後ろの正面ご本人様
◆今回の登場人物
【従業員】店長、テンパリババア
【常連客】スマイリー運ちゃん
【脳内彼氏】ツナメさん
いいのかい、奥さん。店内にお客さんがいないからと油断しきって、呑気にレジ前で井戸端会議なんてしちゃってさ。無防備な背中がガラ空きだぜえ?
極寒の店先でゴミを片付けてきた私の手は、犯罪的なほどキンッキンに冷えてやがる。私が戻ってきた入店音にすら気付かないほど、夢中でテンパリさんとお喋りをしている店長にロックオンした私は、振り向くなよ絶対に振り向くなよと念を送りながら慎重に二人ににじり寄る。
お覚悟はよろしいか、店長。今こそ日頃の冷え冷えお手々ドッキリの餌食となっているこの恨みを――
「あら、私ちゃん。外寒かったでしょー。ここあったかいから、手つっこむといいよー」
店長を狙っていた私がバッチリ見えていたテンパリさんが声を上げて、やはり私に気づいていなかったらしい店長がこちらを振り向く。かじかんだ両手をわきわきさせていた私は、咄嗟に手揉みに切り替えて寒さを体現してみせた。
「いやー、めっちゃ寒かったっす。ホット飲料の前、あったかそうですね」
「そうなのよー。これからウォークイン行ってドリンク出してくる前にさ、体あっためておこうと思って。そんなことより、ちょっと聞いてくれる?テンパリさんったらさあ」
「もー、何言ってんのよ店長ー」
ごくごく自然な流れで奥様方の世間話に付き合わされ、私はせっかく冷やしておいた手をホット飲料の陳列棚に突っ込んで温めながら、ぬるーい愛想笑いでそれを聞いていた。
てめえは「しむらうしろー!」で育った世代だろうが、と空気の読めないババアに毒づきながら。
* * *
「お疲れ様です、先生!」
間延びした「いらっしゃいませー」に返事が返ってくると思っていなかった私は、呼ばれ慣れない敬称にきょとんとして振り向く。
「……なーんだ。誰かと思ったら」
「どもっす!」
「その『先生』っていうのやめてくださいよ。リアクションに困るから」
「いやー、だって作家先生じゃないっすかー」
「ただの素人ですよ、私は」
他にお客さんがいないのをいいことに、いきなり私を先生呼ばわりしたその常連さんはるんるんと買い回りをしながら、引き続き私は商品棚の整頓をしながら、とりとめのない会話を交わす。
私が密かにスマイリー運ちゃんと呼んでいるその常連さんは、私が趣味で書いているネット小説の読者の一人でもある。なので、密かにといってもそう名付けてしまっていることは、大っぴらにバレてしまっているわけなのだが。
小説家になろうという気は微塵もないというのに、小説家まがいのことをしている私のことを、運ちゃんは最近「先生」と呼ぶようになった。どう返していいものやら、毎回困っているわけなのだが――
「すみませんお嬢様。勘定、いいっすか」
へい、今度は「お嬢様」かい。まあ、そっちの方が呼ばれ慣れているから、すんなり反応できる。
「あっ、はーい。今行きますねー」
「忙しいところすみません」
「いいえー…………え」
にこやかにレジに入ろうとして、私は店の外にちらっと見えた人影に、和やかなやりとりでゆるみきっていた気をぴりっと引き締めた。
(え、ちょっと待って、早くない?まだいつもの時間には……あああ違うっ!周期から考えて、今週は終業時間が不規則な週だった!油断してたっ!)
動揺を表に出さないようにして、私は咄嗟に揚げ物を並べた什器の中を確かめる。よし、チキンはかろうじて二枚ある。大丈夫だ、問題ない。
安心して運ちゃんの会計に応じていると、やはり運ちゃんはあのタイムリーな話題を口にしてきた。
「前も聞いたけどさ、あの小説載せてるサイトのこと」
何の気なしに問いかけられた私は、思わずどきりとする。颯爽と店に入ってきて、まっすぐにお酒のコーナーに行ったその人をしきりに気にしながら、落ち着くのだ冷静になるのだと必死に動揺を抑えつける。
「サイトの、なんですか?」
「姉さんの作者名さ、アレなんて読むんだっけ」
「……りんく、です」
「ああ、りんくね。何回聞いても覚えらんねーんだわ」
マジでその質問何回目だよ、と内心でツッコみつつも、私は軽く困った顔をして笑ってみせるだけ。
いいかい、運ちゃん。気付いてるわけないだろうけど、今ちょっとそれどころじゃないの。読ませてるその小説でものすごーく重要な役割を担っているネタが、今あなたの後ろに迫ってるの。
「漢字よえーんだよなあ俺。昭和生まれだから」
「昭和生まれなら、逆に漢字強いんじゃないんですか?」
よくわからない理論になんとかツッコミを返しつつ、和やかに歓談と会計を終えて、次の番を待つ後ろに並んだお客さんを誘導――
の、前に。
「ああ、そうだ。今日の夜か明日あたりに、新しいの投稿しますから。読んでくださいね」
「おっ、久しぶりの新作かい」
「今度こそ、おじさん登場させてあげますから」
「マジっすか!本になった時がますます楽しみだな」
「なりませんて」
「出版できるようになんとか頑張ってよ。そんで『このキャラ俺だから』って自慢したいし」
「そんなご本人登場みたいなことにはなりません」
「ま、楽しみに更新待ってるわ」
「読んだら後で感想聞かせてくださいねー」
「あいよっ!」
立ち話を聞いていたのかいないのか、颯爽と店から去っていく運ちゃんを軽く一瞥して、並んでいたお客さんは手にしていた缶チューハイをレジカウンターに置く。
「お待たせしましたー」
「チキン一つ」
「お一つですねー」
やっぱり予想的中。最近はどうやら、チキンをつまみに晩酌するのがブームらしい。
会計額を告げてお金を用意してもらってる間に、二つ残ったうち大きいチキンを選び取りながら、私はなんとか落ち着きを取り戻していった。
(小説に登場させてる人、今まさに後ろにいますよーって、どれほど言いたかったか…)
小説に登場させている自分以外のご本人様の存在を知らされた運ちゃんは、どんなリアクションを返してくれただろうか。
登場人物の中でも飛び抜けて常連さんである、ツナメさんが後ろに並んだのを見て、私は声を大にして「運ちゃんうしろー!」と叫びたかったのである。