腹黒サンタとマジもんサンタの違い
◆今回の登場人物
【従業員】店長、バイトちゃん(臨時)、バイト君(臨時)
【常連客】パラメンマン
【要注意客】ネイビー君
【脳内彼氏】サンタなあの御方
「思ってたより暇になっちゃったね、夜は」
「そうですね。ケーキの予約も、今日の分の受け渡しは全部終わったみたいですし」
「退勤までまだ時間あるけど、今日はもう上がっていいよ」
「えっ!いいんですか!?」
「いいのいいの。クリスマスで混むかもしれないからって早めに来てもらってたし、今のうちに退勤すればいつもと同じくらいの勤務時間でしょ」
「ありがとうございますっ!」
クリスマスで増員した臨時バイトが一通り帰って、ものの10分もしないうちに早退させてくれるという店長の厚意に、私は素直に喜んでみせた。
「ずいぶん嬉しそうね。この後どこか出かけるの?」
「いえ、まっすぐ帰って積みゲーに手を付けようかと」
「え、家でゲームするってこと?」
「ええ、まあ…」
「あー……そうなの」
…いいんです、店長。そこまで気を遣っていただかなくても、趣味に割ける時間がほんの少し増えたことが、私にとって何より幸せなのですから。
これ以上は何も言うまいと決めた私に向かって、店長は無言で手をこまねいて、私をレジの前からデザート売り場の前へ連れ出す。
退勤前に買って帰ろうとある程度の目星を付けていた、クリスマス限定の華やかなスイーツがずらりと並んだ棚を指差して、優しい店長はこう仰いました。
「どれでも好きなの、買ってあげるよ」
店長……自分、涙いいっすか。
* * *
どうせサンタにも恋人にも縁のない三十路女は、イブもクリスマスも仕事してた方が気楽なのよ。
強めの毒を内心で堪えて作っていた愛想笑いを解いて、私は「こんな日も仕事なんて大変ね、若いのに」と言い残した厚化粧ババアの背中を見送った。
いちいち癇に障ることばかり言いたがるババアに苛立ったって仕方ないし、そんなの気にしてられない。注文したケーキを受け取りに来るお客さんと、店売り分のケーキを買い求めに来るお客さんで、こんな片田舎のコンビニとはいえクリスマスシーズンは忙しいんだから。
ま、どうやらピークは予想より早めに過ぎたみたいだし、フライヤーも一通り揃えてあるし、少しゆっくり出来そうかな。臨時バイトの学生さん達ももうすぐ上がる時間だし、退勤までレジを任せて、私は売り場の商品整理でも――
(……あら、珍しい子が来た)
売り場を見渡してふと目についたのは、見覚えのある若い男の子だった。以前、アイコスやらグローやらの件で私を翻弄した、ネイビー君だ。
実はその件以来、彼はほとんど姿を見せなくなっていた。来たのに私が気付いていないか、私のシフト外の時に来てるかも知れないけど。
ともあれ、これはチャンスだ。かつての報復を密かに企む私は、何食わぬ顔でネイビー君の方へすたすたと歩く。
近付いてきた私に気付いて、油断しきった顔でネイビー君がこちらを見る。
(よーし……喰らうがいいわっ!)
すれ違いざまの――天使の笑顔ッ!
「いらっしゃいませーっ」
「えっ、あっ、ど……どもっ」
……ふむ。動揺して顔赤くしちゃうなんて、なかなか可愛い反応するじゃないの。やはりこれはもしかすると……もしかする?
そんなことは、さておくことにしましょう。ちょっとしたジョークよ、こんなのは。
日曜でイブだというのに、一人でコンビニ弁当選んでる若い子なんて、からかいたくなるに決まってるじゃない。意地悪なお姉さんでごめんね。
さっさと本来の目的に頭を切り換えた私は、点々と隙間が空いてしまったデザート売り場の整理を始める。ショートケーキやらカップデザートやら、整頓は手早く済ませないとすぐにまたお客さんがここに来てしまう。
なんて考えているうちに、仲睦まじいカップルが一組やってきて、私は自然な動作でその場を離れた。楽しげに選んでる男女の光景からは習性的に目を逸らしたくなるもので、次にどこの商品整理をしようかと目配せしているうちに、また一人見覚えのある客の姿を捉える。
(おっと、あのお兄さんは煙草用意しなきゃだな)
足早にレジに戻り、ずらりと煙草が並んだ陳列棚の前に立つ。私は迷わずパーラメントに手を伸ばし、少し考えてから、それを二つ取り出した。
パーラメントを好む彼のことを、私はパラメンマンと名付けた。なんとなく語呂が良くて名前は割と気に入ってるけど、常連さんの中でも会話を交わしたりする方ではないし、そこまで親しくはない。姿を見かけただけで、その人の煙草を瞬時に用意するのは、ただの店員としての必須スキルに過ぎないし。
にしてもあの格好、仕事帰りなんだろうな。土建業に従事しているらしいいつものツナギ姿でレジにやってくる彼を、私は軽く同情の目で待ち受けた。日曜もお仕事とは、ご苦労様です。お互いに。
「お二つですか?」
「あっ、いや、今日はひと……ああいやっ、二つもらいますっ」
あら。買うのは一つだけの予定だったみたい。余計に買わせちゃって、悪いことしたかしら。その日によって買う煙草が一つだったり二つだったりするパラメンマンのパターンは、いまいち掴めないのよね。
まあいいや。お詫びがてら、ついでに君にも――天使の笑ー顔っ。
「ありがとうございまーすっ」
……あらら。いつも以上に動揺しちゃって。毎度のことながら、何なんだろうこの反応は。
ともあれ買ってくれるそうなので、レジを打ってくれている学生バイトちゃんの頑張りを見守りつつ、横で私は煙草と他の商品の袋詰めをする。無事に会計が済んで袋を受け取り、一回り歳の離れた女子二人の「ありがとうございましたー」の合唱をもらったパラメンマンは、動揺したまま店を出て行った。
「……わかりやすいですね、あのお客さん」
「……そうかしら」
バイトちゃんが何を言いたいのかはなんとなくわかったけれど、ネイビー君と同様、あまり深く考えないことにした。
(よもやま妄想でどれだけ浮かれようが、どうせ今日は夜の楽しみもないし…)
そう。日曜が休みの職場に勤めている『あの人』は、今日は来ない。
日曜に夜までのフルタイムシフトを任されることなんて滅多にないけど、残酷にもクリスマスシーズンだからという理由で、独り身は遠慮なく駆り出されるのよ。
会えたら最高な気分になれる日に、確実に会えないことが最初から決まっている。
密かに常連さんをからかってふざけ倒していた私は、そんな憂鬱を紛らわせたかったのだ。
「さ、ちょうどいい時間だね。二人とも、今日は本当にお疲れ様でした」
物憂げになりそうなのを抑えて、しっかり者のバイトのお姉さんモードに切り替えた私は、レジ番をしてくれた学生バイト達を笑顔で労う。自然と声を揃えて「お疲れ様でしたー」と返した少年少女は、一仕事を終えた爽やかな表情でそれぞれ事務所に戻っていった。
あーもう、こんな日にバイトで一緒になったいい機会なんだから、そのまま付き合っちゃいなさい。そんな無茶苦茶なお節介を内心で呟きながら、一人になった私はとりあえず商品の発注でもしようかと、脇に設置してある端末を手にしてレジに立つ。
本当は売り場に出て在庫を確認しながらやりたかったけど、駐車場に一台車がやってくるのを見かけたから、なんとなく諦めた。もし煙草だけ買いに来るお客さんだったら、すぐレジに戻らなきゃだからね。作業効率優先。
もっともらしいことを考えながら、実は単に無駄な移動が面倒なだけの私は、入店音にタイミング良く「いらっしゃいませえ」と気の抜けた挨拶を返して、何の気なしに入口を見やる。
(…………え)
現れたのは、いつものツナギ姿の『あの人』だった。
(うえええええっ!?ちょっと待ってちょっと待ってっ!なんでっ!?日曜日なのに!)
レジ内で動揺しまくる私に少しも目もくれず、ツナメさんはいつも通りレジ横の煙草を取って、ドリンクの売り場にすたすたと向かう。
どういうこと?ツナメさんの会社は、普通に土日休みだったはず。同じ会社の人は今日来てないし、そこの社長は来たけど私服だったわ。注文したケーキ受け取りに来たもの。どうして、しかもよりによってまさかのツナメさんが、仕事の格好で来るなんて。
ともあれ、予想外の僥倖に感謝するべきね。欲を言うと私服姿を拝みたかったけど、贅沢は言ってられない。自然と顔をほころばせる私のレジへ、ツナメさんは煙草といつものエナジードリンクを持ってやってきた。
商品をスキャンしながら、私は意を決してツナメさんに話し掛けてみた。
「あの、今日も、お仕事だったんですか?」
我ながらなんつー震え声してんだ。動揺しすぎ。
問いかけられたツナメさんは、そんな私を特に怪しむことなく、平然と答える。
「いえ、夜勤なんすよ」
「夜勤?あ、じゃあ、これから仕事に?」
「そうなんです」
「あー、なるほど。大変ですね」
ほう。夜勤なんてあったのか。それは知らなかった。つまり日曜の夜から出勤だけど、シフト上は月曜勤務扱い、ってことかしら。
そしてその事実を知ったおかげで、日頃の疑問が一つ解けた。彼がエナジードリンクをよく買う理由だ。精をつけるためのドリンクを何故仕事帰りに買うのだろうかと、密かに疑問に思っていたけれど、つまりそれを買う日は夜勤仕事に備えて買っていたわけか。
絶対に来ないと思っていたツナメさんに会えて、話も出来て、新事実まで知ることが出来た。
一転していいクリスマスイブになったなと、感慨深く思う私のことを見透かしたかのように、彼は返してきた。
「こんな日だろうと仕事で大変なのは、お互い様っすね」
溜め息混じりに言いながら、ツナメさんは苦笑いをしてみせる。そして話している間に会計が済んで、彼はいつも通りクールに去っていった。
ぼーっとそれを見送っていた私は、彼の姿が見えなくなってから、その場にしゃがみ込む。
(かっ…………かなわないわ、あの人には)
すっかり緩みきった顔を両手で懸命に戻しながら、私は自分の素行を反省した。
バレンタインの義理チョコ感覚で、悪戯にうら若き青年達にささやかな笑顔のプレゼントを贈ってやろうだなんて、なんて愚かな行いで満足してしまっていたんだろう。
義理でも本命でもない、ましてや喜ばせる気なんて微塵もない社交辞令なツナメさんの愛想笑いで、こんなにも舞い上がってしまうというのに。
「……何してんすか」
遥か頭上からバイト君に声を掛けられ、売り場からレジ内を覗き込んでいた二人と目が合う。帰り支度を済ませて、私に一声掛けに来たのだろう。
レジの陰にしゃがみ込んでいた私を不審がる二人を見据えて、私はすっくと立ち上がってにっこりと笑いかけた。
「なんでもない。ちょっと気合い入れ直してただけ」
「気合い、ですか」
「そ。クリスマスだろうと日曜だろうと、お姉さんはお仕事頑張りますよ」
だからあんたたちも頑張りなさいな。そんなお節介まではさすがに口にしないことにして、代わりにそう意気込んでみせる。
独り身の腹黒いサンタだけど、クリスマスの夜のお勤めはしっかり頑張れそうですよ。
本物のサンタさんから、素敵なプレゼントをもらえたんだもの。いい子なんかじゃないのに。
いい子にしてないと、サンタさんは来てくれません。でも逆に、いい子にしてなくてサンタさんに遭遇してしまうと、この次も会えるようにいい子にしてないと、なんて自然と己を律するようになるものなのです。