終章 おはようとさようなら
戦いの後、当初の予定通り、祝勝会が催される事になった。
提案したのは、優希だ。元々そのつもりであり、片付けなければいけない事は山ほどあるが、それでも一つの事を片付いた事は祝ってもいい事だと思うから。
しかし、そんな祝宴は、鈴、智世、フォルティスが酔い潰れて眠ってしまった事により、早々にお開きとなり、上代家には三人の寝息が響いている。
「――それじゃ、改めて、乾杯」
「ああ、乾杯」
そんな三人を介抱した後、優希はレフィクルと共に酒とつまみを携え、二階のベランダへと移動し、ひっそりと祝宴を続けている。移動したのは、三人の睡眠を邪魔しないためのささやかな配慮だ。
「――唐突だけど、アタシの願いを叶えてくれない?」
レモン味のチューハイをある程度飲み、優希は話題を投じた。
「本当に唐突だが聞こう。何かな?」
「人間と元人間――魔法少女になった人達――それらが関わった全ての事を無かった事にして」
「――いいのか?」
不意に投じられたのは、第三者の声。優希もレフィクルもそちらを見る。そこにいたのは寝ているはずのフォルティスがいた。
「……いいのか、ユウキ? お前は――」
「いいの、アイラス。アタシには甘過ぎた夢だったからね」
フォルティス――アイラスが言ったのが、最後通牒だとは分かった。レフィクルもアイラスも分かっているのだろう。それを願えばただ一人――優希はその枠組みの中に入れない事を。『抑止力』としてこの世に生を受けた『上の代わりに優しさと希望を振り撒く』である優希は、本来の役割に戻る事を。
戦いが終わり、皆と帰っている際、優希は自分の事を考察してみた。
そして行き着いたのは、自分は何でもない存在だった、という事。そう考えられたのは、自分に与えられた名前。名は体を顕す――神は初めからヒントを与えてくれていたのだ。そう考えれば、レフィクルが止めたのも辻褄が合い、アキムが怒りを露わにしたのも頷ける。前者は優希に自分が神の自動人形である事を気取らせないため、後者はジャンヌの魂が作り変えられたとしてもこの様な役割を与えられ、その事に憤慨しての事。『上代優希』という偽人格を与えたのは、人間社会に溶け込める様にし、同時に全人類に『上代優希』という異物が混じっても何ら問題無い様にするため。優希が感じていた『ズレ』もこれに由来する。そもそも『上代優希』という少女はこの世に存在せず、『抑止力』という存在を隠しための器でしかなく、故に『抑止力』である優希が『上代優希』という人間がいると思えば、『ズレ』が発生するのは必然以外の何物でもない。
そして、決定的だったのは『夢想具現』という異能。優希はその使い方を把握していた。それも完璧に。一度も使った事が無いのにも関わらず、頭と体は覚えていて違和感どころか、とてつもなく手に馴染み、そればかりか使い方をどうして忘れていたのだろう、と思ったほどだ。
これらを整理し、総合し、煮詰めた結果、優希は至った。
それは、神が見せてくれた甘い夢の終わりを意味する。
それを放棄するのは、とても惜しい。
でも、自覚した以上、この現状を見過ごせない。放っておけない。例え仮初めだったとしても、上代優希という少女を思ってくれていた人は確かにいた。そのために魔法少女として戦った人もいた。そのために節介を焼いてくれた人がいた。そんな人達はいずれも被害者だ。全ては上代優希という少女が、少しでも長く甘い夢を見ていられる様にするために神が設けた時間稼ぎに過ぎなかった。
だから、優希はその道を選択する。全てのために、自分のために。
「――何時までも夢を見ているわけにはいかないでしょ?」
「それでも叶った願いはある。それをお前は剥奪するのか?」
「するよ。だって、そもそも手に入れようとする事が間違いなんだから」
優希はレフィクルの質問に即答し、レモン味のチューハイを一口飲んで続ける。
「奇跡は願われ、縋れ、祈られるだけの存在じゃなければいけない。そうじゃない存在になってしまえば、人は向上心を忘れ、堕落する。それが分かっているからこそ、神は敢えて不完全という可能性を残して世界を創造した。その状態に戻るだけ。そのために、神は『アタシ』という存在を創造したわけだからね」
優希がそう言った時、レフィクルもアイラスも表情を暗くした。
それを見て、優希は自分の推測に確信を得て、レフィクルに右手を差し出す。
「アタシが全部背負う。甘い夢はもう十分。この思い出だけあれば、アタシはずっと歩いていける。だから――」
「『達』だ」
レフィクルが右手を握り返しながら唐突に遮り、
「そうだな。お前だけに背負わせるほど俺達は落ちぶれていない」
アイラスが握手する二人の手に右手を乗せて、その後を引き継ぐ様に言った。
優希はそんな二人を交互に見返した後、首を左右に振る。
「だ、駄目だよ……これはアタシが……」
「そんなの知らん」「却下だ」
「ふ、二人で言わなくても……」
「泣くほど嬉しいくせに」「素直に喜んだらどうだ?」
「も、もう! そんな事言うと一人で勝手にやっちゃうからね!?」
「安心しろ。それをさせないために俺は力を温存していたからな。お前も手伝えよ、アイラス――いや、サリエルと言うべきか?」
「言われなくてもそのつもりだ、ルシファー。大魔王のお前と死を司る天使である俺がいれば、『抑止力』の癇癪くらい押さえ込むのは容易いだろうからな」
「二人がかりはずるいってば……じゃあ、皆でやるよ。これでいい?」
優希の提案に二人は頷いた。
そして――優希は目覚めと別れの魔法を行った。
「皆、おはよう。それと……バイバイ」
住宅街の一角。そこは空き地だった。何の変哲も無い、ただの空き地。
「――今日も会えない、か……」
そんな空き地に異国の少女――フォルティス=サルファーレは、足蹴に通っていた。それというのも、オカルトマニアである彼女は、ここに時折現れるという『黒猫と赤鳥を連れた七色の髪を持つ少女』という噂に会う為だ。それの真贋を確かめるためだけにロシアから日本の片田舎に留学してくるというのだから、肝が据わっているというか、趣味もここまで来ると清々しいというか。
「あれ、見ない顔だ」
「見ない顔ですね」
と、不意に声をかけられ、フォルティスは空き地から視線を移した。そこにいたのは、地元の学校――フォルティスが留学する事になった蒼穹学園の制服を着た二人の少女だ。時間帯からして学校帰りだろう。見ない顔、と言ったのはフォルティスが蒼穹学園の制服を着ているからだろう。
「貴女、誰? その制服蒼穹のよね? と、私は外野智世。で――」
「友野鈴です。以後お見知りおきを」
「丁寧にどうも。フォルティス=サルファーレだ。明日から君達の学校に世話になる故、以後お見知りおきを」
「日本語上手いね?」
「父がこの国の事を好いていてな。幼い頃から母国語と一緒に使っている」
「それで流暢なのですね」
「なるほどねー。それで? こんなところで――あ、ひょっとして貴女も『七色の魔法少女』目当て?」
「? 七色の魔法少女? ……なるほど。地元ではそう呼ばれているのか?」
「物好きな人ですね。私達も人の事をとやかく言える立場じゃないですけど」
「と言うと?」
「私達もその魔法少女に会いたいのよ。多分、お世話になった人だから」
「ふむ。……だとすると、君達も私と同じ被害者だったのか?」
フォルティスの言葉を聞いて、智世と名乗った少女と鈴と名乗った少女は互いの顔を見合わせた。図星だったのだろう。でなければ、そんな反応をしない。
少しして、智世が口を開いた。
「同じって事は貴女も?」
「ああ。気がついたら病院のベッドの上だった。そっちは?」
「そこまで一緒か。いやまあ、大体がそんな感じだろうけど」
「当時はちょっとした怪奇現象として騒ぎになりましたからね」
三人が言っているのは、少し前に起きた世界的に起こっていた連続失踪事件の閉幕を告げる超常現象だった。それまで行方不明とされていた人達が、忽然と様々な病院の前に現れたのだ。幸か不幸か、失踪者全員がある一つの事以外何も覚えていないため、結局事件は迷宮入りとなっているが、何にせよ失踪者は全員帰って来た。
「そういや、『七色の魔法少女』が噂になり始めたのも同じ頃だっけ?」
「そうですね。おかげでここはこの町の観光名所となりました」
「私もその一人だが、だとすると君達も?」
「そ。でもまあ、私達の場合他の子達よりちょっと違うところがあるけどね」
「と言うと?」
「……いやね、どうにも変な話なんだけど、私達、その子の事を知っている気がするの。それどころか友達で、級友で、親友だった気がするのよ」
フォルティスは心臓が止まるかと思った。それくらい衝撃的な事だった。
驚き冷めぬまま、フォルティスは口を開く。
「――私だけじゃなかったのか」
それを聞いて、今度は智世と鈴が驚いた顔をした。
「……ってことは、貴女も?」
「ああ。だから、私はこの国に無理を言って留学させてもらった。一応建前としては都市伝説の真偽を見極めるため、という名目があるが、本当の目的は噂の少女に会い、お礼と――それから文句を言いたいのだ」
「……そこまで一緒ですか。私達、実は知っている仲だったりするのかも」
「だとすると、君達も文句を?」
「そ。どういうわけか分からないんだけど、起きた時にはお礼をしなきゃって気持ちと文句を言ってやらなきゃって気持ちがあったのよ。全く、一体全体私達の知らない私達は何をしていたのやら。まあ悪い気分じゃないからいいけどさ」
「つくづく一緒か。それも噂の少女に会えれば話は早いのだが、夢か現か分からない相手が相手ではそれも夢のまた夢か」
フォルティスはそこで言葉を止め、空き地を一瞥し、二人に背を向け、手を振りながら歩き始める。
「では、私はお暇するよ。荷解きがまだなのでね」
「手伝おうか?」「手伝いましょうか?」
二人の言葉にフォルティスは足を止め、
「これも何かの縁。厚意に甘えさせてもらっていいか?」
二人にそう言った。二人は各々の微笑を湛えながら肯定し、空き地を見て、
「また来るよ、『七色の魔法少女』さん。お礼と文句はその時にね」
「また来ます、優しくて希望を与えてくれた『七色の魔法少女さん』」
そう言った後、フォルティスの背を追い、三人は仲良く並んで空き地を去る。
歩き出してから、三人は全く同時に口を開いた。
「何かしっくり来ないな」
「何か物足りないわね……」
「何か欠けていますね」
この時、三人は奇遇にも言葉は違うが、全く同じ事を考えていた。しかし、考えても分からなかったので、三人は何事も無かった様に歩き始めた。
「――久々に帰ったらこれとか、神様ってホントに酷い奴だね」
その光景を遥か高み――遥か上空から見下ろしている少女がいた。風に七色の髪をなびかせ、傍らに黒猫と赤鳥を連れている少女が。
黒猫が口を開く。
「頑張っているユウキへのご褒美のつもりだろうな。余計なお世話だが」
それに赤鳥が続いた。
「或いはユウキの未練が成し得た奇跡か――まあ酷い奴というのは肯定するが」
二人の同行者の言葉に、少女――上代優希は微笑を返し、空に溶ける。
「でもまあ、ありがと、神様。おかげでまだまだ頑張れそうだよ」
その言葉もまた、誰かに聞かれる前に風に乗り、空に溶ける。