十七話。古の禁忌と偽りの聖女
先手はガドの一撃から始まった。
怪我をさせまいとしてのことだろう。刃のあるそうではなく。戦斧の石突でルクセリアの鳩尾を的確に突く。
だが、その一撃はルクセリアの腕一本で止められた。
ルクセリアが握った戦斧を、虫でも払うかのように払った。
ガドは力負けを悟ったのか。戦斧をあえて手放して、戦斧ごと振り回される事を回避する。
そして少し体勢が崩れたところを、アレクはガドの巨体の影から飛び出して剣を振るった。
ルクセリアはその場を飛び退いて、回避してみせる。
どうみても今までのルクセリアの動きではない。
身体能力だけで見れば、獣人のガドよりも上に思えた。
「ヴァルザ・デル・スコル。さあ、時は来た。歌え歌え。因果導く乙女達、汝らの歌声を世界に響かせ! 彼の者に届けよ。セレン・バルゼズ」
戦いの音に混じって、エルの詠唱の声が聞こえる。腰の後ろに小さな手の温もりが伝わってくる。俺の方もやらないとな。
「スコル・デル・ヴァルザーク。我、聴き届けたり、清廉なる乙女の歌を、響け響け。空虚に満ちる風洞の穴。バルゼ・フォルン」
俺の声とエルの声が重なる。お互いに繋がり魔力を高め合ってゆく。
その間も戦闘は続いていた。人間のリミッターを外して襲ってくるルクセリアに、アレクとガドは攻めあぐねていた。
いくら、獣人を超える身体能力と言っても、所詮は身体能力だけだ。
戦闘センスや戦闘技術を専門としているガドやアレクの敵ではない。
本来ならばだ。ルクセリアが敵であるならばもう勝負はついてだろう。
しかし、ガドやアレクは殺さないように大きな怪我をさせないように戦っている。その配慮が二人の足枷になって動きを鈍らせているのだ。
「エル。次だっ!」
「はいっ! ガズ・デルトス・テラ・マナス。増やせ増えよ。時の砂。積もりて祖は山となり、天にも届く。テラリア・ノル」
エルから伝わってくる魔力が爆発的に増幅される。
温かいを通り越して、まるで焼きごてを押し当てられてるような熱を感じる。
それに応じて、体の奥底から体が破裂するような魔力が溢れ出して、精神体の器が軋むような痛みを発する。
「バゼドセル・ニル・グレブ」
呪を唱える口から火が出るようだ。吐く息が可視化されるまで高められた魔力で白く濁って空気に溶ける。
戦いは激しさを増して、アレクが投げ飛ばされて、地面を転がるが、起き上がり体勢を整えるのもそこそこに不安定な体勢でも床を蹴って、ルクセリアに向かう。
「繋げ繋げ。運命の鎖」
時間がゆっくりに感じる。自分が唱える声ですらどこか遠く間延びしていくようだ。
ガドが遅々とした時間の中で、怪我を負わせる覚悟を乗せた拳を、ルクセリアへと伸ばした。
ルクセリアはその拳を防ぐべく腕を突き出した。だが、その腕は殴られる事はなかった。
ガドは腕が突き出された瞬間に、間合いを更に詰める。
虚をついたガドは、拳を開きルクセリアの腕を手に取って、勢いを乗せた体で腕ごと相手の体を押し込むように投げ飛ばした。
「人と世を繋ぐ強固なる鋼」
俺の周囲からじゃらりじゃらりと鋼を擦り合わせる音がする。
可視化された魔法の鎖が俺とエルを包み込んむように二重三重に重なり、波打ちながら宙に浮いて踊っている。
ルクセリアが投げ技に受け身も取れずに地面で一度バウンドしてから着地する。
その体から微かに血が滲み、白い神官衣に赤いシミを作る。
しかし、ダメージらしいものはそれだけで、ルクセリアはしっかりとした足取りで立ち上がった。
その瞳が俺を捉えた。気付かれたと思ったが、もう遅い。術式はほぼ完成してあとは開放するのみだ。
「リルフェ・ニルレブ! 退けっ!」
俺は漸く完成した術式を開放させる。
古代王朝の時代にいた伝説の魔獣ですら、動きを封じ込めた上位上級魔法だ。
流石に今の体の魔力量では使えない代物だが、補助を貰えばなんとか使える。
俺達の体に纏わりついていた白銀色の鎖がルクセリアへと、鎌首をもたげた蛇が飛びかかるように宙を走る。
前後左右上下全方位から迫る鎖の攻撃からは、如何に身体能力の上がっている体でも躱すことなど不可能だ。
一本の鎖がルクセリアの体を巻き付くと、百に届こうかという数の鎖がルクセリアを、十重に二十重に巻き付いて、首から下は鎖の玉に固められてるようにも見える。
「やったっ!」
「やったね。兄さん」
エルとアレクは素直に喜びの声を上げて、ガドは安心したように大きく頷いてみせると安堵の溜息をついて、投げ飛ばされた戦斧を拾った。
俺も汗を額から拭う。体から大量の魔力が失われた疲れはあるが、画度もアレクも大きな怪我はなさそうで安心した。
「素晴らしいっ! 古代術式の上位魔法ですか。実に素晴らしい魔法です!」
不意に拍手の乾いた音と聞いたことのない男の声がさして広くない室内に反響した。
俺達は声の主を探して、視線を彷徨わせる。
俺達は衝撃的な出来事の連続で室内を見る余裕が無かったが、見回してみれば吹き抜けの天井に通路が渡されていた。
その通路の中ほどでこちらを睥睨するように、黒髪に司祭を示す金の聖刺繍が成された神官服を纏った初老の男が立っている。
「お褒めに預かり光栄だがな。どちらさんか伺ってもいいかい?」
俺達は油断なく構えて、偉そうに見下ろしてくる男に問い掛けた。
「これは失敬。私は聖光教会で司教をしているサイモン・サーブラウスと申すものです」
「それはそれは、司教猊下であらせましたか。それでこんな辺鄙な森まで散歩とは奇特なご趣味をお持ちですな」
大仰に胸に手を当てて、片足を引き、頭を下げてみせる。俺の心底がわかっているのだろう。サイモンと名乗った男はくつくつと嫌な含み笑いを漏らす。
「いやはや、諧謔味のあるお方だ。なに、ソレを迎えに来たのですよ。最悪、骸となったものを回収する羽目になると思っていたのですが、連れてきて頂いたようで感謝の言葉もない」
口元だけを三日月のように、ニイィィと粘つく様な笑みを浮かべる。
神官服を纏っている聖職者なのに、そこにいるのは悪魔と見紛うような醜悪な笑みだった。
「貴方様が首謀者って訳ですか」
「ああ、そうだとも! 素晴らしいだろう?」
顔には狂乱の笑顔を浮かべ、まるで誇るように両手を大きく広げる。
事実、誇っているのだろう。自身の研究結果を、誰にも理解不能な狂気の沙汰を、本気でこの男は誇りに感じているのだ。
「そうかい……てめえ……ルクセリアを作ったな!」
「ほう! どうやら君はわかっているようだねっ!」
サイモンの言う通り、俺は理解した。……否、わかっていたと言うべきだろう。
ルクセリアの身体を診た時から、大凡の検討がついていたし、シロクロの態度が物語っていた。
だが、認めたくなかったのだ。こんな災厄の施設がまだ残っている事を……
「ぶち殺すぞっ! クソ野郎っ!」
俺は言葉と同時に腕を一振りして、仕込みナイフを投擲する。
しかし、サイモンに届く前に、防御用の魔法で弾かれた。
金属同士がぶつかる様な軽い音を立てて、投擲された掌ほどの長さしかない投げナイフが、床へと落ちる。
「さて、勇者くんとそこの少女には残念だが、ここで研究素材となっていただこう。残りの二人は……ふむ。要らんな」
「その前にてめえが生きてられると思ってんのか?」
ピシリという軽い音が微かにしたような気がした。
「確かに私では勝てまいよ? なにせ単なる人の身だ」
また、ピシリピシリと音がする。それはすぐ近くから聞こえてきていた。
「だが、完成したこの者ならいかがかな?」
既に何かがひび割れていく音は聞こえなくなっていた。代わりに硬い物が床に堕ちる音が聞こえてきた。
俺は後ろを振り返ると、エルが口に手を当て驚愕を露わに見つめている。
有り得ないといいそうになった口で歯噛みする。
有り得ないではない現実に目の前にしているのだから、俺とエルが作り出した。『連環の鎖』が砕けて、質量を持った魔力の鎖が床へと破片を散らばらせては消えていく様があったのだ。
「さぁ、始め給え。聖女ルクセリア」
サイモンの嫌らしい声が第二ラウンドを告げる鐘となった。




