童子様の問いかけ 中編
朝の冷え込みもだいぶ薄れたおかげで、薄手の上着を一枚羽織るだけで十分な暖かくなったおかげだろうか。休日の朝であっても、付属図書館には程々の学生たちが集まっていた。中には中高生程度の子たちも交じって勉強していた。読書・勉強スペースで本を数冊積み上げた机の一つに、見覚えのある後ろ姿を見かけた男は近寄って声をかける。
「穂澄、何やってるの」
「ああ、ヒロか。おはよう。この前の葛城先生のをね。うちには童子様がいるから興味があって」
彼も俺と一緒に葛城先生の講義をとってる友人だ。妖に直接興味があるわけではないが、妖と人間の歩んできた歴史に興味があるらしい。場所を移し、彼にも家の童子様との問答について簡単に伝えてみた。いろいろな本を読んでみてもヒントが出てこなかったから、気分転換になると思ってのことだ。
「穂澄のとこの童子様の出した課題か。高天原への道の開き方のミス、あるいは人口影法師の作り方の矛盾か」
「いろいろな文献を漁ってはいるんだけどね。どうしても過去の研究者たちの論文とか見ても、考察の部分を見ると大体同じことが書いてるんだよ」
曰く、高天原への道は天孫降臨の地、高千穂で行わなかったのが原因である。
曰く、高千穂で行った儀式も失敗に終わった。ご神体とはいえ分霊されて作られた依り代は本人ではないので、開かないのではないか。
曰く、霊峰と呼ばれる山々で行った場合、高天原への道は開かずとも神降ろしは可能ではないかとやってみたが、降りてきたとはどこの誰とも知らない存在だった。神ではないと山神が保証した。
曰く、天孫降臨以降、下界に顕現できる神々は既に降りてきているので、事実上神降ろしは不可能ではないか、という説。
「そして最後が魂の否定説。簡単に言うと、培養して作ったクローンですら個体意識をもってる点から、結果的に魂は存在しないという西洋妖学的アプローチから人工影法師の作成を否定してる。元も子もない言い方をすれば、魂と呼んでいるものはあくまでも生存本能と知識を含む経験の集合体でしかないってことかな」
「少なくとも、最後のは『ない』と否定できるな。付喪神が存在するこの国じゃ、魂の存在は感覚的にみんな知ってるしな。それに魂の否定をしたら、穂澄のところの座敷童子の存在を否定することになる。人は魂を作れないなら、生存本能がない妖である座敷童子はどうやって生まれたのかってなるしな。それにいつも連れてる依り代じゃなくて本体の『影』は影法師化してるじゃないか」
定期的に蔵の掃除のために出入りしているときに確認しているが、童子様の本体の影は影法師化していた。移動用の依り代に意識を映している間は、蔵の中限定で本体の影から離れて活動できるようだった。
この前影女と楽しそうに遊んでいたのを目撃したばかりだ。
童子様曰く、座敷童子として生まれたばかりのときには既に影法師化していたらしい。人間の誕生と同時に生まれる影法師と同じだと、当時の制作者である陰陽師が保証しているとのことだった。
「そういうことから、人口影法師作成の矛盾はまだ分からないんだ。先に高天原への道を開く必要不可欠な要素は何かって考えることにした。
童子様が言うには、正式に高天原への道を開くには、すごくたくさんのモノが必要らしい。高天原の神々と対話できる程度の穴を開けるだけでも、絶対に欠かせない要素があるらしくてさ。その要素が葛城先生の紹介した儀式には足りてないって言ってて……」
「どうやら童子様は答えを知ってそうだけど、教えてくれないって感じか」
童子様は千年までいかないが、最低でも九百年以上は存在していると思われる付喪神だ。京の陰陽師によって創られた呪術人形が童子様の起源になる。誕生の理由やきっかけまでは教えてくれるが、その後、陰陽師にどのように扱われたのかとか穂澄が見つけるまではどうしていたのか、などの過程までは教えてくれない。
長い年月を存在していたことから、雑学などにも通じている部分もあるが、気まぐれな性格が災いして現代社会で実用的な知識はあまりもっていない。一方で、妖に関する知識はかなり豊富にもっているようである。今回のように、妖に関する知識を基に穂澄に助言をしてくれたことも多々あったが、事が『儀式』に関することになると、口が堅くなっていた。
童子様曰く、「白澤のような規模で情報提供しているなら別だが、最終的に膨大な知識を提供したことになったとしても、穂澄のような奴に細々と教えることが、仲間を売ると思っていない。しかし、事が『儀式』に関しては話が別だ。手順を間違えたり祝詞を間違えると、術者の身体に害が発生することもあり得るし、最悪の場合は災いを司る神々を呼び寄せるかもしれん。災いを司る神々の力は凄まじく、顕現したその瞬間から蝗害のごとく一気に災厄がやってくる」と、かなり気を使っているようだった。童子様はそんな理由で、儀式に使われる祝詞すら教えてくれない。言霊の概念が残る日本において、下手に祝詞を口にするだけで力が発動される可能性があるからだ。
「儀式特化の妖がいるなら、そいつに教えてもらえる場合もあるかもな。でも、日本には妖術特化と呪術特化の妖なら探せばいるだろうけど、儀式特化ってのは聞かないな」
「いくつかの文献では、儀式特化がいわゆる陰陽師と考えられているらしい。平たく言えば人間が儀式特化ってことだな」
ヒロといろいろと話しながらいくつかの文献をもとに意見交換をしていった。ヒロと話していてたぶんこれじゃないかなと思う要素は考え付いたけど、どうも自信がない。というよりも、本当にこんなことでいいのだろうかという部分がある。すでに誰かが実際に行ってそうだし、その論文を見つけられなかっただけじゃないかとも……。でも、童子様に「根拠はともかく、見つけた答えに合わせた理由を述べられるなら、答え合わせに来い」って言われてる以上はなぁ……。
結局、自分の考え付いた内容は童子様より先に葛城先生に聞いてもらっておいた方がいいだろうと、平日にアポをとった。葛城先生が授業で紹介した内容なので、少なくない情報をもっているだろうと考えたからだ。
しかし、葛城先生に話を聞いてもらったが芳しくなかった。
「そういう要素も確かにあると考えられているが、結論からいうと『血縁』は高天原への道の開き方に関係が極めて薄いと言わざるをえない。古事記をみても、人と神との交わりは描かれているが、その半神ともいえる人物たちが高天原に帰ったという明確な記述は見つかってない。神の子ともいえる存在すら高天原に行けないのに、もはや神の血が完全に消滅していてもおかしくない現代人では不可能ではないかという説が有力だ。仮に先祖返りしていても、神の力が分からなければ自覚しようもないし、自覚していなければもっていないのと同じだ。日本人的な着眼点として、今も細々と研究されてはいるが、成果らしい成果は挙がっていない。」
研究者たちも影法師を作り出す派と、高天原への道を開く術を見つける派とがお互いに協力し合って研究しても、発見に至っていないと首を振りながら解説してくれた。
世界的に見ても、『血縁』の重要性はすぐに気づかれたものの、その関係性と手法が発見できなかったこともあるが、根本的な部分で否定に至ったことがあった。
「『血縁』と一言で言っても、3代も経ってしまうと1/4まで薄まってしまう。高天原から降りてきた神をたどるとすれば、Y染色体を持つ男神になるだろうが、その遺伝子は人の起源なのか神の起源なのか、どちらかわからないのが現状。人は猿の突然変異体や進化体ともいわれているが、神とは別系統の歴史がある。神は人類史の途中に降臨した以上、これが神のY染色体だ、といえる決定的証拠を見つけようがない。神の方程式を探すのと同じように、神のY染色体を血眼になって探している研究者がいるけど、結果は惨憺たるもの」
葛城先生は更に付け加えて解説してくれた。
「また、『地縁』に関しても同じこと。どこから数えて何年住んでいればいいのか、国籍はどうするのかなど全て定義していくのは現実的ではない。百年単位で済んでいなければならなかった、ともなれば目も当てられないことになる。京都なら結構見つかるかもしれないが、それは京都限定。全国規模だと、そういう百年単位クラスの住人の発見および協力者を得るのは、かなり厳しいだろうね」
現職の研究者に質問しても、回答は慰めで終わった。この国の出身者視点としては一般的だといえるが、その視点が研究成果に結びつかないという点では残念だったと。
葛城先生に聞いて打ちひしがれてしまったため、残り二つの要素について聞きそびれていたことに帰宅中に気が付いた。しかし、内容的に「精神論ですね」と一蹴されうる可能性が高かったので、聞かなくてもよかったかもしれない。穂澄が落ち込みつつ帰り着くと、童子様が出迎えてくれていた。
「若干遅かったな。どうやら葛城との対話でボロボロにされたようだ」
靴箱に座って足を組んでいる。本体は袴だからやらないが、今のように洋服の依り代の時は足を組んで座ることもするそうだ。無駄にSNS映えするから個人的に写真撮りたくなる。
童子様を持ち上げて、部屋に移動しつつ本日の対談結果を報告する。机に童子様を降ろし、穂澄はベッドに横になりながら話を続ける。
「結果からいうと、研究者視点では『血縁』は否定されている。聞けなかった『信仰』も、この分だと否定されるな」
「それで、人間との対話はともかくとして、穂澄は妖の問いにどうこたえるつもりだったんだ」
「人口影法師の作成の矛盾点はまだ分かんないから保留。とりあえず、高天原への道に不可欠な条件は答えようと思う」