仮説と検証
男女のツーショット写真だった。
モノクロの写真は紛れもなく隠し撮りに違いない。恐らく偽装したカメラで前方に回りこみ、可能な限り近付き撮影したものだ。撮影の標的にされた二人は手を組み、寄り添うにように歩いている。
だが、女の方にどこか不自然な点があるようにも見受けられる。今時、サングラスを掛け顔を隠しているが、撮ってくれと言わんばかりだ。もしかしたら、事務所側のリークかもしれない。
私は運転席で、コンビニで購入したFINSH最新号を見ていた。
芹沢玲香のスクープ記事だった。
相手の男は、服飾デザイナーの仙道譲という男である。何件も自分の店をもつ実業家で、最近はマルチアーティストと称し、有名アーティストのジャケットやPV、飲食店のプロデュースなども手懸けている。馬鹿な女優が好みそうな肩書きだった。金も唸るほど持っているだろう。
いよいよセレブの報復が始まったと見ていいかもしれない。
さほど衝撃的なネタとも思えない。事実、記事は巻頭ではない。数ある記事の中の一つのものだ。はやり、森川を引き摺り出すためのネタなのだろうか。森川が私に接触してきたのも事前にこのネタを掴んでの行動かもしれない。
もう一冊買った女性週刊誌の表紙の見出しには、『芹沢玲香と神谷祐希の現場で大喧嘩』と、デカデカと載っている。
記事の内容はたわいもないネタだが、記事の後半に芹沢担当のマネージャーが退職したという文が記載されていた。森川がMというイニシャルで表記されている。関係者が見たら危惧を覚えただろう。飛ばし記事とも思えない。真実が絶妙な配合で混ざっている。
私は青山でビルを張り込んでいた。
比較的、張り込みしやすいのが幸いだった。ビルは道路添いにあるため、反対側に車を路上駐車しての張り込みだった。
事務所を張り込んですでに三日が経過している。
森川がもたらした情報のオフィスがあるビルである。ビルには一階には喫茶店で、弁護士事務所などが入っている。最近入ったのか、事務所オフィスの看板プレートは空白だった。
事務所の景気は良さそうだ。売れっ子モデルの存在が居ないにもかかわらず、だ。
場所が渋谷区にあり青山へのアクセスも近いなど、立地もいい。この手のオフィスは大概、住宅マンションで細々活動しているケースが多い。やはりセレブの系列になり、資本援助やプロモーション協力を受けているのだろうか。
登記簿を上げてみたが、商号や代表取締役、役員の全てが辞任・交代されている。会社に内紛、もしくは乗っ取りがあった証拠である。
蓮沼が独立後に活動するための自らの城なのだろうか。
運転席に座り、人の出入りがあれば双眼鏡で確認する。だが、動きは無い。
「誰も来ませんね」
助手席に座る瑞貴が言った。今日は特に予定が無いということで私と一緒に張り込みをしていた。瑞貴はダウンジャケットに、デニムパンツを履いている。外で張り込みが出来るように、着込んできた。
「……あそこの事務所、ご存じでしたか?」
「いいえ」と瑞貴は首を振る。
「……どうせ、蓮沼が誰かから奪い取ったものでしょう」
瑞貴も私と同じ考えらしい。
私はこの張り込みに飽き始めていた。森川の命令とは言えど、何か意味があるのだろうか、疑問だった。
もはや、森川を捜索する必要はない。だが、森川は影を見せただけにすぎない。
森に潜んでいる獲物を日の下に引き摺り出して捕らえるには、獲物が欲する餌が居る。
そして、捕らえるためには罠を仕掛けなければならない。
その罠をどうするか、張り込みの間、私はその絵図をどうするかずっと考えていた。
瑞貴の携帯電話が鳴った。瑞貴は携帯電話を開くとすぐに閉じる。
「……蓮沼から最近良く電話が掛かってくるんです。適当にあしらってますけど……」
瑞貴は嫌悪の顔を浮かべながら、溜め息を漏らす。
「でも、こっちを探っている気配はないんです。自分をマークするほど蓮沼は暇ではないし、わたしが恨んで何かをするなんて考え、まったく頭に無いんでしょうね――」
確かにそうだろう。瑞貴の抵抗など蓮沼にとって蟷螂の斧に等しい。
だが、それが狙い目でもある。
蓮沼は瑞貴へ再び執着しつつある。もっとも私も瑞貴を蓮沼に渡すつもりはない。
「森川さんが持っているネタですけど、どういった物なのでしょうね?」
前方を見ながら瑞貴が言った。
「……逆にお聞きしますが」
「はい……?」
「何故、森川は芹沢を監視していたと思います……?」
私の問いに瑞貴は一瞬考えると「会社の命令でしょう」と言った。
「会社に言われただけで、マネージャーが盗聴や盗撮を行なうと思いますか?」
瑞貴は怪訝な顔をする。
「盗聴はよく聞く話ですが、盗撮行為はあまりに行き過ぎた行為と思いませんか?」
「別の目的があった……?」
瑞貴の言葉に私は頷く。
「大金目的、もしくは単なる趣味、ストーキング……」
瑞貴は思いつくままに言葉にする。
私は否定も肯定もしなかった。
「でも、彼が芹沢さんの監視していたとして、監視で得た物品や映像、もしくは記録を易々と他人に渡すものでしょうか……?」
瑞貴の疑問はもっともだった。
「ストーカー行為だとすれば、どんなに大金を積まれても、そういったものは手元においておくものじゃないんでしょうか。もし仮に彼に顕示欲があったとしても、それは周りの人間より目標相手に自分自身の存在を示しますよね……?」
瑞貴の言葉を聞きながら、私はえりの言葉を思い出していた。えりは森川が会社の人間にもっとよく管理しろと支持されていたと言っていた。
「お金が目的というものどうも……脅迫になりますよね。そんな芹沢玲香を傷つけるような真似をするはずはないと思いますけど……」
「……私もそう思います」
私は同意する。
瑞貴と矛盾点を探りながら、私は瑞貴と論議を楽しんでいた。私の中ではある程度回答は出ていた。その答えはすぐに明かさないのは、戯れであった。
「芹沢玲香を引き抜く為……?」
伺うように瑞貴は言う。私は首を振る。
「……芹沢玲香の芸能活動を終わらせるようなネタをもし得たとするならば、それは芹沢玲香をコントロールできる。違いますか?」
私はヒントを出した。瑞貴の口を閉じ、首を傾げる。
「でも、蓮沼は芹沢玲香を嫌っています」
「そこですよ」
私は指摘した。
「森川が監視していたのは会社に言われてというより、蓮沼がそのネタ欲しさに森川を動かしたというほうがしっくりくる」
「どうやって……」
私は答えない。瑞貴はあっ、と声を上げる。
「……森川さんも独立を考えていた――?」
「ええ」
瑞貴の導き出した答えに私は同意した。
結局、結論はそこに行き着く。
一人のタレントに惚れ込んだ男が、会社との方針に合わず仕事が上手く行かない女性タレントを身請けするために、安定を捨ててまで一本立ちしようとする……芸能界ではよくある話だ。むしろ有りすぎる。
「……おそらく蓮沼は、森川の独立に資金援助を申し出た。もちろん資金だけではない。仕事におけるセレブという後ろ盾も、ね。これで独立後の仕事も盤石な体制で行なえる。そんなことを言って、森川をそそのかしたんでしょう」
事実、セレブはそうやって自らの勢力範囲を拡大してきたのだ。
「その交換条件として芹沢玲香の特ダネを要求した……?」
瑞貴が怪訝な顔で訊く。
「独立という話も、もしかしたら芹沢と森川の間で予め上がっていたのかもしれない――」
私はシートにもたれる。
「事務所との方向性の違い、ギャランティの配当や値上げの要求などの金銭面の不満、契約更新の時期。上げれば切りがない……」
私は考えられる可能性を列挙した。
「……なにより、芹沢玲香は後輩の神谷裕希にその座を脅かされつつある。危機感を抱いていたとしてもなんら不思議ではない」
私の言葉に、瑞貴は顔を顰めていた。
嫌悪感の何物でもなかった。
人事ではないのだ。
いつ自分の身に起こってもおかしくはない。事務所に縛り付けるための交渉材料……芸能事務所は時々そういう無茶を行なう。
「そして、そこが蓮沼独立と関係しているのでは……?」
瑞貴は顔を上げ私を見る。
「――蓮沼は自らの独立の条件として、森川を捜してくるように言い付けられた。というのは、実は森川を連れてくることではなく、芹沢を引き抜く事が自らの独立の条件だったと考えればしっくりくる。そしてその為に森川を利用しようとした……」
「なるほど……」
瑞貴も私の考えに納得した。
「……まあ特ダネに関しては、森川自身にもメリットを及ぼすでしょうね」
「どんな……ですか?」
「芹沢が自分を裏切らせないための保険になる――」
瑞貴は再び声を上げる。芹沢の芸能生活に引導を渡すことができるものなのだ。転ずれば、芹沢を縛る首輪になる。
「森川さんは今何をしているんでしょうね」
瑞貴の何げに呟いた言葉は私の疑問でもあった。
森川が蓮沼の弱みを握るために動いていることは明白だ。
そもそも何故、東希紗智のことを調べるように我々に要求してきたのか。
今は時を待ち、どこかに形を潜めているのだろうか?
それとも、我々のように誰かを調べているのだろうか……?
「――根津さん」
瑞貴に名を呼ばれ、私は我に返った。
瑞貴の声は緊張していた。
「蓮沼です……!」
私は瑞貴が指し示す方向を見た。
ビルの目の前に車が一台横付けされていた。
後部座席から、髪を後に撫で付け、てからせた男が現われる。
蓮沼だった。
蓮沼は相変わらず厚顔不遜な様子で事務所に入っていく。
後に一人の娘を伴だっていた。高校生くらいの娘だった。さらに後に現場マネージャーとおぼしき女が後を続く。キャリーケースを引きずる姿から、蓮沼との力関係ははっきりしていた。
森川の情報である年齢が十五、六にぴったり合う。
「あの娘が、東希紗智……でしょうか?」
私は答えられなかった。
だが、肌が粟立っていた。
核心に迫りつつある。私の本能と経験がそう告げていた。
写真に収めたい……探偵としての性だろうか。
素性を知りたかった。
蓮沼一行は一旦事務所に戻ると、すぐに出て、社用車に乗り込んだ。
蓮沼が乗った車両を尾行して着いた先は、築地にある大手映画配給会社の本社ビルの前だった。
蓮沼たちがビルに入り、すでに二時間が経過している。
蓮沼が乗っていた車両は関係者専用の駐車スペースに停められてある。だが、首都高や道路が錯綜しているため、本社ビル周辺には張り込める場所が存在しない。
私は蓮沼の車の後部バンパーに車両追跡用のGPS発信機を取り付けていた。
車両用発信機はPHS携帯電話をベースに改造したもので、知り合いの業者に作ってもらった特注品である。曽根崎が私に仕掛けたものなど比較にならないほどの精度を持ち、一〇メートルの誤差でパソコン画面上や携帯のモニターでリアルタイムに追跡することができる。
私はビルから一区画離れた所に車を止め、運転席でパソコンのモニターを眺めていた。
モニターには蓮沼の車両の位置情報が表示されている。
三日という時間をすでに投資している。このチャンス不意にしたくはなかった。
私は蓮沼のこれからの行動を予想していた。
美少女は東希紗智に間違いないだろう。
蓮沼がわざわざ出向き、直々に営業を掛けていることが何よりの証拠だ。
端で見るかぎり、美少女に対しての蓮沼の扱いは丁寧だった。
どこか貴重品を扱うような態度で接している。明らかに瑞貴の時とは違っていた。そのことからも蓮沼の期待の度合が伺えた。
美少女の顔をまだ完全には確認し切れていなかった。横顔からもその美しさは十二分に伺えるが、正面からの写真はまだ収めることができないでいた。
「……もうファンになったんですか?」
瑞貴の言葉には刺があった。
顔を見るとどこか不機嫌そうだった。
「……私が今一番ファンなのはあなたですよ」
白々しい私の言葉に、瑞貴は冷ややかな眼を送ると「あの娘が、蓮沼の言っていた逸材のなんでしょうか……?」と尋ねてきた。
私は困惑と共に、瑞貴の感情の変異に苦笑した。
「……映画配給会社ということは何か映画にでも出演するんでしょうか?」
瑞貴が言った。
「デビューがいきなり映画出演なら確かに箔が付きますね」
私の言葉に、瑞貴は表情を険しくする。
瑞貴が不愉快になるのも無理はない。瑞貴と美少女の芸能界のスタートはあまりに違いすぎる。
映画出演ともなれば尚更だ。
瑞貴の喉から手が出るほど叶えたい夢を、美少女はあっさり掴もうとしている。主演でないにしていも、準主役級なら話題性は十分すぎるだろう。
しかも、その配給と制作を担うのは日本を代表する老舗の映画会社である。
蓮沼の行動は、売り込みを兼ねた独立の為の根回しなのは、明白だった。
瑞貴の機嫌がどんどん悪くなっている。明らかに苛立っていた。
困った状況になった。
その時、蓮沼たちがビルから出てきた。
「行きましょう」
私は内心蓮沼たちに感謝していた。
私は車を発進させて、すぐに蓮沼の車両の後方を取った。
今度、蓮沼たちが向かっていたのは汐留方面だった。
行き先は言うまでもない。業界最大手の広告代理店本社だろう。
私の予想は当たった。
蓮沼と美少女が乗る車は、広告代理店のビルに着くと車両専用口へ入っていった。
私達は蓮沼の車と並走するように本社ビルの周りを回った。
車両用通路はタクシーが数珠繋ぎに並んでいる。
ビルの正面玄関へ近付くと、地下駐車上の入り口が見えた。
蓮沼の車は地下へ入っていった。私はそのまま通り過ぎる。
地下に入ったため、モニター地図から蓮沼の車の位置情報が消失する。
私はハンドルを切り、本社周辺を回る。張り込みに適しているポイントを探していた。
社屋はあまりに巨大だった。全面全てがガラス張りの近代的なビルは、その権威と権力を象徴するモニュメントそのものだった。
本社社屋の周りは大型劇場とホールで構成され、さらに地下にはショッピングモールやレストランなどの複合商業施設が広がっている。
周辺は映画会社以上に高速道路が錯綜し、お世辞にも道路交通は便利には見えない。あらかじめ発信機を取り付けて正解だったようだ。
ビル正面玄関の前の反対車線に車を移動させれば、入り組んだ道路に加え車や人の往来も多い為、追跡に支障を来す。また、正面玄関付近では複数の警備員が常に見回りをしているため、地下駐車場入口付近での張り込みは不可能だ。警備員にも呼び止められてしまうだろう。
位置情報が再び表われるまで、ここからが勝負である。
私は車両専用口の正面の汐留シティセンター側に車を止めた。
シティセンターもまた社屋に匹敵するくらいの大きさを誇っている。
私は本社ビルへ目を向けた。
本社ビルの側面ではシャトルエレベーターが上下している。
最上階にはこの辺一体を眺望できるレストランがあるらしい。
「……根津さんは、ここと取引があるんですか?」
瑞貴が尋ねてきた。思いもよらぬ質問に、私は吹き出してしまった。
「……私みたいな人間、相手にしませんよ」
私自身、営業を掛けたことはなかった。気後れ以前に、この会社は独自の調査部門を抱えている。その情報収集能力は大手の探偵社など比ではなく、マーケティングリサーチから企業の実態、視聴率の調査にまで至る。
入手した情報は都合よく加工され、メディアを通して世間に放流されているのは周知の事実だ。
「……映画に加えて、CMまでも決まっているんでしょうか?」
瑞貴がぽつりと呟いた。
「まさか――」
さすがの私も否定した。
デビュー前の新人がそんなにとんとん拍子に決まるものなのだろうか。それほど蓮沼はやり手なのだろうか。
また車内の空気が重くなってしまった。
クビ直後のタレントにとって、東希のような存在は嫉妬の対象以外の何物でもないだろう。
とにかく、彼女の顔がはっきりと確認できるよう映像もしくは写真に収めなければお話にならない。私の知り合いや情報通に話を聞くことすらままならない。
そもそも、彼女が東希紗智であるという確証はまだ無い。
十中八九間違いないだろうが、決定打に欠く。これでは森川も納得しないだろう。
東希紗智の情報が何かしら入手できれば、森川と交渉ができる。苦労して得た情報を只で渡すつもりはない。いくら瑞貴が人質だとしても、だ。
だが、そうやって確認すればいいのか。本人に直接聞くしかないのだろうか。
考えがまとまらない。
上手い手が見つからず、私はシートに頭を沈めた。
「何を考えているんですか……?」
瑞貴は私の顔を覗き込みながら尋ねてきた。
「どうすれば彼女が東希紗智本人かどうか、確認できるのか考えているんです――」
「……やってみましょうか?」
瑞貴の言葉に私はシートから身を起こした。
「どうやって……?」
「彼女は今日はおそらくこのままどこかで泊まるでしょうから。わたしが直接部屋に行って、彼女に接触してみます」
「しかし、蓮沼が……」
瑞貴は笑う。
「……蓮沼はおそらくこの後、どこかのクラブで飲み歩くか、打ち合せに決まってます。銀座がすぐそこなんですよ。彼女が一人になれば、後は簡単に行くと思います。隠しカメラとかあります?」
自信満々の瑞貴の気圧されるまま、半信半疑の私はグローブボックスからセカンドバックを取り出した。
露店で買ったブランド品の偽物だった。
小さな穴を開け、中にはピンホールレンズを取り付けたビデオカメラが入っている。
私が説明しようとすると、瑞貴は苦笑し「使い方ぐらい分かりますよ」と遮った。
「……お腹空いてません? 何か買ってきましょうか?」
瑞貴が尋ねてきた。
確かに少し腹が減っていた。
「お願います」
私が頼むと瑞貴は頷き、助手席のドアを開けた。
車を降りると、瑞貴はすぐに振り返る。
「もし、動きがあったら、私の事はかまわず追ってください」
瑞貴の言葉に私が頷くと、瑞貴はドアを閉めた。
瑞貴も手慣れてきた。やはり女優より探偵業のほうがあっているのかもしれない。
本気でそう思った。