急展開
私達は渋谷にあるチャイニーズ・ダイニングへ行った。
予約の五時半まで、少し時間を潰し、店に入った。
裏通りに面した所に店の入り口はあった。地下にある都会の隠れ家的な店だ。
私と瑞貴は階段を降りていく。
「よくご存じですね。こういう店――」
私の頭上で、感心したように瑞貴は言った。
「私の仕事は芸能人を相手にしていますから。自然と、ね」
私の言葉に瑞貴は、苦笑した。
個室の場合、予約が必要だが、直前の確認の電話で簡単に取れた。
芸能人との食事は個室がある店に限られる。
知名度はあるが、後ろ盾の無い瑞貴は格好の週刊誌の的でもある。十分注意する必要があった。
芸能人とはいつもこんな苦労をしているのだろうか。
普段は探る側の為、気が付かないが彼らのわずらさしさが初めてわかった。
「いい店ですね」
瑞貴に気にいってもらい、私は一安心だった。
フロントで名前をスタッフに告げ、個室席に案内される。
店は暗く、間接照明が微かに照らすだけだ。
夕方の時間帯の為か、空席が目立つ。
これから仕事帰りのサラリーマン連中で込み、忙しくなるだろう。
テーブル席に座り、一通り注文が済むと瑞貴が「セレブの人から電話が来たって言ってましたよね……」と尋ねてきた。
私は大きく息を吐きながら頷いた。
「電話越しで散々遣り合いましたよ。生きた心地がしなかった……」
私の大げさな仕草に、瑞貴は笑った。
「そちらこそ成果はどうでしたか?」
私は尋ねると、瑞貴は頷く。
「やはりパーティーは開かれるみたいですね」
「確かですか?」
「……はい。知り合いにファッション雑誌モデルの娘が居るんです。買物やヘアサロンに付き合うついでに色々聞き出せました。もちろん、わたしの事は驚かせたいから、こちらの事は言わないで欲しいと念を押しておきましたから」
相変わらずこういう部分はそつが無かった。
人付き合いは下手そうだが、交友関係は中々広いらしい。
「芹沢玲香の直接ではないんですが、知り合いみたいな娘と繋がりがあって……。芹沢はやはり誕生日パーティーをやるようです。モデル仲間の中でも芹沢の誕生パーティーは話題になっています。結構参加を望んでいる娘たちが多いそうで……。今年の誕生パーティーは、その参加者が中心になって仕切るそうです」
「……まるで、大所帯の芸人軍団だな」
私の言葉に、瑞貴は笑った。
芸能人は徒党を組むことがとかく好きな連中が居る。
大物ほど金はあるが、孤独で寂しいのだろう。
瑞貴の情報は中々興味深く、面白い内容だった。
朝早く行動を起こしただけのことはある。
「……次は、根津さんの番ですよ」
瑞貴に促され、私は宮島からもたらされた情報や神山とのやりとり、そして曽根崎からの電話の内容を再度伝える。
「仮に、セレブが大金を提示してきた場合、情報を提供するんですか……?」
瑞貴は疑問そうに尋ねてきた。
「向こうに提供する情報は別に真実でなくても構わない、ということですよ」
あっ、と瑞貴は声を上げる。
「偽情報を流して、向こう側を混乱させる……」
「そういうことです」
私の答えに、瑞貴は満足そうに微笑んだ。
曽根崎は私を情報源の一部として見ている。それを利用しない手はない。
私はあることに気が付く。
曽根崎が私の携帯で電話をしてきたということは、私の携帯の情報を抜かれている。
当然、芸翔や神山との関係はもちろん瑞貴と私の繋がりを相手側に知られていることになる。
私は急に不安になった。
顔に出たのか「どうしました?」と瑞貴が尋ねる。
「……いいえ」
私は自分の疑念を瑞貴に説明した。
「……それはあまり心配しなくても大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「なぜですか?」
「ですから、わたしの情報源は貴方であるということにすればいい訳で……」
「……ああ、成程」
「もし、相手側に尋ねられたら、情報を提供しあう間柄だということにすれば……」
瑞貴の機転には目を見張るものがある。
そして自らの小心ぶりに、私は笑った。
「……考えてみれば、タレントと探偵がこうして一緒に居るなんてありえませんからね。少し自意識過剰でした」
「――大丈夫です。蓮沼だったら上手く誤魔化せます。任せてください」
頼もしかった。
やはり瑞貴の方が度胸が据わっている。女は土壇場に強い。
「……さっきの話を続きなんですけど、開催場所は六本木らしいんですが、会場は何処なのかは、まだ決まっていないようです」
「そうですか……」
さほど問題ではなかった。時が来れば自然と分かるだろう。
今の状態でこれほどの情報が流れているのだ。
主催側が自分たちの優位性を誇示するために、情報を放流するのは目に見えていた。
オーダーした料理や飲み物が運ばれてきた。私は運転があるため、ウーロン茶を瑞貴はビールを頼み、乾杯すると一気に飲んだ。
しばらくの間、私達は運ばれてきた料理を楽しんだ。
餃子や海老のチリソース煮、棒々鶏に海鮮スープなどに舌鼓を打つ。
瑞貴と私の間でたわいもない会話が続いた。今度公開する映画の話や、話題のスイーツや料理など、互いにある蟠りを払拭しようとしていた。
話も尽き、注文した料理が一通り片付いた頃、私はこれからの自分の行動をどうするか、思案していた。
藤崎の再度のスクープにより、芹沢周辺の調査活動は大幅に制限される事になる。
張り込みを行なえば、曽根崎とかち合う可能性は高い。
芹沢の携帯のデータを調べれば、何か別の事実が判明したかもしれない。
犯罪を問われる覚悟で、入手したにもかかわらず奪われるなどいい面の皮だ。
私は自分のミスを改めて悔いた。
瑞貴を見ると、いつしか箸を置き、バックからサプリメントが入ったピルケースを取り出していた。 私はとっさに手を延ばし、瑞貴の腕を掴んだ。
「――瑞貴さん。差し出がましいようですが、少し飲みすぎです」
私の忠告に、瑞貴はハッとなる。
瑞貴は食事の後にダイエットサプリメントを常用している事が多かった。
肌の荒れもサプリメントが原因だろう。それだけストレスが増しているということだ。
サプリメントは瑞貴にとってもやは信仰そのものである。薬に依存することで今の状況を乗り切ろうとしている。麻薬でないとはいえ、身体に良いはずが無い。
「そんなものに頼らなくても貴方は充分美しい――」
「癖になってて……」
ピルケースをバックに戻すと、瑞貴は「根津さん」と私を呼んだ。
「はい?」
私は返事をする。
「――依頼人は誰なんですか?」
突然の瑞貴の問いに、私は無言になった。
「……そろそろ教えてくれても、いいんじゃないですか?」
瑞貴は微笑しながら言った。
私は観念した。
もう、瑞貴の頼みには抗えない自分がいた。
「――芸翔の神山さんです」
私の言葉に、瑞貴から大きくため息が漏れた。
「……お分りでしたか?」
「なんとなくは――」
瑞貴はどこか落胆したように言った。
「頭の良い貴方ならば察しはついているとは思っていましたよ」
「皮肉……ですか?」
瑞貴は微笑みながら、私を睨む。
その様子はえり以上に可愛かった。大人の女が見せる子供じみた仕草は、時に若い女以上の愛らしさがある。
「まさか……。気分を害したならば謝ります」
私は慌てて言った。
「……頭良くなんかないですよ」
瑞貴は目をふせた。
「――良ければ、もっと芸能界で成功しています。仕事の為ならば、好きでもない人と簡単に寝るような女ですよ。バカです、わたしは……」
瑞貴は恥じるように俯く。
「……仕方の無いことですよ。相手は強権を振りかざして貴方に迫った。逃れる術はない」
彼女が男の扱いに長けていたなら、もっと上手く躱していたかもしれない。
それが瑞貴の長所でもあり、欠点でもある。
その不器用さは嫌いではなかった。
「……私もお聞きしてよろしいですか?」
「はい」
「私の調査結果を聞いてどうするおつもりだったんですか?」
瑞貴の大きくて美しい瞳が泳ぎがちになる。瞳の揺れが止まると私に視線を定めた。
「……初めは仕返しでもするつもりでした」
「どういった風に……?」
「……わかりません」
瑞貴の答えに会話が止まる。
「そんな答えばっかり――」
瑞貴は苦笑し、残っている料理を箸でつついた。
「……残酷なことを言うようですが、仮にネタを押さえたとして、あなたの芸能界復帰は極めて難しいと思います」
私の言葉に瑞貴の箸の動きが止まった。
「……私には残念ながらそういうコネはありません。神山さんとの関係もあくまで依頼人と探偵という極めてドライなものだ。現に神山さんは言葉とは裏腹に私の扱いに配慮の欠けらもない。彼をご紹介してもかまいませんが、一筋縄ではいかないでしょう。こんな危険を犯す意味はあるのでしょうか……?」
「……そうですね」
私の言葉に意気消沈したのか、瑞貴の目線は下がっていた。
寄る辺無き彼女にとって、私が残された最後の砦だというのは理解している。
芸能界を追放されたら、瑞貴が路頭に迷うのは想像する迄もないことだ。
だからといって別の仕事に就くこともきわめて困難だろう。
芸能人の転職ほど悲惨の一言につきるものはない。
顔は知れ渡っているし、どこにいても周囲の注目を浴びる。
そして例外なく、冷笑や嘲笑の対象となる。
残された道は結婚引退しかない。
下手に事務所を移れば、いま以上に望まない仕事をやらさせるハメになる。
バラエティー番組で慣れないトークをさせられ、コント番組で屈辱的な役をやらされるかもしれない。そんな瑞貴をテレビで見るのはあまりに忍びない。
「でも、芹沢玲香を道連れにすることならできるかもしれない――」
瑞貴の瞳だけが浮き上がり、私を見る。
「それでもいいなら、あなたに協力しますよ」
「本気ですか? 本気で仰ってるんですか……?」
「ええ」
私は頷いた。
「森川の居場所を掴み依頼人に伝えれば私の仕事は終わる。森川を捜せとは言われているが、ネタを押さえろとは言われていませんから」
「なぜですか? そこまでする理由は……?」
「貴方には借りがある――」
私のその言葉に、瑞貴の表情が甘えるような、どこか媚を含んだ表情になった。
それは女の顔だった。
芸能人として視聴者に曝す、小川瑞貴としての偽りの人格ではなく、生身の女である小川康子という本当の自分を剥出しにした瞬間でもあった。
小川康子として私に向き合っている。少なくとも今の私にはそう見えた。
錯覚かもしれない。
私はその錯覚に酔っていた。
錯覚でない証拠に瑞貴は私の手に自らの手を延ばしていた。
肉体関係を迫るつもりはまだ無い。
もし、そういう関係になれば私は後に引けなくなる。
男女の関係になれば、別の要素も絡んでくる。
それは感情だ。
感情が絡めばプロとして仕事を貫徹できない可能性が高くなる。思わぬミスも招きかねない。
今の段階でミスはまだ犯せない。
私はそんな自分に笑いそうになった。
私はもはやプロではない。
依頼人を裏切ろうとしている。そして、一人の女を巻き込んでいる。探偵のみならず男としても失格だ。
だからこそ、抱けない。今は。ミスをもはや起こさないために。
探偵ではなく男として私の死守したい最後の一線だった。
「……お願いします。でなければ、わたしは次に進むことはできない」
「わかりました――」
瑞貴の言葉に、私は己れの覚悟を決めた。
宮島はグラスを煽る。グラスの中身を飲み干すと周囲の女が拍手する。
宮島のピッチが早かった。
顔は赤く、酔いが回っているのが分かる。
私と宮島は高田馬場にあるキャバクラに来ていた。安さが売りの激安店で、都内と比べ店も狭く、揃えているキャストの質もお世辞にも良くない。
だがその分気楽に楽しめて、キャストのノリもよかった。仕事でなければ私も弾けただろう。
あくまで主役は宮島だ。
店の角のボックス席で、キャバクラ嬢が盛り上げる中、私は宮島にどんどん酒を勧める。宮島が曽根崎に関するネタを掴んだということで、約束通りキャバクラで飲む事になった。
別の客からの指名が入り、宮島側のキャバクラ嬢が席から離れた時、私は「芹沢玲香が誕生日パーティーをやるっていう噂があるんだが……」と宮島に尋ねた。
「……相変わらず耳が早いですね」
「何、何なの話?」
私の隣のキャバクラ嬢が話に食いつく。
「……お客さん何やっている人?」
別のキャバクラ嬢が尋ねる。
「芸能関係」
私は即答する。
キャバ嬢が一気に色めき立つ。
体を密着させて、媚態が先程より際立つ。
「……根津さん」
宮島が窘める。
「別にかまわないだろう……?」
嘘はついていない。
宮島は大きく息を吐く。アルコール臭がすでにきつかった。
「……もう、手を引いたほうがいいんじゃないんですか?」
宮島は珍しく私に忠告してきた。
「引けない理由がある」
「……女ですか?」
宮島の問いに私は戸惑う。
「――そんな所だ」
呆れたように溜め息を漏す宮島の肩を、私は抱く。
「……また奢るよ。今度は高級キャバクラだ、六本木の。今回、色々迷惑も掛けたし、お礼もしたい。今回のことのケリが尽きしだい必ず奢る。約束する」
「えー、ひどーい」
宮島の席に座っているキャバ嬢が口を尖らせる。
「……拗ねないの。また来るから」
宥める宮島はキャバ嬢の後から抱きついた。
「わかりました」
頭を掻きながら宮島は観念した様子だった。
「……場所を変えましょう。お勘定して」
引き止めるキャバ嬢達を振り払うように、私たちは席を立った。
キャバクラを出ると、私たちは酒を抜くために、サウナに向かっていた。
サウナ室で汗をかく間、互いに無言だった。
私自身何を聞くべきなのか、頭の中を整理していた。
サウナ室を出ると私と宮島は備え付けのマッサージ機に身を委ねた。
気持ちが良かった。
もみ玉に背中をほぐされ、私は思わず声を出した。
私も疲れているのかもしれない。
「芹沢をマークしている連中がいるんです」
宮島が口火を切った。
「誰だ?」
私は尋ねる。
「ショットアップです」
「本当か?」
「……ええ。芸翔のスクープを仕掛けた連中に間違いありません」
「どういうことだ?」
「さあ、そこまでは……」
宮島は首を傾げる。
「……芹沢のネタを捜している連中が他にもいるんですよ」
「どういう連中だ?」
「いずれもセレブの息がかかった連中ですよ。まったくどいつもこいつも欲の皮つっぱらかして、大手芸プロの言いなりになりやがって……腹が立つ」
「……耳が痛いな」
私は曽根崎の言葉を思い出していた。
借りは返すと。
セレブも芸翔に対する報復行動を本格的に始めたということだろうか。
そのために、私に聞き込みを掛けてきたのだろうか。
いずれにしろ、もうあんな思いはしたくなかった。
いま思えば、連中はどこに私を軟禁したのだろうか?
どこかの事務所だろうか……?
忌ま忌ましい出来事だったが、掘り起こし、思い出す必要があるかもしれない。
「……何かやらかしたんですかね。芹沢は?」
「さあな」
「……何か掴んでるんですか? 教えてくださいよ」
宮島が私に詰め寄る。
勘の鋭さは女並みである。
宮島には盗撮映像の件は伝えていない。
信用してしないわけではないが、まだマスコミにリークする時期ではない。
ネタを漏らせば、宮島の性格上、裏取りに奔走するだろう。
それは宮島を危険の火中に巻き込むことになる。
もっとも現時点でネタの信憑性は極めて薄い。
バラしたところで、中年雑誌の飛ばし記事扱いが関の山だ。
私自身まだ確証は得ていないのだからだ。
「……ないよ。何か掴んだら、宮島ちゃんに真っ先に教えるから、そろそろ曽根崎について教えてくれよ」
私ははぐらかすと、本題に入るよう宮島を促した。
「曽根崎ですけど、こいつノンキャリなのに警部補まで努めてるんですよ」
「ほう」
「……いろんな意味で有能な刑事だったらしいです。あいつが警視庁を辞めた理由ですが、ヤクザの目溢しする事でネタを取るっていう捜査方法の為、癒着が取り出たされて馘になったらしいんですわ。なんでも金融業者への情報漏洩と収賄容疑の罪で詰腹切らされたって……」
警察と暴力団の馴合――公権力にとっては必要悪なのだろうが、実に手前勝手な理論だ。
何故か曽根崎らしかった。
「でも、真相は上司のキャリアが関与しているらしいそうで。飲み屋での豪遊や自宅新築の建設資金なんかに当てられたらしくて、捜査対象は末端の警官までに留まり、キャリアの関与はうやむやになったそうで……。その詰め腹を切らされた格好で、懲戒免職処分寸前のところで上司に依願退職を求められ、辞表を提出したそうです。だから書類送検されてないんですよ」
「面白いな」
「……家族とは離婚しています。離婚した女房に娘がくっついて行ったみたいです。娘は来年進学らしくて、慰謝料やら養育費に加え、入学金が掛かるため生活には汲々しているんじゃないですか……」
「……ということは子供を突けば、さしもの曽根崎も観念するかもしれんな」
強力な武器を手に入れたも同じだった。
曽根崎の人物像が朧気に掴めてきた。
相手を知ることは、恐れを軽減させる。
「……エグいっすねえ、相変わらず」
私の受けた仕打ちを宮島に説明しようとしたが、思い止まった。
宮島を恐がらせても意味の無いことだ。
「さあ、リフレッシュしたところで、もう一軒行きますか」
宮島が立ち上がる。
「……まだ飲むのか?」
私は呆れる。
「……当ったり前じゃないですか? 夜はこれからですよ」
私は内心うんざりした。徹底的に集るらしい。宮島との夜はまだ終わらないようだ。
早く帰って、瑞貴の顔が見たかった。
朝の光が眼球を苛む。
瑞貴の部屋への帰宅途中、私は出勤途中のサラリーマンや学生とすれ違った。
こういう瞬間、つくづく自分が社会から隔絶された存在であることを思い知らされる。
結局、宮島につれ回され、朝まで飲まされるハメになった。
だだでさえ酒は苦手なほうなのに、胃が重く、頭が冴えない。
ふらふらの状態で瑞貴の部屋へ着き、ドアを開けると、瑞貴が出迎えに来た。
宮島から得た情報を心待ちにしていたのか、目覚めは早かったようだ。
眼鏡姿だが、すでにメイクは済ませていた。
リビングのテーブルには私の朝食と思われる、ラップを貼った皿が用意されている。
パンにハムエッグとサラダ、と在り来りな内容だった。
食欲はなく、一眠りしたかったが、瑞貴の心遣いを無下にする訳には行かなかった。
バターが塗られたパンに噛り付き、サラダを頬張る。
サラダは瑞貴の手作りのドレッシングで、大蒜が効いていて美味かった。
マグカップに注がれたスープを飲みながら、私は宮島からの情報を報告した。
すべてを伝えた後、
「……どう思います?」
と私は瑞貴に尋ねた。
瑞貴は食事を一時中断し、テーブルに肘を突く。
テレビの音が部屋の中で響いた。
活字媒体の内容を臆面もなく伝えている空疎な内容の番組が垂れ流されている。
日本ではそれを報道番組というらしい。
瑞貴の考えに耽る姿は美しかった。
元々どこか知的に見える容姿の持ち主である。
瑞貴は結論に至ったのか、顔を上げた。
「……森川さんを誘き出すためではないでしょうか」
瑞貴の言葉に、私はハッとした。
「芹沢玲香がバッシングされれば、森川さんは黙ってられないでしょう。なんらかのアクションを起こすはずです。その期を狙って森川さんを捕らえる……」
「……なるほど」
私は納得した。
文句の着けようがない答えだった。
「何を焦ってるんでしょう、セレブは……?」
瑞貴の問いに答えられなかった。
「……もう一度、蓮沼を探ってみますか?」
瑞貴の大胆な申し出に私は我が耳を疑った。
「本気ですか……?」
私の問いに瑞貴は頷く。
「……あの男、独立がどうとか言ってましたよね」
「ええ」
「それ、何か関係あるんでしょうか……?」
混乱している。
頭の動きが鈍い。寝不足と酒の影響だろうか。
「……どうします?」
「これ以上あなたに負担は掛けられない」
私は断った。
この期に及んで綺麗事言う自分が滑稽だった。瑞貴の方がよっぽど腹が据わっている。
「この前、わたしの意志を伝えたでしょう……?」
瑞貴は怒ったように言った。
気圧された私は、誤魔化すように鼻の頭を指で掻いた。
「……わかりました」
私は言った。
「……でも、聞き込みはまだいいでしょう。とりあえずは芹沢会の動向と、蓮沼を張り込んでみますか。消極的かもしれないが、リスクが少なく確実だ。曽根崎も蓮沼の近くに今はいないでしょうし」
瑞貴は「わかりました」と納得したように頷きながら言った。
気が抜けたのか、欠伸が出た。
瑞貴は微笑む。
「少しお休みになりますか?」
「……そうですね」
瑞貴も欠伸をしていた。
瑞貴は恥ずかしそうにすぐ口を手で隠す。
「……わたしも二度寝しようかな」
そう言うと瑞貴はダイニングを出ていった。
私はスーツを脱ぎ、下着姿になった。フローリングの床に横たわると、近くに畳んである毛布を頭から被った。
急激に疲労を覚え、眠りはすぐに訪れた。
高架道路の下に私は居た。
その大きさから、六本木の高速道路の真下であるとすぐに分かった。
隣で腕を組んで横断歩道を一緒に歩いている女が居る。
瑞貴だった。
私が瑞貴に何かを語りかけようとした時、瑞貴は微笑する。
私は瑞貴の腕を掴む。
瑞貴は私から腕をするりと抜くと、早足で逃げた。
私をからかうような笑みを浮かべている。
私は追い掛ける。もどかしいほどに、足が動きが鈍く、歩みが遅い。
歩を進めているのに一行にアマンドに辿り着かない。足が思うように動かず、歩にスピードが出ない。
「待ってください――」
私は声を搾り出すように言った。
瑞貴が困ったように、歩みを停めると、首を傾げる。
瑞貴の唇が開いたとき、身体に揺れを感じた。
私は眼が覚めた。
私の傍らには瑞貴が居た。まだ夢の中を彷徨っているようで現実感がない。
意識がどこか混濁している。
一方でどこか気恥ずかしかった。
目蓋が思うように開かず、わずかな隙間で壁時計を見ると針は二時を回っている。
「……どうしました?」
口臭を気にしながら、私は尋ねた。
油断するとすぐに眠りに落ちそうな状態で、声が思うように出ず、代わりに欠伸が出た。
「今さっき、コンビニに行く際、下のメールボックスを確認したんですが……」
瑞貴は二つ折りになった紙を差し出す。
紙がかすかに震えている。
瑞貴は興奮しているのか、頬が紅潮していた。
私は受け取ると紙を開いた。
眠気が吹っ飛んでいた。頭を殴られたような衝撃だった。
紙には電話番号と思われる数字と共に名が記されている。
『森川』、と――。