白黒はっきりしなかった話
◆今回の登場人物
【従業員】店長、息子君(兄)
【要注意客】ネイビー君
【脳内彼氏】ツナメさん
「じゃーん。2万勝ちの証拠写メ」
「へー。珍しく20スロでも打ったんすか?」
「ううん、5スロ。トータル5000枚オーバーでした」
「マジっすか。ゴ○ド?」
「打ちたかったけど空いてなくて初代ま○か打ってたらさ、エピボ中に中段チェリー引いちゃって」
「うーわー、やりたい放題じゃないっすか」
「……何話してるんだかさっぱりだわ」
スロットの話で盛り上がる私と息子君(兄)の横で、スロットをしない店長が退屈そうに呟く。
「確率で言うとアレだ、甘海で16Rの大当たりだけ引いて10連チャンくらいしたのと同じくらい」
「なにそれ!?すごすぎない!?」
スロットはしないがパチンコはする店長が、息子君のとんでもない例え話に一転して驚いてみせる。極端すぎるその例えの方がよほどすごそうだけど、私の今日の成果のすごさを店長にも理解してもらえたみたいなので、まあいいだろう。
「というわけで、勝ったお金でアレ買いに来たんです」
「おっ、ついにデビューするのね?」
「なんすか?デビューって」
意味深に交わされた私と店長のやりとりに、今度は息子君がきょとんとする。にやりと笑って返した私は、ドヤ顔でレジ後方に陳列された目的の品を指差す。
「うお、買っちゃうんすかアイコス」
「買うよ。大勝ちしたら買うって店長と約束してたから」
「そゆことっすか。どれ買います?」
「上の段のヤツで」
「うっす」
色別に二段に分けて陳列してある本体キットの在庫は、それぞれ四個ずつある。こうしていつでも気軽に買えるようになっても、私は電子煙草なんて買わないつもりでいたんだけどなあ…。
「お買い上げありがとうございまーす」
高価な品物が売れて心底嬉しそうな店長に笑って返しつつも、とうとう買ってしまったか、となんとなく喪失感のようなものを抱きながら私は本体を受け取り、パッケージの側面をじっと見つめた。
* * *
(いいじゃん、色くらい別に…)
長かったクレームの電話を丁寧に対応し終えた私は、叩き付けてやりたい衝動をぐっと堪えて静かに受話器を置き、溜め息をついた。
店頭に陳列されたものを即購入できるほど供給が安定してきた電子煙草――アイコスの本体キットを買った彼の、レジ応対をしたのは確かに私だ。今回のクレームは完全に私に非があることも認める。だがそれでも、なんだか腑に落ちない。
ホワイトとネイビーの二色ある本体のうち、自分はホワイトを買ったつもりだったのに、開封してみたらネイビーだった。会計の際に色を確認しなかった店側の責任だ。ホワイトと交換して欲しい。そんな内容のクレームだった。
事の顛末を店長に説明し、店側で可能な対応を確認し、私は電話口でそれをしっかりと相手に伝えた。本来であれば開封した商品の返品は応じられないが、今回は従業員の確認ミスだったこともあり、どうしてもというのであれば返金には応じる、とのことだった。
それを聞いた彼はいかにも納得のいかない声で唸った後に、こう返してきた。
「……いいです。不良品ってわけじゃないので、ネイビーで我慢します」
最悪、彼がホワイトと交換しに来たら、開封されたネイビーの方を私が買い取ろうと覚悟を決めていたけれど、彼は渋々ながら引き下がったのだ。
対応を誤った人間が考えるべきではないことだけど、まだ普及したてで手に入りにくいアイコスの本体カラーなんてそこまで気にするだろうか。入荷されたら即完売のこのご時世で色なんて選り好みしてたら、次いつ手に入るかなんてわからないのに。
取り返しの付かない対応ミスをした従業員としてあるまじきことを考えながら、私はほんの一時間ほど前に彼に売ったアイコスがあった棚を確認しに行った。在庫は2台。パッケージの側面を確認すると、両方ともホワイトだった。
3台並べてあった本体のうち、彼に売った1台だけがネイビーだったのだ。
(なんて運の悪い…)
色の確認を忘れて応対すること自体が大いに問題なのだが、私が適当に手に取ったのがもう2台の方だったら、店としても彼としても何も問題はなかったのだ。
(――うげ。昨日のネイビーの子じゃん…)
前日のクレームを忘れたふりして過ごしていた私は、ちょうど前日と同じ時間帯に訪れた彼の姿を捉えて顔が引きつりそうになるのを堪える。
やはり、気が変わって返金を要求しに来たのだろうか。それともただ直接文句を言うために来たのか。どのみち在庫は昨夜のうちに売れてしまってすでに品切れだ。返金と謝罪以外の対価を彼に与えることはできない。
自他共にクズ店員であることを認めている私は、彼に気づいていないふりを決め込んだ。前日の対応の悪さを詫びておきながら応対した客の顔も覚えていないのかとでも指摘してきたら、そこでようやく思い出したふりをしてそのこともまとめて謝ればいい。
あらゆる事態を想定しながら彼を警戒していたものの、彼は何事もなく普通に買い物をして帰った。思わず面食らってしまった私は、去っていく彼の後ろ姿が見えなくなるまでレジに立ち尽くした。
(なんだったんだろう…)
在庫がまだあるか確認しに来て、品切れとわかって諦めて引き下がったのだろうか。それとも最初からただ買い物しに来ただけだったのか。
おそらく煙草を吸えるようになったばかりであろう若い彼に勝手に振り回されていた私は、安堵と一抹の気疲れを溜め息で逃がした。
――それからしばらくして、アイコスの供給も各色2台ずつは店頭に置けるほど安定してきた頃、新たにグローという電子煙草の導入が始まった。
「グローの本体って、やっぱまだ予約難しいですか?」
「申し訳ございません。入荷の目処も立っていないので、なかなか予約もお請けできない状態なんですよ」
「アイコスの時と同じ感じですかね」
「そうですね」
電話での問い合わせや、こうして店頭で直接問い合わせてくることが、この頃は一日平均10件はあった。断り文句にもすっかり慣れてしまったものだ。
何を隠そう、先ほどの会話はツナメさんと交わしたものである。どうやら彼も新しい電子煙草に興味があるらしい。私情を思いっきり挟んで「取り置きしておきましょうか?」と言ってあげたかったが、ぐっと堪えた。実際、予約は他の常連さんでいっぱいだったし、彼ばかり特別扱いするわけにもいかない。
だが、これまでで最長記録となる会話を交わせたことだけは、単純に嬉しかった。相変わらずクールなツナメさんは私の返答くらい想定済みだったらしく、残念そうな表情も苦笑も見せなかったけれど。
いつもと違う表情も見たかったのに、と少々残念がりながらも心を弾ませていた私のレジ前に、ほどなくして一人の青年がやってきた。何の気なしに会計に応じようとして、ふと気付く。
(…あ、ネイビーの子だ)
彼といざこざがあってからすでに数ヶ月は経っていたが、私は彼の顔を覚えていた。あの電話以来、その件に関する文句も何も言ってくることはなかったけれど、彼の姿を見かけるたびにその話を蒸し返されたりしないだろうかと私は警戒し続けていたのだ。
そんな彼は、まるで私への当てつけのように、私の本命の彼と似たようなことを問い掛けてきた。
「グローって、まだ買うの難しい状況ですか?」
「そうですね。まだ取り扱い始めたばかりで、全国的にも品薄のようですから」
「そっかあ。アイコスはどこ行っても置いてあるくらい、安定してるみたいですよね」
「え、ええ。いずれグローも店頭に並べて販売できるようになると思いますよ」
彼の口から「アイコス」ってワードが出ただけであからさまに動揺すんな、私の馬鹿。もう何ヶ月も前の話よ?相手は話しぶりと見かけ通りの至って誠実な爽やかボーイよ?今さら恨み節ぶちまけてきたりなんて――
「あの……俺のこと、覚えてます?」
ああもう腹を括れ私。「記憶にございません」が通用するのは政治だけよ、客商売でそんな愚かな返答はできない。
「あ、確か……私が間違えてネイビーのアイコス売っちゃった…」
「そうそう。さすがに忘れてるかなーって思ってたけど、覚えてるもんなんすね」
…ん?何その、覚えててくれて嬉しいっす、みたいな混じりっ気なしの爽やかスマイルは。
とてつもない違和感をさておいて、私はひたすら従業員としての務めを全うする。
「その節は本当に申し訳ございませんでした。私が確認を怠ったせいで大変なご迷惑を…」
「いえいえ、気にしないでください。今も問題なくあのアイコス使わせてもらってますから」
気にするな……とな?
待て待て、流れが理解できん。いつぞやはよくも、なんて言い出してくるもんだと、今までそんな素振り見せてなかったけど実は根に持ってたもんだと、私が想定していた彼のイメージと今の態度がかけ離れすぎてる。
大量の疑問符を浮かべる私などお構いなしに、煩悩まみれの私には到底真似できないイノセンスなスマイルを満面に湛えて、最後に彼はこう言い残して店を出ていった。
「今はむしろ気に入ってますから。お姉さんに売ってもらった、ネイビーのアイコス」
…………なんなの。なんだったの。
通常状態か天国状態かはっきりしない、あのスロットの頻出台詞を吐き捨てたくなる。わけがわからないよ。
色が違うって文句言われて、対応ミスしたことを店長に怒られて、ほとぼりが冷めたと思いきや蒸し返されてハラハラさせられて、挙げ句「気に入ってるから気にするな」ですと?
(……はあああああ!?)
なんなのよあの子!小悪魔?天然タラシ?人があれだけ困惑して馬鹿丁寧な応対してやったってのに、自分はとっくになかったことにしたどころかネイビーで満足してるって!?だったら最初からごねないでくれないかな!?
可愛らしい顔してるからって、私相手にあんな笑顔見せてきたって騙されるもんですか。可愛さではあのシャイ君といい勝負だけど、魔性ぶりは到底敵わないレベルよ。
気に入ってるなら、あだ名もネイビー君にしてあげるわ。どうよ、この厭味たっぷりの命名センス。それを知ってまた素直に喜んだりしたって、私はもうあんたなんかに振り回されたりなんかしないんだから。
大体なんなのよ、ネイビーって。実物見たけど、あんなの黒でいいじゃない。今じゃ高齢客には「白と黒どっちがいいですか?」って聞いてるわ。ネイビーって言ったって通じないんだもの。
あのネイビー君がもし2台目を買いに来るようなことがあれば、今度こそ間違いなく白を用意してあげるんだから。上の段と下の段で色別に陳列してあるけれど、下の段から取ってもちゃんと側面を確認して、間違いなく白を渡してあげるつもりよ。
次も「ネイビーで」って言ってきたら、さすがに私も笑っちゃうだろうけど。
ネイビー君のエピソードは説明すべきことがありすぎて、簡潔にまとめようにも4000字を超えてしまいました。ややこしい態度をとったネイビー君が全部悪い。小説のネタにしてやったのも、ささやかな仕返しのつもりです。
そして私が選んだアイコスの色に、深い理由も彼との因果もございません。