接触
モニターの地図に位置情報が再び出現したのは数時間後だった。
もう日は落ち、夜がすぐそこまで迫っている。
私は車を動かし、正面玄関へ向かった。瑞貴もすでにコンビニから戻り隣に居る。
正面玄関に着くと、私は車を止め、運転席から正面玄関を覗いた。
本社ビル入り口付近に蓮沼はいた。蓮沼の偉そうな態度が遠目からも分かった。
広告代理店の関係者と思われる二人の男と談笑している。蓮沼が乗っていたナンバーの車とタクシーが横付けると、タクシーに乗り込んだ。
男たちが頭を下げると、タクシーが動きだした。瑞貴の予想通り、蓮沼はこのまま銀座へ向かうだろう。
美少女とマネージャーは歩き出した。
車で追うまでも無く、美少女とマネージャーが入っていったのは、社屋近くにある近くにあるホテル、東京コンラットだった。
美少女は、ここに宿泊するようだ。新人が泊まるには分相応なホテルだ。おそらく明日も本社の方で打つ合わせがあるのかもしれない。本社近くの方が、何かと都合がいいのかもしれない。
すぐに女性マネージャーがホテルから出てくると、車に乗り込み、その場を去った。美少女と一緒には泊まらないらしい。残務処理が残っているのかもしれない。ますます好都合だった。
「……行きますか?」
私は尋ねると、
「接触する前に、まず先に銀座へ行きたいんですが……」
と瑞貴は答えた。
「蓮沼の後でも追うつもりですか……?」
「……まさか」
瑞貴は笑う。
私は真意の読めぬまま、瑞貴の要望どおり一旦銀座方面に向かった。
有名百貨店の前で、瑞貴は車を降り、用を済ませると、再び私は瑞貴を車に乗せ、ホテルへと送り届けた。
私の不安とは裏腹に、盗撮用のセカンドバックと先ほど百貨店で買ってきたものを入れた紙袋を提げた瑞貴は「じゃあ、行ってきます」と笑顔で車を降りていった。
瑞貴を待つため、私は一区画離れたところに車を移動させた。
いいホテルだった。女を誘い、口説き落とす場所としては申し分ない。今度利用してみるのもいいかもしれない。
一方で、瑞貴のことが心配だった。
気を紛らわせるように私はえりに電話した。
――そろそろ、絶対電話かかってくると思ったよ。芹沢さんの誕生パーティーの件でしょ?
えりの言葉に私は苦笑した。察しの良さは相変わらずだった。
「その通りだ」
――ねえ……? どこからそういうネタ聞き付けるの?
「地獄耳なんだ」
私はえりの言葉を適当に受け流した。
――事務所の人間がその件で大騒ぎしてたよ。何人かは呼ばれるみたい。
やはりえりの耳にも伝わってきているらしい。
「えりは出席するのか……?」
――スルーに決まってんでしょ……。分かってて聞かないでよ。
えりの答えに私は思わず笑った。
――身内だけのパーティーだって。なんか一時はどっかの芸能事務所の社長さんとかも出席するとか、すごっく大げさな話になっちゃって、ドラマの打ち上げみたいにホテル借り切って、大々的に行なうとかいう話もあったらしいよ。
「開催場所はどこか分かるか?」
――一次会は六本木のクラブらしいんだけど……。なんかいろんな人が来るらしいよ。広告代理店の人とかも来るって……。
「クラブ……」
思い浮かばなかった。
――映画の主演が決まって、その前祝いも兼ねてるらしいの。その日だけは仕事は入れてないみたい。それに記事に載ってた彼氏って、六本木ヒルズに住んでるんでしょ……?
「……そうなのか?」
――だから、クラブで一次会やって、その後彼氏ん家でホームパーティでもやるんじゃない……?
えりの洞察力に私は素直に感心した。
――これから遊ぼうよ。情報教えたんだから、美味しいところ連れてって。いいでしょ……?
えりが誘ってきた。どうやら暇らしい。
「……すまない。今仕事中なんだ。埋合わせは今度するよ」
私がそう断ると、えりは、
――最悪。
と、一言言うと電話を切った。
えりとの電話から一時間後、瑞貴は戻ってきた。時間はもう九時に迫ろうとしている。瑞貴を助手席へ乗せると、私はすぐにその場を離れた。
新橋方面へ車を流しながら、私は「作戦はどうでした?」と尋ねた。
「バッチリでした」
瑞貴は満面の笑みを浮かべる。
「何の疑いもなく、部屋に入れてくれました。甘いものには弱い。やっぱり女の子ですね」
何のことはない。
瑞貴が銀座によって買ったものは、今話題のスウィートだった。
それを手見上げに、少女の部屋に向ったのだった。
差し入れと称し、東希紗智の懐に入る――実に女性らしい発想だった。
ゆえに効果的である。業界で長年冷飯を食っているわけではない。
ただ、私には一つの疑問があった。
「どうやって部屋の番号を……?」
私が尋ねると、瑞貴は微笑んだ。
妖艶で含みのある笑みだった。瑞貴のこんな笑みは今までに見たことがなかった。
「……いちお芸能人ですから」
誇らしげな瑞貴の言葉に、私はすぐに察しがついた。
自らの魅力で、ホテルマンを誑し込んだのだろう。
彼女に頼まれたら、男はもとより女性も嫌とは言えないだろう。
何せチョイ役とはいえ、瑞貴にはゴールデンドラマ出演経験があるのだ。その金看板は効果絶大だ。
瑞貴はシートに身体を沈めると、顔に疲労を滲ませていた。何だかんだ言って緊張し通しだったのだろう。
「どこかで何か食べていきますか……?」
私が尋ねると、瑞貴は言葉を発せずに首を振る。
言葉を発することすら億劫になっているようだ。
「お休みください。ついたら起こしますから」
私の言葉に、瑞貴は頷くとシートを少し傾け、目を閉じた。
瑞貴宅に戻ると、私はすぐにセッティングに入った。ビデオカメラをテレビに接続すると、再生モードし、テープを巻き戻す。
瑞貴も目を覚まし、私の様子を黙ってみていた。
車中で軽い睡眠を取ったからか、瑞貴は多少回復したようだ。
食事も取らず、私と瑞貴はテレビの前に座ると、カメラの再生ボタンを押した。一瞬のブロックノイズが走ると、画が映る。
ルームナンバーのプレートが貼られた、ドアだった。
ドアの入り口直前で、録画をスタートしたのだろう。
瑞貴と思われる手が部屋のドアをノックすると、ドアが開いた。
瑞貴の存在に美少女が明らかに戸惑っている様子が映っている。
――御免なさい。突然おしかけちゃって
と、謝る瑞貴に
――いいえ。
と、美少女は微笑む。画面では部屋の中に移動し、美少女はベットに腰掛けた。
画面越しでも、その美しさにはやはり眼を向けるものがある。
当然のことだが、美少女は瑞貴を前にしている為がやや緊張しているようだ。
「――彼女の芸名はやはり東希紗智でした」
瑞貴は言う。
画面の中の瑞貴は東希紗智のことを、笑いを交え必死で緊張を解そうとしていた。
――蓮沼さんの期待の新人だから、どんな娘か興味があって。
瑞貴の言葉に東希は万更でもないような、初々しい反応を見せる。
――蓮沼さんには内緒ね。怒られちゃうから。
優しく言う瑞貴に、東希は頷いていた。
たわいもない話が続く。
皮一枚の向こうにどんな思惑があるのかも知らず、東希は瑞貴の問いに答えていく。
瑞貴の話術は、巧みに東希紗智から情報を聞きだしていく。
ビデオ内の東希は、確かに可愛い娘だった。
素人目にも原石のようなものを感じさせるものがあった。
肌は浅黒いが、むしろ少女の健康美を際立たせている。
肉親の愛を一身に受けて育ったからか、屈折した部分は見受けられず、屈託の無い笑顔を周囲に振り撒いている。地方出身者なのか、都会の空気や情報に毒されている様子はなく、年相応の振る舞いは清涼感に満ち溢れている。
芸能界で仕事をするということが嬉しくて仕方がない様子がこちら側にも伝わってくる。陳腐な表現だが、輝きを放っている。デビューすれば瞬く間に時の存在となるだろう。渋谷界隈を彷徨っているような、自分というものが無く、すぐに雑誌や世間が撒き散らす情報に振り回される恋愛しか興味の無い、垢と精液で薄汚れた小娘どもとは存在から違う。
東希は瑞貴に自らの事を簡単に説明した。
年齢は十六歳、小さい頃から劇団に所属し、演技を習う。一年前、映画の一般公募のオーディションに応募するも落選。だが、その時仕事で来ていた蓮沼の眼に留まり、スカウトされる。
――今日来たのって打ち合せ?
映像の中で、瑞貴が尋ねる。
――はい。
東希は頷いた。
――まだ、親と一緒に暮らしてて……。仕事や打ち合せがある時、東京に通ってるんです。
上京させるより、親元を行き来させる方が変な色が着かなくていいのかもしれない。
都会に染まり、仕事に息詰まり、輝きを失っていくタレント志望の娘は多い。
――今度映画に出るんでしょ?
瑞貴の質問は続く。
――あっ、はい。
瑞貴の誘導尋問に東希はまんまと填まっている。素直で純朴な東希が気の毒になった。
――どういう映画?
――えっと、まだ台本渡されてなくて……。
――すごいなあ。CMとかも決まってるの?
――あっ、そっちはまだわかんないんですよ。
紗智は手を振って否定する。仕草が可愛かった。鼻の下が伸びそうになる。
――でも、もしかしたら決まるかもしれない……。今日広告代理店の担当の人と会って来たんです。
瑞貴が視点の為、瑞貴の表情は映らない。
瑞貴を見ると無表情でモニターを見つめていた。
殺意に似たものを必死に押し止めている――私にはそう見えた。
モニターの向こうの瑞貴と東希は一緒に笑っている。
――どういう仕事?
――私もよく知らないんです。極秘プロジェクトみたいで……。
裏工作の匂いがした。
東希の預かり知らぬところで、蓮沼は色々手を回しているのだろう。
セレブの政治力もさる事ながら、何にもまして東希の素材としての魅力もある。
事務所が映画の出資に関わっているのかもしれない。
――夢がどんどん叶っていく……。信じられないって感じです――。
東希の何気ないの無い一言を放ったとき、瑞貴はカメラに触れ、再生を止めた。
「これ以上は、とくに重要なものはないので」
瑞貴の言葉はどこか冷たかった。
瑞貴の心中はこの時如何なものだったのか――?
それを聞きだす術はない。聞くつもりもなかった。
「あと、これ――」
瑞貴は携帯電話を開くと、画像データを再生して私に見せる。
東希の画像だった。ピースサインをした東希紗智が写っている。
画像もクリアで、東希の顔形表情がはっきりと確認できる。
これならば森川も納得してくれるだろう。
「電話番号とメルアドも聞き出しています」
「――お見事です」
私は素直に瑞貴を誉めた。
「これで目的は達しましたね……?」
瑞貴の言葉に、私は口の端を緩めた。