女性タレント 小川瑞貴
高級ブランドの直営店が立ち並び、女どもを呼び寄せている。昼を少し回った時間にもかかわらず、OLはもとより学校帰りの学生の姿も多い。
私は表参道にいた。携帯電話をかけるフリをしながら、街の一角を見ている。
目の前の女を追い始めてすでに3日が経過している。
小川瑞貴(本名 小川康子)――東京出身の若手女優だ。
だが、女優とは名ばかりで代表作などは無い。テレビドラマではあくまで脇の扱いで、まだ主演は張っていない。演技は悪くないが、新たな新人が出てくればすぐに霞んでしまうだろう。
CM契約本数は現在一本程度。
高校時代にモデル事務所に入りモデルとなる。モデルといえば聞こえはいいが、コンパニオンか撮影会をこなすような程度の存在だったが、数々の事務所を点々とし、事務所の移籍と共に芸名を何度も変え、現在の名前に落ち着くと、短大生時代に企業のキャンギャルに選出、その後タレントに転向した。男性誌でグラビアが話題になりブレイク、そしてテレビに進出する。
今、事務所の方も必死になって女優として世間に認知させようとしているが如何せん、事務所は大手ではないため、チョイ役しか回ってこないのが現状だった。
メールを送った知り合いの芸能マネージャーや広告代理店勤務の営業マンなどの業界関係者からは宮島と賀川から得た以上の情報は得られなかった。
森川の現住所だった千葉の自宅へ足を運んでみたが、新聞が幾重にも突きささったドアとダイレクトメールが貯まったメールボックスが、主人の不在を告げていた。戸籍のほうも洗ってはみたが、住民票の変更手続きはない。実家に戻っている形跡もない。
出鼻から森川へ繋がる糸は断たれた。後は関係者と思われる人間に片っ端から聞き込みを掛けるだけだ。
だが、この依頼は森川が勤めていたアクティブスター関係者に直接当たる訳にはいかない。このことが森川を捜し出す事の難しさを物語っている。
私は自身の情報網である業界関係者数人にあたり、森川に関しての噂を集めた。
聞こえてくるのは好意的なものばかりだった。
仕事に対しての熱意や情熱、そしてタレントに対する献身的な行動はマネージャーとしては多大な評価を得ていた。もちろん営業力も勝れ、ディレクターやプロデューサー、出版関係者と深い信頼関係を築いている。
一方で芹沢の悪評が際立ってくる。
遅刻魔で、態度は悪く、自己主張が強い――気紛で気分屋な所があり、楽屋から何度もスタッフを叱責する声が聞こえてきたという証言もある。
真偽は定かではないが、高校時代から、高級マンションに一人暮らしを行い、金蔓の男を何人も従えていたという噂もある。
そんな生活を続けていたから、性格は傲慢になるのも無理は無い。
だが、森川を追う手がかりになるような情報ではない。
芹沢は女王様扱いされることを好み、気に入らない人間は徹底的に虐め抜くらしい。事実、一緒に仕事をしたモデルや女性タレントの何人かが被害に遭っている。
言わば、小川瑞貴はその被害者の一人とも言える。直接話を聞きたかった私は小川の現住所の割り出しに入った。
小川を選んだのは特に意味はない。強いて言えば私の趣味、だ。
賀川からの情報から、現住所を知ると、小川を張り込み、行動確認を行いながら、接触のタイミングを計っていた。
小川と芹沢が出演したドラマに関してはネット上に資料があった。ご丁寧に各回の視聴率まで載っている。
仕事と恋、そして自分探しという手垢に塗れたようなテーマを、バブル期を彷彿させるような華やかさで糊塗した、二十代から三十代の女性、いわゆるF層ねらいの露骨なまでに狙ったあざといドラマだった。今まで繰り返し繰り返し、再生産された安手の内容もので主役は芹沢玲香、話題性だけはある役者やタレントが集められている。
そんな中で小川は三番手、四番手程度の存在だ。だが、小川はドラマの話題作りと男性層を取り込むために投入された存在だった。グラビアで男性の圧倒的支持の元、勝ち獲たポジションだった。
健康美に満ちた均整のとれたスタイルと、屈託のない笑顔は世の男どもを虜にした。事実、小川はあらゆるグラビア雑誌を席巻する。
小川はドラマが始まる前から注目されていた。キャストの中ではかなり異質の存在ゆえに、すぐにバッシングの対象になるもの時間が掛からなかった。
また、芹沢自身はそのことに対して面白くなかったようだ。それはそうだろう。
女性誌のトップ専属モデルとして、芸能界の花道を歩き、ステップアップを一足飛びで叶えている。
タレントとして質が違う者同志が一つの現場に会えば、衝突が起きない訳がない。
不仲は週刊誌を通し、たびたび伝えられた。
ドラマの視聴率低迷により、バッシングはさらに加速する。ドラマの出来の悪さが、いつのまにか小川のバッシングへと転化していた。
そして小川は最終回まで残り二話という段階で、突如降板を余儀なくされる。これにはさまざまな憶測が飛びかう中、数字が延びず、圧力をかけられたという見方が濃厚であった。
いつしか小川も仕事も干されていた。
芸能界においてタレントという商品は一度失った信用を取り戻すのは困難だ。特に小川のような事務所として力のないところは尚更だった。
そんな状態がもう半年も続いている。
瑞貴は帽子を深々と被り、赤いセルフレームの眼鏡を掛けているという芸能人の典型的な休日スタイルで行動していた。
吉祥寺の自宅から近くのスポーツジムに通い、水泳などでスタイル維持に努めている。本日もジム帰りである。
私は携帯電話をスーツに仕舞うと小川の跡を追う。
瑞貴は通り添いのドラッグストアに入っていった。私も瑞貴に気付かれないよう店に入っていく。
瑞貴の視界に入らないよう立ち位置を気にしながら私は、瑞貴の行動を観察した。
瑞貴は買い物カゴを持ちながら、什器に陳列された商品を眺めている。やはりダイエットに関心が高いのか、美容品コーナーやダイエットコーナーによく立ち止まった。
私は瑞貴の背後に回るとカゴの中身を確認した。
大量のビタミン剤やダイエットサプリメントだった。
そのままレジに向かい買物を終えると、小川はドラッグストアを出る。
いつしか私は仕事抜きで彼女に興味を持ちはじめていた。
瑞貴は交友関係はあまり広いほうではないらしい。張り込みをして誰かと接触したことはない。友達付き合いが元々下手なのか、ドラマ降板の影響なのだろうか。仲良くすると、とばっちりを受けることを怖れ、仲間内から避けられているのかもしれない。
私は尾行ポジションを小川の背後直線に陣取ると、接触するため、小川との距離を一気に詰めた。
右側面から回り込むと、「……すみません」と声を掛ける。
突然のことに驚いたのか、小川は身体を大きく震わせ、動きを止める。
「小川瑞貴さんですね……?」
突然、名前を呼ばれた為か、瑞貴の眼が大きく見開かれる。恐怖と驚きが入り交じった表情で私を見る。
間近で見ると美しい女だった。私は思わず息を飲む。
「……始めにお断わりしておきますが、私はマスコミの人間ではありません。ある人間を探していまして、ぜひ小川さんにお話をお聞きしたいと思いまして」
安心させるため、私はあらかじめ用意していた内容を言った。
「……だ、誰ですか?」瑞貴の声には怯えがあった。軽く笑いを取るつもりが、かえって警戒させてしまった。遊びが過ぎたことに私は後悔した。
「森川隆さんです――」
森川の名を聞いた途端、瑞貴の眉間にしわが寄る。
「……ここで立ち話もなんですから、どこか静かなところで……。人目に付くと何かと面倒でしょう。それこそマスコミの的になりますよ……?」
私の言葉に、瑞貴は無言のままだった。