Flag-001【運命のゲキトツ!?】
日曜の早朝、上野公園一角の全天候フットサル場は五百人を越えるミニ四レーサー達がひしめき合っていた。フットサルコートのセンターサイドには公認大会用の5レーンタイプの大型コースが設置され、逆サイド側には練習用として、同じく5レーンタイプの小振りなオーバルコースがある。他に受付テントとパーツ販売コーナーがあって、それ以外の至る所にはレーサーが居座っている。フットサルコート周囲の客席は真っ先に埋まり、コート内もフェンス際から順に個人持参の敷物で埋まっていく。九時開場前の時点でその人数が入場列を為してるわけで、開場後、この状態に落ち着くのに五分とかからない。これが、メーカー公認大会のありふれた様相だ。
『れでぃーすあんどじぇんとるめん!誇り高きミニ四レーサー諸君、おはよぉぉぉぉぉぉう!』
十時、メインコース脇のマイクスタンドで若い男が叫ぶ。会場からは数少ない子供とノリのいい大人からまばらな挨拶が返ってくる。そしてガヤガヤとしてまだ静まらない。
『名誉と栄光を賭けた熱きレースの見届け人、ミニ四ノーブル、参上!』
白いナックルにマイクを握り、赤と青のバラを胸に差し、安っぽいながら貴族風な上着を纏う、キザな出で立ちのこの男。公認大会の司会進行役として、代々続くミニ四ファイターの系譜としては珍しくクール系を目指したらしい。そして、その隣にはもう一人。
『おはよーございまーす!』
「オハヨーゴザイマース!!!」
若い女性の声に、会場中からさっきとは打って代わった大歓声が沸き起こる。
『君のソバに、君のトナリに♪耳元のアイドル、声優の近世もよりです!朝も早くからみなさんお集まりいただき、ありがとうございまーす。さぁ、オータムGP2ndということで、この秋二回目ですね。』
『年間チャンピオン戦への切符も残すところあと・・・あとぉ・・・、』
『えー、三回、ですよね?今日と、十一月と、十二月と。』
『・・・そう、その通り!まだ参加権を手にしていないレーサー諸君、限られたチャンスをモノにすべく、今日も果敢に挑戦してくれたまえ!』
この月間GPと、その他臨時開催GPの優勝者だけがチャレンジできる、年間チャンピオン決定戦。十二月のウインターGP1stの決勝後に行われる、栄誉ある特別レースだ。その参加権という狭き門を、誰もが目指し、あるいは憧れてる。もっとも、まだ大会経験の少ない俺はというと気楽なもんで、今日の参加も腕試しぐらいのつもりだったが。
『それでは、本日のスケジュールについてお知らせしますね。まずはこの後すぐ、ジュニアクラス、オープンクラスの一次予選、午前の部を始めたいと思いまーす。』
俺はポケットのホカロンにアルカリ電池4本と、ニカド充電池二本を押し当てて包む。俺の受け取った参加証のエントリーカードは灰色の431。入場順で百人ごとに色分けされてて、予選参加は色別に順番が来る。今日の灰色は400~500番と後半だが、電池の準備はもうしておいた方がいい。
「もよりちゃんが出てる秋の新番、」
「ああ、ギャザロックのタマエだろ?準レギュキャラだけどあれが一番目立ってるよな。」
「あの低いトーンでさ、おまいら、そっくりまとめてデリートするみょ!とか言わねぇかな?」
「版権絡むからさ、ねぇんじゃね?」
「もよりちゃん、ラジオのクロースアワーだとなにげに連呼してるけどな。」
「宣伝だろ、宣伝。」
二十代後半と見える二人組の兄ちゃんが盛り上がってるが・・・俺が知らない世界の話らしい。レーサーは老若男女、ではあるものの、はっきりと偏ってる。男は二十代から四十代が大半。十代後半はやや少なく、十代前半が若干。女はごく少数ながら年代は様々。いずれ誰かの親か、連れか、娘かといったところだろう。中にはより主体的な女性レーサーも少数、いるにはいるらしいが。公認大会に大人が参加できるオープンクラスができた昨今、これがごく普通の分布だった。この第三次ブーム自体が大人を牽引役にしているとされ、巷の大会にしても、第二次ブームの頃とは様子が一変しているらしい。・・・らしい、というのは、そもそも俺は第二次ブームの頃も、大会らしい大会にはほとんど参加したことがなかった。
『それでは諸君、ジュニアクラス、オープンクラス一次予選、午前の部を始めるとしよう!』
『一次予選は五人ずつレースして、一位のレーサーにのみ、二次予選参加権となる襷をお渡しします。』
『コースアウトは失格、完走かつ最速が条件のサバイバルレースだ!覚悟はいいかな?』
『それでは、まずは赤いエントリーカード、100番までの選手のみなさん、車検場へお越しくださーい。』
俺は念入りにマシンをチェックし終えると、荷物を一旦バッグに納めて担ぎ、人だかりの中にあるコースを眺めに行った。ミニ四ノーブルと近世もよりの実況が続く。
『今日もコースアウト率が高いですね。』
『スタート後はストレート、それからS字を描いてバンクを上がって、下って速度が乗った状態で鬼門のテーブルトップへ突入!そしてコーナーを曲がりレーンチェンジ、後はゴールだ。さぁ諸君、これをどう攻める?』
テーブルトップ、これが速度勝負一辺倒のレースの様相を大きく変えるものになっていた。直線のスロープを上り、平らなストレート一枚を過ぎて、また下る。これだけなんだが、多くのマシンはこの登りで飛び上がり、着地の衝撃で跳ね上がり、いずれコースアウトしていく。五台出走して誰も帰ってこないなんてのもざらだ。登りながらのコーナーなら壁に沿って走るため、斜め下向きのフロントローラーがマシンを押さえつけてくれるが、直線の登りではそうした効果は期待できない。フリーなマシンはそのままコース外へと旅立っていく。帰らぬ旅へと。
『おおっと、本日十三回目の完走車なし!』
こういうアスレチックなレイアウトは俗に立体コースと呼ばれ、一方、直線スロープがない速度勝負のコースはフラットコースとか言うらしい。スカッとかっ飛ばせない立体コースにあまり俺は馴染めなかったが、開催運営側の狙いとしては悪くない。不測要素が多い分、ベテラン、初心者の差が埋まるわけで、誰にでも少なからずチャンスがある。幅広い層にミニ四駆振興を図るという点では、賢明な方針だ。
俺のマシン、ドライブウイングはいつも通り、アトミックチューンモーターに大径タイヤ、830ベアリングローラー六個。そうした普段のセッティングをベースに、テーブルトップ対策ももちろん施している。頼みのオプションはリヤアンダーブレーキだ。ゴールドターミナルの梱包材として付属している、青いスポンジシート。これをFRPマルチ補強プレートという細長い板状パーツに張り付け、それを規定地上高ぎりぎりの1mmになるよう、リヤバンパーの下に固定している。登り坂に差し掛かってマシンが上向きになると、このリヤブレーキのスポンジが路面に押しつけられ、引きずられ、減速できる仕組みだ。また、フロントバンパー下部には19mmプラローラーを回らないように固定している。左右両端に飛び出たベアリングローラー下部のネジ頭が、ジャンプ着地の際にフェンスに引っかかるトラブルを防ぐものだ。これがあればフェンスに乗り上げても、ネジ頭より下にあるプラローラーの表面を滑って、マシンがストンとコースに収まる。これらはごく一般的な対策で、人によってはもっとあれこれ満載している。その多くは製品パーツ本来の使い方ではなく、意外な応用によって効果を見出されたもの。数多のミニ四レーサー達が独自に創意工夫してきた産物だ。テーブルトップという未知なる障害に抗うため、誰もが知恵を出して切磋琢磨している。速度を殺さざるを得ないのは不服にしても、その雰囲気というのは俺も気に入っていた。
『青いエントリーカードの方でまだレースに参加されていない方、車検場の方へお越しくださーい。・・・もういらっしゃいません?』
『それではエントリーカード灰色、500番までの諸君、準備が出来たレーサーから車検場へ集まってくれ!』
俺は車検場への列の入り口に立ち、数人が入っていくのを見送ってからぼちぼち続こうとした。そこへ駆け込んできた少年がぶつかってくる。
「ああ、すんません。どーぞお先に。」
「・・・ああ。」
相手は小学生、まぁいいさと思いながらも不機嫌な顔をちらっと向ける。その時、そいつの手にするマシンがちらっと目に入った。前方に尖ったノーズから後方にかけて伸びる赤いライン、細部は黒、キャノピーはクリアグリーン・・・。形状はブーメランと呼ばれる系統のマシンに見えるが、何より気になったのはそのキャノピーが透明だったことだ。そう、六年前にあの姉ちゃんから譲り受けた俺のマシン、ドライブウイングと同じだ。これはクリアファイルを切り取って裏から張り付ける、それだけの単純なデコレートなんだが、余程マイナーなのか他では見たことがなかった。それにあのマシン、以前どっかで見かけたような気が・・・。
右隣のそいつはマシンを右手に持っていて、それ以上よくは見えなかった。あんまりジロジロ見るのも変に思って、俺は目の前で繰り広げられるレースに意識を向ける。五台全て完走、というケースはほとんど見られなかった。車検場への列はジュニアクラスと大人メインのオープンクラスとに分かれ、交互に五人ずつレースを行うという流れだ。で、完走率という点ではどっちもどっちだった。
「次、ジュニアの選手どうぞ。」
車検のスタッフに呼ばれてジュニア側の列が動く。一人目は第一レーン、二人目は第二レーン・・・そして俺は第五レーン。後ろの少年とは別レースとなった。そいつは列の進み具合を気にする様子もなく、終始、食い入るようにレースの展開を見つめている。俺は懐のホカロンで暖めていた電池の中から新品のアルカリ二本を選び、マシンにセットする。走れる状態にしてから車検を受ける、それが決まりだ。
車検の要領は簡単で、車幅105mm、全長165mm、高さ70mmを満たしているか、その寸法の箱に納めて確認する。そして1mm板を車体下に滑らせ、タイヤ以外の部分の最低地上高を確認する。ここでリヤブレーキが板に触れるようなら出直しになるが、程度が小さければ無理矢理指で押し上げて歪ませ、応急で済ますこともある。俺のマシンもスポンジリヤブレーキを1mmすれすれにしているため、スタッフはその下に板を滑らせる。とくに擦れる感じはなく、OKと判断された。それから俺は上着の裏側に張り付けたエントリーカードを見せ、スタッフはそこに、午前一次予選参加済みを示すチェックをマジックで付ける。最後に、5と記された白い丸シールをマシンの上に張り付け、俺の手に戻してくる。このシールの色は五色に塗り分けられたスタートレーンと対応していて、コースを目まぐるしく駆けめぐるマシンを識別するためのものだ。
車検済みの五人列に並び、オープン、ジュニア、オープンとレースが進み、ついに俺らの列の出番が来た。各車スイッチを入れ、スタートレーンにマシンを添える。白い第五レーンは右端、右回りのこのコースなら最初はイン側になる。シグナルは三つ。左右の赤が消えて中央の青が点灯した瞬間がスタートだ。俺は暗いままの青のシグナルを凝視し、そこに何かの変化が起こったと感じるや否や、マシンを離した。各車一斉にスタートレーンのスロープを下っていき、コース本線に滑り込む。それからスタートレーンは獅子脅しのように先端を持ち上げてコースから外れ、周回がつながる。
最初の直線、俺のマシンはわずかにリードしたまま進むも、S字で他車に追い付かれる。明らかに他車の方が速度域は上だ。普段の高速レースならこの時点で速度負けがはっきりするが、鬼門のテーブルトップがある以上、勝負は見えない。それにコース全長が長く、燃費の悪い車は後半、目に見えて消耗してくる。
『さぁ、バンクの次は問題のテーブルトップ!各車五月雨に飛んだ!』
先行する一台目はテーブルトップ後の着地であらぬ方向へコースアウト、二台目は何とか着地。そして俺のマシンは、他車よりいくらか大人しく飛び、着地も難なくこなす。狙い通り、テーブルトップ直前でブレーキが働き、十分減速できたようだ。四台目は着地で跳ねてコースアウトし、早くもコースには計三台しか残っていない。続いてコーナーを抜けると、俺のマシンはレーンチェンジに差し掛かる。形状は3レーンと同様、S字のブリッジが右端のレーンから左端のレーンへと渡るものだ。しかしコースのサイズが大きい分、ブリッジのスロープが緩やかなので難易度は低いとされている。俺のマシンはここでもリヤブレーキが効くため、ほとんど心配はしていない。そして、何事もなくクリアできた。
『トップはアバンテ、続く二台も差はストレートセクション一枚分程度、まだわからない!』
この時点でこの差なら、まだ勝機はある。公認大会において、大抵の相手はダッシュ系モーターに小径タイヤ、対する俺は低出力低消費のチューン系モーターに大径タイヤだ。しかも3レーン高速コース想定の駆動効率と軽量さが自慢のマシン、速度域にそれほどの違いはない。後半、十分挽回できるはずだ。
『二度目のテーブルトップはどうでしょう!?』
『一台コースアウト!残念。』
トップのマシンは華々しく散った。安定性に対していささか速すぎたようだ。俺のマシンと続く残る一台のみ生存、一対一となった。相手は第四レーンスタートのマシンで、ここでレーンチェンジをクリアし、俺のマシンのアウト側に来る。勝機が見えてきた。
『現在トップは変わって・・・なんていうマシンでしたっけ?』
ミニ四駆経験ありとされる近世もよりだが、カバーしている範囲に穴があるらしい。ミニ四ノーブルはさすがにご存じだった。
『ビッグバンゴーストだ。シャーシはTZXかぁ?』
感心なことに、この速さでシャーシまで見抜くとは・・・さすが見届け人は違う。
『しかーし、続くマンタレイMk-Ⅱも追い上げてきた!』
まさか、と思いよく見ると、確かに差が詰まりつつある。三度目のテーブルトップを互いにクリアし、三周目を終えると若干リードされている。俺は想定外の展開に我が目を疑いつつも、自分のマシンが時折、何かに引っかかるように直線で左右にふらつくのに気づいた。
『さぁ四回目のテーブルトップ・・・おおっとマンタレイコースアウトで残り一台!ビッグバンは完走できるか?』
幸いにして懸念材料はコース外に去った。だが、俺のマシンも今のテーブルトップは危なかった。登りスロープでまっすぐ飛ばず、着地でフロントバンパーがフェンスに乗り上げたのがわかった。フロント下部の固定ローラーのおかげか、スムーズに復旧できたが。その後五周目も怪しい腰振り挙動を見せつつ、マシンは進む。
『さぁ、これで戻れば襷ゲットですね・・・はい、ゴールです!おめでとうございます。』
辛くも完走し、スタータースタッフからジュニアクラス一次予選通過の証である、黄色の襷を受け取る。俺はもう一周回ってきたマシンを止めてコースを離れた。すぐさま、マシンの状態をチェックする。駆動音は問題ない。ホイールに歪みもない。強いて怪しいのはリヤアンダーブレーキか?俺はふとコースを振り返り、次のオープンクラスのレースを眺める。
『おおっとまたもテーブルトップでアクシデント!逆走車もリタイアになるぞ。』
俺はその逆走車に目が止まった。コースの継ぎ目継ぎ目で何かに突っかかるように減速し、すぐさまスタッフに引き上げられる。5レーンの公認コースは市販コースとは違う。レーン寸法自体は幅、高さともに変わらないが、壁も路面も材質が違う。そしてもう一つ失念していた違いが、数十cm置きのコース継ぎ目にある、逆走防止の2mm弱の段差だ。実際、順走するマシンはごく浅い階段を下るような感覚で走っている。俺のマシンの場合、たぶんリヤの地上高1mmのブレーキが、この段差を通過する際に擦っていたんだろう。それなら腰を振られるような挙動も納得できる。特に電池が減って勢いが落ちた後半、それが頻発してたようだ。
「ワッシャー一枚分くらい、持ち上げるか・・・」
そのくらいなら、ブレーキの効き自体はさほど落ちないだろう。それで腰振り挙動が解消されるかは、練習コースで確認できる。これで、二次予選までにすべきことは決まった。悩みが晴れてコース脇を離れようとしたとき、ちょうど次のジュニアクラスのレースが終わるところだった。
『ゴール!』
ノーブルの叫びと共に、パチン、という甲高く指を鳴らす音が響く。振り返ると、スターターから襷を受け取っているのはさっき俺のすぐ後ろにいた、あの少年だった。
「どうもどうもー・・・よっしゃ!」
あいつ、なかなかやるらしい。さっさとコースを離れていったので、どんなセッティングかはわからなかった。
一次予選は午後の部もあり、再チャレンジできる。すでに襷を持っている俺も、オープンクラスなら練習がてら参加できたが、マシントラブルが怖いのでパスした。生憎と手持ちの予備パーツが豊富とは言えず、万が一シャーシが壊れるようなことになれば二次予選どころじゃない。セッティングの不安はほぼ解消できていた。ブレーキの高さをワッシャー一枚程度、約0.4mm高くした。練習コースで確認した限り、電池の勢いが落ちても例の腰振り挙動は見られない。完走はたぶんできる、あとは今の速度域が勝ち進むのに十分と言えるかどうかだ。
『さぁ、これで一次予選を終了するぞ!続いて二次予選スタートだ!』
『えーそれではですね、まずはジュニアクラスの二次予選から始めたいと思います。一次予選を勝ち抜いて、黄色い襷をお持ちの選手、車検場までお越しください。』
俺はすでに列の入り口付近に控えており、その呼び掛けと共に流れ込む人並みに滑り込んだ。先頭から数えて四人目、といったところだ。ふと視線を戻すと、目の前に見覚えのある少年がいるのに気づいた。
「今度はお先に失礼、兄ちゃん。」
そいつも俺を覚えていたようで、振り向いて声をかけてきた。
「兄ちゃん、初っぱなに並ぶくちかい?速い奴とか慣れた奴が少なそうだから、とか?」
「まぁ、な・・・。」
図星だった。確かに、手練れっぽい奴は自信があるのか後半に並ぶような気がして、俺は何となく避けているところがある。なかなか鋭い奴だ。と言うことは、こいつもそういうことを考えてるってことか?
「兄ちゃんのマシン、なかなかイかしてるな、それ。」
「あ、ああ。」
俺はセッティングをあまり悟られまいと、軽くちらつかせるだけにした。一方で、さっきから気になっていたそいつのマシンを覗き込むようにする。
「おまえのマシンは・・・、」
「おう、オレのも見てくれよ!」
そいつは自慢げにマシンを俺の前にかざしてきた。ボディのベースとなっているマシンはたぶん、第二次ブームに発売されていたアストロブーメランだ。俺にとっちゃ見覚えも馴染みもあるが、今時店頭で見かけることはまずないマシンだ。それが、最新のMSシャーシに乗るよう器用に改造されている。中央にモーターを備える、文字通りミッドシップのこのシャーシ。実は大半のジュニアレーサーはこれを愛用している。駆動効率の良さと高い強度のおかげで性能が安定しており、若干重いのを除けば優秀なシャーシだ。
「エスペランサっていうんだ。GPチップもついてるんだぜ。」
「エスペランサ・・・そのマシンの名前か?それにGPチップって、」
印象的なクリアグリーンのキャノピーの奥には、確かに15mm四方のICチップを模したものが垣間見える。それこそそんなお飾り、レースで付けてるのは俺くらいのもんだと思っていた。ますます、俺のドライブウイングに似ている。
「次の君、どうぞ。」
「お、おう。」
車検スタッフに呼ばれ、少年はマシンをそちらへ渡す。装備はというと、タイヤは大径、ローラーは9mmベアリングが六個、それに俺と同じようなリヤブレーキがついていた。
『それではジュニアクラス二次予選、最初のレースを始めるぞ!』
あの少年は3コース、俺が4コース。俺が先にレーンチェンジしてインに回り込み、あとは逃げ切るポジションだ。左右のレッドシグナルが灯る。そして程なく、ブルーのシグナルへと切り替わった。
『さぁ、各車一斉にスタート!最初のS字を過ぎてバンクを上がる、続いてテーブルトップはどうだ?』
俺はクリア、アストロブーメランのあいつもそれに続いた。全車コースアウトなし、さすがに一次予選を完走しているマシンばかりだ。だが、電池パワーもコースコンディションも違ってるはずだから、このまま全車完走とは行かないだろう。
『一周戻ってきてトップは・・・白いトルクルーザーですね?』
『続くはビッグバン、ネオファルコンだ。五台ともまだ差はわずか!』
あいつのアストロブーメランは四位に続く。直線の速度にそれほど差はなく、このままもつれ込むだろう。
『さぁ二周目のテーブルトップ・・・おっとここで一台コースアウト!』
飛んだのはビリのマシン、大勢に影響はない。俺のマシンはインレーンで稼いでトップに出ていた。最後にレーンチェンジをクリアし、アウトレーンに移る。あとは逃げだ。
『トップは入れ替わってビッグバン、三周目に突入だ!』
直線を飛ばしてS字に入る。もっとも不利なこの一周を耐えきれば、勝機はある。バンクを下ってテーブルトップに突入したとき、トップに出たのはあいつのアストロブーメランだった。最後のレーンチェンジで俺のアウト側に移り、ストレート一枚分程度のリードを保っている。そして先ほどまでトップだったトルクルーザーは俺のマシンとほぼ併走、確実に速度が落ち始めていた。俺は勝てるという確証を感じていた。
『一試合目から大接戦ですね!』
『素晴らしい、実に素晴らしい!さぁ残すところあと二周!』
次のS字を終えたとき、あいつのアストロブーメランはまだトップを守っていた。小径ダッシュマシンとおぼしきトルクルーザーの方ばかり気にしていたが、ここに来て、意外にあいつも侮れない気がしてきた。そういえば、あいつのモーターは何だ?大径タイヤでも安定性を損なわない程度の速度域だから、まさかダッシュ系モーターな訳はない。ならチューン系モーターか?だとしたら、俺のマシンと同等の性能を持っていることになる。そして、順位はそのままに四度目のテーブルトップに差し掛かった。
『さぁここも順調に・・・おや?』
『あれ、今のはコースアウト、でしょうか?』
一瞬、目がついていけなかった。テーブルトップを越えた後、何か起こったらしい。ノーブルももよりちゃんも状況が掴み切れず、言い淀んでいる。よく見れば俺のマシンは左バンパーがフェンスに乗り上げたまま、辛うじて走っている。そしてその同じレーンの前には、あの少年のブーメランが走っているのだ。俺は慌てて、今自分のマシンが走っているレーンが、本来あるべきレーンであるか確認しようとした。
『わかったぞ!トップのブーメランがテーブルトップの着地に失敗し、隣のレーンに割り込んだようだ!ブーメランは失格だ。』
ブーメランがこちらのレーンに割り込んだとき、俺のマシンに接触して挙動が乱れたようにも見えたが、そうは判定されなかった。俺のマシンは何とかフェンスを滑り落ちてコースに収まり、五周目のストレートから再加速する。だがその間に、トルクルーザーはスムーズにレーンチェンジをクリアし、ストレート二枚分ほど先行していた。暫定二位、なんとしてもあれには追いつかなきゃならない。が、鼻先をブーメランに塞がれているジレンマ・・・。
「おいおい、本格的にヤヴァい・・・。」
俺の意味不明な口癖がこぼれる。その時、ブーメランを駆る少年は言った。
「わりぃ兄ちゃん。でもこれ以上は邪魔しねー、このまま行こーぜ!」
「・・・は?」
失格車はすぐにコースから引き上げられるのが普通だが、その際にすぐ後ろを走る俺のマシンも一緒に止めてしまうのを恐れてか、スタッフは手を出さない。そのまま、二台連なってトップを行くトルクルーザーを追撃する。相手は二つ隣のアウトレーン、しかも電池は落ち気味、確かに勝機はある。S字に突入した時点で、じわりと追いつくのがわかった。
『さぁ、古風な二台がトルクルーザーを追う!ブーメランは失格だが、レースはこのまま続行するぞ!』
ノーブルの実況でふと気づけば、確かに、俺のマシンはブーメランに追いつくかに見えて追いつかない。むしろ、わずかながら差が広がっているようにも見えた。
「あいつのマシンの方が、速い・・・?」
そしてバンクを下り、最後のテーブルトップに突入する。二台続けて軽くジャンプし、下りスロープに滑り込む。着地したや否や、勝負が掛かってる俺以上に白熱した少年が、叫んだ。
「突っ切れぇえええ!」
コーナーを曲がり、レーンチェンジを過ぎ、最後のコーナーを曲がり、三台一丸となって持ち上がったスタートレーンの下に潜り込む。そしてそこをくぐり抜けたマシンが姿を現し、相次いでチェッカーラインを過ぎ行く。
「よっしゃ!」
少年はまた、甲高く指をパチンと鳴らしていた。
『トップはブーメラン!・・・ではなく、』
俺には三台のマシンが、二つのレーンから互い違いに飛び出してきたように見えた。それが、結果を示していた。
『トルクルーザー、ビッグバンの順だ!ということで、』
『トルクルーザーの選手、おめでとうございまーす!決勝参加券を受け取ってくださいね。』
白いトルクルーザーとの差は二台分程度、間違えようはなかった。そのマシンは途中でスタッフが回収したが、俺らのマシンはもう一周を終えて戻ってきた。ブーメランとビッグバンの差は三台分しかなく、俺はまず先を行くブーメランを拾い上げることにした。コースに手を入れ、マシンの速度に合わせながらすくい上げる。ギヤに負担をかけないためのミニ四レーサー必修テクだ。後に続く俺のマシンはスタッフが止めてくれるだろう、と思って見送ると、すぐ後ろであの少年がすくい上げていた。その手つきも、その歳にしてはやけに手慣れて見えた。
「サンキュー兄ちゃん。」
「ああ。」
俺はブーメランのスイッチを切る際、ちらっとモーターを覗いた。オレンジのエンドベル、トルクチューンモーター・・・つまり、俺のアトミックチューンとさほど違わないモーターだった。
「いいマシンじゃん・・・よっく見るとオレのエスペランサに似た加工だね。何って言うマシン?」
第二次ブームを知らない年齢のはずのそいつが、単にビッグバンゴーストを知らなくて聞いたんだろうと思いながらも、俺はこう答えていた。
「・・・ドライブウイングだ。」
「ふーん。ちゃんと名前、あるんだな。」
互いにマシンを返しながら、少年は続けて言った。
「オレ、佐々薙壮太。兄ちゃんは?」
「え?」
「マシンに立派な名前あんのに、兄ちゃん名無しってこたないだろ?」
ストレートに名乗ってストレートに名前聞いてくる奴なんてあまりお目にかかった試しがないもんだから、俺は少し戸惑い気味に答えた。
「・・・依酉、翔司郎だ。」
「あーショウジロウな。今度会うときは3レーンでスピード勝負しよーぜ・・・と、じゃな。」
少年、壮太は誰かに呼ばれたようで、さっさとコース外に去っていった。その先には年齢層の高い男ばかりが何人か集まっていた。
「お疲れさん、残念だったなぁ壮太。」
「へ、ちょっと頑張りすぎた。」
「もっと着地対策やってれば何とかなったんじゃないのか?」
「重たいのはヤなんだよなー。」
「・・・お、壮太の姉ちゃん来たぞ。」
フットサルコートの出口側に目をやると、この会場には不釣り合いな、ちょっとチャラそうな女子高生が紛れ込んでいた。そのまま壮太のところへまっすぐ来て、声をかける。
「壮太、帰る?」
「おう!ねーちゃん、今日も勝ったぜ!」
「なに言ってんの、この時間で帰れるんならまた予選止まりでしょーが。バイト前ちょっと時間あるから、マックでも食べてく?」
「やりぃ!戦勝祝いってやつだな?」
「だから、あんた負けたんでしょ。」
「速さなら負けてなかったぜ!ダッシュモーター積んでる奴らをトルクでぶち抜いたんだからな。」
「でも、どーせコースアウトしたんでしょ。」
「いんや、一応最後まで走ったって。」
「じゃあ一番速くてコースアウトしなかったのになんで勝てなかったか、わかるように説明してみ。」
「はぁ?・・・負け方なんて男にくどくど説明させるもんじゃないぜ。姉ちゃん、そういうの嫌われるぞ?」
「なによー?生意気言って、」
騒々しい姉弟を見送りながら、俺はゴールしたときのあいつのマシンとの差を思い返していた。レースが終わった時点で、俺に再レースの異議申し立てをする気はなかった。仮にあのアクシデントがなかったとして、あいつのブーメランに確実に勝てたと言えるかどうか、定かじゃなかったからだ。
佐々薙壮太、エスペランサ・・・その名前を忘れるより先に再び相見えようとは、この時はまだ思いもしなかった。
次回予告
翔「エスペランサか・・・なんっか見覚えあるんだけど、思い出せねぇんだよな。」
壮「世界に一台、オレのマシンだ。他にあるもんか。」
翔「ところでそれ、あきらか3レーン向きのマシンだよな。」
壮「お、わかる?じゃあさ、とにかくスピード勝負しようぜ!」
翔「でもなぁ、いいコースがある模型店、あんま知らねーしな。」
壮「ガーデン日吉に来なよ。あそこなら存分に走れっからさ!」
翔「んじゃ、お言葉に甘えてお邪魔するか。次回エアーズ、Flag-002【巡り巡って巡り逢い】」
壮「チェッカーラインを見逃すな!」
翔「こいつ・・・百歩譲って台詞は譲るが、チェッカーラインは譲らねー。」
もより「この物語は一切合切フィクションです♪みなさん、フィクションの意味、ご存じですよねー?」