Flag-000【俺とこいつのStart line】
「カシャ・・・、カシャカシャ・・・、カシャシャ・・・。」
風音に紛れ、軽い高音が野外に響く。低く抑えられた音が終始続く中、加えて断続的に発せられるその高音は、一定のリズムを繰り返す。それは遠ざかっては近づき、また、遠のいていく。
「よさげかな。」
俺は呟くと、再び近づきつつあるその音のする先へ平手を置く。それが指先を乗り上げる瞬間、わずかに手前に退きながら軽く持ち上げると、静かな脈動が伝わってくる。そいつをすくい上げ、スイッチを切る。それから、その細部をまじまじとチェックする。見るべきところはわかってる。両サイド計六個の金属ローラーには黒い汚れが付着、これはガムテープとかコース壁面の汚れだ。こいつは爪で削り落とせばいい。タイヤの表面には土埃が浮いている。乾燥したこんな季節の屋外コースだと、これも避けられない。
「ま、綺麗なほうか・・・。」
秋晴れの雲一つない水色の空と、黄みがかった陽光の下、幾らか冷えた指先でメンテする。そいつの姿も、そんな色をしている。透き通る水色のメインキャノピー、赤色のリヤキャノピー、ブルーのライン、黄色いサイドフェンダー、そして白いボディ。巷じゃビックバンゴーストなんて仰々しく呼ばれるそいつを俺は、ドライブウイング、と呼んでいる。ていっても、俺が名付けたわけじゃない。
俺、依酉翔司郎とこいつとの出会いは、かれこれ六年ほど前になる。
ミニ四駆ってのは平たく言えば、電池とモーターで動く1/32スケールのモデルカーだ。こいつは幅115mm、フェンス高50mmのレーンで構成された専用コースを走る。ラジコンと違ってステアリングなんてない。だからスイッチを入れたら直進するだけなんだが、前後バンパーの左右に最大六個まで付けられるローラーのおかげで、滑らかにコーナーをクリアする。そもそもは部屋やら砂場やら、その辺で走らせるだけのもんだったらしいが、今や秒速5~8mでコースを駆け巡り、その速さを競うものになっている。
まだ2000年を迎えない頃、ミニ四駆は第二次ブームの絶頂を向かえ、やたら流行りまくってた。まだ小学校に入ったかどうかの俺も例外なくその人気に呑まれ、ミニ四駆を手にした。大抵の模型店にはミニ四駆のコースがあり、放課後は友達と走らせにいくのが日課になってた。それがいつしか週間になり、月間になり、仲間も一人二人と減り、店もコースをたたみ始め・・・気がつけば、俺は一人で走ってた。関連するTVアニメが終了した辺りから、世間のミニ四駆熱はわかりやすいほど一気に冷え込んでいった。当事者の俺が言うのも何だが、とかく小学生男児なんて飽きっぽいもんだ。やりこみを要するようなもんなら、ちょっと行き詰まっただけで興冷めする。でも、俺はそれが気に入らなかったんだ。だから、俺は走ってた。
2002年の春先にもなると、身近に通えるコースのある模型店は、新宿オフィシャルガーデンしか残ってなかった。その名の通り、メーカー直営の模型店だ。デパートの屋上によくある遊技場、その隣に店を構え、3レーンタイプのコースを野ざらしに設置していた。これは三つのレーンが並んだ、長さ50cm程度のストレートとカーブのセクションを連結して構成されたもので、ちゃんとしたコース、といえば普通はメーカー製のこれを指す。ここのコースの規模は市販セットの四つ分、三周廻ってだいたい80mといったところだ。土曜の昼、最盛期よりまばらになったとはいえ、十人くらいはいただろう。ただ、中学生から先、大人ばかりが目立った。小学生など俺の他にいない。
俺のマシンはその時もビックバンゴーストだった。今の相棒ではなく、強いて言うなら先代に当たる奴だ。別段、このボディに執着があったわけじゃない。比較的軽そうだから、たまたまその時、シャーシに載ってただけだった。念入りにこしらえたマシンは、コースに入れるとキビキビ走る。自分にとっちゃ文句ない出来だ。が、そこへ他のマシンが入ってくる。スルスルと滑るようにコースを駆け巡り、やがて俺のマシンを抜き去っていく。そこで走らせている連中が相手なら、大抵結果は同じだった。
「・・・速いっすね。」
「アトミだけどね。」
俺が訊ねると、これも決まってそんな答えが返ってくる。その頃の自分のマシンは、前輪は大径ワンウェイホイール、後輪は大径ノーマルホイール、タイヤはレストンスポンジ。フロントバンパーはワイドバンパーに9mmベアリングローラーを装備し、リヤはスライドバンパーステーに19mmアルミベアリングローラーを上下二段で装備。前後とも、横幅は規定上限の105mmまで拡張している。そして600円もする高出力モーター、ジェットダッシュを積んでいた。じゃあ相手はというと、四輪とも細身の前輪用大径ノーマルホイールに、ただのゴムタイヤ。バンパー幅は同じく105mmだが、830ベアリングというもう少し高価なローラーを6個装備し、フロントは一段、リヤは上下二段。そして300円の低コストモーター、アトミックチューンを積んでいた。モーターの性能差は回転数、出力ともに決定的にこっちが上・・・なのに、だ。もう少し正確に言うと、違いはそれだけじゃない。彼らのマシンの前後バンパーは自作された硬質樹脂製、シャーシは穴だらけで軽量化され、駆動部分はベアリング以外に接触する部分がないよう加工されている。固くて軽くて駆動抵抗が少ないからこそ、低出力モーターでもそんだけの速度が出るんだということは、わかっていた。
また、嫌らしいほどにあからさまな違いとして、連中のマシンはコースから引き上げると、野外で聞けばほとんど無音みたいなもんだった。俺のマシンみたいにいかにも速そうな音なんて立ててない。そんな無駄に喚き散らす余裕があるなら、走りに徹しろと言わんばかりに閑黙だった。俺は嘶くマシンを引き上げるとコースを離れ、荷物を広げたテーブルに引き返す。もっと速くする策を思いついてワクワクしながら戻る、なんて感覚は沸かなかった。そんなミニ四駆の醍醐味を忘れるほど、行き詰まっていたんだ。あれは、まさしくそんな時だった。
「ビッグバンだね。」
不意に声をかけられ振り向くと、中学生くらいの姉ちゃんだった。髪は肩までのストレートで、カウボーイが被るような鍔の広い大きめの帽子を首から背中にかけている。隣のテーブルに座って椅子に足を置き、遠目にコースを眺めていたようだ。
「結構渋いね。そいつが君のお気に入りかい?」
「いや、別に・・・。」
俺がやっと素っ気なく答えると、姉ちゃんのトーンがふっと落ちたのがわかった。
「・・・そう。」
俺はそもそも、ここの連中とほとんど会話を交わすことはなかった。誰も彼も、なんとなくよく見かける気がする程度の認識で、知り合いらしい知り合いもいない。だから、その姉ちゃんが普段からここにいたのか、俺みたいな新参者なのかはわからなかった。
「シャーシは?TZか、いいね。」
無口な俺に、続けて話しかけてくる。スーパーTZというのは俺がミニ四駆を始めた頃に出てきた、ホイールベースがやや長いタイプのシャーシだ。前後輪の間隔が広いので直進性はいいが、コーナーに不向き。大抵のコースではホイールベースが短いスーパー1シャーシとかの方が有利なんだが、駆動系の善し悪しにバラツキが少ないため、無難なこいつを愛用していた。
「リヤは何でスライドなんだい?」
「・・・コーナーでローラーが引っ込めば、マシンが内側向くんで。」
これは俺の趣味みたいなもんだった。直線では前後ともローラー幅が同じなんでマシンは直進するが、コーナーでは遠心力でローラーが押しつけられて、リヤだけがスライドする。よって、リヤバンパーの幅が狭くなるのと同じ効果がある。そうすると幾分コーナーのキレがよく、ちょうどドリフトみたいな挙動になるのが気に入っていた。俺のつたない回答でも狙いが伝わったらしく、姉ちゃんは納得したようだった。
「ふーん。君、賢いね。」
その姉ちゃんは傍らにバッグを置いていたが、道具も何も広げてはいなかった。しかし、マシンは持っていたはずだ。ビッグバンゴーストなんて特別人気があるわけでもない俺のマシンを言い当てるくらいだ。少なくとも誰かの付き添いとか、ただの見物人じゃない。ミニ四レーサーなのは、間違いない。・・・と、色々気にはなる一方、俺は自慢のマシンの限界にさいなまれるばかりで、とてもお喋りな気分じゃなかった。その短いやりとりの間、俺の手は淡々と荷物をたたんでいく。帰るにはまだ日が高かったんだが、その日、そこでする事はもうないと悟った。
「帰るの?」
「失礼します。」
「ああ、またね。」
また、があるかもわからないので、特に何も返さなかった。呆れるくらい無愛想なガキだったと、我ながら恥ずかしくもなるが、その時はとにかくそんな気分だった。
帰宅すると、俺はバッグの中身を机に広げだした。マシン、パーツ袋、工具、充電器と取り出し、最後に一つ、袋を取り出す。その中にはローラー用の830ベアリングが3セットと、シャフト軸受け用の620ベアリングが3セット、その他新品のミニ四駆のパーツと、ノートサイズの硬質樹脂一枚、ギヤ用のちょっとお高めなシリコンオイル。帰るまでの間に、俺の腹は決まってた。いや、その日、元よりそのつもりだったんだ。もし今できることを全てやってダメなようなら、思い切って乗り換えようと。昼間追い抜かされたマシンのような、徹底的な加工マシンに。当時我が家に入ったばかりのインターネットで、だいたいの改造項目は押さえていた。小遣い大枚をはたいて材料も揃ってる。そこまでしていて、なぜ着手しなかったかって?強いて言うなら、何となく自分のマシンじゃなくなるような、そんなためらいがあったのかもしれない。
薄緑色のFRP硬質樹脂のボードに、バンパーの型をマジックでなぞり、手鋸で切り出していく。TZシャーシの元々のバンパーをばっさり切り落とし、特殊な接着剤でその自作バンパーを固定する。それから、各部のギヤをネット情報に従い加工していく。歯先が丸みを帯びるように、シャーシと接触する面積が小さくなるように、余分な部分を落とし、細かいヤスリで滑らかにする。シャーシの接着剤が乾くまでは時間が要る。俺は軽量化や駆動系調整に移る前に、隅で転がるボディ、ビックバンゴーストに目を付けた。どうせなら、こいつも徹底的に軽くしようと思った。
慣れない作業を次の日までかけ、俺のマシンは変貌した。見てくれは新宿オフィシャルガーデンの連中が走らせてるものと大差なく見える。電池を入れると、無音とはいかないにせよ、前よりは幾分マシに聞こえた。そしてビッグバンゴーストのボディは印象的なサイドフェンダーがばっさり落とされ、ほとんどキャノピー周りが残るだけになっていた。
次の水曜日、俺は学校から帰るとあらかじめ用意していた一式のバッグを手に取り、新宿へ向かった。平日の新宿オフィシャルガーデンは無人同然だった。いつもの連中とやり合う前に、まずは生まれ変わったこいつの実力を確かめておきたかったんだ。
ギヤなしで逆回転5分、正回転5分でよく慣らしたアトミックチューンモーターは静かな唸りを上げる。俺はほのかな期待に胸を膨らませ、そいつをコースへ投入した。・・・確かに、前のマシンよりは速い。アトミックチューンでこれだけ速かった試しはなかった。だが、連中並かというとハテナが付く、そんな感じだった。
「ずいぶんと思いきったことしたね。」
急に声をかけられて振り向くと、土曜に会った姉ちゃんがいつの間にかそこにいた。学校帰りなのか、コートの下には制服が見える。電車で見かけたことがある、どこか有名私立中学のブレザーだ。姉ちゃんのその目は、どこか憂うようだった。
「それで、速くなったのかい?」
「少しは。」
これだけやって思ったほどではなかったことに、俺はそこそこ落胆していた。それは姉ちゃんにもわかったんだろう。
「じゃあ、そのご自慢のマシンと勝負しよっか?」
「え?」
姉ちゃんはスクールバッグからミニ四駆一台がピッタリ入るような小箱を取り出す。ミニ四駆のアニメのキャラクターが腰のベルトにぶら下げ、カシャッと開くようなケースだ。そこに十字架のような青いマークが描かれている。
「こいつで相手になるよ。」
その中から引き出されたのは、クリアブルーキャノピーのビッグバンゴーストだった。なるほど、そもそもビッグバンゴーストが愛車だったらしい。そのセッティングは、前後ともワイドバンパーに830ベアリングローラー、タイヤは全て前輪用の大径ゴム。基本的には普段ここにいる他の連中と大きく違わない装備なんだが、ぱっと見る限り、売ってるパーツがそのまま組まれているだけなのだ。ホイールからシャフトが貫通しているのを除き、他に何ら加工されているようには見えない。バンパーが本来の取り付け方と少し違うなど、細部に変わった特徴があるとはいえ・・・正直、そんな速そうなマシンには見えなかった。
「こっちもTZXシャーシにビッグバン、他の装備もそんなに違わないみたいだし。」
「・・・はい。」
「じゃあ、このコースを3セット、九周で行こうか。電池は?」
俺は使いかけのメーカー製1000mAニカド式充電池が二本、まだ手をつけていないのが二本。姉ちゃんはポケットから同じく1000mAニカド二本と、ビニールを被った新品アルカリ電池4本を取り出す。
「あ、ニカドじゃ差がつくかもしんないから、折角だしアルカリにしよっか。コレ、貸すよ。」
姉ちゃんはビニールを破くと、どれでも好きなのを選べって感じで四本を差し出す。俺は真ん中の二本を引いた。
「メンテはいいの?こっちは今日一本目だからいいけど。」
こっちも五、六回走らせただけだ。やるべきことは思い当たらない。
「大丈夫です。」
「ホントに?真剣勝負だよ?」
「え・・・はい。」
ミニ四駆なんてのはスイッチ入れてコースに入れるまでに何をしたか、それで全部決まっちまう。が、そういうときに何をすべきかすら、その時の俺はさっぱりわかっちゃいなかった。
「・・・じゃあ、行くよ?」
3レーンの内、俺はインレーン、姉ちゃんは隣のミッドレーンを取った。そして同時にスイッチを入れる・・・というより、俺は相手がスイッチを入れたタイミングに気づかなかった。
「ゲットレディ?・・・ゴォ!」
ほぼ同時に滑り出す二台のビッグバン。最初のストレートを抜け、そのまま連続コーナーを揃って進む。俺のマシンが先にレーンチェンジブリッジをクリアし、一周目を終えて戻ってきた。このとき、二台はまだピッタリと並んでいた。最初をインレーンでスタートした俺のマシンがまだ横並びということは、実のところ負けていることになるのだが。二周目、インレーンに移った姉ちゃんのマシンは最初のコーナーから前に出た。一周目より加速してるようで、そのまま差が開いていく。そしてその速さ、他の徹底加工マシンの連中とほとんど変わらないように思えた。姉ちゃんのマシンはレーンチェンジブリッジを半ば浮かびながらクリアする。右端レーンの緩いスロープを上がり、左端レーンへと下っていくS字の橋桁、これが最もコースアウト率の高い難所だ。二周目を戻ったところで、ストレートセクション二枚分、1m近い差があった。俺のマシンはミッドレーン、姉ちゃんはアウトレーン、挽回は見込める。そしてちょうど三周、つまり1セットを終えて戻ってきたときに、両者の差がはっきりする。俺のマシンの方がイン側なのに、差は埋まらない。いや、なおも開いていくようだった。連続コーナーの動き、直線での再加速、どれを取っても相手の動きの方がキレがあるように見えた。ストレート四枚分のメインストレートに戻ったとき、姉ちゃんのマシンはもうその先のコーナーに差し掛かっていた。駄目だ、違いすぎる。俺は四周目に入るところでマシンを止めた。
「やめるのかい?」
姉ちゃんは鋭く訊ねながら、自分のマシンを引き上げる。
「ちょっと、セッティング変更を。」
「・・・ああ、いいよ。」
肝心なことを忘れてた。相手のモーターはなんだ?それを聞いちゃいなかった。あんな何も手が加わってなさそうなマシンが、アトミで速いわけがない。チラッと覗こうとしたが、マシンの右側が向いていてモーターエンドベルの色は確認できなかった。だが、アトミックチューンのグレーじゃないだろう。赤か、あるいは黒か、その辺に違いない。そう思った俺は、相手に背を向けながらそそくさとボディを外し、モーターボックスを外し、そこからアトミックチューンを外し・・・代わりに、馴染みのジェットダッシュモーターを積んだ。俺は黒いエンドベルの覗くマシンの左側を手で覆うようにして、再びコースに戻った。今度は姉ちゃんがミッドレーンを取り、俺がアウトレーンスタートになった。
「仕切直しでもう九周にしようか・・・行くよ?」
姉ちゃんが先にスイッチを入れる。入れたはずなんだが、俺はその音をよく聞き取ることができなかった。俺のマシンより確実に静か、この店の他の連中と同じ・・・やはりアトミなのか?
「ゴー!」
スタートはわずかに俺が前に出た。アウト側にいながら、そのわずかな差を維持したまま連続コーナーを過ぎていく。勝てる、かはわからないが、今はまだ勝っている。戻ってきたメインストレートでその差をもう少し開く。姉ちゃんのマシンは食らいついて引き下がらない。しかし、次は難所のレーンチェンジだ。先ほどの危なげに見える挙動に一縷の望みを託し、相手のマシンを見守った。ブルーキャノピーのビッグバンゴーストはレーンチェンジブリッジの頂点でわずかに浮き、平行に飛び出す。それでも姿勢を保ったまま下りのスロープをなぞりながら着地し、アウトレーンに収まっていた。コースアウトの甘い期待は崩れた。しかも、二周目を終えたストレートではあまり差が開いていない。あちらはまたも加速している、そしてこっちは一周目より、やや減速しているようにも見えた。ジェットダッシュほどのモーターになると電池の消耗が激しい。確かにそうなんだが、じゃあ相手はというと、まるで衰えを感じさせない。それでも三周目はこちらがイン、再び差を広げ始める。これなら行けるかもしれない、そんな望みが芽生えたその時、俺のマシンはレーンチェンジに入った。徹底加工マシンにジェットダッシュ、それは俺が今まで経験したことのない速度域だった。だから、どうなるかもあまり考えてなかった。登りのスロープを上がりきるとその仰角のまま、マシンはコースから抜け出す。そしてそのまま、店舗の壁に直撃する。
「え!?」
瞬きの間もない一瞬の間に、コンクリートの角にバンパーがぶつかり、それを固定する根本がもげ、穴だらけのシャーシは砕けながらめり込んでいく。崩壊が電池まで達したとき、余りある勢いから前のめりになり、削りすぎたビッグバンのボディは電池と壁とに潰される。そして直後、すべてが四方八方に弾け飛んだ。
「・・・借り物の力に頼って、自滅したね。」
姉ちゃんの声が冷たく響いた。そして呆然と立ち尽くす俺を素通りし、砕け散ったパーツを拾う。
「クサい言い方だけどさ、今日の君のマシンには、愛が感じられなかったんだよ。この無節操な改造、まるで、速くならなかったらもういいって感じだ。それに、アトミで走るためのマシンにこんなもん積むなんて、まるで、速くないならもういいって感じだ。」
残骸の中からジェットダッシュを摘み上げて言った。俺は、この数日間の全てを見透かされた気分だった。
「・・・ゴメン。ちょっと、気難しいこと言っちゃったね。」
一掴みのパーツを拾ったところで、それから姉ちゃんは俺の前まで来て、ブルーキャノピーのビッグバンを差し出す。
「中身、開けてみ?モーターボックスもさ。」
言われるままそれを手に取ると、俺は半ば恐る恐るボディから外していった。電池ホルダーにはICチップを模した15mm四方程度のカードが張り付けてある。そいつを外し、電池を外し、それからモーターボックスを外す。モーターはグレーのエンドベル、やはり、アトミックチューンだった。モーターボックスの隙間に両面テープを挟んだり、グリスの代わりにオイルは使ってるようだが、加工らしい加工はシャフトのホイール貫通だけ。ギヤにも手が加わった形跡がない。種も仕掛けもない、一見すると、俺がこないだまで走らせてたマシンと大差ないようなもんだった。
「君はまだ、ミニ四駆の本来のポテンシャルを知らない。」
俺の衝撃の深さといったらなかった。片や主力マシンはご覧の有様、金もない、技術もない、文字通り万策尽きた。俺のミニ四駆は、そこで終わったはずだった。姉ちゃんの一言がなければ。
「・・・もし、君がまだ走れるっていうなら、きっとそいつが教えてくれる。」
「・・・え?」
「文字通りの借り物の力、自分のモノにしてみないかい?」
俺は組み直してボディをはめ、改めてそのマシンを眺めた。無理のない肉抜きと透明なキャノピーを持つ、シンプルながら特徴的なボディ。使い込まれていながら状態良く保たれたシャーシ。丁寧に作り込まれ、扱われているのがわかる。愛って言葉が、しっくりくるような気がした。
「そいつの名はBBGドライブウイング。」
「ドライブウイング・・・。」
俺が繰り返してから少し間を置いて、姉ちゃんはちょっと照れたように笑って言った。
「あいや、好きに呼んでくれていいんだけどさ。・・・でも、いつか本当に君のマシンになったなら、何かしら名付けてやってくれるかな?」
それが、俺がドライブウイングと呼ぶこのマシンとの出会いだった。
こいつの中身を初めて見たとき、俺が抱いたのは決して絶望じゃあなかった。このマシンを知れば、まだ速くなれるかもしれない・・・脱力感の中で芽生えたほのかな希望。そいつを確かめるため、俺はこいつと走り続けてる。人前では通りがいいビッグバンで済ますこともあるが、俺は今も、こいつをドライブウイングと呼んでいる。こいつはもう、俺のモノになったんだろうか・・・。
懐で暖めておいた充電池をシャーシにねじ込む。スイッチを入れると軽くシャーシをひねりながら、駆動音に異常がないか確認する。そして他に走ってるマシンと被らないレーンを見定め、静かな鼓動を放つそれをコースへ入れる。直線を軽く滑りながら進み、やがて速度が乗ってくる。隣のレーンで先を行くマシンを捉え、じわじわと並び、追い抜いていく。今日ここで走らせてるマシンの中では、速い部類のようだ。
練馬の模型店、キリギリスではこうして週末のみ、屋外駐車場に大きなコースを広げている。最近それを知って月に一回程度は来るようにしてるんだが、このときは大事な調整も兼ねていた。店の入り口に張り出された、十月のメーカー公認大会、オータムGP2ndの告知ポスター。開催は、来週に迫っていた。
次回予告
翔「オータムGP2ndに参加した俺。エントリーで後ろに並んだあいつのマシン、どっかで見た気が・・・?」
壮「こいつかい?かっけぇだろ。キャノピーが透明なんだぜ。それにGPチップも付いてるしな!」
翔「GPチップ?・・・ところで、お前誰だ?」
壮「オレ、佐々薙壮太。相棒はエスペランサって言うんだ、覚えとけ。」
翔「なに、お前のマシンにもニックネームがあんのか?」
壮「さぁ、佐々薙壮太とエスペランサの痛快ミニ四絵巻が始まるぜ!」
翔「次回エアーズ、Flag-001【運命のゲキトツ!?】」
壮「チェッカーラインを見逃すな!」
翔「・・・お前、持ってき過ぎ。」
壮太「このものがたりはふぃくしょんです。・・・フィクションって何?知ってる?」