芸能人専門の探偵
後続に尾行車両が無いことを確認しながら、私は目的地をめざしていた。
神宮にある芸翔本社である。三十階建てのインテリジェントビルの一六階と一七階の2フロアを借切り、オフィスにしている。
私は車を地下の駐車スペースに止めるとエレベーターに乗り、オフィスへ向かった。
エレベーターが開くと、芸能事務所のものとは思えない豪勢な作りのフロントだった。
芸能事務所『芸翔』――業界で五本の指に入るほどの、巨大芸能事務所である。
社名が大きく掲げられた受付に、フロアの角には商談や休憩場所としてテーブルや椅子が数脚設置されている。壁には大型プラズマテレビが壁に埋め込まれていて、自社のタレントのプロモーション映像が映し出されている。フロントの所々に柱を模した水槽が設けられ、中では熱帯魚が舞い、明かりが灯され、一種のオブジェと化している。
芸能事務所の受付はどこも質素で地味な作りだが、さすがはエンターテイメントの総合商社を目指すだけのことはある。最近は映画配給部門を新設し、海外の映画の買い付けや自社制作に乗り出している。
受付には警備員が常駐していて、IDカードの提示がなければ奥を入ることすら許されない。監視カメラも設置されていて、どこか物々しい。
就業時間が過ぎたためか、受付は明かりが落ち、受付嬢は居ない。だが事務所内は、どこか騒々しかった。
社員と思われる人間が、私の横を何人も早足で通り過ぎていく。その表情はみな険しい。携帯電話を手にしながら、電話越しに頭を何度も下げながら会話している者も少なくない。
受付近くの通路奥から一人の男が私に近付いてきた。
「お待ちしていました。根津さん――」
小田だった。先程の電話の主である。
小田は芸翔の危機管理部の人間だ。危機管理とは聞こえはいいが、芸能人のもめ事や男女関係の示談、地方興行主の交渉など汚れ仕事が全般である。時には女性タレントの整形手術や堕胎の段取りまで取りつけるらしい。
それだけ芸能人はモラルがなく、自分のケツを自分で拭けないという事だ。
芸翔はモデル出身の俳優を大きく抱え、セレブとは違い、確実に数字のとれるタレントが数多く在席する大手芸能事務所である。
テレビ局の事務所に対する影響力の無さは周知の事実だが、視聴率をを稼げる芸翔はキャスティング権においては絶大な影響力をもつ。
その証拠に今期クールで芸翔出資のドラマは三本。それだけ所属タレントの問題も多く抱えている。
「……何の騒ぎですか?」
私は小田に尋ねた。
「……詳しくは部屋の方でご説明いたします。こちらへどうぞ」
小田に導かれるまま、私は事務所奥へ向かった。
通された部屋は窓が一切無く、外部が見えない部屋だ。小さなテーブルを挟むようにソファーが設置されている。天井にはカメラがある。まるでドラマに出てくる取り調べ室のようだ。
クレーマーなどを処理する応接室だ。要は私は部外者ということだ。
私はソファーに腰を下ろす。殺風景な部屋に置いている割りにはフカフカで、座りごこちがいい。
小田は私の真向いに座ると、「これをご覧ください」とテーブルにプリント用紙を数枚置いた。 私は用紙を手に取る。
一組の男女が手を繋ぎながら歩いている。
二人とも帽子を深々と被り、一人はカメラ目線で、女は男の方を向いている。
女の方は見間違えないようなほどはっきりと顔が解る。
瀬川さやか――芸翔が今売出し中のタレントだ。芸翔の力を得て、テレビに数多く出演している。主戦場はバラエティとドラマが半々。癒し系の魅力を武器に、世の男どもの心を捕らえ、人気を獲得してる。
そして、隣の男の方は意外な人物だった。
「……お笑い芸人ですか。いい趣味をしている――」
声を出して笑ってやりたかったが、私は小田の手前上自重した。
芸人のみを抱える大所帯の事務所に所属する若手お笑い芸人だった。最近人気が出始めて、テレビや雑誌でよく見る一発ギャグしか売りの無い、泡沫タレントだ。おそらく来年の年末には消えているだろう。
「……今週発売の、ショットアップの方に掲載されるそうです」
「――成程。会社内が騒がしい理由が分かりましたよ」
所属タレントのスキャンダル――芸翔社員達は、仕事の関係者たちに状況の説明と謝罪の対応に追われているのだ。
週刊ショットアップ――日本で数少ない写真週刊誌である。毎週の如く、スクープを連発する芸能ニュースを牽引する存在であり、その為か訴訟沙汰も少なくない。
「……イメージダウンも甚だしい。全く何を考えているんだか。大事な時期にこんな男に自分を安売りをしてなんになるのやら……」
小田は苦々しげに言う。これで、小田の仕事が増えるということだ。写真を見る限り、二人が男女の仲であることは明白だった。少なくとも肉体関係はとっくに済ましているだろう。
「瀬川さんは認めてらっしゃる……?」
私の問いに、「……ええ」と小田は溜息を吐く。
セレブの妨害工作――小田の溜息を聞きながら、私が真っ先に思ったことだった。
芸翔もセレブも、共に業界内において勢力は五指に数えられるほどの規模を持つ大手だ。そして芸翔とセレブの仲は犬猿の仲ときている。世間的には問題はなくても、広告主には体裁が悪い。そして芸能事務所側は、それをもっとも恐れる。
役者との付き合いならば未だしも、遊び人のイメージが根強いお笑い芸人だと世間のイメージを操作しにくくなる。事務所側も頭が痛いだろう。
「ご存じの通り、瀬川はスキャンダル処女です。契約しているCMのイメージの関係上、男関係が公になることはマズい……」
瀬川さやかは、芸翔が今売出しに力を入れているタレントの一人である。ドラマなどにも主演のバーターとして、プッシュしている。
だが、所詮は女優などの器ではない。彼女も芸人同様、CMタレントという名の消耗品だ。
「……マスコミの方には手を打ちましたが、クライアントと代理店の方には自粛するようにと注意を受けました。最悪、違約金の支払いはもとより契約の打切りもありうると仄めかされましたよ……」
「芸翔はテレビの編成に影響力を増しつつあるし、タレントは数字が取れるから何かと悪意を買いやすいと見える――」
私の言葉に、小田は不愉快さを滲ませた。
「……神山はたいへんご立腹です。ご存じありませんか?」
「答えるまでもありませんね。……セレブでしょう」
「……何処からのソースですか?」
「ソースも何も……。当てずっぽですよ。ゴシップ好きの主婦でも予想がつくことだ」
私は言った後で、自分の発言を後悔した。今の状況では、少々不用意だった。
「だが、今の段階では男側の事務所による策略とも考えられる……」
「ありえませんよ」
小田は即座に否定した。男が所属している事務所は確かに小さいところだ。芸翔に喧嘩をふっかけるような真似はしないだろう。
今回を含めて、芸翔所属タレントのスキャンダルが立て続けで三連発だった。セレブが暗躍していることは眼に見えている。
「もし何か情報が入ってきたら、教えていただけないでしょうか……?」
小田の頼みに私は頷く。
「でも、小田さんの情報網には敵わないと思いますよ」
「……芸能専門の探偵が何をおっしゃるんですか」
小田の言葉に私は笑う。
――そう、私は芸能関係専門の探偵である。広告代理店や番組制作会社などの依頼を受け、日銭を稼ぐという毎日を送っている。
広告代理店は芸能人に関して芸能マスコミ以上の独自の情報網をもつ。クライアントである企業の依頼で代理店がCMを作成する場合、起用したタレントがスキャンダルを起こしたら広告はもちろん広告主のイメージダウンになる。CM契約の条項に盛り込むくらい、スポンサーサイドはタレントの交際には厳しい。
無用なトラブルを避けるため広告代理店は事前に起用候補のタレントの交友関係やプライベートを徹底的を調査することがある。そういう仕事は民間の調査会社に頼むのだが、私はそれを専門にやってる探偵である。
リサーチ会社の方は番組企画制作の為の調査が多い。初恋の人物や幼なじみの行方、過去の人物となった芸能人の追跡や、最近では芸能人の日常を暴露するような企画の為の行動確認業務などを行なう。
そして、優良なクライアントに芸能事務所がいる。芸能界は、権謀術数の世界だ。タレントを売り出すためには、とにかく金がかかる。事務所は宣伝の為、先行投資として多額の金をタレントに注ぎこむ。
だが、手塩に掛けて育てたタレントを引き抜かれでもしたら、たまったものではない。よく、事務所移籍に絡み、タレントが見せしめに仕事を干され、芸能界追放となってしまうのはこれである。
また、キャラクターが被っているという理由などで、仕事を妨害するため、ライバル事務所がタレントを調査し、スキャンダルを掴み、懇意のマスコミにタレ込むなどということはよくある話だ。
芸能報道に対しても、接待攻勢を行なってマスコミを骨抜きにしている。
ワイドショーでは特定の芸能事務所の報道は絶対に行なわないのは周知の事実だし、また活字媒体に対しても自らの意の侭になるよう支配下におき、従わない芸能記者に対しては恫喝や暴力も辞さない。
また自社所属のタレントに対しても、他の事務所への引き抜きを回避するために交友関係を洗い、弱みを握った上で管理し、言うとおりに行動しなければ、情報をマスコミにリークし、潰す――。
現在の芸能界では、情報をいかに掴み、コントロールするかがタレントおよびプロダクション繁栄の鍵になるといっても過言ではない。
ゆえに私のような人間が必要になる。事実、仕事の依頼は面白いくらいにある。
芸能事務所の依頼は広告代理店に比べ、汚れ仕事の片棒を担ぐことになるのだが、報酬は格段にいいのも事実だった。
今時、ただの調査業を唄っても客は来ない。
「お話はこれで終わりですか?」と私が訊くと、「いいえ」と小田は否定した。
「申し訳ありませんが、伊沢達也の調査は今日で打切りにさせて頂きたいのですが……」
「どういうことでしょう……?」
私は尋ねた。
不愉快だった。調査はこれから佳境に入る。つまらない理由で邪魔されたくない。
「上での意向でして……。伊沢達也の調査は今後我々の方で引き継ぎます」
「……神山さんの指示ですか?」
私の言葉に小田は頷く。
神山豊――芸翔のトップであり、芸翔系列の子会社や音楽出版、養成スクールの社長などを歴任する。四〇代若くして次の芸能界を牛耳る男とも噂される男だ。
物部の威光が霞むのに反比例し、神山の力は日々拡大している。業界政治力においては、セレブと拮抗するほどの勢いを持つ。ゆえに芸翔とセレブは犬猿の仲、いや不倶戴天の敵同士といった方がいいだろう。
「それで根津さんには別の仕事を頼みたいのですが……」
「……まさか、このネタの裏取りですか?」
私は写真をこつこつと指で叩くと、小田は「いいえ」と否定した。小田は別の写真を一枚取り出すとテーブルに置いた。
私は写真を手に取る。写真のレイアウトやアングルから明らかに隠し撮りしたものだった。
男女一組が写っている。どこかの店先から出ているところを撮影されている。スーツ姿の男が手前に映り、奥の女は帽子とサングラスを目深に被っている。
女の顔を見たとたん、肌が粟立った。サングラスを掛けていてもすぐに誰か分かる。
「……芹沢玲香ですか?」
私の写真を持つ手は震えていた。一発屋芸人や消耗品のCMタレントとは違う、久々のビックネームに、さすがの私も震えが来た。
「――違います。我々が用があるのは男の方です」
小田の言葉に、私は写真の男を見る。長身で精悍、実直そうな男だった。
「森川隆――芹沢玲香の現場マネージャーです」
「マネージャー……ですか」
私は落胆の声を隠そうともせず言った。
「会社を辞めているんですよ、この男」
「……ほう」
「そして、現在行方がつかめません。失踪してるんです」
「何をやらかしたんですか?」
「わかりません――」
私は写真をテーブルに置く。
「……まさかどこかの事務所にでも軟禁されているなんておっしゃるんじゃないでしょうね?」
小田は私の問いに答えず、「この男、探してみてもらえないでしょうか?」と言った。
「……芸能関係専門の私が、ですか?」
「……ええ。根津さんならば腕も確かですし、この業界にお詳しいですから。なにより芸翔がこの男を探しているということを悟られたくありません。私が動けばセレブが妨害を仕掛けてくるかも知れません」
私は躊躇する。気が乗らなかった。
リスクが高い。監禁されている可能性が高い以上、薮を突いて蛇を出しかねない。なにより楽しみがない。捜し出すのはむさくるしい男だ。芹沢玲香ならともかく、さほど面白い仕事とは思えない。
確かに芸能関係の調査において人探しの依頼は意外に多い。芸能人の恩人探しや一線を去った芸能人の行方など制作会社の依頼を受けて動くことはある。
だがこの依頼は過去の仕事とは明らかに質が違うことを、私は嗅ぎ取っていた。
「……芹沢潰しにでも使うおつもりですか?」
「上の考えは我々にも分かりませんから……」
小田は言葉を濁す。小田も理由を聞かされていないのだろう。
ますます、気が進まなかった。だが、断わる理由もなかった。次の仕事の予定は入っていない。ならば、報酬で自らのやる気を奮い起こすしかない。
「――依頼料は規定の二倍いただきます……調査対象が芸能人ではないので、ね。ただしインセンティブということで――。もし捜し出せねば、規定金額で結構です。調査期間は最低三週間は欲しい。ただし、危険とわかったら即座に調査を打ち切る。調査経費は別途で。情報提供料などによりコストはいつもよりかかりますよ。よろしいですね……?」
「結構です」
私の要求に小田は即座に了承する。
「伊沢に関してですが、今日までの調査結果を報告書にまとめて私まで提出していいただけますか。引継ぎと、上への報告しなければなりませんので……」
小田の言葉に私は頷いた。
この程度の内容で尻込みするようなら仕事にならない。脅迫、恫喝などは日常茶飯事だ。
芸能人専門の探偵の宿命――私は自分をそう納得させた