十五話。遺跡と奈落への道
遺跡周辺もまるでここだけが時間に置いていかれたかのように木の葉一つ積もってもいない。
森の中に建ってあるというのにだ。
まるでさっきまで誰かが掃除していたかのようにも感じる。
不気味ではあるのだが、休む場所としては綺麗に越したことはない。
俺達は魔の森の主と呼ばれるにギガンヨトゥンから辛うじて逃げ出すことができた。
世界樹の茨檻から抜け出したギガンヨトゥンは、暫く森を苛立たしげに合音を立てながら彷徨っていたが、俺達を見失ったのか。それともこの結界はそういう効果があるのか。夜明けと共に諦めて遠ざかっていってくれた。方角からして森の最深部に向かったのだろう。
この結界の効果は魔物避けか。もしくは不可視化はわからないが、有象無象の魔物たちですら気配を潜めて、襲ってくることはなかったから助かった。
「ここは何かの施設だったようだな」
「古代王朝時代の?」
「ああ、アレク達は本物を見るの初めてだろう。ここまで保存されている場所も珍しいが、古代王朝時代の建築様式だ」
「これが古代王朝……。師匠は見たことがあるの?」
自ら輝きを放っているようにも感じる白い壁を、エルは恐る恐る触れている。
「あるというか、お前たちも見たことがあると思うぞ」
「私もどこかで見たことがある気がするのですが……。どこで見たのでしょう?」
ルクセリアも不思議そうに小首を傾げながら、建物を見上げている。
恐らくはどこで見たのか思い出そうとしているのだろう。
「そりゃそうだ。俺達の最初の街にある。成人の儀を行う教会が、古代の建物を使っているからな」
「えっ? そうなの!?」
驚いた顔をしたアレクが、目を見開いて俺を見返してきた後で振り返って建物のあっちこっちを見つめている。
ガドは知っていたのだろう。対しての驚いてはいないが、他のメンバーはアレクと同様に、さっきまでとはまた違った目で建物を見つめていた。
「王都にある王城も古代の遺跡を拡張したものだし、帝国にある教皇庁の建物は奥の秘殿はそのまんま遺跡を使っているぞ」
まったりと話してはいるが、未だに遺跡内には一歩も踏み入れていない。
遺跡の外壁部分に固まって体を休めている。流石に今の体の状態で中にはいるのは無謀だ。
目立った傷こそ無いが、みんなの疲労はピークに達している。
少なくない食料なんかを入れた荷物も放り出さざる得なかった為に、水はなんとかなったが、食料もない。
これが何かの依頼であったなら、一度引き返してもう一度、準備をしたいところだが、そうもいかない。
「ルクセリア、大丈夫か?」
「はい。だ、大丈夫です。何も問題はありません」
嘘だとすぐにわかる。顔色は青く今も脂汗が額に滲んでいる。
一時的とはいえ、俺が離れて魔力供給が少なくなったせいだ。エルが居ればなんとかなると思ったが、あの気当りで気絶していたので、魔力が送れなかったのだろう。
俺としても顕在魔力の消費が激しい。逃げる際に身体強化を行ったせいもあるが、この結界の中が極端に魔力が薄いせいだ。
魔の森の中にあると言うのに、森の外よりも遥かに魔力量が少ないせいで、ルクセリアの魔力回復も俺の魔力回復も覚束ない。
「これ以上の休息は意味がなさそうだな。輪の指し示す方にさっさと行こう。そこにルクセリアを救う何かがあるはずだ」
皆もルクセリアの様子が気に掛かっていたのか。即座に頷いてくれる。
本当にルクセリアを救う何かがあるのかわからんが、他に手掛かりもなく救う手もない。
俺達は立ち上がると遺跡の中へと漸く進むのだった。
どれぐらい進んだのか。見た目よりも中はかなり広い。
ダンジョンのように入り組んでいるわけではなく。調べる部屋が多すぎるのだ。
だが、どの部屋を調べてもすべてもぬけの殻で、魔光灯の明かりだけが天井全体から降り注ぎ、がらんどうとした部屋の中を無機質に照らしていた。
「なにもないな。それに何もいない」
「ああ、期待外れも良い所だ」
輪が指し示すと言っても、本当にこの当たりであるとしか示してくれない。
ルクセリアの周りに浮かんでいた導きの輪は回収されている。
中に入ってからはどこも指し示さずに、体の周りをくるくると回るだけだったから、ここに間違いはないのだが、入ってみれば拍子抜けである。
だが、不思議なことに設備は完全に今も生きていた。
「どうしたもんか。ここで全ての部屋は見たはずだが、何もありゃしない」
「タクト……。ルクセリアだが……あと、どれぐらい持ちそうだ?」
ルクセリアは今はまた俺に背負われいる状態だが、遺跡に入ってからは症状は更に悪化して、今は背負われた状態で意識があるのかないのかわからないほどにぐったりとしている。
「わからん。少なくとも持って後一日持つかどうかだろう。俺もありったけの魔力を注ぎ込んじゃいるんだが、まるで底が抜けた樽のようにどこかに抜けてる感じがするんだよ」
「抜けている?」
「ああ、妙なことなんだがな」
「私の魔力も一緒。ルクセリアに注いでも全部吸い取られていく」
エルも俺と同様の意見のようだ。少しでも負担を減らそうと、エルも魔力を注いだのだが、注げば注いだ分だけ抜けていくので、今は止めさせていた。
「それはねえ。この施設がそういう場所だからさ」
部屋の出入り口から突然声が掛けられて、全員が振り返る。
そこにはあいも変わらず気配もクソもない。嫌な存在がいた。
「お前さんが来ているとはな。どうやって来たのかは聞かねぇぞ」
「それはざぁんねん。練りに練った苦労話でも聞かせようと思ってたのにね」
「百パーセント嘘だといってんじゃねえか。お前が来てるってことはここで合ってたみてえだな」
嫌そうな顔に心底嬉しそうな顔を浮かべて、シロクロは腰に手を当てて態とらしく溜息をついて見せた。
「予想以上に衰弱が激しいねえ。これは急いだほうが良いかもね」
俺が背負うルクセリアの様子をちらりとだけ見て、さっさと背を向けると遺跡の入口へと向かう。
「ここはなんなんだ?」
「ここはねえ。母胎なんだよ。母なる胎内だ。だから、ここの主ですらここにはよっては来れない。母は強しってね」
「意味がわからねえよ。はっきりと言え!」
「言って聞かされるより、自分たちの目で確かめた方がいいんじゃないかなあ?」
シロクロは遺跡の入口を抜けて、外に出ると建物の裏手へと足早に向かう。
そして、遺跡の入り口の真反対へとたどり着くと、地面の石畳を一撃で踏み抜く。
そこには人間二人が並んで入れる程度の地下への階段が現れた。
「表の入口は囮だよ。この建物自体は警備所も兼ねた宿舎みたいなもんでねえ。本当に隠したいものは地下にある」
それだけを言うと、シロクロは顎で指し示した。
「お前は来ないのかよ?」
「僕はねえ。もう見たくないものだから、君達だけで行くといいよ」
そう言ったシロクロの顔には、いつものにやけた顔はなく明らかな侮蔑の色を含んだ視線を地下へと向けていた。
「この先には何があるんですか?」
後ろを黙ってついてきていたアレクが、地下への階段を前に、シロクロに問いかける。
「行けばわかるよ。そして行けば勇者くんは地獄を見ることになるだろうね」
「地獄を……?」
アレクは怪訝な表情を浮かべて聞き返すが、シロクロは嫌らしい笑みを顔に貼り付けると、くつくつと含み笑いを漏らしながら、宙に飛び上がると、風が吹く中に一瞬で風景の中へと溶け消えた。
残されたのはルクセリアの辛そうな荒い息遣いと地の底にまで続いていそうな空虚な地下道への入口だけだった。




