童子様の問いかけ 前編
「---という理由から、世界でもっとも長く存在し続けている妖が影法師という妖だ」
妖怪研究家の葛城先生は、講義をこのように締めくくった。
妖というのは、おおざっぱに分類するなら、人族とは違う言葉を操る生物のことを指す。俺の家にも妖……正確には、付喪神が住んでいるので、身近なテーマだ。大学に入ってからというもの、文化妖学をずっと学んでいる。世界にとって、ここ日本にとって、神の国のあり方を妖の面からアプローチする学問は、本当に興味深い。
「もう帰らんのか? 今日の講義は3コマ目までであろう?」
「ちょっと図書館によってから帰ろうと思ってるんだよ。本を返さないといけないし、ほかにも参考文献をいくつか読んでおきたい」
「まぁ、構わんさ。図書館ならば静かでいい」
講義室から付属図書館に移動する。返却したのち、講義で紹介されていた参考文献のうち、気になったタイトルの本を手に取る。
『妖の生まれ -純日本生まれの妖と世界から移住した妖の二世たち-』
『生まれ持つ能力 -妖の特異能力から見る分類方法』
『神の国 -世界に複数存在する神の国に住む妖たちの特徴-』
この3冊に加え、計6冊を受付した。少しかさばるが仕方ない。図書館の用が済めば、いそいそと家に帰るだけだ。
「それにしても、少なくとも日本の妖たちは、自分たちのことを研究しようと思ったことはないだろうな。本当に人間は物好きだ」
俺の胸ポケットに入っている人形が話しかけてくる。ポケットのふちに手をかけ、「あ~、狭い」と愚痴っている。
人形の頭を撫でてご機嫌を取りつつ、暇にならないように相手をするのが日課であり、俺の義務ともいえる。
「そういう物好きの人間にくっついてきて、つまらなく思ってたりする?」
「そんなことはない。若い人間に囲まれることで、精力を分けてもらえる上に、人間から見た我々というのは面白い。京では恐れられるのが当然だったのに、陰陽師共が姿を消すころには積極的に近寄ってきて、『枯れ尾花』と言い切れるものと我々を分類し始めた。恐怖の対象から明かすべき対象へと変化したのだ。そして凡そ九百年ほど経った現代だ。もはや妖は共に歩むべき隣人になっている。人とは本当に面白い」
やたらと饒舌に語る人形。彼にとっては自分たちのことより、自分たちの周りの変化をとても楽しんでいるように思える。
妖は基本的に消滅するときは、誰からも忘れられたときだけであり、たとえ消滅してしまっても、誰かが文献から存在を発見すればまた復活する。人間と違って「本当の消滅」がないから、自分の存在を積極的に残そうと考えないんだろう。それでも現代まで存在し続ける妖の数は減少傾向だ。学会の中では「種の保存のを妖にも」と、存在している妖から一体でも多くの妖を聞き出し、復活させる活動をしている学者もいるぐらい。彼らの熱心な活動であっても、「家憑き」の妖の保存はなかなか進んでいないらしい。そもそも、そういう活動をしていると知らない家庭もあるからな。
「付喪神は今の社会じゃなかなか生まれないだろうな。消費の時代だから、よほど高級ブランドとか思い入れのある品とかじゃないと、壊れたら捨てちゃうし」
ポケットから「嘆かわしい」と呟かれた。彼の生まれは付喪神。それも、誰しもが知っている超有名な妖の少年、座敷童子だ。
座敷童といえば少女が浮かぶかもしれないが、座敷童子という少年の妖も存在する。残念ながら、彼のように長く存在し続けている童子は(学会レベルで)確認されていないようだ。どのように俺の一族が彼を保護し続けたのか、その理由はもはや分からない。彼も「存在し続けた理由は話したくない」そうなので、詳しくは聞いていない。ただ、百年単位で存在していても過去のことを明確に覚え続けていられるのは、妖だからなのだろうか……。
家に帰りつくと、ポケットから飛び出て家の中用の小回りの利く人形に意識を移していた。付喪神になった童子様の縁者の作であれば、現代の素材で作った人形でも依り代として活動できるようだった。本体は虫食いなどしないように、厳重に蔵に保管している。
ぴょんぴょん飛び跳ねる姿は、小動物を見ているようでとてもかわいらしい。デフォルメされた人形が動いているので、更に破壊力が上がっている。こんなことを彼に言おうものなら(痛くない)飛び蹴りが飛んでくるが……。
ぴょんぴょん飛び跳ねて本棚に向かっていった。俺は机に向かって借りてきた本を読み始める。
夕食の席で、童子様が供え物を楽しんでいるときに、何気なく訪ねてきた。
「そういえば、穂澄の研究は、私ではなく影法師についてだったな。一言で影法師といえども、その数と種類は莫大だぞ。どうやって絞って研究するつもりだ?」
「岩や山のような自然物の影法師を中心に研究したいと思ってる。ただ、問題は言葉を操れる影法師の種類じゃないってことなんだよね」
言葉を操れる影法師は、かなり最近の存在しかいない。影法師の本質は影でしかない。影の持ち主が死亡や倒壊してしまえば、影法師も同時に消滅してしまう厄介な妖だ。人が生まれると同時に一体の影法師が生まれ、人が死ぬと同時に一体の影法師が消滅する。彼のように、言葉を操れる影法師は数百年単位で存在することは基本的に不可能だ。死んだ人が蝋人形化しようがミイラ化しようが、人としての生が終わると同時にただの影になってしまう。
「多くの学者たちが、神が地球を作ったときから存在する地形によってできる影を、なんとか言葉を話せる影法師かしようと試みてきた。でも、そのすべては失敗に終わってきた」
今日の葛城教授の講義でも少し触れられていた。山自体は山神の所有物であり、山神の体でもある。山神の協力を取り付けることができた学者もいたようだが、それも失敗。そもそも、自分の体に話しかけて自分の体が返事をするのかということだ。借りてきたいくつかの本でも、影法師について取り上げていたが、石や山の影を影法師化は無理だろうと結論付けていた。
天地創造。その秘密を知っているかもしれない存在を、言葉を話す影法師化すれば、聞きたいことも聞けるのに……。
「山には山神という守護神がいる。神を山から引きはがすとただの山の影になる。神を山に戻すとまた山神の影として復活するが、どちらにせよ対話は不可能。そもそも、山の影に魂がないから影法師化は無理だ」
「悩んでおるな」
「やっぱり無理なのかな」
「着眼点はよいと思う。人どころか草木すら存在しない頃のことを、知っているのは水と大地ぐらいだろう。高天原の神々にお伺いできれば一発だろうが、まず神代の国に行くことはできんからな。だが、目的と手段が逆転してしまっておるような気もする」
「そんなことはないんじゃないか」
「本来の目的は『地球誕生の秘密を知る可能性が極めて高い、自然物の影を影法師化して当時の話を聞く』ことだろう。『人口影法師を作り出す』のは手段であって目的ではない。一神教のことは詳しくわからんが、かれらの神に直接聞けなんだ。だから間接的な手法をとる。山神も、『山』神として生まれる前のことは知らないから山に聞くのもいいだろう。だが、ここは神の国だ。聞きたいことがあれば、影法師など作り出さなくとも直接神を降ろせばいいだけのことだ」
パラパラパラと本をめくって該当箇所を探す。見つけた部分を童子様に見せながら反論を返す。
「勿論、日本的神降ろしを試みた学者がいるよ。でも、三種の神器にオモイカネとアメノタヂカラオにアマノイワトワケノカミのご神体を使って、高天原の道を開こうとしたけど無理だったって。ほかにもいくつか別の方法で開こうと儀式をしたってあるけど、大体似たような感じ。ゆかりの道具を集めて行ったってさ」
「祈祷の仕方について、山神は何か言わなかったか、書いてないか?」
「特に何も……」
彼は顎に手をやりながら考え込んでいるようだった。デフォルメされたぬいぐるみチックな人形がやると、とてもかわいらしい。
少し汚れているようだから洗ってやらないと、と思っているときに童子様はじっと見つめてきた。
「どう考えても、数百年しか存在していない私より山神が無知なわけないよな」