十三話。禁足地の魔の森の王
暗闇の中で焚き木がぱちりと爆ぜて火の粉を散らした。
十人程度が車座になれば、溢れてしまいそうな程度の空間を野営場所へと選んだ。
一つはアラクネという上半身は裸の女で下半身蜘蛛という魔物から取れる糸を張り巡らせやすいことと、ルクセリアが使う魔術では、これぐらいの大きさで張るのが最低強度になるからだ。
これよりも大きく張ってしまうと綻びが生まれてしまう為に、魔術に慣れるまでは限界値が低い。
また、ぱちりと焚き木が跳ねて、大きめの塊が宙を舞う。
それを器用に手に持った枝で叩いて火の中へと戻す。
「器用ですね」
みんなが寝ている方から、そっと囁くように声がかけられた。
「なに、ある程度はこの稼業やってると野営もざらだ。夜長の手慰みで覚えるもんさ」
手に持つ太めの生木で、焚き火の中で炭になった焚き木を崩して、新しい焚き木を放り込む。
火の粉が火の勢いに煽られて、空へと舞ってゆく。その火の粉を阻むように、昼間にルクセリアが編んでいたうさぎの茨が宙に浮いていた。
月は既に中天に差し掛かっている頃だろうが、ここでは生い茂った枝葉で、月はもちろん空すら見えやしない。
「どうした。眠れないのか?」
「あ、いえ。そういうわけではないのですが……。私だけ見張りから外されているものですから……」
「気にするこっちゃねえよ。体が普通なら見張りも手伝ってもらうがな」
ルクセリアは俺の横へと腰を降ろして、俺と同じように焚き火を見つめる。
「足手まとい……でしょうか?」
少し顔を伏せて、遠慮がちに聞いてくるのに、対していつもと同じ調子に答える。
「そうだな」
「随分正直に答えられるのですね」
「それが今の現実だからな。慰めに嘘を言っても、そんなものがお前さんの慰めになるのか」
「以前の私だったら顔を真っ赤にして怒っていたのでしょうね」
それだけを言うと焚き火を見つめながら自嘲気味に笑っていた。
ルクセリアの頭をポンポンっと叩くように撫でる。
「お前さんは良く頑張ってるよ。足りねえ時は仲間を頼ればいい」
「なかま……ですか……」
俺の言葉に少しだけ肩をぴくりと反応させた。
「どうした?」
「私は本当に皆さんの仲間なのでしょうか?」
自虐めいた言葉に、頭に置いた手を膝へと戻した。
炎を見つめる横顔は、涙こそ流れていないとはいえ、泣いている幼子のようだ。
「それは……」
「わかっているんです。皆さんは私を以前と同じように……。ううん、以前よりも仲間らしく扱ってくださっていることが……。でも、私は私がわからないんです」
ゆっくりとかぶりを振って、視線を火に落とした。金色の髪が空中に広がり、焚き火の光を反射してきらきらと輝いて肩へと落ちてゆく。
俺は返す言葉が見つからずに、ただ焚き火の灯りだけではない朱に顔を染めたルクセリアを見つめる。
「聞いていただけますか?」
「……ああ。いいとも」
ルクセリアは火を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私に両親はいません……。いえ、いるのかもしれませんが、記憶がないのです」
「……記憶がない?」
聞き返された言葉に、ルクセリアは小さくうなずいて返した。
「はい。私は最初に目を覚ましたのは、ある修道院のベッドの上でした。それより以前の私は一体誰なのか? 何処で何をしていてたのか。何も覚えていないんです」
「そうだったのか。じゃあ、その名前も?」
「その時に拾って世話をしてくださった。祭司様から名前がないのも不便だろうと……」
「初めて……聞いたな」
俺は少しだけ生えている無精髭を一撫ですると、ルクセリアとの出会いからを思い出していた。
アレクとの面会の時が初めての出会いだったが、そんな素振りが見えた覚えはない。
「修道院で目覚めたのはどれぐらい前のことだ」
「……六年前程のことでしょうか?」
六年前、か。魔王の復活がそれぐらいだったはずだ。
妙な符合の一致に胸が騒ぐ。
「変なことを聞くぞ? その時には聖属性の光は見えていたのか?」
「はい。いえ……、何となく自分の中にあるといった感じでしょうか? はっきりと見えたのは勇者様、アレクさんが初めてです」
ん? 妙なおかしさを感じて首を捻った。
「ルクセリアは都市の時に、俺に対して言ってたよな?」
「あ、あの時は本当に申し訳な……」
俺は手を上げて、ルクセリアに突き出すようにして言葉を止めさせる。
「いや別に責めている訳じゃねえ。あの時の言葉を覚えているか?」
「えっと……興奮して口汚く罵った事ぐらいしか……」
「そうか……あの時のお前さんは聖属性の光が“昔”から見えていると言っていたんだ」
「私がそんな事をっ!?」
あの時に、ルクセリアが倒れる前に確かに言っていた。もしかしたらアレクと出会った時の事を昔と称したのかもしれんが、それにしてもそんなふうには感じなかった。
「もしかしたら、ルクセリアの……」
「どうしたんで」
「しっ! 静かにっ!」
微かな違和感を覚えて、ルクセリアを黙らせる。空気中の魔力が微かに震えた気がしたのだ。
周囲の魔力の動きを感知しているとさざなみのような揺らぎが確かにあり、勘違いなどではない事がわかる。
「ルクセリア、みなを起こせ。静かにだ……」
緊張した俺の声に、ルクセリアか小さく頷いて、静かにみんながいる方に歩いてゆく。
僅かな時間で皆が雑魚寝をしているとこから、人が起き出してくる気配がした。
「敵か?」
微かな獣臭に混じって、ガドの低い声が鼓膜をくすぐる。
それに対して、微かに首を振って答えた。
「……わからん……。だが、妙だ。魔力が震えたのにいる気配がない」
「見えない相手か?」
「いや、そうじゃないと思う。最悪の可能性も考える必要があるのかもしれん」
俺とガドのやり取りに聞き耳をたてていた他の仲間がツバを飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
ジッと事態が動くのを待つ。そしてまた魔力が波立つように揺らめいた。
だが、今度は地面も地響きのように、微妙に揺れたのでわかった。
気配がないんじゃなく。気配が遠すぎて感じられなかっただけなのだ。
「ガド! 火を消してくれ。みんなも今のうちに目を闇に慣らせろ」
木々の合間を赤い光が、遥か遠くに見えた。それと同時に、遠く雷のような音が聞こえてきた。
俺達はそれが雷などという自然現象などではない事を瞬時に理解する。
それが樹齢何百年の巨木が、それよりも遥かに大きい巨体によって圧し折られ、引き裂かれる音だとわかった。遠目とはいえ倒れていく巨木があったのだ。
「デカいな」
流石のガドも遠くに見えるその威容に緊張の面持ちで、見つめ続ける。
「あれは……恐らくだが『ギガンヨトゥン』って呼ばれてる魔の森の主だ……」
「あれがっ!?」
俺は絞り出すような声で、それだけしか答えることしかできなかった。ガドも小声で驚愕を露わにする。
魔の森の主『ギガンヨトゥン』は、吟遊詩人の歌にも伝承にもなっている。
身の丈ならば森の中でも一番高い木よりも尚高く。間近に入れば見上げても足りないだろう。
四本の太い脚を持ち、頭は低い位置にある。
それは遥かに遠くから見えるその姿は、シルエットだけならば巨大な亀にも見えた。
だが、その背中に背負っているのは甲羅というよりも小さめの岩山のようだ。
『仰ぎ見よ。あれはこの世界の強者。龍超える強者。一目に収めること能わぬその巨体。天突く頂は雲より高く。四肢を踏み締め魔の森あるく。地に落とされた異形の仔に出会ってはならぬ。出会いは全ての滅びが待っている。国殺しの忌まわしき滅びの仔』
吟遊詩人にこう歌われ、各地に伝承が残る大陸でも有名な魔獣だ。
初めての発見したのは伝説の探検家だった。魔の森への調査隊に協力し、魔の森の調査に随行した際に発見されたという。
ただし、その時は生きて帰ったのは片腕を失ったその探検家だけだったという。
国は即座に救出隊兼討伐隊に軍を上げて行われた。
その結果、起きたのが三百年前の魔の森の暴走だ。
軍は一人足りとも帰ってこず、兵を送った国もその隣国も、さらにその隣国も魔物達に蹂躪されてしまった。
魔の森のさらに深層への立ち入りが各国で禁止されたのは、それからのことだ。
「アレク。どうする?」
「えっ?」
「おい。タクト!」
小さいながらもガドから鋭い叱責の声が飛んでくる。
「僕が決めるんですか……?」
不安そうに揺れる瞳で見上げるアレクを、正面から受け止める。
「そうだ。言ったはずだ。森に入った時に指示はお前が出せと、今でも変わらん。ピンチだからといって、それを撤回することはない」
「タクト。アレクには流石に荷が重かろう」
「だめだ。ここに向かうと決めたのはアレクなら、指示を出すのもアレクと決めたはずだ。少しばかり危機だからといって変えることはできん。アレクが投げ出すならば話は別だが……」
どうする? という問いかけを瞳に込めてアレクを見つめる。
ギガンヨトゥンに対しての知識がないのはここにいる全員が一緒だ。
誰が指示を下しても正解などない問題なのだ。だからこそ、ここでアレクに決断させる。
「……ガドさん。あれを倒す事はできると思いますか?」
「無理だな。三百年前の大陸でも一、二を争う帝国の兵士二万を殺し尽くした相手だ」
「さっきから見ていたけど、ゆっくりとしか動いていない。多分、僕達を襲う意図は無くただ通り掛かっただけだと思います」
アレクは少し不安げながら、自身の考え方が間違っていないことを確認するように周囲を見回す。俺とガドは小さく頷き、残りの二人は真剣な眼差しでアレクを見つめている。
「けれども、あのサイズですから近くにいるだけで危険だと思います。ですので、移動しましょう。エルさんはみんなに暗視の魔法を」
エルは言われるの同時に、暗視の魔法を詠唱する。
「兄さんにはルクセリアさんを背負ってもらって、ガドさんを先頭に次に兄さんとルクセリアさん。エルさんはその後ろに、殿は僕がします」
「ああ、いい判断だ。どっちへ向かうんだ?」
「それは……とりあえずはギガンヨトゥンから離れる方向で行きましょう。安全になってから再度目指したほうがいいと思います」
俺はアレクの的確な判断に満足気に頷くと、ルクセリアに背を貸して立ち上がった。
危険な魔の森の中でも、もっとも危険な夜中の鬼ごっこが始まった瞬間だった。




