どういたしましてというか。いつまでそこでそうしてるつもり?」
うちの弟子は何を言ってるのだろうか? 俺は戦い疲れた体を休めねばならないのだ。
「……あのっ!」
少し強めの声がして、流石にそろそろ怒られるかと思って身を起こそうとした時に、頭に小さな手が乗せられて、起こし掛けていた体が、また天国へと押し戻される。
「あのっ! まだ、安静にしてくださいっ!」
頭をまた柔らかい物の上に押し戻された。膝枕の上から膝の持ち主を見上げると、顔を赤くしてるルクセリアが見えた。
「おいおい。体はもう大丈夫だぜ?」
「だ……だめですっ! まだもう少しだけ……」
顔を真っ赤にしながら言い放つルクセリアは、明後日の方向を見つめる。
「ふっ、アレク、エル。我らは少し周りを見てこよう。何か見つかるかもしれん」
「えっ? でも兄さんが……」
「タクトならルクセリアが見ていてくるさ。エルも来い。俺にはこの手の施設はよくわからん」
「師匠……エロスケベ」
エルは虫ケラを見るような蔑んだ目を向けて、言い放つと立ち上がって、別の部屋へと走ってゆく。
「クッ……くっくっ……はっはっはっ! エロスケベのタクト。ルクセリアのことは任せたぞ」
ガドは獅子の顔を歪めて、大声で笑いながらアレクの腕を掴んでエルの後を追って歩いてゆく。
「ったく、言いてぇこと言いやがって、でかい猫め」
大きく溜め息をついて、諦めて膝に頭を預ける事にする。
「ごめんなさい……」
「なに、気にすんな。ルクセリアのせいじゃねぇさ。あの馬鹿どもが悪い」
「いえ、そうではなくて……。貴方がそうなってしまった事についてです……」
躊躇いがちに聞いてくることからある程度は察する。
「あれからどれぐらい経った?」
「半日程でしょうか……」
「そうか。みんなからは話を聞いたのか?」
「それが……私、覚えているんです」
そうか……覚えてたのか……
沈黙が二人の間に落ちる。
「なにも言わないのですね?」
「責めて欲しいのか? そりゃ、俺の柄じゃねぇよ」
「そうじゃなく……。いえ……そうなのかもしれません」
「ありゃ、お前さんのせいじゃねえよ」
水滴が上から降ってきて、俺の頬へと落ちて流れてゆく。
「わ……たく、しはっ、人間じゃないのですね」
「人間だよ」
「違う……ここを見て解った、んです。私は……ここで作られた人形……」
「人間だ」
しゃくりあげながら、くぐもった声で話す。
その声を聞きながら、目を閉じる。
「違うっ! 私は皆さんとは違う! 化け物です。魔王と同じ……化け物なんですよ……」
「俺の母親はな? 貴族だったらしい」
唐突の告白にしゃくりあげる声が止まった。
「まぁ、母親つっても顔も見たこともねえ。俺を産んだ後で死罪に処されたらしい」
「えっ?」
「大逆罪だかなんだかで、俺がお腹にいた事で延び延びになったが、産んだ後で斬首だ。本来なら俺はここにいなかったんだろうな。だが、教会の教えとやらに救われて奴隷として育てられた。まぁ、それからなんだかんだあってな? 今こうして生きている」
まぁ、なんだかんだって所を話すと無駄に長くなるし、ややこしくもなる。
「アレクだってそうだ。あいつは貧乏商家の三男坊でな。口減らしに捨てられた。ガドは生まれてこのかた、人間扱いされることのほうが少なかった」
「なにを?」
「一緒だよ。どこでどう産まれてどうやって生きてきたかなんて、大した問題じゃねえ。俺は俺だ。何者でもないし、アレクはアレクだ。それ以外の何者でもない」
「でも私は……」
「一緒なんだよ。おまえさんがどこで産まれてどんな生き方をして、どういう存在かは関係ない。ルクセリアはルクセリアだ」
沈黙が返ってくる。
「それにな?」
俺はそう言ってから上に……ルクセリアの顔に手を伸ばして、頬を伝っていた涙を掌で拭ってやる。
「人形は泣かない。心が泣くのは人間だけだ……」
拭ったばかりの頬を涙が流れて、俺の手を伝って降りてくる。
その涙は熱く。誰よりも人間らしい涙だった。
頬に触れる俺の手の上から、ルクセリアの手が重ねられる。
声を殺して泣くルクセリアから、俺は手を引っ込めると、仰向けになっていた体を横向きに変える。
「悪いが、もう少しだけ寝る! かなり疲れているから直ぐに寝るぞ。ぐっすりだ。熟睡するから何があっても起きたりしない。それにガド達が行った奥まで声は届かないだろうからな。あくまで独り言だがな。じゃあな。おやすみ!」
そのまま、腕を組んで目を閉じて、イビキをかく。
ルクセリアも意味がわかったのか。声を出して泣き始める。
それは産声だ。真の意味で今ルクセリアは、ここで聖女でなく、一人のルクセリアとして産まれたのだ。
ルクセリアがこれで納得したかしていないかはわからない。
だが、いずれ乗り越える事はできるのは確信できる。誰よりも頼りになる仲間達は常に側に居てくれるのだからな。
既にルクセリアは泣き疲れて眠ってしまっていた。
涙の後を残して眠るルクセリアの頭を膝に乗せ、涙の跡を吹いてから髪を撫で付ける。
「どうやら、丸く収まったようだな」
「……泣く女を慰めるのは色男の役目だろうに……。まったく……ガラじゃねえよな」
俺は振り返りもせずに、話しかけてきた声に肩をすくめる。
「十分、色男だよ。お前は」
「よせやい。照れっちまうぜ」
後ろでくつくつと含み笑いが聞こえてくる。
ガドが含み笑いを漏らすと、猫が喉を鳴らしているように錯覚しそうだ。
「それで何か見つかったか?」
「さぁ、ここと似たような部屋が何箇所か見つかったが、俺にはよくわからん」
「エル達は?」
「奥の少し変わった所を調べてる。その部屋だけ別と違ったんでな?」
ふむと小さく頷いて考える。この施設を詳しく調べれば何か解るかもしれん。
「起きろ。ルクセリア」
俺は側に眠るルクセリアを揺り起こす。
「う……うぅん」
瞳を擦りながら目を覚ます姿は、幼い印象すら受ける。いや、精神は未だ幼いのだ。
「よっ! おはようさん」
「ぅん……タクト様……ふぁっ!?」
意識が完全に起きて、自分の置かれた状況を理解したのだろう。がばりと身を起こすと、勢い余ってよろめいて転んだ。
「何をやってるんだか……」
俺はその光景に顔を片手で覆って溜め息をついて、ガドは抜けるような明るい声で笑った。
ルクセリアは直ぐに起き上がり打った顔を抑える。耳まで真っ赤にしながら、涙目でガドを睨んでいる。
「ほら、寸劇やってないで行くぞ。奥にこの施設の心臓部があるはずだ」
その言葉にルクセリアはハッとなった。
「そこに行けば……私のことがもっとわかるのでしょうか?」
「怖いか?」
真剣な眼差しで正面からルクセリアを見つめる。
視線に気付いたルクセリアは、見つめ返してくる。その手は着替えた新しい神官衣のスカートを強く握っている。
「怖いです……でも、私は知らないといけない。知った上で前に進みたいです」
その言葉と意思の籠もった瞳に、ガドが嬉しそうに笑顔を向けて、俺もにやりと笑った。
「上等だ。それでいい」
「ならばゆくか。ルクセリアの過去を乗り越えにな」
目的の部屋はそれほど離れてはいなかった。
二つほどルクセリアもどきが入っていたのは、最初の部屋ぐらいのようだ。
この部屋にある水槽に居たのは、胎児姿のものや、人間の形すらしていない者達だけだ。
恐らくは実験の失敗作と呼べるようなものばかりだが、それらが目に入る度にルクセリアは、痛ましそうな表情を浮かべて、一つ一つに聖印をきって、祈りを捧げる。
その度に足を止めるから、進みは遅かったが、俺達は何も言わないで共に黙祷だけ捧げる。
これらは全ての今のルクセリアを生み出す上で犠牲になった者達だとわかるからだ。
目的の部屋は通ってきた部屋よりも遥かに大きいものだった。
広さだけならば三倍以上、高さも二倍以上はある。
部屋の中には水槽が一つしか無かった。
天井まで届いている巨大な水槽とそこから無数の管が、のたうつワームのように四方八方に伸びている。
そして、水槽の中に浮いているたった一人の女性だ。
最高司祭を示すプラチナの刺繍が至るところに施された司祭服に胸の前に組まれた細く小さい手に、今にも目覚めそうに思うほど、精気に溢れた顔には満足そうに見える笑みを讃えている。
腰まで伸ばされた髪は水に少しだけ揺蕩いながら光を反射して銀色に輝いている。
しかし、彼女は決して目を覚ますことはないと断言できる。
浮かんでいる肉体は、数百年前の自分自身だからだ。
水槽の前で固まってしまい、身動きができずにいた。
あり得ない……
確か数百年前の大災害の時に身を挺して、災害を食い止めた。
司教の娘だった俺は恐らくその時に聖女に認定されたのだろう。
だが、その時に濁流に飲まれてしまったはずだ。教会がそれを見つけて何らかの方法で、今まで保存していたのだろう。
蘇生を信じてか。もしくは教会の権威付けと象徴の為かは知らないが、そういうことなんだろう。
「は、はははははっ……。クソッタレがっ!」
水槽を殴りつけた。拳から血飛沫が舞い、水槽の表面を伝って落ちてゆく。
つまりはルクセリアは、俺の昔の肉体に残った聖属性を利用されて作り出された概念聖女ってわけだ。
「どうかなさったんですか?」
突然の奇行に驚いたルクセリアが、水槽を殴りつけた俺の手を引き寄せる。
「なんでもない。すまないな……」
殴り付けた音に驚いたのか。少し離れた所に居たらしいアレクとエルが近寄ってきた。
「兄さんどうしたの!?」
「いや、なんでもない。クソッタレな事実に怒りが抑えきれなかった。驚かせてすまん」
「師匠……師匠なら向こうにある装置がわかる?」
エルが水槽から少しだけ離れている。金属製のボックスを指して聞いてきた。
そちらへと俺は向かうと、コンソールを操作すると、黒曜石のような板が伸びて、古代に使われていた神代文字と言うものが浮かび上がった。
昔の記憶を引き出しながら、解読して読み進めていく。
「なんて書かれてるの?」
エルが知的好奇心から聞いてくるが、肩を竦めて答えてやる。
「さっぱり読めん!」
期待を込めて見つめてきていた。エルとアレクが俺のあまりの言葉にずっこけた。
ルクセリアは顔を引き攣らせて、ガドも呆れたような顔をしている。
「期待しすぎだ。俺にもわからんことはあるさ」
抜けるように笑い声を上げると、みんなも釣られて笑い出した。
もちろん、嘘だ。全て読むことができている。
この施設の運用方法と、制御システムがつらつらと書き続けられていのだ。
大きな声で笑いながら、心では大きな溜め息をついていた。
ここか……ここが潮時ってやつか。
そこには諦観と寂寥感があった。過去に犯した自分の過ちだ。自分が尻を拭かずしてどうするのか。
さてこれからどうするかを考えながら、みんなの笑い声を寂しく思いながら聞いていた。




