第一部「47日目」
目を閉じれば闇の淵から微かな記憶の破片が浮かび上がる。
しばらくすると自律的な行動が許されない自分だけの空間が目の前に現れ、これが夢の中だと気付くまで数秒...、もしかしたら
数時間かもしれない。
この世界では現実世界の時間は通用しない、この幻のような空間の時計は都合よく針を回している。
数えられないぐらい見た光景。
青く彩った草原、黄色いたんぽぽの花と真っ白なワタが地平線の向こう側まで繰り広がる、その果には翡翠色の森に包まれた山が見える。
空のド真ん中の太陽は優しい光を照らし続け、春匂いの追い風はいたずらのように俺の茶色い髪の毛をこっそりと翻す。
芝生の上に横になって空を見上げている俺は、この世界の意思に反してみようと何度か立ち上がることを試してみる。
しかし、この空間から抜け出すことは出来ない、いつものように記憶の物語が始まることを待ちわびるしかない。
"おにいちゃん!"とほど遠い場所から俺を呼びかける、聞き慣れた声が聞こえてくる。この声はきっとユリアだ、俺の愛しい妹、ユリア。
俺は声が聞こえてくる場所を探そうと立ち上がって振り向かった。
天まで届きそうな大きい針葉樹の丘。
昔から俺の町の神様と呼ばれる木の丘。
丘の上、藤色のカーディガン、蜜柑色に似たワンピース、黄色い髪の毛に赤いリボンをした女の子が笑顔で手を振っていた。
俺が"ユリア"と返事して、ユリアに向かって歩き出すと、ユリアはその小さな足で楽しげに下り丘を走り出した。
山の向こう側から轟音が聞こえてくる。
雲一つない、限りなく高くて蒼い空。太陽の向こう側から戦闘機編隊が綿菓子のような白い足跡を残して過ぎ去っていく。
俺は「戦争になるわけないよな」と視線を戦闘機編隊からユリアに移す。
ユリアがたんぽぽの花を踏んで突然滑り出す。
俺はユリアが怪我をしたのではないかと心配しながら急いでを起ち上げ、軽く叩いて服についた芝生を落とした。
"ユリア、大丈夫か?"
"へへへ、ころんじゃった。でも大丈夫だよ!"
"ユリアがきてくれたのは嬉しいけど、気をつけなくて怪我したら俺は悲しくなるよ?"
"ごめんんん! これからきをつけるからかなしまないで"
俺を見上げているユリアはすぐにでも泣き出しそうな顔をして俺の袖を強く捕まった
俺はひざまずいて笑顔でユリアを抱きしめる。
ユリアが"あ、お母さんが昼ご飯食べるからおにいちゃんつれてきてって!と明るい顔で話した。
俺は"もうそんな時間か"と腕時計をちらっと見る。
俺がユリアの手をぎゅっと握って動き出したら、ユリアは俺から離れないようにもっとぎゅっと俺の手を握って微笑んでくれた。
軍服の隅々に初春の冷たい風が肌を針で刺すような痛みを与えてくると、俺は半強制的に現実世界で目覚める。
虚しさに溢れている灰色の壁、壁の亀裂から光が溢れ、静寂に満ちたこの部屋に温もりを与えてくれる。
俺は「今日で47日目か」と思いながら、ジャケットの内ポケットからセピア色に変わった赤い手帳を取り出した。
赤い手帳には1日目から昨日までの日記が書かれている。
俺は46日目の日記の次のページを開いて、上段に青いペンで47日目の日記と書き込んだ。
そしてズボンのポケットからグシャグシャになったチョコレートの包装紙を出して匂いをかいて、「今日は何か食べるものを見つけるといいね」と肋骨が丸見えるお腹を触りながら包装紙をポケットに戻した。
一人越されて数日間は俺も仲間と一緒に死んだ方がよかったのではないかと自殺を真剣に考えたこともあったけど、俺に自分命を落すような勇気はなかった。
いや、その前に俺は人の命を救う者なのに死ぬ方法を考えてるってことが矛盾している。
つい最近までこの手で人を救ったけど、今はこの手で人を殺している。
俺は「もう医者でもないし」と床から立ち上がって、軽く右肩を揉んで、スナイパーライフルを背中にかけた。
とにかく生きているから生きる意味を作るしかない、何の目標もないまま生きていくって存在意味なんてないだろう。
俺は「生きる意味は...」と考えながら、ジャケットのポケットに手を突っ込んで仲間たちのドックタグを弄った。
「生きる意味はこれを渡すためってことにしとくか」と部屋から出る。
俺は"今日は広場に食べ物を探しにいってみるか"と独り言をいいながら足を運んだ。
永遠に続きそうな廃墟街を歩いてるとイノシシたちが死体を食べている姿をしばしば見かける。
「あいつらは毎日がエサを探す旅だろう」と自分は50日近く何をやってきたか記憶を蘇らせてみた。
あいにく俺はイノシシとたいして変わらない毎日を送ってきた。
「毎日がエサを探す旅だ。イノシシと俺の違うところはベテランハンタか、素人かってこと」
俺はイノシシのひづめや牙のような立派な武器を持っていない。
今になって人間の弱さを感じる。
この廃墟街で俺は食物連鎖の末端ってことを認めざるを得ない。
「素人の俺はこの銃に頼るしか」
俺はベルトについてる小さな弾丸袋の中の数少ない丸を心の中で一つずつ数え始めた。
時間の流れを忘れて色々考えながら歩いてると。ー灰色の街に囲まれた広場が目の前に現れる。
砕かれて噴水、いや、もはや噴水ではない。水が漏れる奇妙な形の造形物。焼け残った死体を食ってるカラスたち。地面の所々に窪んだ穴、何かの破片...、
俺は広場の悲惨な風景を見ながら「こんなところでよく生き残ったな」と呟いた。
広場の入り口に立つと何よりも路側帯前のバルーンショップが目立つ。ピンク色の看板にこの場所にあったてはならないもののような乖離を感じる。
俺は「俺の田舎街にはこんなのなかったな。ユリアに次の誕生日に100個のバルーンをプレゼントするっていったけど守れなかったな」と忘れてもおかしくない程昔の約束を今更思い出した。
バルーンショップの角を回って路地裏に入るとこの前来た時には見た覚えのない数人の腐敗してない死体があった。切り落とされてあっちこっちに散らばった身体の一部が肉の塊にしか見えない。
俺はこんな風景を目の前にして微動すらしない自分に「慣れるって怖いもんだ」とけろっと死体に近づいた。
死体の軍服の袖に刺繍された赤いオオカミ、これはビエトス連邦のレッドウルフだ。
レッドウルフは連邦軍所属ではなく、情報部所属だと聞いたけど、こんな廃墟街まできて何をしようとしたのか。
最近よく見かけるけど、この廃墟街にレッドウルフの気を引くような何かがあるのかもしれない。
連邦情報部が探しているものについてじっくり考えてみたら、この前レッドウルフの会話を覗いた時を思い出す。
シュレイク町の地下のどこかに古代都市跡があって、そこには戦争を終わらせる何かがあるという話。
でもその何かは連邦にとって戦争が不利になるものだから共和国が探し出す前に破壊しないといけないとか。
"そんなものがあったら戦争が10年も続くわけがない"と頷いた。
「とりあえず何か食べないと死にそうだからそんな話はどうでもいい」と足元にある女性の死体のポケットを探り出した。
一発目からチョコレートや飴のような贅沢な食べ物が数個もでてきて、俺は「いつぶりの甘いものだ」といそいそ口に入れ込んだ。
「今日は運がいい、運がいい時に食糧を備蓄しておかないと後に痛い目にあう」と残りの食べ物をリュックの中に詰める。ポケットからたまに家族写真や恋人写真が出てくるけどこれらは触らないようにする。
他の死体からもお菓子や缶詰などの今まで手に入れたことない珍しい食べ物が出てくる。そろそろ戻るかと最後の死体を探ってると、ポケットの中から食べ物の形ではない何かを取り出した。
「これは...」
数本の指が入ってる半透明の袋。
食糧調達が難しい時には塩つけた死体の指を食糧として使うという話をいつかきいたことがある。
俺は「これを食べる日が来ないことを祈るけど、腹減って死にそうな時にはこれも美味しく見えるんだろうな」といっぱいになったリュックの中にむりやり入れてその場を離れようとした。
バルーンショップの角を曲がったら広場を探っている二人の男性が見えてきて俺は素早くうつ伏せになって広場を眺めた。
「あの軍服はビエトス連邦軍の偵察隊か、二人なら無視しても良さそう」と俺は安堵のため息をついて壁の裏に屈む。
早く戻ってくれないかなとちらっと二人を見てると、一人が俺の気配を感じたのか、もう一人に俺がいる所を指差して低い姿勢で動き出した。
撃ち合いだけは避けたかった俺は「お前らに恨みはないが、二人を同時に相手する自信なんてないし死んでもらうか」とスナイパーライフルに金色の細長い弾丸を装填し、チリで汚れたスコープを手袋で拭き上げ広場を再び眺めた。
いつのまにか一人が姿を消して俺の視野からいなくなる。「ちくしょ、見逃したのか。裏からくるとまずい。逃げるしかない」と立とうとする瞬間、二回の銃声が連続して街中に響いた。
「防衛軍は壊滅して味方なんていないはずだけど誰が連邦軍を狙撃したんだ」とスコープで広場を見回す。
撃たれた兵士の頭は貫かれ、ズタズタになった豆腐のように脳が流れ出る。
肉片と骨の破片は四方に散らかられ、頭から飛び出た目玉は転がり続け、マンホールの蓋の上にとまった。
俺は兵士の死に様を見て「死んだのか」と水筒を出して水を飲んでると間近な場所からカチッという音が聞こえてきた。
「これはまずい」と思いながらゆっくり水筒とスナイパーライフルを地面に置いて両手をあげたまま振り向いた。