夢物語
夕暮れの駅には人が多い。
会社帰りの勤め人、学生・生徒、買い物帰りの御仁方に、これから出勤の勤め人たちがごった返しで行違う。
中には観光客もいるだろう。一言で利用客といっても様々な人がいる。
肩を落としながら一人の青年が駅に入っていく。肩掛けカバン一つでインカムで会話をしているようだった。
「入稿まであと1週間あります。すでにそちらに送っている分で加筆修正が必要な分があれば、こちらにまわしてください」
「その原稿はまだ手を付けていません。いくつか確認したいことがあるので、打合せしたいと思っていますので、都合の良い日を連絡してください」
「そういったインタビューにはお応えできません。先方にはお断りをお願いします」
どうも仕事相手がお相手だったようだ。彼は電話しつつ、スイスイスイと人ごみをかき分けながら反対側の出口へと進む。
途中のフレッシュジュースショップでのどを潤すことで、彼の機嫌は回復したようだ。
出口から携帯をいじりつつ歩み続けると、大きめの架道橋に差し掛かる。橋と言っているが、実際はただのトンネルといった方がいいか。
青年は歩みを続けるものの、はた、と歩みを止める。
「こんなところに居酒屋とかあったか」
メニュー例をいくつかに持ち帰りでき〼の一文を見かけ、入ってみることにする。
引き戸の中にはカウンター席と気持ちばかりの席数。狭い店内に客はおらず、店員の姿も見かけない。
「すみません」
営業中の看板が出ていたので、店員がいるのは確定。姿が見えないのは奥で何か作業中だから。
しかし、返答がしたのは真横からだった。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりですか」
背丈が低く、声が高い。まだ声変りが来ていない中学生程度の少年が対応してきた。
「ここは君の家がやってるの」
「父親の店です。奥で仕込みとか開店後の確認してるだけなので、注文してもらって大丈夫ですよ」
少年が笑顔で胸を張って言い切った。酒が扱われていないか、まだ酒が入りにくい時間帯だけ入っているのだろうか。
無言で見つめる少年に、青年は注文を告げる。
「わかりました。では、少々お待ちください」
少年が裏に引っ込んでしまうと、立って待つのも……と、カウンターの端っこに座る。
夕方にしては会社帰りの勤め人もいないのが、少々気になる。どこにだって吞兵衛はいるものだ。
携帯をいじりつつ、10分ほど待つと少年がまたやってきた。もしかして、この少年が……。
「ご注文の持ち帰り品です。お会計をしますね」
もしかした。レジが機械だとはいえ、少年にレジ打ちさせるものだろうか。
「お金を扱うのに、君がやって大丈夫なの」
「問題ありません」
淡々とレジ打ちをする少年に何とも言えない気持ちで会計を行う。
まぁ、計算は合っているので問題ないか。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしています」
笑顔で見送る少年に、なぜか少し話しかけたくなった。
「ここのお店にさっき気が付いたんだけど、いつからやっていたの」
「ずっと昔からやっていましたよ。聞いた話だと、お爺ちゃんの頃からだそうです」
そんなわけはない。さっき気が付いたとはいえ、ほぼ毎日のように使っている道に、突然店が出現するものか。ちょっと入り組んだ場所だったり、裏通りに小さな暖簾がかかっているだけなどならばわかる。しかし、道路に面した一軒家の店舗で見落とすことなどあろうか。
少年の発言に背筋に冷や汗が垂れる。
一応……恐る恐ると青年は少年に尋ねることにした。
「ここは居酒屋で、さっき俺が買ったのは焼き鳥10本セットで間違いないね」
「間違いありません」
「奥には店主……君のお父さんがいる」
「はい。今も仕事してます」
「なんで、俺は今まで気が付かなかったのかわからない。何かいつも出していない暖簾とかあったりするの」
青年とは対照的な笑顔を少年は浮かべる。
癖のない髪に輝く天使のわっかが幼さを助長しているため、質問と笑顔と無邪気さの交じった奇妙な存在に、多少の恐怖を抱く。
「お客さんはこの居酒屋の名前、見ましたか」
「ああ。影まじわり……だったよね」
「そうです。ここ、影まじわりは夕方の間のみ営業している居酒屋です。影まじわりは、その時間帯しか営業できないとも言えますが……」
「どうしてかな」
背後で扉が開く音がした。誰かが入店してきたのだろう。ちらっと見ようと思っただけだが、青年は目が離せなくなった。
出入り口に立つモノ。
「ここは居酒屋・影まじわり。誰そ彼時にだけ現れる妖と人間の交わる場所。
人の世と妖の世、両方の世界にまたがって存在できる唯一の妖である影法師だけが作り出せる交わりの地。
今からああゆう妖がたくさん入ってくるから、怖いんならさっさと帰った方がいいよ、小僧」
少年の話を最後まで聞き届けずに、出入口に立っていた異形のものの側を駆け抜けた。
外はすっかり暗くなっていたが、街灯が道を照らしてくれたので、全力疾走しても人にぶつかることなく家まで帰り着いた。
ドアのかぎを閉め、部屋に倒れこむように入っていく。手には購入した焼き鳥セット。
恐る恐る中をみると、少年の手書きなのだろうか。一筆書きが入っていた。
「次の営業は23夜の誰そ彼時です。次回のご来店の際には、店内でご飲食なされると幸いです」
青年が焼き鳥セットを食べたのか食べなかったのかは、青年しか知らない。