異世界に行った兄は邪知暴虐の魔王になったらしい
宝物庫に置いてある大きな鏡には不用意に触れるなかれ。
とさんざん言われていたのは承知だが、もしやと思い高貴なる弟のウォルターは触ってみた。
ブウンとゆらぐ鏡面がいきなり異世界への扉となってウォルターの目の前に現れる。
そしておそらくはひと月前に消えた兄も同じことをしたのだろうと、弟はそこで合点した。
ウォルターはだから、迷わずに鏡の中へと入った。
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兄のウィルサンドと弟のウォルターは高貴な生まれで頭もよく強い。
二人は顔は良く似ていたが、兄は好奇心と野蛮心が強く、弟は真面目で堅実な男であった。
つまりは水と油。二人はいつも険悪だった。
ひと月前に兄が消えてからは弟は平和な暮らしをしていたが、最近になってふと、兄弟特有の悪寒がした。
何か、自分のあずかり知らぬところで悪いことが起きている予感がしたのである。
しかもおそらく兄のせいで。
予想が外れていればいいと思いつつ屋敷を隅まで探した結果、異世界への扉にたどり着いたのだ。
「お、お前は! どこかから現れこの国をめちゃくちゃに荒らしたあと! 先代を屠って新たな魔王になったあげく! 城で女をはべらせ遊びほうけてさらに国を混沌に陥れた! 暴虐魔王、ウィルサンド!」
「確かに顔はよく似ていますが別人ですね(やっぱりこの惨状は兄のせいか)」
鏡を通り抜けてきた先の異世界はもうなんか荒廃した大地だった。
町なのかどうかすら分からない集落じみた場所へと足を踏み入れると、
ボロ布を身にまとう美しい女が物陰から現れ、第一声からウォルターにすべてを理解させる説明台詞を放った。
説明台詞によるとどうやら兄は異世界に渡って早々魔王を斃し、ノリで新たな魔王になったようだった。
しかも案の定というべきか城に女をはべらせて政治とかは無視、国を荒廃させてしまっていた。
「別人だと! 信じられるかそんなもの! 殺す!」
「血気盛んですが、私を殺してもあまり意味はないですよ……っと」
ボロ布の美しい女は美しい女であったが肌の色は紫、髪の色は銀。
ついでに言えば体型も少々グラマラスにすぎており、白人貴族のウォルターの好みではない。
おそろしい造形の毒付きダガーで襲われたので正当防衛で殺し返すのもやむなしか、と一瞬考えはしたが、
それではおそらく兄の暴虐と同じやり方だろうと考えたウォルターは、女を上手いこと無力化することにした。
ウォルターは兄ほどではないが武にも長けていたので無力化した。
「くっわが一族は武で負けたものには従わないといけないのだ。殺せ」
「兄を懲らしめるので協力してください」
「くっならば協力するしかないな」
めんどくさいしきたりの一族に生まれてしまった哀れな毒ダガーの女に聞いたところ、
魔王都が八つほど町を越えた先にあってそこで兄は邪知暴虐のかぎりを尽くしているらしい。
それはもう行くしかない。
ウォルターは自分に勝った相手に色目を使い始めた毒ダガーの女に「あなたはタイプではないのでムリです」と律儀にも断ったあと、
とりあえず魔王都を目指して旅を始めることにした。
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着いた。
「ここが魔王都……」
「わたしがいた頃からさらに堕落している……! ひどい!」
「これはひどいです!」「全くひどいですねえ。暴虐王は我々をゴミとしか見ていないようですな」
毒ダガーの女をはじめとして、
途中の町で色々巻き込まれた結果得た数人の女仲間も一緒である。
魔王都城下町をそれら仲間と見渡すウォルターは、自分の身内が世界レベルで迷惑をかけていることを人々ひとりひとりに謝りたい気分になった。
ボロボロの服にやせ細った身体、若い女以外しかいない民衆は暗い顔をしており希望などここにはないのだった。
「どうするんだウォルター、正面からいくのか?」
「幸いにも城門は開いている。おそらく向こうもこちらを待っているのだろう、正面から行く」
戦闘では一番頼りになる戦士風のミノタウロス女(やはり美女だが、タイプではない)が聞いてきたが、ウォルターの答えは最初から決まっていた。
「ただし、私ひとりでだ」
ウォルターは一人で城門を進み、魔王の間の扉を開けた。
「――よう弟よ! どうだった、俺が作り上げたロールプレイング・ゲイムは!」
第一声、若い女を上段・中段・下段にはべらせつつ何の悪びれもなく言う兄ウィルサンドは元の世界となんら変わりない態度で弟を出迎えた。
「やはり、私にクリアさせるためにこんな世界を作り上げたのですね」
「はっははさすがわが弟! 気づいていたようだな。
まあそうよな。優秀貴族の俺が本気を出せば、こんなクソ荒廃した荒くれ世界になるはずがないってのは、
お前が一番わかっているはずだもんなあ。そうそう、遊んだんだよね俺は。
どうせお前は近く俺の後を追ってこっち来るだろうし、
いつも苦労を掛けている弟に、俺が魔王になったRPGをプレゼントしてやろうとしたのだよ」
「この世界にはこの世界の人が生きていたのに、それを踏みにじってまで?」
「だって異世界の生きものだろ結局。なんか肌の色とか違うし。抱けるからいいけど。
そもそもこいつらより俺のほうが強いのになんで優しくしてやらにゃいけないのかさっぱりだわー」
「全く、同じ兄弟とは思えないほどにあなたとは意見が合いませんね……!」
弟は兄に剣を向けた。
「おっ久しぶりに見たぜそんなマジギレ顔」
「私はあなたを殺します、邪知暴虐の魔王。これはもう、個人レベルの怒りを越えている」
宣言すると兄は嗤った。
向こうの世界での、剣術訓練室でも見せたことがないような楽しそうな顔だった。
「うんうん。それが見たかったんだよウォルター」
「……」
「俺さあ、お前と一回、ガチでやってみたかったんだよね。
お前クソ真面目だから、怒っても俺を更生させようとばっかりしてきて、いつかから本気でやろうとはしてこなくなったろ?
お兄ちゃん、それが悲しかったんだよなあ。俺が一番楽しく殺し合えんのはお前だけなのに」
上段・中段・下段にはべらせていたサキュバスの首がいきなり全員跳ね飛んだ。
兄がどこかから取り出した剣だった。
「RPGのラスボスは当然だがオレだ。エンディングが見たいなら、この俺を殺せ、ウォルター」
「言われなくても、そのつもりですよ」
弟は兄を止められなかった悲しみに心の中で涙しつつ、言った。
「――ただし、それをやるのは、私ではありません」
「何?」
呆けた顔でウォルターの言葉に応えた兄の背中からいきなり刃先が覗いた。
毒ダガーである。
毒ダガーの女が、物陰から飛び出て兄を刺したのだ。
「は? まて」
兄はぽかんとした。
「意味が分からん。意味が分からん。意味が分からんぞ弟。今これ、お前と俺で一騎打ちする流れだっただろ。おい。ふざけんなよ、お前……ふざけんなよ――」
「貴方は私が真面目だから、これは身内の問題だと言って仲間に言い聞かせ、
一人で貴方を斃しに来たのだと思ったようですが。
それは違うんですよ。私はこう言ったはずだ。もうこれは、個人レベルの怒りではないのだと」
「おい」
正面から入ってくるのは確かに弟だけだった。
側面の扉が開いてぞろぞろと、弟がここまで連れ添った仲間たちが入ってくる。みなが、暴虐王に恨みを持つものだ。
「この吐き気をもよおす催しを開いたあなたに私が与えられる罰は、あなたと戦わないことだ、兄よ」
「うぉ、ウォルターぁああああああ!!」
「私は貴方がめちゃくちゃにしたこの世界をもとにもどすのに神経を使う。あなたに向ける感情はない」
毒にて動けないウィルサンドに、もはや私刑を逃れるほどの機動力は無かった。
ミノタウロスに兄の首が跳ね飛ばされ、邪知暴虐の王が沈むところを、弟は冷ややかな目で見つめた。
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思い出すのは、兄といさかい合っていた元の世界での日々。
何かとちょっかいを掛けてくる兄を、いつからか弟は疎ましく思うようになっていた。
貴族の嗜みを越えて互いに高いレベルにあった剣術にて、兄はいつも弟と本気の戦いをしたがっていたが、弟は取りあわなかった。自分にとって無益だからという理由で。
今思えば……それは優位を示したいとか、本気の戦いを楽しみたいという気持ちの他にも、
弟と語らいたいという気持ちが生んでいた行動だったのかもしれぬと、ウォルターは回顧した。
「……私がもう少し、本気でぶつかっていれば。世界を巻き込まずに済んだかも、しれなかったのだろうな」
兄の首を民衆の前に掲げ新たな王となった後、弟は誰にも聞かれぬようそっと自虐する。
暴虐王の死に湧く仲間、民衆、世界の昂揚の中、
彼一人だけ異世界に取り残されたように不快な気持ちでその場に立っていた。
それから世界は真面目で堅実な新王の手によって、少しはマシになったと言うが……王が誰かに笑顔を見せることは、一度も無かったと言う。