電話越しの心理戦
私はシャワーを浴び、眠気を完全に取ると、秋葉原へ買い出しに走った。必要な器具をを買い揃えると、すぐに瑞貴の部屋に戻った。
買ってきた部品と共に車に積んである器材を部屋に運び込み、セッティングへ入った。
携帯電話に録音用アダプターを取り付ると、自前のパソコンに接続した。ダイニングの角にあるコンセントに延長コードを接続し、電源を近くに確保していた。イヤホン端子にハンディトラスターとフリーハンズマイクを接続する。
すべてを終える頃には、すっかり夕方になっていた。
私はパソコンの電源を入れる。
OSが立ち上がると、ポインターを動かし、インストール済みのソフトのアイコンをクリックする。
「……これはなんですか?」
セッティングに忙しい私に、近くに居る瑞貴が興味深そうに尋ねてきた。
「嘘発見ソフトです。興奮や情動から生じる緊張やストレスを音声で判断し、相手の話が本当か嘘かを分析してくれます。真偽の判定とストレス度をグラフィックで表示してくれます」
携帯電話編集ソフトと同様に、私のパソコンにインストールしてある調査用のソフトウェアだ。
森川の真意を聞き出すための、対応策である。
「……これ信用できるんですか?」
「イスラエルの国境警備隊で使用されているのと同じシステムで精度は八五パーセント……中々馬鹿にしたものではありませんよ」
「まるで、警察みたいですね」
瑞貴のさして面白くない冗談に、私は曖昧に笑った。
私はポインターを動かし、ソフトをリアルタイムモードにする。
モニターに表示された音質のグラフを表示している。
さらに電話にはICレコーダーが繋がっている。
電話の内容をICレコーダーに記録するためだ。
「……私が電話してもよろしいですね」
私は瑞貴に確認する。
「もちろんです……さっそく電話しますか?」
「……いえ、もう少し焦らしましょう。この時間だとどこかに行っているかもしれないし、向こうから電話がくるかもしれない。がっつくと、向こうに主導権を握られてしまう」
私の言葉に瑞貴は頷く。
すでに心理戦は始まっている。
負けは赦されなかった。
午後十時を回った頃、私はパソコンに繋がっている携帯電話を手に取った。
この時間まで森川から電話は無かった。
結局、私が折れた形になった。
瑞貴が傍らでイヤフォンを耳に装着している。
携帯を握る手に力が入っている。
私はすでに緊張していた。
紙に書かれた電話番号を入力し、最後に通話ボタンを押した。
呼び出し音が数回鳴ると、『この電話を転送します』という案内が流れた。
留守電か、と思いきや、電話は繋がった。
「……森川さんですか」
私は電話の向こう側に話しかけたが、沈黙だった。
電話の向こうの雑音にまで気を配る。思ったほど雑音は少ない。外ではないようだ。
――……なぜ蓮沼を調べている?
やっと言葉が返ってきた。野太い男臭い声だった。
――誰に頼まれた?
声や言葉からは感情を読み取ることができない。
ストレスのメーターにも変化はない。<極度の情動>と出ている。
「……お答えできませんね」
私は拒否する。
「こちらも色々お聞きしたいことがあります。こうなったのも何かの縁だ。この際互いに情報交換をしませんか?」
――……何の為に?
<強い緊張>――警戒しているようだ。
「……お互いの為に決まってるじゃないですか」
私は白々しいことを言う。
向こうがトラスターを使っていたら、嘘とはっきりとでていただろう。
「私は依頼人を信用していない……真意を知りたいんです。不可解なことが多すぎる。いざとなれば、依頼は放棄する覚悟はある――」
――……だから、小川瑞貴をけしかけて蓮沼に接触させたのか?
森川の言葉に驚愕した。
すでにあの頃から、森川は蓮沼を監視していたようだ。
どこか森川を舐めていた自分の愚かさが恥ずかしくなる。
心理状態は<興奮>――私も同じ状態だった。
――お前の思う通り、神山は信用しない方がいい。
<真実>――私の情報は芹沢に筒抜けなのだろうか。
そう思うと私は、「貴方の行動は芹沢さんの意志と考えてよろしいのですか?」と口にしていた。
――……俺の行動は芹沢とは関係が無い。芹沢とはしばらくの間、連絡も取っていない。全ては俺の意志だ。そもそも芹沢は監視されている。部屋を調べたお前ならよく知っているはずだ。
<不正確>――芹沢が裏で糸を引いている可能性はフィフティ・フィフティ。
「片岡さんの指示で、芹沢さんを貴方が監視していたとお聞きしていますが……?」
一呼吸空くと、
――……言ってみれば、芹沢は軟禁状態だ。神谷を脅すことで、片岡に揺さぶりをかけたが、かえって片岡の警戒心を高めただけにすぎない。片岡からなんとしてでも芹沢を取り戻さなくてはならない。
と、森川から返ってきた。
<真実>だった。
その割には芹沢はのびのびやっている。この前のイベントでも明らかだ。
芹沢にとって森川がどれほどの重要度を締めてるかは甚だ疑問だ。
「……貴方は芹沢さんの何を握ってらっしゃるんですか?」
私は核心に迫る質問を放っていた。
――お前には関係のないことだ。
「監視の際に入手した盗撮映像か何かですか……?」
森川は答えない。
私は舌打ちした。
「共闘しませんか?」
私は森川を誘った。
――……お前は信用できない。
森川は拒否する。
<真実>。
「……御尤もです」
私は苦笑した。お互い様だった。
「でも、私は蓮沼氏よりはましだと判断なされたから、私と接触を試みた。違いますか?」
――確かに俺とお前との情報を統合すれば、疑問は全て氷解するかもしれない。
真偽は最低レベル。
つまり<嘘>だ。
ディスプレイのストレスメーターが一気に跳ね上がる。
自分の有力な情報を提供する気はないらしい。
声色に特に変化はないが、何かと嘘のつけない性分らしい。
「だったら尚更……」
――お前は信用できないといったはずだ。
森川はきっぱりと言った。
森川は芹沢のことで頭がいっぱいのようだ。
こんな状態ではとても互いに分かりあえそうもない。
私自身、森川を利用することはあっても、森川と組むつもりはない。
なにより、そんなことは瑞貴が許さない。
芹沢と馴れあうなら、蓮沼の方に走るだろう。
だが、森川をこちら側に引き込まなければ、今回のことに決着は着かないだろう。
瑞貴の顔を見ると、微かだが眉が拠っている。
――……調べてもらいたいことがある。
「なんでしょう」
――トウキサチ。
「……トウキサチ。誰ですか?」
頭の中を検索する。該当する名前はない。
漢字でどう書くかを、森川に尋ねると『東希紗智』と森川は答えた。
――タレントの卵だ。年齢は十五、六……蓮沼が売り出そうとしているらしい。それ以上のことは俺も知らん。
<真実>――森川の腹の中が少しだけ読めた。
森川も頼れるのは私だけだということだ。
「……断ると言ったら?」
――小川瑞貴のことを蓮沼にバラす。
思わぬ方向から襲撃されたような気分だった。
ソフトは<真実>と回答している。
額を触ると、粘っこい汗を掻いている。瑞貴の顔にも緊張が浮かぶ。
――……小川とお前がどういう関係はどうでもいい。だが、俺はお前と小川が一緒に居る写真を抑えてある。蓮沼がこのことを知ればどうなるか、想像が着くな?
私は再び瑞貴の方を見る。瑞貴の不安げな顔をしていた。
瑞貴の芸能生命は完全に断たれる。
つまり森川はわたしたちより優位に立てると踏んだうえで、接触してきたのだ。完全に予想外だった。
「……貴方が調べればよろしいじゃないですか」
私は無駄だと知りつつ、子供じみた抵抗を試みた。
――俺の噂は業界中に知れ渡っている。派手な動きはできない。
「罠にでも掛けようと?」
――そんなことはしない。
判定は<ごまかそうといる>。
ストレス度も高い。
「……分かりました。お引き受けします。でも、一つ約束してください」
――なんだ?
「貴方が芹沢玲香を守りたいように、私も小川瑞貴を守りたい。私はともかく彼女が不利になるような事は絶対にしないでいただきたい」
私が森川と同じタイプの人間であるということを思わせることで共感や親しみを産ませることが狙いだった。
さらに森川の良心に働き掛けることで、瑞貴や私のリスクを減らす。
交渉術の初歩だ。
――考えておく。
<嘘と真実>――ソフトでも判断できないらしい。
少なくとも森川を裏切らなければ、瑞貴の安全は確保できるだろう。
「東希紗智に関しての何を調べればいいんですか……?」
私は森川に尋ねた。
――姿、顔、形。蓮沼がどういう戦略で東希を売りだそうとしているのか、また現在決まっている仕事の内容なども知りたい。おそらく蓮沼自身が動いて色々根回しをしている最中だ。
「東希祐希に関しての情報は……?」
――モデル事務所がある。事実上、蓮沼のものだ。会社運営費はこれも蓮沼が所有する番組制作会社を通して、この会社に流れている。ペーパーカンパニーと大差はないが、番組製作費との名目により、多額のマージンやキックバックがこの会社を通して蓮沼に流れている。おそらく東希紗智のプロモーション経費もここから捻出されているはずだ。
<真実>――このネタは事実らしい。
会社に隠れて、小遣い稼ぎをしているのだろう。
子悪党のやりそうなことだ。
「本人の画像や写真があれば送っていただきたいのですが」
――……自分で調べろ。まだお前に俺の居場所を知られるわけにはいかない。もっとも俺自身、東希紗智の顔を知らない。それを調べるのもお前の仕事だ。
舌打ちを飲み込む。
やはり簡単にはいかない。
「……もう一度お聞きします。なぜ私に接触してきたんですか?」
答えが返ってこない。
「……芹沢の誕生日が近いからですか?」
沈黙。
――小川ならば蓮沼の真意を聞き出せる。そう思ったからだ。
<嘘>――モニターを見ながら私は「成程」と呟いた。
森川は蓮沼の真意などどうでもいいようだ。
「だが、調べるのはあくまで私だ。小川さんをあの男の前に差しだすつもりはない」
――……お前次第だ。
<嘘と真実>――そう言うと森川は電話を切った。
「……どう思いますか?」
瑞貴に尋ねる。
「わかりません――」
どこか瑞貴は拗ねているようだった。
私は苦笑した。
私のことを疑っているのだろう。
クールな瑞貴が熱くなっている。それだけ瑞貴は私に対し気を許しているということだ。
「……勘違いなさらないでください。芹沢玲香に組するつもりはありません」
瑞貴は不振に満ちた眼差しで私を見た。
私は慌てた。
「森川がキャスティングボードを握っている以上、あの男を野放しにはできない。何よりあの男は芹沢玲香を潰すネタを持っている。ご理解ください」
「証明してください」
瑞貴は私に詰め寄る。
私は反射的に瑞貴と唇を重ねた。
軽く触れた程度だった。これくらいは、してもいい頃なのかもしれない。
私ははっとなった。
キスが停滞していた脳細胞を冴え渡らせたのか、点在していた事実や事柄が線で繋がっていく。
「……どうしたんですか?」
瑞貴が尋ねてきた。
一つの仮説が、私の頭の中でくっきりと形を成していた。