悪霊なんていない
どーも最近俺の周辺がおかしい。
え?どのへんかって?残念ながら全てなのです……。
一ヶ月前から毎朝毎朝机を叩くような騒音で目が覚めるわ。買ったばかりのゲーム機がさっそく故障するわ。とか思ったら今まで愛用してきたゲーム機がなんか全部壊れてるわ。仕方ないからパソコンのゲームやるかぁと思ったら今まで積み上げてきたもの全てのゲームデータが消えてるわ……!愚痴をキュートガールな彼女に聞いてもらおうと思ってメールしてもいつもはすぐに短い文でも返ってくるのに全然返ってこないわ!
「おかしすぎるだろー……」
なんだ?夢か?それとも彼女からのささやかなドッキリなのか?もしかして夜くらいになったら彼女が「ドッキリでしたテヘペロ☆」とか言うのか?いや、俺の彼女はそんなことしないし言わない。誰だよ考えたやつ。
小さい丸テーブルにうつ伏せていると喉が渇いた。台所に行くか~、と思って顔をあげるとあら不思議。俺ってばいつの間にテーブルの上に麦茶が入ったコップを置いてたのか。
取り敢えずグビッと飲んでおく。
丸テーブルに壊れたゲーム機を並べてベッドに座る。これからどうするか吟味するためだ。
ゲーム機全部破損、PCのゲームデータ全消去。俺にとっては死活問題だぞ、これ。
修理出せよ!ってなるかもしれないけど、高くない時給のバイトしかやらないフリーターである俺は、先程壊れたおニューのゲーム機になけなしの財産の八割を使ってしまったのだ。これ以上財産を削れば俺は生きていけない。
が!が!!俺はゲーム依存症なのだ!一日に三時間はゲームしないと禁断症状が……。
くっそぉ……。これは全て悪霊のせいだ!
そうさ、そうなんだ!きっと俺には悪霊が取り憑いてるんだ!
だっておかしいだろ。確かに古ぼけたアパート暮らしで上の階の足音とか毎日BGMにしてるけど、明らかにこの部屋から聞こえる自分以外の足音とか、いきなりゲームの類いが全部使えなくなるとか、毎朝騒音で起こされるとか。おかしい。
騒音に関しては隣の部屋に住んでる時代遅れのヤンキーっぽいださいにーさんから怒号の苦情が来ちゃったからな。
でも、彼女に関してはそこまで悪霊の力が及ぶのか、と思う。あんなに優しくてかわいくて、モフモフしたくなるほど従順な愛しい愛しい彼女が俺を無視するなんて……。悲しいよ、グスン。ごめん、従順は違ったかも。
だけども禁断症状だって彼女がいればならないのにな。嫌われちゃったのかなあ。
固いベッドに大の字になっていると、急に体が重くなった。というよりは、何かが俺の上にいるような、そんな感覚だ。
ま、まさかこれが巷に聞く金縛り?俺死んじゃうの??
嫌だ!まだ死にたくない!たしかに俺は生きてたって何の価値もない、俺の人生を一円で買ってもお釣りが出るような男だけども。それでも、俺が死んだらあの子はどうなるんだよ。今無視されちゃってるけどさ、結構ドライな性格だけどさ。不器用にも俺を愛してくれる、あの女の子を悲しませたくない。
彼女は俺が学生だった頃、バイト先で知り合った子だ。俺は塾の採点係兼補助をしていた。塾の中でも一番期待されている生徒で、生徒内でも彼女は噂になっていた。見た目の偏差値も頭の偏差値も高いから、彼氏がどうだこうだとか。一番最後に聞いた噂では、彼女は25歳モデルの男と付き合っていたことになっていた。勿論ただの噂だ。俺が初めての彼氏で、何に対しても初心な反応してくれて、真摯で。ドジやって一週間入院になった時は、中々泣かないあの子が大泣きして俺の裾握りしめていた。
無視されてるけど、俺が死んだと知ったら彼女は責任感が強いからきっと罪悪感に苛まれてしまうだろう。
もう泣かせたくない。あんな悲痛な涙は見たくないんだ。
とか思ってたらスッと重みが消える。俺はすぐに起き上がった。
でもなんだ少し……いやなんでもない。
横目で壊れたゲーム機たちを見つめる。
「暇だなあ……」
素朴な部屋の中でそんなこと言えばもちろんもっと寂しさは増す訳で。バイト?今日は休み。
「奈々……」
久々に彼女の名前を呟いても、もっと寂しさは増すだけ。
ふと、いつも彼女に言われてたことを思い出した。
『翔君は学校の先生になるんでしょ?試験に一回落ちただけで諦めちゃダメだよ』
俺は大学でも優秀な方だった。が、試験は他の奴らは受かって俺は受かんないときた。ショックに立ち直れずいつまでもダラダラとしていると5歳年下の彼女はそんなこと言い出す。
でも、嫌だった。優秀だったからこそ、プライドがある。誰にも負けないくらい努力して来たんだよ。それこそ血を吐く思いでな。
だと言うのに、年下の学生の彼女に言われてしまったから、もっと嫌になってしまった。
それから俺は、ゲームに没頭するようになった。彼女は何度も諦めちゃダメと言ってくるけど、曖昧に返事するだけでやる気なんか出なかった。ゲームは俺にとって精神安定剤みたいなもの。勉強なんてもうしたくない。
「やっぱりあれは酷かったかなあ……」
あれ、というのは同じ一ヶ月前のこと。いつもの如くゲームをしていたら彼女が合鍵使って入ってきて、俺に説教をかましたのだ。
『翔君、いつまでゲームしているつもりなの。学校の先生になるのはもう良いの?ずっとそうやって生きるつもり?あんなになりたがってたのに。あんなに頑張ってたのに。今までの努力を全部水の泡にするつもりなの?あたしはどんな翔君でも良いけど、翔君が幸せじゃなきゃ嫌だ』
『うるさいなあ……。正直に言えば良いじゃん。こんな俺なんか見てらんないって。俺はこれが良いって前も言っただろ。もう良いんだよ、全部、全部。それとも何、哀れんでるの?良いよね奈々は、家はすっごいお金持ちだから色々楽そうで。』
そう言うと、彼女はいつもの無表情を歪めて部屋を出ていってしまった。今にも泣きそうな顔だった。もう泣かせないって誓ったのにな。ごめん。
その日からだ。三十分後送られてきた、『きついこと言っちゃってごめん。でも、翔君が辛そうだから』とだけ書かれたメール以降、連絡は途絶えてしまった。彼女の家に行こうにも、行ったところですっかり嫌われ者の俺は門前払い。そして、奇怪な現象も始まった。
これは彼女の中々勉強しない俺への不満からの現象なのだろうか。それとも、俺の酷い言葉に傷ついた彼女の怨念だろうか。いいや、あの子はそんな子じゃあない。
考えたら止まらなくなったので、一つため息をついて立ち上がる。
歩いて数歩の台所にたどり着き、コンロの横に悠々と存在する見慣れぬ分厚い本を見つめる。なんだ、これ。いや知ってる。俺はこれを知ってる。参考書だ。何のって?察せよ、勉強のだよ。
しかし俺はこんなの買った覚えはない。
気味が悪くなったけど、俺の優秀だった脳はどこまで健在なのか気になり中身をパラバラと開いてみる。
うん、わからない。
ここまで退化するものなのか、俺の脳みそ。
そこで、ページとページの間にピンク色の便箋を見つけた。なんだ?と思い手に取り見ると、俺は便箋を手にしたまま部屋を飛び出した。
『翔君へ
私はここにいます。
会いに来てください。
(××区△△-□□□ 私立○○○○○病院)
奈々より』
どういうことだよ。どういうことだよ!どういうことだよ!!!
俺は悪態を呟きながら道路をサンダルで駆けた。
なんで誰も教えてくれなかったんだ。いや、それは当たり前かもしれない。今のバイト先で奈々を知ってる奴なんかいないし、俺は奈々とバイト仲間以外と会わなくなった。避けたのは俺だ。
たどり着いた病院はそりゃもうびっくりするくらいでかくて白い。けどそんなのは今の俺にはどうでもよくって、すぐ受け付けに走った。
奈々の部屋は個人部屋だった。受け付けの美人お姉さんの話によると、いつもはご家族の方がいるけど今日はいない、と。
確かに誰もいなかった。たくさんの管に繋がれてベッドに横たわる奈々以外は。
交通事故。簡単に表せてしまう奈々がこうなった原因。信号無視した車が奈々を跳ねた、と。これは通りすがりの巨乳ナースから聞いた。意識も戻らないままだが、正直ここまでもってるのも奇跡に近い状態だと。
悔しい。奈々が生死をさ迷っているとき、俺は一人でゲームをしていたんだ。堕落した生活でだらだらと過ごして、連絡のとれない奈々を放ったらかしにして、フラれるのが怖いだけの癖に待ってるんだとか自分に言い聞かせて、自分勝手に生活してたんだ。
許せない。誰よりも自分が。
俺はゆっくりとベッド脇の椅子に座って、奈々の手を握った。
「奈々、ごめん……。俺全く奈々の気持ち考えてなかった。奈々の親御さん、厳しそうだったもんね。俺が教師志望だと聞いて交際を了承してくれたのに、俺が諦めたから親御さん、きっと別れろとか言ってきたでしょ?俺、頑張るからさ。また努力するからさ。独りにしないでよ。君がそばにいてくれるだけで、俺は癒されるんだ。俺の隣は奈々じゃなきゃ嫌だ。絶対に嫌だ。だからさ、不甲斐ない俺を許して……。こんな……、充分に反省したから、俺を、見放さないでくれ……!大好きだよ、大好きだよ、奈々!奈々……」
いつか俺が奈々に「予約」と言って渡した指輪が、俺の指輪と重なる。
「そばにいるよ……。あたしは、いつでも……いつまでも……」
不意にそんな声が聞こえて、俺は奈々の顔を見つめる。
「大好き……翔君……」
今にも消えそうな声と共に、無機質な機械音が真っ白な部屋に響いた。
「高橋先生、前から気になってたんですけど、何で結婚してないのに指輪をつけてるんですか?彼女もいないんでしょう?」
「おお、本条は簡単に人の傷口に塩を塗るな!」
「りい、高橋先生はきっと寂しさを紛らわすためにお洒落として指輪を買って薬指にはめてるだけだよ。そう、お洒落として」
「それとも女性避けのためですか?確かに先生は大人の優しさがある男性って感じで人気ですものね」
「ははっ、嬉しいこと言ってくれるなぁ」
俺はにっこりと微笑んだ。
「俺の奥さんは、ちゃーんとそばにいるよ」
「それ答えになってませんよ」
「まあ、悪霊なんていない、ってこと」
今でも彼女が俺の隣にいることを信じて。
『翔君、浮気したら呪うからね』
不意に背中から悪寒がしたから生徒二人から離れて仕事に没頭した。