芸能系フリーライターの知り合い
隣の部屋から馬鹿騒ぎする声が聞こえる。仕事帰りのサラリーマンやOLらしい。店員に苦情を言って、注意してもらおうかどうか悩んでいた。
今日、情報交換の場に選んだのは、新橋にある焼肉店だった。安さだけが売りの店で、普段はとても足を運ぶ気にはなれない。女を連れてくるなど論外だ。
一足先についた私は注文を済ましていた。運ばれた食材には手は付けず、目の前の七輪は熱を放っている。
ここに来る途中で購入したスポーツ新聞を読みながら、ある男を待っていた。
右手に巻いたロレックス・サブマリーナを見る。
コンロと肉はすでに運ばれ、テーブルに並んでいるが、飲み物はまだ頼んでいなかった。
いつでも焼けるよう、コンロは温まっているというのに、すでに約束の時間を15分過ぎている。時間にルーズなのが、今から遭う男の唯一の欠点だった。
今日の飯は私が奢る約束になっている。情報収集が目的なので格好もラフだ。
私は基本スーツでいることが多い。芸能人は高級店で飯を食うことが多いし、高級住宅街に住居を構えているのがほとんどの為か、普段からフォーマルで決めている。咄嗟の潜入や尾行、張り込みにも対応できる。
スポーツ新聞の芸能欄に芸能ジャーナリズムはもはや存在しない。そこに掲載されているのは、宣伝という芸能事務所のなりふり構わないタレントの売込合戦だ。
新人アイドルの売出しやドラマ制作発表の記者会見、企業と馴合イベント、どこの事務所も所属タレントの知名度の引き上げに滑稽なくらい躍起になっている。
だが、確実に新聞の売り上げを上げるようなスクープネタは一切無い。
わざわざ金を払って読む価値もない媒体ではあるが、裏読みすれば自ずとと記事の扱いの大きさで事務所の戦略や力関係を推し量ることができる。
そんな中、紙面では無意味なほど大きく割かれている記事がある。とある女性タレントのCM出演決定記事であった。
藤崎理奈――少年さと少女さが混在した硬質な美しさを持ち、女性性をあまり感じさせない。その中性さは清潔感に満ち、ファンに媚びない突き放したようなクールさが漂う。
元々は地方の大地主の孫娘で何不自由のない生活を送っていたが、大手事務所にスカウトされ、芸能界入り。その希有の存在感はすぐに花開き、事務所の営業力もさることながら、大手企業はこぞって彼女をCMに起用する。
携帯電話会社のCMが世間で話題になり、一気に大ブレイク。
CMの契約本数を徐々に増える一方で、ドラマの出演依頼も殺到したが、安っぽいドラマには一切出ず、あえて露出を押さえて映画を中心に芸能活動を展開する。実際、彼女の生活はほとんど明らかにされていない。
事務所のイメージ戦略が効を奏し、最近では若手実力派女優という称号まで恣にしている。最近では主演映画で新人賞を獲得した。もっとも、新人賞に関しては審査員や制作サイドに事務所から多額の金が動いたという生臭い噂もある。著作権ビジネスでさらに儲けたいのかわからないが、音楽活動まで手を広げている。
タレントのランクは遥かに高いことは言うまでもない。ドラマに出演し続けなければすぐに忘れられるような連中とは存在感からして違う。
そして、藤崎が所属している事務所が『セレブ』という点も見逃してはならない。
この業界に身を置くものならば、誰でも骨の髄まで心得ている。
芸能プロダクション『セレブ』――老舗ではなくむしろ新興だが、その影響力は大きく、多数の有名タレントを抱えている大手事務所である。マネージメント業務以外にも、さまざまな事業を展開し、資本規模もはっきりしない。
情報操作が当たり前の芸能プロにおいて、ここほど露骨な事務所は存在しない。
芸能メディアを支配するといっても過言ではないセレブのトップに君臨するのが物部守雄である。
独自の美学により、あくまで裏方に撤し、表舞台には一切登場しない。ただテレビに出たいだけの成金社長とは格が違う、日本ショウビス界の帝王――。
私はセレブから仕事の依頼を受けたことがない。
情報操作が当たり前のセレブにとって、事実など無用なトラブルを招くだけのものだ。
セレブにかかれば実力もないタレント性も乏しいタレントであろうと、子飼いの記者や雑誌に提灯記事を書かせ、人気操作を巧みに行なうことで人気を釣り上げ、スターダムにまでのしあげる手腕は見事といわざる終えない。
藤崎玲奈がここまで人気を得たのは、セレブのお陰だと断言できる。
テレビ局においてはドラマ編成に大きな影響力を持つのは言うまでもないが、ワイドショーにおいてはCM記者会見や密着取材などタレントの宣伝となるようなプラスのネタのみで、スクープなどのマイナスのネタは徹底的に封じ込める。その強引なやり方はあまりにも目に余る。
活字マスコミですらセレブに批判するところは少ない。
セレブは芸能記者に対して接待攻勢は当たり前で、芸能記者の冠婚葬祭まで干渉し、雁字搦めにする。それだけならよくある話だが、金品を受け取ることを潔しとしない記者に対しては一転して強圧的な態度を取る。場合によっては暴力に訴えることもあると聞く。
テレビ雑誌などの特集記事などにおいては、記事の大きさまでに口を挟み、扱い次第によっては取材を拒否することは日常茶飯事だ。
ゆえにセレブによって泣きを見たライターや編集者たちは多い。
この品性の欠如とも言える強引さが、物部を物部と足らしめている。
芸能記事を扱う編集部には、セレブのタレントのスクープ記事がいくつも死蔵されて居るはずだ。
とくに出版不況が続く業界において、よほどのスクープでもないかぎり、写真週刊誌はバカ売れはしない。だが、グラビアアイドルやヌードなどのグラビアページは売り上げを確実に左右する。もしグラビアアイドルの所属事務所に物部の圧力がかかれば、事務所はタレントを引っ込めざる終えない。物部と正面きって喧嘩をする事務所はいない。そうなれば雑誌の死活問題になるのは目に見えている。
セレブは、各芸能事務所にも巧妙なやり方で食い込んでいる。
優秀なマネージャーが独立していくのは芸能界の常だが、そういったものたちに資金援助を申し込んだり、経営が行き詰まっている芸能事務所に無償で資本援助を行うことで傘下に置いてきた。独立プロでも、セレブに頭の上がらない芸能プロは多い。
もちろん物部自身、一流のタレントを見抜く目をもつ。それが無くては、芸能界でここまで幅を利かせることなど不可能であっただろう。ゆえに物部はタレントの引抜きにも金を惜しまない。これだと思ったタレントには何千万もの金を即金で用意し、強引なやり方で自分のものにしてきた。4
私が座る席に肩からカバンを下げたジャケット姿の男が現れた。年齢は三〇才前後、耳にはピアスを通している。短く刈られた髪は茶色に染められている。
「――遅いぞ」
と、私の抗議の言葉に、「根津さんがタイトすぎるんですよ」と、悪怯れる様子もなく、宮島は言った。
宮島はフリーの記者である。ライター業も平行して著作物も多く、芸能系と裏ネタ系に強い。自身のブログや芸能ニュースサイトなどにも寄稿している。
賀川同様、ときどき互いに情報交換を行なうため、一緒に飲んだりする。この業界で私が最も信用のおける男だ。
席に座ると、宮島はビールを注文した。
宮島とは私が情報屋時代からの付き合いだ。
芸能人を追うことはこの道何十年のプロ探偵ですら至難の業である。私がこの仕事を始る前からプロに勝ちる術は人脈しかないと痛感していた。
開業当時、私はアイドルの握手会やイベントに顔を出し、ファンたちに営業を勤しんだ。仕事の主は芸能人の住所調査である。現住所はもちろんだが、実家、男関係まで調べ上げる。これで当座の糊口をしのいだ。
糊口とは言ったが、これが結構なシノギになる。ファンというのはこういうことに金を惜しまない。
仕事を得ると共に、私は人脈拡張の一貫として私は情報収集を行なった。情報収集というのは芸能人の目撃情報などを入手し、ファンはもちろん芸能記者に売りつけるのである。
こうして私はアマとプロ、両方の人脈を形成していった。事実、一時期は情報屋として腕を鳴らしていた。
宮島と付き合いだしたのはある記事がきっかけだった。
発端は裏物系のゴシップ雑誌だった。猟奇殺人や異常犯罪物を扱うようなイエロージャーナリズム誌だ。セレブの影響化がない雑誌など限られている。
事件はすでに風化し、記事としての価値などない。
本名が記載されることはなく、Sとだけ記されていた。だが、見るべき人間が見ればすぐにわかるだろう。私もすぐにそれが誰だか分かった。
彩木優――その記事を書いたのが宮島である。私は宮島に接触し、彩木の情報を求めた。自分の事を明かし、色々と情報交換の行なううちに今の関係になった。
宮島は私の真向いに座ると呼び鈴で店員を呼び出し、ビールを注文した。私も同じものを頼む。
「セレブの記念パーティーはどうでした?」
「……ああ。確かだった。さすがは宮島ちゃんの情報だ」
セレブ記念パーティーの情報は、宮島からもたらされたものだった。宮島の情報は、常に信用度が高い。さすがはマスコミ関係者だ。
「……寸でのところで見つかって逃げるハメになった。私も腕が落ちたものだ」
宮島分のビールがジョッキで運ばれてきた。私と宮島は乾杯すると、ビールを口にする。
苦い――この味はいくつになっても好きになれない。元々アルコールは強い方ではない。
「メール読みました。芹沢玲香のマネージャー……ですか」
肉を引っ繰り返しながら、宮島は言った。
「同業者から噂は聞いてましたけど、セレブが圧力掛けて記事にできなかったんですよ」
「そうだったのか」
宮島はビールを再び煽る。
「先日の芸翔所属タレントのスクープネタだが……」
「仕掛けたのはセレブで間違いないでしょう。」
宮島は断言すると、肉を箸で上げた。
「ここの所、狙い撃ちだな」
「そりゃそうでしょう」
宮島は肉を口に含んだ。熱かったのか、はふはふしながら、やっとのことで肉を飲み込んだ。私も焼けた肉を頬張る。
「セレブが関わっているドラマが視聴率が一桁台を割るというあまりの低視聴率で、放送スケジュール十一回の予定が八回に短縮、事実上の打切りになりましたからね……」
焼けた肉を掴みながら、宮島は言った。
「……原因は、はっきりしています。脚本の出来の悪さもさることながら、このドラマの主演女優はセレブ系列の事務所所属の若手女優です。ただでさえ、演者ありきで企画が立ち上がっている昨今のドラマ事情に加えて、数字が取れないは周知の事実にもかかわらず、セレブの絡みで半年に一度ブッキングしなければならないというテレビ局にとって頭痛の種というわけです。スポンサーも大激怒らしいですよ」
私も肉を焼く為に箸で掴み、網に乗せる。私が選んだのは、内臓だった。
「もっとも、今期クールは事務所とのしがらみで作ったとしか思えないドラマや番組があまりにも多すぎで……。民法テレビ局の方はどの局も大幅な番組改編を余儀なくされ、来期の改編期に向けて演者の選定、およびブッキングに奔走しているみたいです。1年前から決まっているといわれているタレントのスケジュールの見直し、旬なタレントの投入、接待や実弾攻勢が早くも始まってます」
いつのまに頼んだのか、宮島はレバ刺しを食べていた。
「それにに対し、芸翔所属の女優が主演のドラマは二十パーセントを突破しました。……セレブが焦るわけです」
「明暗がはっきりしたな。セレブの嫌がらせはもっとエスカレートする畏れがある……か」
「芹沢玲香も主演ドラマがまずまずの結果を出したから、しばらくは安泰ですね」
「芹沢玲香か……」
私は肉を咀嚼する。内蔵独特の味と歯応が口の中で踊る。
脂っこいものを食いながら、生臭い話をしている。私は可笑しくなった。
「そういえば芹沢玲香がセレブの創立パーティーに出入りしていたな」
「……へえ、そうですか」
宮島は肉をタレに漬けると頬張る。三人前の肉がそろそろ無くなる。人の奢りだと遠慮がない。宮島の悪い癖だ。
「確かに噂では、物部はこの芹沢苓香のことが欲しくてたまらないらしいですからね」
宮島は箸を置いた。
「とあるパーティで出会いそれ以来、芹沢の事務所に何度も打診しているそうですよ」
「……移籍はともかく、セレブと組んだところで芹沢側に何のメリットがある?」
私は宮島に疑問をぶつけた。
「色々あるんじゃないんですか? そういえばさっそく、清涼飲料水のCMが決まったとか決まらないとか……」
「芹沢玲香の事務所はアクティブスターだな……?」
宮島の問いに私は頷く。事前の下調べで確認していた。
「アクティブはセレブとの関係は良好そうだな。あそこの事務所はセレブ系の事務所だったか?」
私は尋ねた。内情まではさすがに確認できない。
「……いいえ。勢いがありますけど、新興のプロダクションですからプロモートに所々弱さが見えますね。マスコミ対策の一貫でしょう。でも、芹沢自身は何かとセレブに助けてもらっているみたいです」
「事務所は非セレブ系だが、本人自体はセレブ系というわけか。後ろ盾は磐石だな……」
私は感心した。
「――借りつくっといて、恩に着せる。セレブの常套手段ですからねえ。まあ芹沢自身何かと悪い噂がありますから。その辺で世話になっているんじゃないんですか」
芹沢の肖像権や営業権などのタレントとしての権利関係がセレブ側に委譲しているのだろうか。私はふとそんなことを思った。
「でも、性格は最悪で何人もの人間が泣きを見ているにもかかわらず、意外に業界内にファンは多いんですよ」
「……そうなのか?」
「モデル時代から、勘がいいというが、要求されたことには瞬時に答えるんです。女優経験は浅いのに、演技力には定評があります。物部も彼女のそういう部分に牽かれているんでしょうね」
能力に性格は関係ない。どこの業界でも同じだ。そういう傲慢さが、自信に繋がり、結果芹沢本人を増長させる。
「それに、セレブの人間を主役にそえた上で数字を取るためには、堅実な俳優のキャスティングに加え、お笑い芸人のような話題となるような演者をブッキングしなければならない。そうなると製作費のコストが莫大に掛かる。いかに制作会社を使い、完パケでも意味が無い。事実、この前のクールは二桁を割りました。だが、セレブと良好な関係を保つには起用せざるおえない……」
私は話を聞きながら、焦げかけた肉を皿に引き寄せる。
セレブはキー局に強い影響力を持つが、一時代を築けるようなスター性に満ちたタレントを獲得できないという深刻な事情がある。
情報操作にかまけて、タレントの発掘と育成を疎かにしていれば、当然のことだ。このネット時代、世間はそんなに馬鹿ではない。虚構の人気者など、所詮お呼びではないのだ。
「物部の私的感情を抜きにしても、芹沢玲香を欲しがるわけか……」
「手っ取りばやく、数字が欲しいんでしょう」
宮島は冷めた意見を言った。
「マネージャーに関しては何か掴んだんですか?」
「まだ何も掴んでいないから、宮島ちゃんと情報交換しているんじゃないか」
私の言葉に宮島は苦笑した。
「行方が掴めないという部分も気になる――」
「芹沢玲香のわがままに愛想がつきた、リフレッシュも兼ねてどこか旅に出てるとそんなところじゃないですか?」
「……それだけならいいがな」
「といいますと?」
「――依頼人の態度が少し気になってな。小心者の私としては自分の立ち位置が危うくなる前に確認しておきたいのさ」
「……またまた。それが解れば、報酬の引き上げ交渉もできると」
私は苦笑すると「そういうことだ」と答える。だが、半分は本音だった。
業界の力学や事務所の思惑、状況を把握しておかなければ、犯罪の片棒を担がされる羽目になる。それは避けたい。こういう臆病さが、自分の命を何度救ったか知れない。
「ちょっと情報を集めてみましょうか?」
「いいのか? 責任は追えんぞ」
「そんなヘマしませんよ」
渡りに船だ。もともと宮島を巻き込むことは計画だった。宮島の情報網が加われば、私の仕事は随分やりやすくなる。
「その代わり言うまでもない事ですが、なんかおいしいネタがあったら、こっちにも回してくださいよ」
「……もちろんだ」
持ちつ持たれず――賀川同様、それが我々の関係の本質だった。
「いちお、釘を差しておくが、とりあえずは今は仕事として私が動いている間は記事にしないで欲しい。報道協定というやつだ」
「……わかってますよ。根津さんの邪魔はしませんから。でも、もしこの男の消息がつかめたら独占インタビューなんかとらせていただけると有り難いかな、みたいな」
「記事にできるのか? 元業界関係者とか業界通じゃ記事として意味が無いぞ」
「……大丈夫ですよ。女性週刊誌は絶対に食い付くネタです。本人の証言さえ取れれば、どうとでもなります。それにですよ、もし、この男が殺されたりでもしていたら……」
宮島の顔が綻ぶ。
「笑いがとまらんな。記者としては――」
宮島はビールを飲み干すと、大きく息を吐いた。
記者としてはあまりに美味しすぎるネタ。タレント、芸能スキャンダル、殺人。主婦がよだれを垂らしそうな要素が渦巻いている。
浮き足立つ宮島に対しどこか私は冷ややかだった。宮島と私の温度差を意識していた。