第四章 ~終わらせるための二歩~
(今のは……)
闇の中、意識がある事を感じつつ、優希はぼんやりと思考する。
(これで、三度目か……)
考えるのは、珍妙な夢の事。
夢とは記憶の整理をするために行われる物らしいが、優希がここ数日で見た夢は、優希の記憶には無い、そればかりか『本当の自分』ですら知らない事、とどういうわけかはっきりと分かる奇妙な夢だった。
相手の夢が見られる――そんな不思議能力は持っていない。
相手の思い出を垣間見られる――そんな能力もまた持っていない。
それにも関わらず、ここ数日の間に見たそれは、はっきりと別の誰かの記憶だと、思い出だと感覚的ではあるものの、手に取る様に分かってしまう。
共通点は、いずれも同じ男が主役である事。
丘に立って一人黄昏ている時も、蝋燭の光しか灯っていない薄暗い部屋で鎖に繋がれた囚人だろう少女と話している時も、とにかく広い平原にて『人間』としか呼ぶ事が出来ない存在と話していた時も、その男だけは必ず出て来た。
その男を、優希は知らない。
だがしかし、どうしてか気になった。
それはさながら、映画を見て、映画の登場人物に感情移入し、それ故に身を案じ、未来を案じてしまう様な、そんな感覚。そういう経験が無いわけではなかったが、だからと言ってここまで感性豊かな性分ではなかったと自負している。
(悩む事がまた増えたね……)
陰鬱な気持ちに苛まれながら、優希は瞼を開いた。
まず目についたのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。カーテンからはオレンジ色の光が差し込んでくる。時計の針は、十六時四分を指している。結構寝ていた感覚はあるのだが、どのくらい眠っていたのか見当がつかなかった。
そこまで確認して、優希は上体を起こした。瞬間、節々が軋み、普段なら簡単に出来る行為は、今日に限って重りでもつけられているかの様に重い。
(……あー、そっか。あれだけ走ればこうなるよね)
予想していなかった事に、朦朧としていた意識は覚醒へと至り、自分がこんな風になっている原因を思い出す。
(はー、格好つけた罰が当たったのかなー)
思い出して、迷惑をかけただろう事に自己嫌悪。
そんな気分の中、悲鳴をあげる体に鞭打って上体を起こし、ベッドから出ようとしたが、下半身は上半身以上に重かった。酷使したツケが回ってきたのだろうが、この程度で済んだ事に優希はもう思いだせない自分に感謝する。何をしていたのかは当然分からないが、常人離れしている身体能力があったおかげで、あのような無茶も行え、そのツケもこの程度で済んだ。真っ当に考えるなら、あれは自殺行為で、優希の命はあそこまでだったはずだから。
仕方が無いので、優希はベッドに横たわり、物思いに耽る。
(『上代優希』……貴女って何なの?)
真っ先にそれを考え、そう考えた自分は自分勝手だな、と優希は思った。色々考える事、やれる事を模索しないといけない中、真っ先に思い浮かんだのはもう取り戻せない過去。懲りないな、と優希は自分で自分に突っ込む。
(貴女は人間? それとも魔法少女? はたまた悪魔? もしくは天使? 或いはこれら以外の何か?)
痛い子だな、と思いつつも優希は『上代優希』について尚も思考する。止めようと思ったが、ふと考えて止める理由は別段無い、という事に思い至ったから。
もう驚きは無いが、だからこそ考えてしまう。
ずっと分からなかった常人離れした身体能力と異様に鋭い感覚。しかしそれは、ここ数日で思いも寄らない方向から答えが示された。
(魔法少女としての素質、天使や悪魔の様な超越者と対峙した時に感じる感覚と同じ、そしてあの超防衛本能を含めた不規則性、か……)
判断材料としては十二分な三つの要素。
どれも思い当たる節は無いが、『上代優希』が人間以外の何か、或いは人間を辞めた何かだったと仮定すれば、常人離れした身体能力も、異様に鋭い感覚にも納得はまるでできないが、それでも説明がつけられる。逆に言えば、そういう前提が無い限り、まるで説明がつけられない。優希が使わせてもらっている『上代優希』の所有物であるそれは、それほどまでに高純度、高性能だから。
『上代優希』にとって、この能力はどれも必要だった――というのは優希でも分かる。意思よりも早く動く事がある体、ONとOFFを使い分けられるその気になれば人の気配を感じ取れる感覚、それらは極めて自然に、意識する必要が無い当たり前の事の様に働き、ここ数日だけでなく、優希が優希として目覚めてからは、このまるで身に覚えの無い能力に何度と無く助けられていた。
だからこそ、優希は考えずにいられない。
こんな出鱈目を受領し、その中で住んでいた『上代優希』という存在の事を。
(全く、『上代優希』ってホント何なの?)
答えは返ってこない。
と、その時、こちらに近づいてくる足音を優希は聞いた。
少し考え、扉に到着しただろうところで、優希は上体を起こしてその名を紡ぐ。
「ルティス?」
扉の向こうで息を飲む音がした。それからドアノブが回され、
「君はあれか? 超能力者か?」
呆れた調子でそんな事を言いながら、フォルティスが入ってきた。
そんなフォルティスは、入室した途端、目を見開いた。
突然の変化に優希は首を傾げる。
「? どうしたの? 幽霊でも見たような顔して」
「あ、いや、別人かと思って驚いた。すまない」
「別人?」
そこだけを復唱し、優希は目にかかった前髪を見て合点する。
「……ああ、この髪?」
フォルティスは頷くと優希に近づき、ベッドに腰かけてから尋ねる。
「そっちが地毛なのか?」
「そ。普段は染めてるの」
「勿体無いな。しかし、どうして? いじめられた経験でもあるのか?」
「あるみたい。アタシは何も覚えてないけど」
「まあ、それほど綺麗な金髪なら致し方無い」
「そうなの?」
「いじめが発生する理由は多々あるが、その一つは嫉妬だ。自分より優れているから迫害する。頭が良い、足が速いという要因なら勉強したり、訓練すればどうとでもなるが、背が高い、顔立ちが良い、髪が綺麗という身体的要因の場合はどうにもならず、妬ましいと思うからそういう行動をしてしまうそうだ」
「そうだって、ルティスも経験が?」
「私の場合はちょっと特殊だが、まあ似た様なものだ」
「特殊?」
「金銭目当ての誘拐だ」
「……あー、ごめん。頭が回らなかった」
優希が謝ると、フォルティスは首を横に振って否定を示した。
「謝罪は不要だ。過去の事であり、私が勝手に喋っただけだからな」
「でも……」
「そう暗い顔するな。こっちが悪者みたいじゃないか」
「……ありがと」
「どういたしまして。さて、納得してもらったところで話を続ける。無知だった私はどうしてそういう事をされるのかを両親に聞き、返って来た答えが先ほど話した事だ。我が父ながら、誘拐される要因を嫉妬しているから、という考えに至ることに驚きだが、まあ納得は出来たからその話はそこで終わったよ」
「……何かたくましいというか、前向きな人だね、ルティスのお父さんって」
「座右の銘が『人生楽しんだ物が勝つ』だからな」
「総司さんみたいな人が他にもいたとは……」
「だから馬が合うのだろう。どっちが人生をより楽しめるか、なんて事を勝負しているくらいだからな。あの若さと姿勢は見習いたいものだ」
父親の事を語るフォルティスは、まるで恋人の事を友人に語るそれと同じだ。
だからというわけではないが、何と無く気になったので優希は聞いた。
「……ルティスって、ファザコン?」
「そうだが、何か?」
即答だった。
「ちなみに、私はマザコンでもある」
「相思相愛だね。世間の荒んだ親子に爪の垢を煎じて飲ませてあげれば?」
「あれは駄目だった。まるで効果が無いからな」
「試したの!?」
冗談のつもりで言っただけに、優希は思わず大声を上げた。
「そんなに驚く事か?」
「いやだって……常識的にやらないよ?」
「安心してくれ。自分が一般的じゃない事くらい自覚している」
それを聞き、優希は突っ込む事が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「ところで、何故に今も? あの学校の校則はそこだけ厳しいのか?」
そんな優希を余所に、フォルティスは話題を変えた。
「厳しいというか、今の校長の趣味」
「趣味?」
「今の校長、黒髪フェチで、その上妙なこだわりがあって、髪型は自由なんだけど『日本人は黒髪であるべき』ってな感じで地毛でも駄目なんだ」
「……清々しいほどに公私混同だな。反対意見は?」
「普通だったらありそうなものだけど、あの学校じゃそれはないよ」
「……あの学校はやはり異質なのか?」
「異質も異質。だって、在学生全員イロモノだよ」
「なら、学校の評判が良いのは?」
「それは世間体を保つためだよ。誰も彼も目くじら立てて小言言われたくないから、自分達で自制自衛してるってわけ。そのおかげで、あの学校は今も変わらず傍から見たら有名進学校というイメージを保ってるってわけ」
「上が上なら、下も下か。類は友を呼ぶとはこの事だな」
「全く以ってその通り」
話題に一段落したところで、優希は話題を変えた。
「ところで、今って何月何日?」
「五月三十日。ユウキはまる一日眠っていた」
「伴野さんは?」
「下で眠っている」
「怪我は?」
「命に別状は無いが、しばらく戦闘行為は出来ないだろう」
「それ嘘じゃない?」
「嘘じゃない。何なら、確かめに行くか?」
「行く」
「動けるのか?」
「支えがあれば何とか」
「了解した」
フォルティスはそう言うと、優希に近づいて、背中を向ける。
「迷惑かけるね」
一言詫びて、優希はノロノロと動き、フォルティスの背に乗っかる。
「重くない?」
「平気だ。行くぞ」
鋭く息を吐き、優希を背に乗せた上体でフォルティスは立ち上がり、人一人背負っているとは思えない軽やかな足取りで歩き始める。
「ルティスって足腰強いね」
階段に差しかかってでさえ、フォルティスの足取りは軽やかなままだ。
そればかりか、笑みを浮かべる余裕すらある。
「そういうユウキだって」
「アタシはまあ……」
「差し出がましさ承知で言うが、あまり気負うな」
「……それ、伴野さんにも言われた」
「当然だな。今はユウキが『ユウキ=カミシロ』なのだから」
「そう思えたらいいんだけどねー」
「思えないか?」
「……思えてたらこんな事で悩んでないよ」
「それもそうか」
そこで、二人は一階に到着した。フォルティスは一度止まり、優希はフォルティスの背から下り、フォルティスの肩を借りて立ち上がる。それから改めて歩き出し、木で枠組みされたガラス戸を引く。
「遅かった――ああ、ユウキが目覚めたからか」
入るや、レフィクルのそんな声が二人の耳に届く。
優希は早速とばかりに尋ねた。
「伴野さんは?」
「よく眠っている。当分は目を覚まさないだろう」
それを聞いて、優希はテーブルの一角に腰を下ろさせてもらい、上体を回して背後の襖で仕切ることが出来る部屋の奥を見た。
そこでは、敷かれた布団で鈴が横たわっていた。遠目に見てだが、顔色は素人目で見ても良好であり、フォルティスの言葉が嘘ではなかった事が判明する。
振り返って、キッチンに向かったフォルティスに優希は言う。
「疑ってごめん」
ルティスに謝罪した。
「気にするな。白い嘘という物があるからな」
ルティスは、何か作業しながらそう言った。
「何してるの?」
「お茶を用意している。と、勝手に使ってすまない」
「別にいいよ。それより、よく分かったね?」
「丸一日暇だったからな。ユウキは何か飲むか?」
「じゃ、オレンジジュースをお願い。冷蔵庫に入ってるから」
「俺はコーヒーをブラックで頼む」
「了解――おお、見事にオレンジジュースばかりだな」
冷蔵庫を開けただろうフォルティスが呻いた。
驚くのも当然だ。上代家の冷蔵庫には本来牛乳パックがあるべきだろう場所に牛乳パックはなく、その代わりに百パーセントのオレンジジュースが立ち並んでいる。好きなので常に常備しておくのだ。
「好きなんだ、オレンジ」
「それなら、オレンジを常備しておくのではないか?」
「そうだけど、オレンジだと一手間必要じゃん?」
「ああ、それで百パーセントのジュースなのか」
「そういう事。ところで、学校は? 休んだの?」
「ああ。と、勝手ながら口実にさせてもらったぞ」
「口実? あ、そういや、具合悪いって抜け出してきたんだっけ」
「理解が早くて助かる」
「いえいえ。あ、伴野さんの方は? 何か聞かれたでしょ?」
「リンに関しては、学校側の方は上代家で三人慎ましく二次会を開き、飲酒した事によって二日酔いしてしまい、上代家で休んでいる、という事にしてある。家の方には学校側と協力してもらって、歓迎会の後、上代家で二次会的な事を行い、結果二日酔いでダウンしている、という事に」
「色々ありがと」
「どういたしまして」
「――いい加減突っ込んでいいか?」
会話が一段落したところで、レフィクルが割り込んだ。
「何に?」
「というか、突っ込みどころなくない?」
フォルティスはキッチンからコップとお皿を両手に持ってリビングに戻りながら、優希はレフィクルに視線を向けながら言った。
「ある。お前ら、どっちも未成年だろうが。それなのに、どうして飲酒による二日酔いでの休校が当然の様に許されるのだ?」
「あ、それか。自己責任って事になってるからだよ」
「それは教育機関とリンの両親両方か?」
「そうだよ」
「昨日誰もが酒を頼んだ時は驚いたものだ」
優希の肯定に、自分用の湯飲みを持ってきたフォルティスが補足した。
そんな少女達の肯定を見聞きし、レフィクルは非難の眼差しを向け、
「お前ら、俺に隠れて楽しそうな事していたのだな」
とても恨めしそうにそう言った。
「別に隠れてやっていたわけではないぞ?」
「要するに酒が飲みたかった、と?」
「まあ、率直に言えば」
「なら、一段落してからってのはどう?」
優希がそう提案すると、フォルティスがお茶を一口啜ってから賛同を示した。
「私は賛成だ。祝い酒は美味い事に越した事は無い」
「俺も賛成だ。一仕事した後の酒の方が美味いからな」
ついで、レフィクルが賛同し、器用に舌を使って、ブラックコーヒーを舐める。
「なら、そうする事にして、どっちでも良いから答えてくれない?」
優希は一度区切り、オレンジジュースを飲んでから続ける。
「――伴野さんをあんな風にしたのは何処の誰?」
瞬間、沈黙が訪れた。
優希自身、自分でも底冷えするくらい冷たい声色だった。そんな気は無かったのだが、気持ちが抑え切れず、二人を責める様な感じなってしまった。
「ごめん、二人とも。こんな言い方するつもりじゃなかったのに……」
だから、優希はすぐさま謝った。
「謝罪は不要だ」
優希の謝罪を、レフィクルが否定した。
「その怒りは正しい。そしてその怒りを俺達にぶつける事も」
「レフィクル……」
「だが、それを聞いてお前はどうする?」
そう言われる事は分かっていた。
だから、優希はこう言い返した。
「なら、アタシを魔法少女にして。それなら聞く権利はあるでしょ?」
その発言に、ルティスが即座に噛み付いた。
「正気か、ユウキ? 自分が何を言っているのか分かって言っているのか?」
「分かってるよ、ルティス。分かった上で言ってるの」
「分かっていない。一時の感情でやっていけるほど、魔法少女は甘くない。ましてユウキの場合、質が質。この一件は私とリンでどうにかする。だから――」
「一時の感情だろうと、これは間違いなく『アタシ』の気持ちだよ」
それを聞いて、フォルティスは押し黙った。
沈黙した事を機に、優希は自分の考えを告げる。
「確かに覚悟も無いし、自信も無い。それに不安だってある」
「なら、止めておけ。そんな気持ちでなられてはこっちが迷惑だ」
黙ったフォルティスに代わり、レフィクルが優希を引き止めにかかった。
「それにどういう風に言われたのかは分からんが、フォルティスが言った事は本当だ。何度も言っているが、待っているのは苦労にまるで見合わない結果だ。ユウキの場合、それが確定している。それだけは間違いない」
「どうしてそんな事が言えるの? それは未来の事じゃん」
「言える。一昨日の件で仮説が確信と変わったからな」
「どういう事?」
「まさか、ユウキの不規則性の正体が分かったのか?」
「そのまさかだ。それをこれから話す」
そこまで言って、レフィクルは優希を見た。
「ユウキ、俺がこれから話す事を聞いて尚、それでも魔法少女になると、力を欲するというのなら、お前の覚悟を買い、お前と契約してやる」
それを聞いた途端、フォルティスがテーブルを叩きつけた。湯飲みとコップが浮き上がるほどの強さだった。優希はとっさに動き、湯飲みとコップを支える。
優希の頑張りを尻目に、フォルティスはレフィクルに向かって言う。
「お前が外道なのは知っていたが、まさかここまでだったとはな!」
「心外だな。俺は別に強要しているわけではないだろう」
それに、とレフィクルは変わらぬ口調で言い、
「ユウキを見捨てたお前に、ユウキの未来を案じる資格も権利も無い」
有無を言わせない物言いでそう続けた。
それを聞いて、フォルティスは親の訃報を聞いた様な暗い表情になる。
「ルティスはアタシを見捨ててないよ。アタシが行ってって頼んだんだから」
一方、優希は聞き捨てなら無かったので、レフィクルに突っかかった。
「大体アンタ、別の言い方もあるのに、何でよりによってそれなの? はっきり言わせてもらうけど、アンタの性根腐りきってるよ」
「それはそうだろう。俺は悪魔だぞ?」
その態度に、優希は頬杖をつき、深々とため息をつく。
「だからって、何でそんな事するの? はっきり言って時間の無駄だよ? 別の言い方すればすんなり終わるのに、何でそういう事するの?」
「別に間違っていないだろう? 現実問題、一面の真実として素人を戦場に残して現場から離れた、というのは紛れも無い事実だろうが」
「それは認めざるを得ないけど――」
「お、そこは認めるのか。どこかの小娘と違って殊勝だな」
「――得ないけど! アンタが言いたい事って、一度は信じたんだから四の五の言わずに今後とも信じてやれよ馬鹿って事でしょ?」
優希の言葉に、レフィクルは苛立たしげに舌打ち、ブラックコーヒーを舐める。
その態度を見て、優希は呆れつつ、オレンジジュースを一口飲む。
「ま、要するにそういう事。だからさ、そんな顔する必要無いよ」
それから、沈黙を守るフォルティスにそう言った。
「……そうなのか、レフィクル?」
「それは自分で決めろ。『真実』というのは人によって違うのだからな」
「……そうか」
納得した様に呟くフォルティス。
それを見て、優希は内心で安堵し、
「で? アタシの不規則性の正体って一体何なの?」
単刀直入にレフィクルに聞いた。
レフィクルはブラックコーヒーを飲むのをやめ、
「前置きしておくが、これからから話す事はそういう考えに至るに足る物だが、これは真実である可能性の一つに過ぎない。故に鵜呑みにするな。フォルティスに言った事と同じ事を言うが、お前の真実はお前が決めろ。いいな?」
そう前置きした。
優希は頷き、苦笑する。
「アンタも無茶言うね。こちとら記憶喪失で分からない事だらけだよ?」
「嫌なら姫で在り続ける事を受領しろ。お前が記憶喪失だろうが、自分に『ズレ』を感じていようが、お前が住むべき世界はそちら側なのだからな」
「それは却下。生憎と友達があんな目にあって平然としていられる性分じゃないからね。ところで、ちょっと確認したい事があるんだけど、いい?」
「願いに関する事か?」
「そ。アタシの場合、戦うための力が欲しいから、魔法少女になる事自体が願いになるわけだけど、その時点で願いは消費された事になるの?」
「ならないから安心し、ちゃんと自分への褒美を考えておけ」
「了解。じゃあ次ね。その願いって即物的だったり、抽象的だったりしても叶えてくれるの? 例えば即物的な物なら祝賀会のためのお酒が欲しい、抽象的な場合は世界征服がしたい、という具合で」
「サラッと怖い事を言ってくれたが、どちらも可能でそういう前例もある」
「OK、OK。じゃあ最後の確認。その願いを叶えてくれるってやつさ、保留にしておいて魔法少女になって戦う事って可能?」
「可能だ。たった一度の奇跡だからな。存分に悩んで決めてくれ。ただし、再三言っているが、なったが最後だ。その事を努々忘れるな」
「OK。それだけ聞ければ十分だよ」
優希はそう言って、先を促す。
「色々ありがと。じゃ、改めて本題よろしく」
「前向きだな。そんなノリで後悔しても知らんぞ?」
レフィクルの呆れた物言いに、優希は肩を竦めて見せる。
「その時はその時だし、後悔は後にするもんでしょ?」
「全く、物好きというか逞しいというか」
レフィクルは尚も呆れた風情で言い、一つ咳払い。
そして、改めて口を開く。
「結論から言う。ユウキは英雄ジャンヌ=ダルクの生まれ変わりだからだ」
「――なるほど。そういう理屈か。未練がましい奴め」
一方、フォルティスは合点した様に呟いた。
しかし、そう言ったフォルティスに優希は違和感を抱いた。
それは、現状をひとまずおいて反応しなければならないほどの違和感。
「表に出ると気付かれるのか。初めまして、と言うべきか?」
優希の視線に気付き、フォルティスはそう言った。
その物言いで、優希の違和感は明確な物となる。
「……あなたがルティスと契約した天使?」
「アイラスだ。以後お見知り置きを」
「丁寧にどうも。自己紹介は必要?」
「不要だ。ルティスが見聞きした事は私にも伝わるからな」
「ふぅん。でも、それなら表に出てくる必要ってないんじゃないの?」
「内容が内容故、思わず出張ってしまったのだ」
「……それほどの事ってわけ?」
「そういう事だ」
「続けるぞ?」
そこでレフィクルが割り込んだ。
二人は頷き、優希が疑問を投じる。
「いきなり壮大になったけど、何でそういう事になるの?」
「アキムが出張って来たからだな?」
アイラスの確認に、レフィクルは頷く。
「ああ。そして、ユウキを手に入れようとしている事が分かったからだ」
「酔狂――いや、当然か。兄が兄なら、弟も弟、という事だろうからな」
優希は返答しようとしたが、アイラスが言葉を紡ぐ方が少し早かった。
そして、そこには立ち入れない何かがあった。
だから、優希は黙して状況を見守る事にした。
「ユウキ、アキムというのはリンをあんな風にした『天使』の名だ」
しかし、レフィクルはアイラスの話題に取り合わず、優希に話を振る。
興味はあったが、強くはなかったので、優希はその厚意に甘え、
「いいの?」
その前に、アイラスに確認を取った。
「確認は不要だ。横槍を入れてしまったのはこちらなのだからな」
触れない方がいい――そう判断できるニュアンスだったので、優希は目礼してから、改めてレフィクルに話題を振った。
「で――その天使は、どうしてアタシを手に入れようとしてるの? あー、いや、手に入れようとする理由は何と無く分かるけど、それって意味あるの?」
「無いが、本物が手に入らない者のために模倣品は存在するだろう?」
「……それって虚しいだけじゃないの? アタシはアタシなのにさ」
「それでも手に入れたいのだろう。アイツからみれば、不当な末路を向かえたとは言え、眠る事が出来たジャンヌが勝手な都合で利用されている、という風に解釈する事も可能で、アイツはそれを無視できないだろうからな」
「何で無視できないの?」
「知らないのか。では、歴史の勉強だ」
唐突に、レフィクルがそんな事を言ったが、優希は突っ込まずに耳を傾ける。
「ユウキ、ジャンヌ=ダルクの事はどのくらい知っている?」
「学校でちょっとかじっただけだから、概要ぐらいしか知らないよ」
「なら、彼女は元々一介の村娘に過ぎなかった、という事は?」
「それは知ってる。で、神託を――あ、ひょっとしてその神託を授けたのが、そのアキムって天使で、二人はその実そういう仲だったって事?」
優希の確認に、レフィクルは微笑を返した。
「相変わらず理解が早くて助かる」
「どうも。でもさ、それっておかしくない? 天使って『何とかエル』って感じで、名のある天使にはそういう共通点があるのに、アキムにはそれが無いよ?」
「それは、アイツが天使を辞めているからだ」
「天使を? でも、天使――ああ、そういう事ね。確かに超越的って意味では悪魔になっていたとしても『天使』って名乗る事は可能だろうからね。あー、ややこしい。誰がそう呼び始めたんだか」
「今色々話している奴だ」
「アンタかい!」
アイラスの助言に、優希はレフィクルに即座に突っ込んだ。
「許せ。適当な言葉が見当たらなかったのでな」
「全く……。で――話を戻すけど、アタシの不規則性が、ジャンヌの転生体だってところからくるのは分かったし、求められるのも分かったけど、アンタや『天使』みたいに鈴が感じたのは、一体全体どういう事なの?」
「ジャンヌの扱いは、今では人間ではなく聖人だからだ。その上、ユウキの不規則性から鑑みて、神が細工を施している可能性も考えられる。だが――」
「だが?」
「だが、そうなるとユウキが不規則性を有している事がおかしい、だろう?」
アイラスの参加に、優希はアイラスに視線を向けて尋ねる。
「そうなの?」
「ユウキがそういう役目を付与されてこの世に生を受けたのなら、そういう不具合はまず起きないはずなのだ。そんな不具合が起きたのでは役目を遂行する上で支障が出て仕方ない。現実問題、支障が出ているからな」
「それはアタシが記憶喪失だから?」
「いや、契約がスムーズに行かないからだ。神が介入していたのなら、この事象にユウキの介入は必要不可欠。が、実際はこの有様だからな」
「なら、『上代優希』がそうだったのかもね。でも、天使に悪魔に魔法少女、ついには神まで登場とはね。壮大ここに極まって、つくづくはた迷惑な話だね」
優希はそう言うと、頭を掻き、それから言った。
「で――アタシが割に合わない末路に辿るのは、要するに宿命って事?」
「いや、それは魔法少女全員に言える事だ」
「天使と戦う使命を課せられるから? それは受領するべき事でしょ?」
優希の言葉に、レフィクルとアイラスは一瞬唖然としたが、
「全く以ってその通りだ」
「最高品質の素質は伊達じゃない、という事か」
すぐさま、思い思いに感心した様な事を言った。
「だって奇跡でしょ? というか、悪魔に頼るなんてズルしておきながら、そんな甘っちょろい事言ってる奴いるの? だとしたら、そいつは真性の阿呆か一度も童話に触れていない奴だね。悪魔に縋ったらどうなるかなんて、そんなのフィクションでやり尽くされてるじゃない」
そんな二人に、優希は呆れた調子で否定の弁を論じた。
少なくとも、優希はそう考えている。
奇跡とは、どんな不都合も、どんな不条理も、どんな理不尽も全て覆してしまえるある人からしてみれば、神と同じくらい出鱈目極まりない物だ。
それを意図的に引き起こす――それは好機であってもズル以外の何物でもない。例え望まずにはいられなかったとしても、その事実は絶対に覆らない。
そう思うからこそ、優希は話を進めた。
「そういうわけで、絶望するにはまだ足りないけど、他にはあるの?」
それを聞いて、レフィクルは苦笑した。
「これでも折れないか。感動を覚えるな」
「なら、打ち止め?」
「次でラストだ」
「そ。なら、サクッと話してくれる?」
「無論だ。そういう約束だからな」
そう言って、レフィクルは一度咳払いし、
「魔法少女になった場合、不老不死になる」
優希の要望通り、サクッと言った。
優希は呆れたため息をつく。
「その程度の事なの? なら、話は決まったね」
「ユウキ、不老不死だぞ?」
そんな優希の反応に、アイラスが突っ込んだ。
その突っ込みに、優希はきょとんとして、思い至って、アイラスに微笑んだ。
「心配ありがと。でも、平気だよ。なってからじゃ遅いって分かるけど、それすらも後で考えれば済む話で、今アタシが優先したい事は、鈴に酷い事したアキムにどうやって落とし前を付けさせるかって事だからね」
優希の言葉に、アイラスは息を飲んだ後、口元を緩めた。
「勇ましい限りだな。ルティスが気に入るのも合点がいったよ」
そう言って、アイラスは目を伏せ、すぐさま開く。
その瞬間、優希は気配が入れ代わったのを感じ取った。
「おはよ、ルティス。それともお帰りって言うべき?」
「別に眠っていたわけではないから、おはようもお帰りも不要だ」
返ってきたのは、フォルティスに入れ代わった事を肯定する答えだった。
「ふぅん。所謂二重人格ってやつ?」
「そんなところだ」
「ユウキ」
そこで、静観していたレフィクルの声が優希の耳をついた。
「何? やっと魔法少女にしてくれるの?」
それに対し、優希は平然と言った。
覚悟と言えるほど立派なものは無く、一時の気の迷いなのかもしれない。
でも、レフィクルの話を聞いても優希の中にある気持ちは消えなかった。
なら、それは本当で本物だ、優希はそう考えている。
だから、望んだ。
例え、後悔するとしても。
少なくとも、この時、この瞬間、この気持ちは間違いないものだろうから。
「――はは」
それを聞いたレフィクルは、心の底から物事を楽しんでいる様子で笑った。
「結構。その思い、その覚悟、しかと承った」
その瞬間、優希の足元が突如七色に輝き始め、そんな事が起きたかと思えば、七色に色づき、発光する風が室内に吹き始めた。
七色の光が輝き、七色の風が吹き荒れる中、優希は全能性に包まれていくのを感じ取る。即座に強大な力だと思い至り、自分という物を感じながら、自分という物を残したまま、別の何かへと変わる、そんな珍妙な感覚。
それが何なのか、誰かに問うまでもなく、優希は合点する。
これが、魔法。
「受け取れ! それがお前の望んだ物だ!」
レフィクルの叫びにより、七色の光と風は爆発し、天上に向かって柱を立てる。
爆発の後、訪れたのは静寂。
それを破ったのは、変貌を遂げた優希が降り立つ音。小さな音だが、無音に限り無く近い静かなる場所の中で、その音は誰の耳にも聞こえるほどよく響いた。
黒と金が混じる髪は、虹の七色に変色し、寝間着は灰を基調とし、裾を初めとした各所に虹の七色があしらわれている特長的な袖の形をしているフレアスカートへ。半袖の衣服で隠れる部分が露出しており、腕は掌から肩までの七割が袖で隠されている。ずり落ちないのは肩に近い方の袖口がゴムか何かによって止められているからだろう。
「これが、魔法――」
「な、何事ですか!?」
優希の呟きは、飛び起きた鈴の叫びによって掻き消された。
優希が複雑な気分になるが、それを尻目に鈴は優希を見て、
「優希ちゃん、ですよね?」
驚きで目を大きくしたまま、恐る恐るといった感じで口を開き、
「……なってしまったのですね」
それから、諦めが篭った口調でそう言った。
「安心して、鈴。ちゃんと自分のためになるって決めたからさ」
そんな鈴に対し、優希は自分の覚悟を伝えた。
それを聞き、鈴はただでさえ驚いている顔をより驚かせ、優希の言葉を理解するや、涙ぐみ、口元を両手で隠した。
「優希ちゃん、今、今……」
「言っとくけど、記憶が戻ったわけじゃないよ?」
「そんなの分かっています! ふざける時は時と場合を選んでください!」
「あー、一応選んだつもりだったけど――」
やっぱり駄目、と言おうとしたが、鈴が飛びついてきて、それを受け止めた事によって、優希は最後まで言い切る事が出来なかった。
「あーっと……」
「何か言ったら、ぶっ飛ばして、ぶった切ります」
本気と取れる脅迫に、優希は押し黙った。
そんな優希を尻目に、鈴は言う。
「やっと、やっと呼んでくれましたね……」
嗚咽交じりのその言葉は喜びに満ち溢れていた。
「……ごめんね、鈴。アタシの我が侭にずっと付き合わせちゃって」
「……だったら、もっと早く呼んでくださいよ……」
「踏ん切りつけられなかったし、『上代優希』にも悪いと思ったからさ」
「でも――」
「分かってる。今ここにいるアタシも『上代優希』だって言う気でしょ?」
「! 優希ちゃん、優希ちゃぁん……」
それきり、鈴は小さな子供の様に優希に抱きついたまま泣きじゃくった。
「ありがと、鈴。――こんなアタシの事ずっと守ってくれて」
そう言った瞬間、鈴はピタリと泣き止み、
「! ゆ、優希ちゃん、どうして……レフィクル、貴方まさか!」
泣き腫らした顔のまま、レフィクルを睨みつけた。
レフィクルは即座に弁明する。
「ま、待て、リン! 誤解だ! 俺は何も言っていないぞ!」
「じゃ、じゃあ! どうして優希ちゃんが私の願いを知っているのです!」
「あ、やっぱり、前例って鈴の事だったんだ」
「な、え……っ! ゆ、優希ちゃん! 謀りましたね!?」
「あー……悪気は無かったよ?」
「謀る人は皆そう言います! ぶった切りますよ!?」
「それは痛いから勘弁。というか、アタシ死ぬって」
「安心してください。三分の四で止めますから」
「ちょ、それ死! 完全に殺してるから、それ!」
「と、間違えました。一分の一ですね」
「変わってない! 変わってないよ、鈴!」
「冗談です。二分の一で許してあげます」
「鉄拳制裁――いや、魔法制裁は避けられないの!?」
その言葉に対し、鈴はニッコリと満面の笑みを作り、
「ええ、負かりません」
「――っ!?」
その時、優希は怖気を感じ取った。
その怖気を、優希は知っている。
だからこそ、反射的に鈴を突き飛ばした。
「きゃっ!」
突き飛ばされた鈴は、痛そうに顔を歪め、腰を擦る。
「ご、ごめん! 大丈――」
「ユウキ、リンに近づくな!」
謝ろうと思い、優希は鈴に近づこうとしたが、フォルティスの緊迫した声が優希の体を硬直させた。足は地面に縫い付けられてしまった様に動かない。
一方、叫んだフォルティスは優希と鈴の間に割って入り、優希を庇う様に後ろへ下げ、立ち上がらない鈴の事を睨みつけ、
「リン、今何をしようとした?」
そう言ったフォルティスの声は、疑念に満ちながらも鬼気迫る物だった。
「別に何もしようとしていませんよ? 単なる冗談を真に受けないでください」
「そ、そうだよ、ルティス。鈴は何も――」
「なら、ユウキはどうしてリンを突き飛ばしたんだ?」
優希は言い返す事が出来なかった。
優希を突き飛ばしたのは、完全に無意識だった。それの意味するところが分かる。だからこそ、理性が現状の把握を、真実への到達を拒絶する。
優希が葛藤する中、フォルティスは同じ質問を鈴にぶつける。
「リン、もう一度聞く。今ユウキに何をしようとした?」
「――無意味な質問ですね。もう結論出ているのでしょう?」
ゆっくりと、何事も無かった様にリンは立ち上がり、フォルティスを見据える。
それを聞き、フォルティスは冷ややかな目で鈴を見返す。
「気でも触れたか?」
「安心してください。生憎と正気です」
「なら、何故だ? 何故――」
「――何でアタシを殺そうとしたの?」
フォルティスの言葉を遮って、優希は自分の言葉で鈴に尋ねた。
「油断している時なら危機回避能力も働かない――そう踏んでいたからです」
返ってきたのは、何も変わらないのに、何かが決定的に違う答えだった。
言った直後、鈴はゆっくりと目を伏せた。
直後、目が眩むほどの白き光が鈴から発せられた。突然の事に、優希とフォルティスは咄嗟に手で目を庇い、すぐさま鈴の方を見る。
「えっ……」
光が弱まっていく中、鈴の姿を見た優希は、我が目を疑った。
白き光が瞬いた後、鈴の姿には変化が起きていた。
白、白、白――。黒を基調としていた鈴の防護服は、先の一瞬で真っ白に変化していた。そこからは高潔さを感じ、そう感じる理由を優希は分かっている。
『それ』は、紛れも無く天使の白さであり、高潔さだった。
「鈴、その姿……」
「優希ちゃんは本当に理解力がありますね」
ふふ、と鈴は小さな笑みを漏らす。
「で、でも、どうして……何で……」
対し、優希はそれだけ言うのが精一杯だった。
思考が追いつかない。思考が空回りする目の前の状況は分かる。こんな時でも冷静な思考は分かってくれるが、それはあくまでも『結果』のみ。何がどうなればこの様な結果になるのか、その『過程』に関しては手持ちの情報と得たばかりの情報ではまるで見当がつかず、それにも関わらず、思考はひたすらに回り続け、出ない解をひたすら演算し続ける。
「私も聞きたいところだ。級友の好で教えてくれないか?」
「ルティスさんが知る必要は無いですし、優希ちゃんは倒れてくれれば分かる事なので申し訳ありませんが、教えてあげられません」
「知る必要が無い、か……。それは私が例外だからか?」
「そう言ったつもりですが?」
「そうか。なら、これ以上言葉を交える必要性も無いな」
そう言った瞬間、空気が変わり、赤い二条の光が床を走る。床を駆ける赤き光は、フォルティスを中心に優希、そして鈴を囲った。
「場所を移すぞ。『ここ』では――」
「それには及びませんわ」
フォルティスの言葉を遮るや、鈴は後ろに跳躍した。
途端、鈴の背後の空間が突如として裂かれ、白き光が漏れ出してくるその奥に鈴は入っていき、鈴が完全に入りきるや、裂けた空間は元に戻る。
鈴が消えるや、床を走っていた赤き二条の光は消える。
赤き二条の光が消えると、その場には沈黙が訪れた。
当然。つい昨日まで楽しく一緒に過ごしていた相手の酔狂な言動に、優希は無論、対応したフォルティスでさえ、把握出来ない状況に困惑しているのだから。
「――糞悪魔、ユウキに説明する前に一つだけ答えろ」
少しして、フォルティスは至極平坦な声で静観するレフィクルに言った。
「お前がこの事をしているのは、余計な負担を増やさないためか?」
「俺はそこまで優しくない」
「と言うと?」
「確かにそう思っての事ではあったが、戦略的な意味合いも同時にある。先ほどの様な事があった場合、こちらが不利になるのは明白だっただろう?」
「……なるほど。確かに優しいだけではないな」
ため息交じりに言い、フォルティスは防護服から蒼穹学園の制服に戻る。
それから、キッチンへと向かいつつ、優希に言った。
「ユウキ、武装を解除しろ。そのままでは疲れるぞ」
「……え? あ、うん……」
優希は肯定し、戻り方を少し考えて、フォルティスに目配せで助けを求める。
フォルティスは口元を緩め、
「戻れとか、解除と念じればいい。そうすれば、武装前の姿に戻る」
そう言い残し、キッチンに向かった。
「ルティス、何するの?」
武装を解除しながら、優希は聞いた。一瞬衣服が光り、優希は寝間着姿に戻る。
「一息入れよう。立ち話する話題ではないだろうからな」
それを聞いて、優希はフォルティスに続いてキッチンへ。
「あ、それなら、アタシも手伝うよ」
「大丈夫か?」
そう聞かれて、優希は努めておどけた調子で答える。
「……駄目だけどそれで事態は好転しないじゃん? それにこんな時でもしっかりとお腹は減って、何か入れないと持ちそうにないんだよね、これが」
「丸一日何も食べていない――って、私の料理はそんなに嫌か?」
「嫌じゃないけど、どうせなら美味しい物食べたいし」
「……それは暗に嫌と言っていないか?」
「被害妄想だね。ルティスだって食べるなら美味しい方がいいでしょ?」
「それはまあ……」
陥落したところで、優希は畳みかける。
「なら、決まり。で、早速だけど好き嫌いは?」
「唐辛子が駄目だ」
「ふむふむ。レフィクルは?」
「甘い物が苦手だ」
「あ、だからブラックなんだ。OK。それじゃ、さっさと始めますか」
そうして、優希は早めの夕飯を、フォルティスは飲み物を準備し始める。
「――これが自炊と趣味の差か」
「――ユウキ、唐突で済まないが嫁になってくれ」
優希が作った炒飯を食べ、そのあまりの美味さにフォルティスはうな垂れ、レフィクルに至ってはぶっ飛んだ事をいきなり言い始める始末。
「……二人ともたかが炒飯に感動し過ぎじゃない?」
そんな二人にそう言って、優希は自分の炒飯を食べ進める。
「何を言う!」
唐突にレフィクルが叫んだ。
「このパラパラ加減、卵のふんわり具合、塩と胡椒の塩梅、材料の焼き加減――どれを取っても職人技だぞ、これは!」
その歓喜の叫びに、フォルティスがしきりに頷く。
「レフィクルの言う通りだ。うちの料理長よりも上手いかもしれん」
それを聞き、光明得たりとばかりにレフィクルは尚も叫ぶ。
「そら見ろ! 時にユウキ、これは中華料理の一種なわけだが、他の料理は?」
「和洋中ならある程度出来て、他は勉強中。聞かれるまでに答えるし、自慢するわけじゃないけど、和洋中なら皆このレベルで出来るよ」
そう言って、優希は炒飯を一口頬張った。
対し、それを聞いたレフィクルは、
「ユウキ、悪魔になる気は無いか?」
などと物騒な事を当然の様に言い出した。
それに、フォルティスが噛み付く。
「ユウキ、それよりも私の妹にならないか? ああいや、何なら姉でもいい。そして、私のために毎日美味しい料理を作ってくれ!」
「二人ともテンション高いね? そんなに美味しかった?」
「美味くなければこんな事は言わない」
「レフィクルに同じだ」
「はいはい。で? どういう事なの?」
「話を反らすな」
「そうだな。答えが先だ」
「何時までもボケ倒すなら炒飯片付けるよ?」
そう言うと、一人と一匹は呻き、素直に炒飯を食べ勧めた。
「素直で結構」
それを見て、優希は小さく笑い、
「で? 改めて聞くけど、どういう事なの?」
早速とばかりに切り出した。
「これを食べてからじゃ駄目か?」
「話してくれたら作り起きしてある杏仁豆腐出してあげる」
「簡単に説明するなら、将棋だ」
悪魔ってちょろいなー、と思いつつ、優希は頭のねじをまく。
「将棋って、全ての駒を使って、相手の王将を取れば勝ちってゲームだよね? やった事無いから詳しくは知らないけど」
「ざっくり言えばその認識で問題は無い。特徴的なルールとして、相手から見て三マス手前まで切り込めたら裏返しにして、駒としての能力が向上する駒がある。それと取った相手の駒を自分の駒として使える、というルールがある」
「……嘆かわしい光景だな」
と、フォルティスと優希を見て、レフィクルは不意に言った。
「に、日本人が誰でも将棋の遊び方とルールを知ってると思う方がおかしい!」
それを聞いて、優希は堪らず叫ぶが、
「もっともだが、そう思っているなら何故叫ぶ」
墓穴を掘った事を諭され、優希はがっくりとうな垂れる。
「なるほど。それでリンが敵となったわけか」
うな垂れる優希の代わりに、フォルティスが話を進める。
「そういう事だ。悪いな、ユウキ。これだけは話せなかった」
「――奇跡を欲した代償だとしても酷い話だね」
復活した優希は、吐き捨てる様にそんな事を言った。
将棋に例えられるという事は、相手の陣営に負けた場合、その時点から相手の陣営に無条件で下る、という事なのだろう。その理由は単純明快だ。戦争の勝敗は戦力の量と質によって決定され、数は多ければ多く、質は高ければ高いに越した事は無い。要するにどんな者であれ、殺すには惜しい、という事なのだろう。
そしてそれは、相手の王将を取るまでひたすら続く。
「ま、ズルした罪人達には相応しい地獄だけど」
でも、優希はそれを受領する。
何かを手に入れるために対価が必要な事など誰もが知っている事だ。
それが『たった一度の奇跡』ともなれば、これだけの物になるのは必然。
それに、レフィクルはちゃんと言っている。
――『悪魔に頼ってでも叶えたいのか?』
一時の感情であれ、優希はその契約書にサインした。
だから、きつくとも受領する。
それもまた、奇跡に頼った責任だろうから。
「――ユウキは強いな」
フォルティスの発言に、優希は肩を竦めて見せた。
「強くないよ。アタシの場合、自分で首突っ込んだわけだから、それで弱音吐いたり、後悔したりするのは、それこそズルかな、と思ってるだけだからね」
「それでも前に進もうとしている。それを立派だと私は思う」
「……ありがと、ルティス」
「どういたしまして」
微笑でそう言い、フォルティスはレフィクルに話を振る。
「ところで、私がリンを倒した場合はどうなるのだ?」
それを聞いて、優希は気になっている事を聞いた。
「そういや、例外って言ってたけど、あれってどういう意味?」
「向こうがフォルティスを例外と言ったのは、別口だからな。で、フォルティスがリンを倒すとどうなるのか、という事に対する答えだが、別に問題は無い、と言っておく。選択出来るかどうかという違いだけだからな」
「選択出来るかどうかの違いって?」
「ユウキが倒した場合は、その後も魔法少女として戦えるが、その時点で辞める事も可能だ。後者の場合、魔法に関する記憶は一切消させてもらうがな」
「あ、辞められるの? でも、後者の場合、返済や体質はどうなるの?」
「負けた時点で消滅し、元通りにしてやるが、そもそも後者を選ぶ者は俺がそうしない奴ばかりを目標としているからまず起こり得ない」
「悪魔発言痛み入るよ。それで? ルティスが倒すと具体的にどうなるの?」
「話してやるから杏仁豆腐をくれ」
「がめついね」
一言文句を言って、優希は立ち上がる。
「ユウキ、私にも頼む」
その最中、フォルティスの注文が聞こえた。優希は首肯し、空になったレフィクルとフォルティスの皿を回収してキッチンへと向かう。キッチンに到着すると、流し台に皿を置き、水を注ぎ入れ、その場をそのままにして二人分の杏仁豆腐の盛り付けを開始。丁寧かつ迅速に終わらせ、二人分の杏仁豆腐と一人分のスプーンを持ってリビングに戻る。
「お待たせ。はい、レフィクル」
「おお。絵に描いた様な杏仁豆腐だな」
「どうも。はい、ルティス」
「ありがとう。おお、確かに絵に描いた様な杏仁豆腐だ」
ルティスにも返事を返し、優希は自分が座っていた場所に戻り、食べかけの炒飯に手をつけ、レフィクルとフォルティスの二人は杏仁豆腐を一口食べる。
「! 美味い! 美味過ぎる!」
「! この味、筆舌に尽くし難い!」
テンション高いなー、と思いつつ、優希はレフィクルに言う。
「感動してるところに水を差すけど、続きを聞かせてくれる?」
そう言うと、レフィクルは物凄く嫌そうな顔で優希を見たが、優希がレフィクルの杏仁豆腐に一瞥くれると、ドキッとした顔をし、
「フォルティスが倒した場合、アイラスの特性である『断罪』によって、対象――天使陣営となった魔法少女は、幻想に関わっていた期間中の事を全て忘れ、強制的に元の生活に戻る事になり、そして金輪際関わる事は無くなる」
と、遅れを取り戻す様に言い、
「……今ふと思ったが、餌付けされている気がするぞ?」
そう付け足した。優希は苦笑する。
「そっちが勝手に感動してるだけなのに、酷い言い草だね?」
「安心しろ。こんな美味い飯ならこっちから願いたいところだ」
「変態発言痛み入るよ。で――それって、絶対なの? 偉そうに言えるほど生きてないけどさ、人間って弱いから奇跡に縋りたく生き物だよ?」
「絶対無い。俺がそうさせないからな」
「それもアンタかい」
「そのくらいの良心は持ち合わせているさ」
「悪魔なのに?」
「だからこそだ。質に違いはあるが、代わりはいくらでもいるからな」
「優しいのか、厳しいのか……」
「酷いのは事実だな。成人未満の女性ばかりに契約を迫っているし」
「魔法少女って言うからには、そうなんだろうとは思ってたけど、そうなの?」
「少なくとも、私は『少女』と言える世代の相手にしか出会っていないな」
「奇遇だな。俺も『少女』と言える世代しか相手にした事が無い」
それを聞き、優希は嫌な仮説に至りつつ、それを確認するために聞いた。
「……まさかとは思うけど、相手した事が無いって事は、それってつまり、他を相手にする事は出来るけど、アンタの趣味というか性癖で女の子ばっかりになっているって事じゃないよね?」
「正解だ。好きでもない相手を篭絡する阿呆が何処にいる?」
レフィクルが平然とそう言った瞬間、この場には必然の沈黙が訪れる。
少しして、立ち上がり、変身してから優希は口を開く。
「――ねえ、ルティス。アタシの聞き間違いかな? 今コイツ全く悪びれずに公言して、それがアタシには本気で言ってる様に聞こえたんだけど?」
その声は、何処までも、果てしないほどに平坦であり、無機質無感情。
「奇遇だな。私にもそう聞こえて、全成人未満の女性のために、やっぱり血祭りにあげておくべきだったな、と果てしなく後悔しているところだ」
答えたルティスもまた、優希と同質の声色だった。しかし、変身はしていない。
「それは今からでも遅くないと思うのだけど、それについては?」
「そうしたいのは山々だし、すでに私の両手は血塗れているが、今の発言を聞いてこいつの血は浴びたくないと全力で思ったから、やるなら一人でやってくれ」
「アタシも一緒に浴びてあげるから一緒にどう? 絶対すっきりするよ?」
「それは魅力的な提案だが、私達だけがこいつの血を浴びるというのは、何だか果てしなく不公平な気がするし、それに何よりこいつの血を浴びてユウキに汚れて欲しくないから、可能なら思い直してくれないか?」
「……ったく」
優希は苛立たしげに舌打ちし、髪を掻き、それから変身を解除して腰を下ろす。
そんな優希を見て、レフィクルは言う。
「思い直してくれたところで、作戦会議と洒落込もう」
それを聞き、優希は呆れてため息をつく。
「切り替え早過ぎ。少しは悪びれたらどうなの?」
「して欲しいのか?」
「まあね。折角長い付き合いになりそうなんだから、少しずつでも甘えてくれたりしちゃったりするとこっちとしては嬉しいし」
そう言った時、レフィクルは黙り、硬直した。
それを盗み見て、やっぱりな、と優希は思う。
これまでの発言が何処まで冗談で、何処まで本気だったのか、優希には皆目見当もつかない。それを読み取れるだけの距離が近くない事は分かっている。だがしかし、それでもレフィクルが悪循環を止めるために奔走している、という事は知ったばかりの優希でも理解でき、その際にかかるだろう負担をレフィクルは何らかの手段を以って軽減してくれている気遣いも分かっている。
だからこそ、甘えて欲しかった。
例え、おこがましく、分不相応だとしても。
レフィクルがこちらを気にかけてくれている事は事実。
ならば、それと同じ事をしてもいいはずだと思うから。
「……前向き思考は結構だが、それで後悔しても知らんぞ?」
再び紡がれた言葉に、冗談の色は無かった。
それは彼にとっての甘え。
それが嬉しくて、優希は努めておどけて見せる。
「その時はその時で諦めるし、馬鹿な女だったと笑ってくれていいよ」
「了解だ、馬鹿女。そうなったら大笑いしてやる」
「約束だよ、馬鹿獅子」
「――ご馳走様」
そこで、静観していたフォルティスが呆れた様子で言った。
それを聞き、優希はフォルティスの皿が空になっているのを見て、
「お粗末様でした」
と平然と返した。
対し、フォルティスはジト目で優希を睨む。
「ユウキ、それはわざとか?」
「もちろん、わざとだよ」
それを聞いて、フォルティスは一瞬きょとんとした後、
「ラブ全開だな」
小さく笑いながらそう言った。
対し、優希は手を振って否定する。
「まだライクだよ。友達以上恋人未満って感じ」
「――やめろ、ユウキ」
と、沈黙していたレフィクルが唐突に言った。
対し、優希は半眼になり、苦笑する。
「悪いけど、やめる理由が見つからないかな」
「だから、やめろと言った。俺にそういう感情を向けられる資格が無いからな」
「知らないし、別にいいでしょ? こっちが勝手に向けてるだけだし、大体、やめて欲しいならさっさと作戦会議とやらを始めればいいのに」
「そう思うなら、そういう事を言わなければいいだろう?」
「聞かれた事に答えただけなのに、どうして非難されなきゃいけないわけ?」
「だから、話を円滑に――」
「お前らが相思相愛なのは分かったから、さっさと話を進めないか?」
フォルティスの提案で、レフィクルは言葉を止め、その後も口をパクパクと何度か開閉したが、それを止めると、深々と息を吐き、頭を振る。
「ユウキ、コーヒーを頼む。砂糖とミルクたっぷりで」
それから、そんな事を優希に頼んだ。
「甘いの苦手じゃなかったの?」
「苦手だが、飲まないと頭が回らん」
「はいはい。じゃ、用意してくるから始めてね」
「一服してからな」
「もう、ああ言えば、こう言うんだから」
と言いつつ、優希は立ち上がり、空になった器を持ってキッチンへと向かう。
それからは、優希がコーヒーを用意する音や、フォルティスが炒飯を食べ進める際にスプーンで皿を擦る音くらいしか上がらない静かな時間が流れる。
少しして、優希が湯気立つ器を持ってきて、レフィクルの前にそれを置いた。
「どうぞ。熱いから気を付けてね?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
短いやり取りをしながら、優希は定位置に戻り、レフィクルはコーヒーを飲む。
「で? 作戦会議って?」
優希は、タイミングを見計らってレフィクルに聞いた。
「向こうは今夜打って出てくる」
「鈴の奇襲が失敗に終わったから?」
「それとユウキが未熟だからだ」
フォルティスが賛同を示した上で補足した。
「ユウキの素質ははっきり言って最高品質だが、向こうは面倒なのが二人もいる上、アキムがいて、その上天使もいる。対し、こっちは実質的に私一人。故に攻めるなら今、というわけだ」
「二人? 一人じゃなくて?」
「二人だ。向こうにはトモヨ=ソトノもいる」
「えっ……」
それを聞いた時、優希は自分の聴覚が狂ったのかと思った。
「嘘、それホントなの……?」
だから、淡い期待を込めて聞いた。そんな言葉が先行して口から出た。
「本当だ」
しかし、返ってきたのは、無情な現実だった。
「……きつい話だね」
それを聞いて、優希を堪らず呻いた。
それから、不敵に微笑んだ。
「でも、そういう事なら俄然やる気が湧くって話だね」
「言う事だけは一人前だな」
優希の反応を見て、フォルティスが苦笑交じりに言った。優希も苦笑を返す。
「新米だから気持ちくらいは負けない様にしないといけないし、新米だからって高望みしちゃいけないって事は無いからね」
レフィクルの話が本当なら、深く考える必要は無い。見敵必倒。倒せばこちらに引き込む事は可能なのだから、後はやれるかどうかの問題だろうからな。
優希はそこで話題を変える。
「ところで、ルティスが負けた場合はどうなるの?」
「私の事は気にしなくていい」
返ってきたのは、きっぱりとした拒絶。
しかし、そのきっぱりさ故に、優希はそうなった場合の結果を悟った。
往々にして戦場で負けた場合、辿る末路は死。『例外』と言われているフォルティスだが、戦場において例外なのはフォルティス以外の全て。それ故に、フォルティスに待つのは、戦場において敗者が辿る当然の結果。
それ故に、優希はこう言い返す事にした。
「負けられない理由が増えたね」
優希の言葉に、フォルティスは大きく目を見開いたが、
「……ユウキに隠し事は出来そうに無いな」
それから、呆れた調子で言った。
それを聞き、優希は罰が悪そうに頭を掻く。
「ごめんね。悪気があるわけじゃないんだけどね」
記憶喪失というハンデを埋めるために気を使っていただけなのだが、傍から見ると記憶喪失前よりも、物事に対する向き合い方が向上しているらしいのだ。それ故に、こういう事はこれまでに何度もあり、先ほどフォルティスが言われる事も級友達に言われた経験が何度もある。
「謝らなくていい。記憶喪失故に気を使った結果だろう?」
「まあね。おかげで今じゃ動く嘘発見器とか言われてる」
「つくづく高性能だな。成長が楽しみだ」
「今じゃ宝の持ち腐れ極まりないけどね」
優希は自嘲気味に呟いた。
「一段落したところで、ちょっと整理するか」
そこで、レフィクルがおもむろに提案する。
「決戦は今夜。向こうの戦力は規模こそ不明だが、アキム、リン、トモヨと面倒な連中が出てくるのは明白。対し、こっちは二人。内一人は実質的に使い物になるかどうか分からない。双方の勝利条件は同じく敵軍の全滅。この条件にも関わらず、こちらは負ける事が許されていない」
そこまで言って、レフィクルは重たく息を吐く。
「……やはり厳しいな。リンとトモヨを諦めればどうにか――」
「二人はアタシに受け持たせて」
「――言ったからには責任持って倒せ。それが条件だ」
それを聞いて、優希はきょとんとした顔でレフィクルを見る。
視線に気がつき、レフィクルは優希を見返した。
「どうした?」
「あ、いや、まさかすんなり許してくれるとは思わなかったから」
「そんな事か。フォルティスにあんな啖呵を切ったし、本来はリンの役目だろうが、リンがいない今、俺がまず信じるのは当然の帰結だろう?」
平然と言って、レフィクルはフォルティスを見た。
「それでいいな、フォルティス?」
「異論は無い。その代わりというわけではないが、アキムはもらうぞ?」
「断りは不要だ。奴の事はお前に一任するつもりだったからな」
「そうか。なら、話は決まったな」
「そう――」
だね、と言おうとしたが、言い終える直前、優希は変化の予兆を感じ取った。
遅れて、世界が一変する。色彩は白で統一された、純白の異空間へ。
それを認めて、優希は違う言葉を紡いだ。
「――待つ手間が省けたね」
白、白、白――。
見渡す限りの白い平原。
立つ事ができるため、一応地はあり、開放感があるから空もあるのだろうが、どちらも当然の様に真っ白であるため、地が何処まで続いているのか、何処までが空なのかはどれだけ目を凝らそうとも見えてこない。
最早見慣れたそんな光景は、これまでと毛色が違っていた。周囲にはこれまで認める事が出来た建物は無く、ひたすら白の平原が何処までも、何処までも永遠と続いているのかもしれない、と思えてしまうほど続いている。
その中に、唯一在るのは、塔だ。
色彩は、やはり白一色。
存在理由は、唯一であるが故に誰に聞かずとも、考えずとも知れるというもの。
そんな場所に二人と一匹は唐突に立たされていた。
「……歓迎されてるのかな?」
状況を把握し、状況に対する感想を一言言ってから、優希は変身した。
「少なくとも、ユウキだけは歓迎されているだろうな」
そう返して、フォルティスも変身した。
優希は苦笑を返した後、しゃがんでレフィクルを呼んだ。
「レフィクル、おいで」
「苦労をかける」
「礼には及ばないよ」
そんなやり取りを交わしながら、レフィクルは優希の腕を伝って肩に登り、レフィクルの登頂を確認すると、優希はゆっくりと立ち上がった。
「落ちない様に注意してね?」
「安心しろ。バランス感覚には自信がある」
「背中は任せる」
フォルティスは短く言って、唯一建つ塔に向かって走り始めた。
優希もすぐにその背を追い、一歩後ろを定位置とする。
「――静かだな」
約三分後、フォルティスが不意に口を聞いた。
「だね。配備されていてもおかしくなさそうなのに」
「まあ、こちらとしては無駄な労力を使わなくて済むからありがたいがな」
「ごもっとも。ここは向こうの厚意に甘えるとしようよ」
「言われずともそのつもりだ。時に優希、自分の能力は理解しているか?」
「一応。でも、こんな事が本当に可能なの?」
初めて変身した際、それに関する知識は強大な力によって存在の情報が書き換えられていく過程で覚えた。もっとも、それは『お前はやれば出来る子』という様な非常に曖昧なもので、それを持っているという感覚は確かにあるのだが、感覚だけなので、実感が追いついていないのだ。
「可能だ。私もそうだったからな」
「そうなの?」
「というか、他の魔法少女も基本的にぶっつけ本番だと思うぞ?」
「そうなの、レフィクル?」
「基本的にはそうだな。ユウキは特殊過ぎるがな」
「ふぅん。習うより慣れろって事なのかな?」
「さあな。ちなみにユウキの能力は『夢想具現』だぞ」
それを聞いて、フォルティスは呆れた風情の息を漏らす。
「それはまた……反則的だろうとは思っていたが、まさかそこまでとは。だがまあ、ユウキらしいと言えばらしい。ちなみに褒めているからな」
「いやいや、全然褒めてないよ、それ」
「そこだけ後ろ向きに捉えるな。無限の可能性がある、という意味だぞ?」
「でもさ、それってつまり、宙ぶらりんって事だよね?」
「そう拗ねるな。確かにそうだが、その不安を忘れずにいれば、ゆくゆくは擬似的に全能性を得られる可能性だってあるぞ?」
「あ、そう言われると格好良いかも」
「だろう? でも、器用貧乏になる可能性も捨てきれないから注意するように」
「はいはい」
そこで、二人は塔に到着し、即座に侵入した。
塔内もやはり白。吹き抜けになっているが、かなりの高さがあるのか天辺はどれだけ目をこらしても見えてこない。その天辺へ向かうには、壁に沿って螺旋を描く階段が一つ。それもまたひたすら続いている。
「向こうからの招待、敵の配置無し、分かり易い構図――至れり尽くせりだね」
「私達が無理を言って、そう頼んだのです」
優希の呟きに答えたのは、懐かしささえ感じる軽やかなソプラノ。
優希とフォルティスは塔の内装から、正面へと視線を移す。
そこには、白く染まった二人の少女――鈴と智世が立っている。
「久しぶりね、優希。と言っても、覚えていないでしょうけど」
そう言った智世は、少しだけ物悲しそうだった。
「ごめんね、外野さん」
「智世でいいわ。変なところこだわらないで、昔みたいに呼んでくれない?」
「それは出来ないね。不公平だから」
「……記憶喪失でも変わらないものなのね。そういう変に頑固なところとか」
「それ、鈴にも言われたよ」
「そりゃ言いたくもなるわよ」
そう言って、智世は呆れたため息をつく。
「見た目は変わらず、態度言動も変わらずだもの。正直どうかしてるわ」
対し、優希は肩を竦めて見せた。
「安心して。自覚してるからさ」
そう言って、優希はフォルティスに囁く。
「じゃ、手筈通りに」
すると、フォルティスが右の拳を突き出してきた。
「上で待ってる。必ず追いかけてきてくれ」
「厳しい注文だね。こちとら新米だよ?」
「多くは望まない。私の背中を預けたいだけだ」
「十分厳しいってば」
と言いつつ、優希は右の拳でフォルティスの右の拳を小突く。
「でも、了解。その代わり、ちゃんと生きてるって約束してよ?」
「元よりそのつもりだが、約束しよう」
「承った。それじゃ、早速」
そう言って、優希はルティスの腕を掴み、ルティスを階段の方へ投げ飛ばした。
ルティスが驚く中、状況は一変する。ルティスがたった今し方までいた場所を高速で矢が駆け抜け、ついで武器の雨がピンポイントで降り注ぐ。
一連の事態が終わるや、優希はフォルティスに向かって叫ぶ。
「行って、ルティス! 上で会おうね!」
それに対し、フォルティスは行動で答える。何処まで続いているか分からない階段を高速で駆け上がり始めた。かなりの速さであり、すぐに見えなくなる。
フォルティスを見送った後、優希は白く染まった二人を見据える。
「噂に違わぬ危機回避能力ね」
「それを確かめるためにあんな事を?」
「まさか。ポッと出が、私達の目の前で優希と仲良くしてるから、ちょっとぶっ殺したくなっちゃったからに決まってんでしょ?」
智世は、怒気を微塵も隠していない苛立たしげな声で言った。
「だろうと思った。殺気全開だもん」
「少し見ない間に随分と仲良くなったのですね?」
鈴も鈴で、怒気を全く隠していない声で言った。
二人の反応を見て、優希は苦笑する。
「いやはや、『上代優希』は愛されてるね」
「……それはもうしないはずではなかったのですか?」
「そうだけど、ルティスは『アタシ』しか知らないし、『アタシ』にとっては初めての友達だからね。それなのに『上代優希』として接するのは変でしょ?」
「……なら、今優希は『上代優希』としてこの場にいるわけではない?」
「そういうわけでもないよ。二人を倒して、これからは四人仲良くやっていけたらなって思ってる。でも、その一方でさっさと片してルティスの方に――」
そこで、遥か頭上から爆発音が聞こえてきた。ついで、塔が揺れる。
「――行かないとって『アタシ』は思ってる。だから、ちゃんと答えるなら、アタシは『上代優希』と『アタシ』としてこの場に立っている、と答えるよ」
そう言った後、『借りるよ』と小声で言い、
「というわけで、先を急がせてもらうね」
そう、宣言した。
それを聞き、二人は驚愕を浮かべ、回避行動を行おうとした。したが、その反応速度を優希の行動は凌駕し、二人に『それ』を浴びせる。
それとは、無数の武器による全方位同時攻撃。
それ故に、逃げ場は無い。
暴虐的な攻撃を前に、白き二人の魔法少女は成す術無く倒れた。
戦闘とはとても呼べない、呆気無さ過ぎる閉幕。
「――こんな感じか。魔法も所詮技術の一つなんだね」
閉幕の反応もあっさりとした物だった。
当然。『知識』にある『上代優希』は、そういう人間だ。読解力と順応力が凄まじ過ぎるがために、一度見ただけで全く同じ事が出来てしまう、という他人の努力を嘲笑ってしまう嫌な特技を持っている。
優希がやったのは、その特技を発揮しただけの事。『上代優希』が当たり前の様に行えてしまう事を行った、ただそれだけの事。
「……やり過ぎだぞ、ユウキ」
その光景を見て、レフィクルがポツリと言った。
それに対し、優希は微笑を返す。
「やると決めたアタシは怖いよ?」
「……肝に銘じておこう」
「そうして。ところで、こんな感じでいいの? 足りないなら――」
「殺す気か!?」「殺す気ですか!?」
優希の言葉が、武器の山から遮られる。ついで、体を様々な武器で貫かれた二人が這う様にしてノロノロを現れる。
そんな二人を見て、優希は申し訳無いな、と思いつつも吐き気を催した。
「うわ、二人ともグロイね。不死って触れ込みは伊達じゃないってわけか」
「……誰のせいでこうなっていると……」
「……優希、後で覚えてなさいよ?」
「責め苦は後で甘んじて受けるよ」
悪びれずに言い、優希は肩に乗るレフィクルの首根っこを掴んで顔の前にやる。
「レフィクル、二人の事任せてもいい?」
「任されてやるから、さっさと行ってやれ」
「余計な事言わなくていいからね?」
そう言って、優希はレフィクルを放り投げ、階段へ向かった。
鈴と智世の視線を感じたが、優希は二人に何も言わない。『上代優希』として言葉を語るのはおこがましいと思えたし、『自分』からは何も無かったから。
だから、優希は上を目指す。
上で待っている友との約束を果たすために。
「――さて、と」
優希を見送り、レフィクルは無数の武器に貫かれた二人を見て、言う。
「お前達には二つの道がある。一つは全てを受領し、今後も魔法少女として戦い続ける事になる修羅の道。もう一つは全てを忘れ、今後一切幻想と関わる事が無い安寧の道。この二者択一、お前達はどちらを選ぶ?」
「……今決めろって? 待てない男は嫌われるわよ?」
「待ってやりたいが――」
レフィクルはそう言って、頭上を仰ぎ見る。
「――こんな奴でもいないよりマシだろう?」
それを聞いて、鈴と智世はきょとんとし、互いを見合った後、苦笑した。
「……そういう事ですか」
「私らが言えた台詞じゃないけど、優希はホント変な奴に好かれるね?」
「勘違いするな。俺は全員好いているぞ?」
「でも、それはライクでしょ?」
「で、優希ちゃんへの気持ちはラブでしょう?」
そんな二人の反応に、レフィクルは二人に視線を戻し、不敵に笑った。
「『好き』には変わらないだろう?」
それを聞いた二人は、一拍置いて、
「――女たらし。アンタ、無駄に良い声過ぎんのよ」
「――女の敵。何人の女性を騙してきたのですか?」
そんな事を言った。
「何を今更。俺は悪魔だぞ?」
対し、レフィクルは悪びれずに言い、
「で? お前達はどちらの道を選ぶ?」
それを聞いた二人は、弱々しいのだが、何処か清々しさがある微笑みを向け、
「愚問ね。どちらを選ぶかなんて聞くまでも無いでしょう?」
「愚問です。答える必要性が感じられません」
そう言った。
塔の最上部。
「――勝負は見えたな。人の身でここまで肉薄した事は敬意に値する」
フォルティスは、善戦したと言える。
その証拠に、アキムも無傷ではなく、肩で息をしている。体には無数の切り傷。それら全て、フォルティスの攻撃が届いた結果だ。
だがしかし、それでも勝利には届かなかった。
当然の帰結。向こうは際限無しであり、本人の力を本人が振っている。完熟されたその戦闘行為は最早一流芸能の領域。対し、力は同質の物であるが、アイラス――大天使サリエルの力を使うのは、人の身であるフォルティスだ。数多の戦場を駆け抜けて使い込んで熟練したが、それでも本人には遠く及ばない。
差を分けたのは、種族の違い。
最初こそ拮抗していたが、戦闘の経過により、元からある絶対的に埋められない差は蓄積され、それは少しずつ、そして確実に明確なまでに広がった。
その結果が、この現実。
「……やはり、強いな……」
フォルティスは弱々しく呟いた。
呟くのですら、やっとという感じだ。それもそのはず。フォルティスが負っているダメージは、アキムのそれより深く、重く、多い。傍から見れば、何故立てるのか、まだ生きていられるのか、と聞きたくなるほどの重傷である。
それでも、その声に敗北の色は感じられない。
誰がどう見ても絶望的な状況だと言うのに。
「――あの光は、それほど魅力的だったか?」
唐突に、アキムが言った。
光とは何なのか――それが何なのか、深く考えずとも理解に至れた。
「――ああ、お前が求めるだけの事はある」
答えたのは、フォルティスではなくアイラスだ。
「笑うか? 未練がましい俺を?」
「笑わん。それは今もお前が『天使』である証明だからな」
「そうか」
そう言って、アキムは右手に握る剣を持ち上げ、
「じゃあな、戦友」
そう宣言し、剣を――、
ヒュン。
振り下ろそうとした瞬間、アキムに向かって何かが飛来した。
飛来したそれをアキムは弾き飛ばし、バックステップする。
突然の横槍は、それで終わりではない。それを皮切りとし、後退するアキムを追って、剣が、斧が、槍が、剣斧が、ハンマーが、ランスが引っ切り無しに何処からとも無く飛来し、アキムの体を射抜くために降り注ぐ。
襲撃の終わりは、アキムとフォルティスの距離が十分空いた時だった。
「――何の真似だ、リン?」
立ち込める粉塵の中、現れた人影にアキムは尋ねた。
「何も問題無いよ。アタシは鈴じゃないからね」
粉塵の中から聞こえたのは、アキムの想像とは違う声だった。
遅れて、粉塵の中から声の主が姿を現す。
現れたのは、虹色の髪を持ち、灰色の衣服を着た少女。
「ルティスー、生きてたら返事してー」
そんな少女――上代優希の問いかけに、フォルティスは満身創痍の体に鞭を入れ、奮い立たせ、大鎌の柄を支えにヨロヨロと立ち上がる。
「約束を、守ってくれたようだな……」
その問いかけに、優希は満面の笑みを返す。
「そっちも約束守ってくれてるみたいだね」
「しかしまあ、随分と派手にやられてるね?」
優希はフォルティスをまじまじと観察して言った。
「……そういうユウキは無傷だな」
対し、フォルティスも優希をまじまじと見つめ、それから呆れた様子で言った。
「速攻で終わらせて来たからね。ところで、どう?」
「行ける、と言いたいが……」
「厳しいってわけね。了解」
軽い調子で言い、優希はフォルティスを庇う様に一歩前へ。
「初め――」
アキムの姿を認め、優希はそこで言葉を止めた。
止めざるを得なかった。その姿に、優希は見覚えがあったから。
だから、こう言い直す。
「――現実的には初めまして」
「現実、的……?」
敏感に反応したのはフォルティスで、
「夢の中では、という意味だ」
その問いには、アキムが答え、優希に視線を移した。
「見られている気はしていたが、やはり君だったか」
「アンタが見せていたわけじゃないの?」
「過去を見せびらかす趣味は、生憎と持ち合わせていないな」
それを聞いて、優希は頭をガシガシと掻いた。
「文句は神か運命に言ってくれ」
「……そうするけど、あんな物見せてアタシにどうしろってんだか」
「知らんよ。君の人生だ。君が決めればいい」
「あっそ。それで? アンタがルティスをこんな目に合わせたの?」
「ここには私と彼女しかいないぞ?」
「まあ、確認するまでも無いよね」
その瞬間、優希の周りに何処からか出現した無数の武器が突き刺さる。
優希を睥睨して、アキムは口を開く。
「一応言っておくが、私は大天使ミカエルだ」
「だから何?」
「退く気は無いのだな?」
「あるように見える?」
「……ふむ。姿形は変わろうともその勇猛さ加減は変わらず、か」
「過大評価だね。新米だから、気持ちだけは負けない様にしてるだけだよ」
「では、それが無謀でない事を見せてくれ」
「言われなくても――」
優希は手近にあったランスを掴み、
「そのつもりだよ!」
それを投擲する。無骨なランスは弾丸の如く真っ直ぐアキムへと向かう。投擲と同時に、優希は武器を周囲に展開させ、自身も弾丸の如くアキムへと突っ込んだ。たった一歩の踏み込みで、優希とアキムの間合いは一気に詰められる。
「返すぞ」
優希の攻撃に対し、アキムは剣でランスを正確無比に優希へと弾き飛ばす。
返ってきたランスを優希が一瞥すると、優希の周りに展開されていた剣斧がランスへ向かい、ぶつかりあった二つの武器は激突して空へと打ち上がる。
二つの武器の激突と優希がアキムに到達するのは、ほぼ同時。
アキムに接近するや、優希は頭上にあった斧を握り、そのまま振り下ろす。
金属の破裂音が上がり、火花が上がる。
ギチギチと金属がぶつかり合い、二人は得物越しに相手を見据える。
均衡状態の中、口を開いたのはアキムだった。
「手馴れているな。リンとトモヨが負けたのも頷ける」
「『上代優希』は高性能でね。色々助かってるよ」
「自分に実感が持てない、というのは本当の様だな。そんな身で何故戦う?」
「そっちこそ、人類滅ぼすって意気込んでいる割には随分冷めた目してるけど、一体何のために戦ってるの?」
「浅ましく、女々しい未練が九割、その他諸々が一割」
「天使ってのは随分人間っぽいんだね?」
「天使らしくない天使だから苦労している身でな」
「人間に近過ぎるから?」
「そういう君は私達に近過ぎるぞ?」
「……どっちもどっちだね。でも、悪魔が人を守る時代だよ? 化物がそれを真似しちゃいけないって道理は何処にも無いとは思わない」
「全くだ」
その瞬間、均衡が崩れた。
始まったのは、息をつく暇もなく、瞬きする暇もない攻防。
一度打ち合わせる度に、相手の攻撃を防御する度に、優希の骨は軋みを上げ、筋肉は切れんばかりに膨らんで悲鳴を上げる。
対し、アキムは何時まで経っても余裕綽々とした笑みを浮かべている。戦いを楽しんでいる様に、もしくは稽古でもつけているかの様な余裕さ加減。
「そろそろ学べたか?」
「――っ! アンタ、どうして――」
「何、ちょっとしたサービスだ」
そう言った時、優希の視界からアキムの姿が消える。
アキムが現れたのは、優希の背後。
直後、優希の周囲に展開していた武器は全て折られ、砕かれる。ついで、優希の胸部に横一文字が走り、そこから噴き出した鮮血が、白の大地を朱に染めた。
「あ、ぐっ……」
呻きつつ、優希は片膝を地につける。
「ユウキ――っ!」
叫んだフォルティスは動こうとしたが、体が痛みを訴え、動く事が出来ない。
「――自慢の危機回避能力も完璧というわけではないようだな」
そんな二人を一瞥し、アキムはため息交じりに呟いた。
「生憎と……自分、でも……よく分かってないからね……」
途切れ途切れに言いながら、優希は剣を一本出現させ、それを支えに立ち上がる。出現させた剣は、質は違うがアキムの持つそれを同種の物。
「はあ……はあ……ふぅ……」
呼吸を整えると優希はどうにか立てる様になった。胸の痛みはもう無く、それに伴って即死だろう深手も、怪我した痕跡は切られて破れた衣服の損傷のみ。
「ほう。確かに高性能の様だな。異常に鋭敏な危機回避能力、一瞬で分析し、理解し、習得に至る学習能力、そして魔力を伴わない回復能力、か……。どれか一つでも十分化物だが、それを三つも所有しているとはな……」
「……何の話?」
「君が何者なのか、という話だ」
「……何者でもいいよ。アタシは『アタシ』――それだけ分かってればね」
吐き捨てる様に言って、優希は剣を引き抜き、正眼に構える。
それを見て、アキムは小さく笑った。
「つくづく勇猛だな。まだ続けるか?」
「当然。勝つまで続けりゃ勝てるだろうからね」
「付き合わされる方の身にもなって欲しいものだ」
「なら、さっさと終わらせればいいじゃん」
「では、そうさせてもらおう」
そう言った瞬間、アキムの姿が消える。
「そこっ!」
一瞬遅れて、優希は直感を頼りに剣を置いた。
直後、甲高い金属の破裂音が上がり、アキムの姿が優希の視界に映った。が、すぐまたアキムの姿は消え、優希は振り向き様、直感が導くままに剣を置く。すると、先と同様の破裂音が上がり、やはり先と同様、アキムの姿が現れる。
「――OK。大体、掴めてきた」
「なら、これはどうだ?」
そう言った瞬間、今度は二人同時に姿を消した。
否、双方とも超高速で動いているに過ぎない。それを証拠にこの場所には剣と剣がぶつかり合う音が数珠繋がりにひたすら鳴り続けている。
破裂音の重なりが百を数えた時、一際大きな音が上がった。
遅れて、優希が忽然と現れ、突風に吹き飛ばされる木の葉の様に吹っ飛んだ。
「ユウキ!」
フォルティスは痛む体に鞭を入れ、優希へと駆け寄り、追いつくや大鎌の柄と両足を使い、吹き飛ばされた反動を強引に相殺する。
優希が現れた場所からさらに五メートルほど進んだところで、二人は止まった。
「ユウキ、ユウキ!」
「……平気。死んでないよ……」
フォルティスの腕の中で、優希は息も絶え絶えに答えた。
「――そろそろ幕を引こう」
そこで、アキムが静かに宣言し、剣を天上に掲げた。
瞬間、アキムの剣に魔力が集束するのを二人は感じ取った。圧倒的な魔力量は、視覚化される。それは、純白の炎。その熱気により、この場の気温が急速に向上し、空気が吸い込むだけで喉が焼け爛れそうなほどの温度を持った。
「誇っていい。この技を打つのはこれで二度目だからな」
そう言って、アキムは白き炎を灯す剣を構え、
「さらばだ」
その剣を思いっきり振り被った。
直後、三日月を描いた白き炎が二人へと襲いかかる。
死――その言葉が、優希の脳裏を過ぎった。
その時、フォルティスが優希から離れ、行く手を阻む様に白き炎の前に立ち、赤き光の防護壁を何重にも展開させる。
そこへ、白き炎がぶつかった。
巻き起こったのは、塔全体を揺るがす轟音と衝撃。
「ルティ――っ!」
叫んだ優希は立ち上がろうとしたが、それまでの無理が祟ってか、体が言う事を聞かず、立ち上がる事は叶わない。
そんな優希を嘲笑する様に、一枚、また一枚とフォルティスが展開した防護壁は砕け散り、一歩、また一歩と敵を焼き尽くすために突き進む。
残り一枚となった時、優希の背後から二つの人影が飛び出し、フォルティスの体を後ろから支えた。
「鈴、外野さん!?」「お前ら、来るならもっと早く来い!」
優希の驚愕とフォルティスの怒号に、
「文句は優希に言って!」「喋る余裕は防御に回してください!」
鈴と智世は怒号で答えた。
そんな中、赤き防護壁に亀裂が走る。それを認めた三人は、無駄話をやめて防御行為に集中した。絶対的過ぎる力を防ぐために酷使される体が悲鳴をあげる。
それでも、三人の頑張りは虚しく、防護壁の亀裂は広がるばかり。
よく凌いでいるが、トドメの一撃。満身創痍の三人が抑えられる道理は無い。
(どうしよう、このままじゃ皆が!)
「シャキッとしろ、ユウキ」
優希がそう思った瞬間、レフィクルの声が耳をついた。
反射的に振り向き、優希はレフィクルの姿を認める。
「レフィクル……でも、だけど……っ!」
「安心しろ。お前なら現状を打開できる」
ドクン。そう言われた瞬間、優希の鼓動が高鳴った。
しかし、理性がレフィクルの言葉を否定する。
「でも、あの構成は分からないの! 読み解けないの!」
それは、優希にとって初めての経験だった。
白き炎のそれを、優希は読解出来なかった。出来れば、ここまでテンパってはいない。出来ないからこそ、無力さ加減と不甲斐無さ加減に焦っているのだ。
「ならば、無から作り出せ」
そんな優希に、レフィクルはそう言った。
「分からないなら、読み解けないなら、そうすればいい。有る物ばかりに憧れるのが『夢想』ではない。『夢想』の真髄は無い物強請りだ。違うか?」
ドクン、ドクンドクンドクン。それを聞き、優希の鼓動は尚も高鳴る。
そんな優希に、トドメとばかりにレフィクルは言葉を重ねた。
「――そして、皆の思いに答えるのも『夢想』の在り方だろう?」
カチリ。
その瞬間、優希の脳内で何かが何かにすっぽりと収まった。或いは何かと何かが繋がった。もしくは何かと何かが組み合わさった。
いずれにせよ、それはとてつもなくしっくりくる感覚だった。
それに呼応するかの様に、優希に活力と魔力が戻る。
得た感覚、戻った活力と魔力を以って、優希は力強く地を蹴り、皆の下へ。
到着するや、優希は絶対的な死をもたらす白き炎を殴りつけた。
たったそれだけ。
たったそれだけで、白き炎は跡形も無く霧散する。
「ユウキ!」
「優希!」
「優希ちゃん!」
三者三様の高揚した声に、優希はサムズアップを返し、アキムに駆け寄る。
そんな優希を見て、アキムは苛立たしげに叫ぶ。
「――やはりそうか。だろうと思ったよ、『抑止力』!」
「そうらしいね!」
『抑止力』――それは、不意に思い浮かんだ身に覚えの無い言葉。
それにも関わらず、どうしてかしっくりと――自分はそういう存在なのだと、はっきりと理解出来てしまった。何も分からないのに、身に覚えが無いのに。
でも、一つだけはっきりしている事がある。
この力があれば、現状を打開出来るという事。
それだけ分かれば、優希にとっては十分だった。
「だから――」
そこで、アキムは剣を振った。しかし、それが優希に触れる事は無かった。それよりも早く、優希が一瞥しただけで、その剣は鍔元から砕け散ったのだ。
「ここで止めてあげるから、覚悟してね!」
アキムの驚愕を尻目に、優希は宣言しながらアキムの頭に蹴りを見舞った。虚を突いたそれは直撃する。それを始動とし、優希は拳と足による攻撃を的確に乱舞し、アキムの体に打ち込んで行った。
十二度の攻撃を浴びせた後、優希は指を弾き、武器の雨を降らせた。アキムへと降り注いだ雨は、アキムを傷つけない代わりに一切の行動を制限する様に降り注いだ。その最中、優希は真紅の大鎌を出現させ、
「ジャッジメント――スラッシャァアアアッ!」
フォルティスが使った技を武器の檻に囚われているアキムへと放った。
その赤き一撃は、アキムを捉え、白き世界を一瞬だけ真紅に染めた。
「――死なない程度に加減したつもりだけど、ちゃんと生きてる?」
優希は、崩れ落ちたアキムに近寄って、そう聞いた。
「……甘いな、君は」
「それ勘違い。アタシは選択させるために息の根を止めなかったんだよ」
そう言って、優希はアキムに右手を差し伸べた。
それを一瞥し、アキムは優希を睥睨する。
「……何の真似だ?」
「アタシ達に協力するなら手を取って。する気が無いなら払い除けて」
「……なるほど。確かに甘くはないな」
そう言って、アキムは優希の手を払い除けた。
乾いた音が、白い世界に響き渡る。
優希は払い除けられた手を一瞥した後、
「――馬鹿」
呆れた調子で呟き、指を弾いた。
直後、アキムの体を無数の武器が貫いた。
一度呻いた後、アキムの体は光に包まれ、光の粒子となっていく。
アキムが消えると同時に、世界は元の風景を取り戻す。
元に戻った後、優希は空を一瞥し、
「――良い夢見てね」
そう呟いて、振り返る。
「お疲れ、ユウキ」
「やったな、ユウキ」
「迷惑かけたね、優希」
「ありがとうございます、優希ちゃん」
視線の先には、勝ち取った風景があった。