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隠し撮り型ヒアリング

 ダイニングのテーブルには精密ドライバーや瞬間接着剤、ドリルなど工具が散乱している。工具の他にも超小型ピンホールレンズ式ワイヤレスCCDカメラ、CCDカメラ用広角レンズ、送信機と受信機が数台、受信機内蔵の2・5インチ液晶モニター、モトローラ製トランシーバなどが無造作に置かれている。

 すべて秋葉原で購入してきたものだった。

 私はコサージュにピンバイスで穴を開けていた。真っ赤なバラのコサージュだった。

 秋葉原で購入してきたピンホールレンズ式ワイヤレスCCDカメラをコサージュをシリコン接着剤で貼り付け、中に埋め込む。カメラと送信機のスイッチを入れ、手元の受信機内蔵の2・5インチ液晶モニターで映り具合を確認する。

 私がバッテリーをベルトが着いたカバーに収めると、瑞貴がリビングに入ってきた。瑞貴は黒のパーティードレスを纏っていた。

「……似合いますか?」

 瑞貴は体を翻しながら尋ねる。

 とっさに言葉が出なかった。言葉を失うくらい美しかった。

 我に返ると「……ええ、とても」と言った。

「……本当ですか?」

 瑞貴は疑うように聞く。

 私のリアクションを間違って捉えてしまったようだ。

 目も眩むような美しさとはこのことだ。

 ドレスは瑞貴の美しい身体のラインをくっきりと映し出し、Vの字に開いた背中は肌理の細かい美しい素肌をのぞかせている。裾の片方は深いスリットが入っていて、瑞貴の流れるような長い足が欲情を誘う。張りのある形の良い胸の谷間がのぞく。

 露出度が高いセクシーなドレスだった。

 蓮沼の口を軽くするための色仕掛けを考慮したものだ。

 だが、聞き込みの為とはいえ、蓮沼の前に差しだすのが惜しかった。

 すでにメイクの方も終えている。大きな瞳をより強調するために、アイラインでくっきりと縁取りし、下品でない程度に目蓋に色を塗っている。

 ピンクのグロスの口紅が愛らしい唇を彩り、怪しい光沢を帯びている。

 私はその唇を貪り、吸い付くしたい衝動に駆られた。

 自らの欲望を理性で抑えこむと「これ、着けていただけますか」と瑞貴にコサージュ型隠しカメラを渡した。

 まだ身体の節々が痛かった。湿布や軟膏を塗りたくっている私は、愛用している香水の使用を控えていた。

 私はしばらくの間、瑞貴の部屋に寝泊りすることになった。ウィークリーマンションかレンタルルームでも借りるつもりだったが、瑞貴の勧めにより潜伏させてもらうことになった。

 ダイニングで寝泊りしているため、私の持ち込んだ荷物が部屋の隅で増えつつあった。

 瑞貴は私を信頼してくれていた。女と、しかもとびっきりの美女と部屋を一緒に居て、変な気分にならないといえば嘘になるが、彼女を場の雰囲気で押し倒すような真似はしなかった。

 利害関係と同情、そして被害者同志の寄り添い。今の私たちはそれしかない。私自身それを十二分に理解していた。

 元々普段から、調査の関係上、車の方には必要最低限の調査器材や着替えなどは積んでいた。

 曽根崎に脅しを掛けられたことは神山には報告していない。

する必要は無いと判断した。私の報告で神山が恐れをなし、依頼を中止したら、元も子もない。

 瑞貴はコサージュを胸上部に付けると、コードを服の中に入れ、目立たないにように背中を這わせ、服のたるみで隠す。必要があれば、テープで固定するように瑞貴に指示した。

 私は瑞貴の頬の部分が荒れているのに気が付いた。肌の荒れは化粧で誤魔化しているようだ。

 事務所解雇は予想以上に瑞貴の精神を蝕んでいる。早く手を打たなければ、瑞貴が壊れかねない。

「これを装着してください」

 私は瑞貴にバッテリーを手渡す。

「これは何処に……?」

「足に忍ばせるのがいいでしょう。拳銃を隠し持つ女スパイのように、ね」

 私の言葉に瑞貴は微笑すると、スカートをたくし上げ、脚を突きだす。ベルトはベルクロ式だった。裾の奥が見えそうになり、私は視線を外した。

 バッテリーを足に巻き付け、ワイヤレスカメラと接続すると瑞貴はドレスの乱れを正す。とくに違和感はない。

 私は瑞貴にワイヤレスカメラのスイッチを入れさせ、手持ちのモニターでカメラの映り具合を確認する。

「……完璧ですね」

 そう言いながら私はテーブルにある耳栓のような形のものを摘み上げると瑞貴に差し出す。

「これは?」

「ワイヤレスイヤフォンです。耳に入れてください」

 瑞貴は髪を掻き揚げるとワイヤレスイヤフォンを装着する。小作りで形の良い耳だった。

 私は瑞貴にカード型受信機を持たせると、手持ちのモトローラ製トランシーバーを口元に寄せ「聞こえますか?」と尋ねた。

「はい」と瑞貴は頷いた。

 音は携帯電話型盗聴器で拾うつもりだった。盗聴器といってもただ外部マイクを着けただけの代物だ。だが、発信式ではなく電話回線使用のため、遮蔽物に妨害されることがない。またGPS機能もあるため、万が一身柄を拘束されても居場所を位置情報により把握することができる。車で待機している私が色々指示を与える。映像は1・5ギガヘルツの周波数で飛ばし、私の手元にある受信機内蔵の2・5インチ液晶モニターで監視、録画するという具合である。

 モニターで映像を確認しながら、私はカメラの位置を微調整する。

「合図の再確認をしておきましょうか」

「はい」

 事前に符丁を色々決めていた。

 髪を触る――「了解」の意。

 顎を撫でる――「もう一度言ってください」の意。

「これは?」

 私は右手を擦る。

 瑞貴はクスリと笑うと「ぶん殴って、逃げる――ですね?」と言った。

「……その通りです」

 緊張を解すための冗談だった。

 実際に使うことは、まずないだろう。そういう状況には絶対にさせない。

 危なくなったら、多少無茶をしてでも救いに出るつもりだった。

 盗撮は保険だった。瑞貴と会うことで浮かれ、蓮沼が口を滑らせる可能性は極めて高い。少なくとも画を押さえておけば良かったと悔やむことはないだろう。

 すべては瑞貴次第だ。

 瑞貴に取り付けたすべての機器のチェックが終わると私はポケットからシートを取り出した。

「睡眠薬です」

「……ハルシオンか何かですか?」

「――ベンザリンです。強力な睡眠薬で、ハルシオンとは違い不確定要素が少ない。上手くハマれば記憶をも吹っ飛ばす。酒と一緒に飲まれせれば効果は増します」

 以前、医者に処方してもらったもののあまりだった。

「……危なくなったらこれを使ってください。スタンガンのような物は持ち歩けないでしょうし、これならいくらでも言い訳が効く」

 瑞貴の眼が一瞬、眼が泳いだ。

 不安の色を感じ取り、私は「やっぱりやめますか?」と尋ねた。

「……いいえ。もう後には引けません」

 瑞貴はきっぱりと言った。自ら迷いを振り切るような口調だった。

「根津さん――」

「はい?」

 瑞貴は私の顔をずっと見ていた。

「……いいえ、何でもありません」

 私は問いただすことはしなかった。

 戦いを前にして、瑞貴の心を不要に乱したくはなかった。



 美容院へ行き、瑞貴の髪をセットし終わると、私と瑞貴は目的地に向かった。

 青山にあるレストランが、今日の約束場所である。

 もちろん我々が指定した場所でもある。電波を拾いやすく、車を近くに停めやすい立地条件に見合う場所で営業している所を選んだ。

 レストランの近くで、電波が拾いやすい所に車を停めると、私は運転席で、ダッシュボード近くに設置したモニターを見ていた。

 モニターにはレストランの様子が映っている。

 瑞貴が撮影者の為、瑞貴の姿は見えない映像を飛ばしているため、ときどきノイズが入るが、見られないほどではない。イヤフォンからは、レストラン内の雑音が聞こえてくる。瑞貴に取り付けたマイクが拾っているのだ。モニターにはまだ誰も座っていない椅子の背もたれが映っている。

 雑誌がこぞって特集を組みそうな内装の店内だった。スタッフの教育も行き届いているようだった。

 機材だけでも、相当の金と手間が掛かっているのに、どれだけの情報を得られるのか、今更ながら不安だった。

 何より、私は曽根崎とかち合わないか、内心ビクビクしていた。

 喉が渇く。私は事前に購入していたミネラルウォーターのペットボトルを手に取ると、水を含んだ。張り込みで水を飲むなど、プロとして許される行為ではない。

 ――来ました。

 瑞貴の声がイヤフォンから伝わってきた。

 画面が動いた。

 瑞貴が立ち上がったのだろう。激しく画面内の映像が揺れる。

 蓮沼だった。

 金の掛かった一流の服を身につけているのにかかわらず、体型と滲み出る下品さが、すべて台無しにしている。

 蓮沼は乱暴に椅子を引くと、席に座る。

 ――久しぶりだな。

 馴々しく、どこか高圧的な態度に私は瑞貴ならずとも不愉快さを覚えた。

 ――そうですね。

 蓮沼はメニューを取ると、店員を呼び付け注文する。態度が実に尊大だった。見ていて、不愉快になる。瑞貴をこんな男の前に差しだしたことを後悔しはじめていた。

 ――最近、どうだ……?

 蓮沼が白々しく尋ねてきた。

 ――事務所をクビになりました。

 瑞貴は少し言葉を噛んだ。

 ――災難だったな。

 蓮沼は嬲るように言う

 ――貴方がそうしたんじゃないんですか……?

 私は見ていてハラハラした。

 薬でも飲ませて、少し心理状態を落ち着けさせてからに送り出すべきだったかもしれない。

 ――……言いがかりだな。

 蓮沼は否定した。

 ――俺は誰よりもお前のことを心配している。なんだったら、新しい事務所を世話してやろうか?

 蓮沼のにやにやした顔に、私は気分が悪くなった。

 ウェイターが注文した料理を運んでくる。

 蓮沼が頼んだのはフィレ肉のステーキだった。

 瑞貴は前菜を注文していた。

 蓮沼はフォークを取る。スーツの袖からは時計が覗く。ダイヤがびっちり嵌ったベゼル使用の趣味の悪いシャネルの時計だった。蓮沼が着けると余計に下品さが際立つ。

 ――セレブに逆らって、誰が私を迎えてくれるんですか?

 ワイングラスに臙脂色の液体が注がれていく。酒に詳しくない私に、銘柄はよく分からないが、値が張るのだけは確かだ。

 蓮沼はグラスを取ると一気に中身を入れた。口の中に留め味わう事無く、嚥下する。

 蓮沼の所作は、実に見苦しいものだった。

 瑞貴は明らかに熱くなっていた。指示を出したほうが良さそうだ。

 私はトランシーバーを握る。

「瑞貴さん。蓮沼の機嫌を損ねるようなことは避けてください。今は堪えて」

 瑞貴は苛立たしげに髪を触る。

 いちお「了解」してくれた。

 ――俺に愚痴を言いにきたのか。なら帰るぞ。

 肉を噛みながら、蓮沼は言った。

 ――……すみません。突然一方的にクビになったものだから。なんか収まりがつかなくて、ムシャクシャしているんです。誰でもいいから同情して欲しくて……。

 蓮沼はステーキにナイフを入れ、一口大に切り取ると、肉を口に運んだ。

 ――森川のことは誰に聞いたんだ?

 ――業界で噂になっているのを、たまたま聞き付けたんです。

 ――たまたま……?

 ――蓮沼さんが、困っているみたいだから、お役に立ちたいと思って。

 ――白々しいな。桧垣はどうした?

 蓮沼はくちゃくちゃと肉を咀嚼しながら、言った。見ているだけで、食欲が減退する。

 当分肉類は食えそうにない。

 ――だからあれは……。

 瑞貴は苛立ったように言った。

 ――局が仕掛けた話題作りだと何度も言ったじゃないですか……。

 蓮沼は黙っている。

 ――桧垣さんに口説かれたのは事実です。でも身体の関係はありません。本当です。

 私の脳裏に桧垣の顔が浮かんだ。

 ――貴方に睨まれただけで引っ込むような情けない人ですよ。そんな人に幻滅こそすれ、恋愛に発展することなんてありません。わたし頼れる人が好きだから――。

 蓮沼の顔がにやけている。

 画面には映らないが、瑞貴は笑顔を必死で作っているだろう。

 女優を目指しているのだ。それ位のことが出来なければ、その資格はない。

 蓮沼は相変わらず、鼻の下を延ばしている画がモニターに映っている。私は胸を撫で下ろす。

 聞き込みはまだ、本題にすら入っていない。

 ――お忙しんですか……?

 瑞貴が尋ねる。

 ――ああ、色々あってな。

 蓮沼はナプキンで口を拭った。

「今の話もっと突っ込んでください」

 私は口を出す。瑞貴は髪を触る――了解の意だ。

 ――色々って……?

 ――色々だ。

 回りくどい。

 蓮沼はわざと答を避けたのが、私にも分かった。

 ようは瑞貴をからかっているのだ。つくづく最低の男だ。

 ――セレブの力でまた誰か売り出すんですか……?

 話題の振り方が上手い。極めて自然な運び方だった。

 ――そうだ。だが、見てくれだけの能無しじゃないぞ。今度の玉は才能も実力もある。

 ――新人ですか?

 ――ああ。

 蓮沼は頷く。

 ――小さい頃から劇団に所属していてな、演技の素養もある。これが中々のものだ。

「……小川さん。もっとそこの部分を踏み込んでください」

 私はマイクに指示を出す。

 ――つまり新人の為の裏工作に忙しいというわけですか……?

 瑞貴は髪を触ることなくそう尋ねていた。

 瑞貴の物言いに私は肝が冷えた。今の言い方では皮肉にしか聞こえない。

 蓮沼の表情が一気に険しくなった。

 歯痒い――男に媚びるのが下手すぎる。

 蓮沼相手では無理もないだろうが、彼女が芸能界で冷遇されている理由の一端が垣間見えた。

 私はトランシーバーを口元に近付ける。

「……瑞貴さん。不愉快でしょうが、もっと目の前の男に媚びてください。機嫌を損ねてかけています。それから、新人の名前を聞き出してもらえませんか……?」

 了解――瑞貴は苛立たしげに髪を触る。

 ――……冗談ですよ。いちいち本気に取らないでください。

 瑞貴の言葉に、蓮沼は虚を着かれたようだ。その為か怒りは引っ込んだようだ。

 冷や冷やする。

 ――でも、羨ましいな。

 ――何故だ?

 蓮沼が尋ねる。不機嫌さはまだ抜けていない。

 ――だってそうでしょう。蓮沼さんに見込まれたわけですから。順風満帆じゃないんですか。

 ――いまさら俺に媚びてどうする?

 ――別に媚びてるわけじゃありません。ただ、桧垣さんと違って蓮沼さんは口だけの人じゃないから……。

 蓮沼は満更でもない顔をしていた。

 ――後になってからそういうことが分かったんです。本当です。

 瑞貴のなかなかの女優っぷりに、私は舌を巻いた。

 いや、女とは本質的にこういう生き物なのだろう。

 ――名前はなんて言うんですか?

 瑞貴の言い方も多少柔らかくなった。

 ――……企業秘密だ。教えるわけにはいかん。

 自慢げに答える蓮沼に私は舌打ちした。

 だが蓮沼の口調にもかなりの変化が起きていた。態度がかなり軟化している。

 ――忙しいのに、なぜ森川さんを探しているんですか?

 瑞貴が森川の件に触れた。

 ――そんなことを聞いてどうする?

 ――わたし、クビになっちゃったから。蓮沼さんのお役に立てるかもしれないと思って。

 蓮沼の目が細くなる。口元は弛んでいる。

 ――つまり、森川の件で俺の気を引きたいとそういう訳か?

 ――いまさら別の仕事には就けません。それに、蓮沼さんへの信頼も取り戻せるでしょう?

 ――……変わったな、お前――。

 ――変わったんじゃなくて、気付いたんです。

 持ち直したことに、私は安堵し息を吐く。

 瑞貴の女優ぶりに苦笑した。もう少し感情の制御が上手ければ、言うことはない。

 ――芹沢さんの何を握っているんですか?

 瑞貴は尋ねる。

 ――誰かに頼まれたのか?

 蓮沼の疑り深さに、私はうんざりした。

 瑞貴はもっとうんざりしているだろう。

 ――セレブに逆らおうとする芸能人なんて居ません。そんなこと貴方が一番ご存じじゃないですか。現にわたしは――。

 瑞貴の言葉が一瞬途切れた。

 ――蓮沼さんに従ったじゃないですか。

 衝撃が走った。

 同時に私は蓮沼と瑞貴の関係を悟った。

 手が震えている。

 笑ってしまうくらい動揺している自分が、そこに居た。

 ――教えてください、蓮沼さん。

 瑞貴の声を聞く限り、瑞貴に動揺はない。

 ――……まあいいだろう。

 蓮沼はやっと観念したのか、口をナプキンで拭った。

 ――森川は芹沢玲香の盗撮映像を入手している。芹沢の息の根が止まるような、な。

 やはり――私の予想は正しかったが、それどころではなかった。

 暴露された瑞貴と蓮沼の関係は、私から正常な判断を奪っていた。

 蓮沼が身を乗り出し、顔を近付ける。

 画面に広がる蓮沼に、思わず私は思わず身を退き、モニターから離れた。

 ――……ここだけの話だが、俺は会社を立ち上げるつもりだ。

 蓮沼は小声で言うと、席に戻る。小声で言う必要性が分からない。この男は大げさな真似を時々する。

 ――独立というやつだ。社長にもようやく認めさせた。森川を捜し出して芹沢を引きぬくというのが、独立の交換条件だ。

 新情報だった。

 そして、蓮沼側の理由が判明した瞬間だった。

 だが、私はどうでも良くなっていた。

 先の事実がそれ程、私を打ちのめしていた。

 ――社長さんは森川さんを使って芹沢さんをアクティブから引き抜くつもりですか?

 瑞貴が尋ねていた。

 動悸が激しくなっていた。目眩すらした。もっと集中しなければならないと分かっていても、言いようもない苛立ちが私の中で起こっていた。

 ――いやに芹沢にこだわるな。

 ――……わたしをハメた人ですから。

 口の中がひどく乾く。私は水を喇叭飲みする。渇きは癒されない。

 自身から吐きだされる息が、重く、熱かった。

 ――あんな女どうでもいい。扱いにくくて、我侭まで、高慢稚気で、高飛車。おまけに金に汚い。お前と違って……。

 蓮沼はグラスを取り、ワインを呷る。

 ――嫌な女だ。綺麗しか取り柄が無い、どうしようもない女だ。

 蓮沼はそういうと酒を飲み干し、息を吐きだす。

 ――社長……物部は奴を気に入っているが、あの女の本性を見抜けていない。いや、そういう清も濁も魅力の一つとして考えている。だが、周りで世話をする人間の身になってみろ。あいつに苦労させられるのは眼に見えている。あいにく俺はあの女が大っ嫌いなんでな。

 私は動揺を抑えこみながら瑞貴に「藤崎理奈のスクープについて尋ねてみてもらえませんか」と指示を出した。

 瑞貴に自分の動揺が伝わるのは避けたかった。

 ――話は変わりますけど、先日の藤崎さんのスクープの犯人は分かったんですか?

 瑞貴は蓮沼に尋ねた。

 ――いいや。

 蓮沼は首を振る。ウエイターが空になったグラスにワインを注ぐ。

 ――……俺は、あれはアクティブスターが仕掛けたものだと思っている。アクティブはセレブと手を切りたがっているしな。そうなればセレブは大打撃だ。なんとしてでもアクティブを引き止めねばならん。

 蓮沼の説明に私はようやく合点がいった。

 つまり奥野を接待付けにしているのは、奥野のみならず、アクティブを芸翔に渡さないために情報を得るためなのだろう。

 と考えれば、神山が仕掛けたものではないらしい。

 独立と会社存続――セレブが危なくなれば自分の独立騒ぎどころでは無くなる。自己の利益の為に、蓮沼は奔走しているのだろう。森川探しも必死になるわけだ。

 蓮沼はグラスをとる。

 結構な量を飲んでいるが本人に変化はない。酒は強いようだ。

 ――……どうだ? お前も俺の下でやってみる気はないか? このまま芸能界を去るのはお前の本意じゃないだろう?

 蓮沼は唇を舐めた。あの舌が、瑞貴の身体を舐めたかと思うと、引っこ抜いてやりたかった。

 ――考えさせてください。

 瑞貴の答えに、蓮沼は怪訝な顔をした。当然だった。

 ――……さっきと言うことが違うな。考えるまでもないだろう。お前を受け入れてくれるところなんてお前の言う通り、無いだろう……?

 口が脂っこくなったのか、蓮沼はウエイターにデザートを頼んだ。

 フルーツのシャーベットだった。

 ――……本当にそう思ってらっしゃるんですか?

 蓮沼の挑発に瑞貴の演技が振れる。最後までやり遂げてほしい、と私は祈っていた。

 ――どこかあるんだ? つまらん見栄を張るのはよせ。

 蓮沼は瑞貴をからかい楽しんでいた。強者が弱者をいたぶる事で得る暗い喜び。瑞貴の反応を楽しみ、興奮し、瑞貴に欲情しつつある。底意地が悪い。

 注文していたシャーベットが蓮沼の前に置かれた。

 ――……少し、情緒不安定だな。休んだ方がいい。充電してから仕事に復帰しろ。お前がその気なら復帰後の面倒は俺が見る。

 蓮沼はそう言いながらシャーベットをスプーンで掬うと、口に放りこむ。

 ――……愛人になれ、の間違いじゃないんですか?

 瑞貴の言葉に、否定も肯定もせず蓮沼は笑う。

 ――……まあ、そういう気の強いところも可愛いが、な。今すぐに答えを出せとは言わないさ。

 蓮沼はシャーベットを置き、身を乗り出した。

 ――この後、空いているのか?

 ――……ええ、さっきも言った通り、わたし時間だけはありますから。

 ――場所を変えて飲み直そう。今後のお前の将来について話し合う必要があるだろう。俺もお前のことに関しては少々行きすぎた点もあったと反省しているんだ。どうだ?

 蓮沼の露骨で下手な誘い方にこっちが赤面する思いだった。

 ――……わたしを捨てたのは、貴方ですよ。少しわたしを馬鹿にしてませんか?

 瑞貴の言い方に刺はなかった。まるで男を弄んでいるような言い方だった。腸は煮え繰り返っているだろう。

 よく自分を制したと、瑞貴を誉めてやりたかった。

 ――……居なくなってみて、初めて価値が分かる場合がある。お前はそういう女だ。

 瑞貴の笑い声が聞えると、蓮沼がフレームアウトした。瑞貴が席を立ったのだ。

 ――今日は帰ります。安い女と思われたくないから――。

 私は特に何も言わなかった。

 これ以上会話を続けさせても情報は得られないだろうし、瑞貴にとっても多大なストレスだろう。

 ――でも、今度会う時は……。

 瑞貴の思わせぶりの言葉に蓮沼は満足したように笑みをこぼすと、乱暴に瑞貴の手を取った。カメラが激しくブレる。

 ――……森川の件、もし情報が入ったら俺に報せろ。悪いようにはしない。

 スーツの乱れを直しながら、蓮沼の声が入ってくる。

 ――わたし、今欲しいものがあるんですけど――。

 ――お前の欲しいものなら何でもくれてやる。バックでも、仕事でも、な。

 蓮沼の下品な笑い声を最後に、耳から引き抜くように私はヘッドフォンを取った。

 蓮沼が独立する――その情報を得ただけでも収穫はあった。

 森川の追跡はそのことと無関係ではないはずだ。

 今の私には、そんなことはどうでもよかった。私はシートに凭れ掛かった。

 衝撃的な事実であった。まさかとは思っていた。

 私はその事実を受けとめられずにいた。髪に手をやり、掻き毟る。

 身が焼けるような、不愉快な事実だった。狭い運転席で私は身悶えしていた。

 助手席の窓を叩く音が聞こえてきた。

 瑞貴は帰ってきた。私は助手席のドアを開け、中に入れる。

 私は取り敢えず自分の感情を抑えると、「お疲れ様でした」と言った。今の私には、在りきたりな労いの言葉しか思い浮かばなかった。

 瑞貴は口を開かなかった。

 非道く疲労している。

 表情は硬い。硬いというより、顔から表情の動きが欠落していた。

 助手席に座っても、瑞貴の緊張は解けなかった。

 イグニッションキーを回し、私は車を走らせる。

 バックミラーを見ながら、尾行確認に集中した。というより、尾行確認と運転に集中することで瑞貴との会話を避けたかった。

「――意外に冷静になれないものですね」

 瑞貴がやっと口を開いた。

「……やる前は、もっと上手くやる自信があったのに……。彼が目の前に居るとどんどん気分が悪くなって。根津さんの指示が無かったらわたし、あいつに水をぶっかけてたかも知れない――」

 今の瑞貴に何を言っても皮肉にしか聞こえないだろう。私は言葉を飲み込み、無言になるしかなかった。

「……なぜ、黙ってるんですか?」

 瑞貴が口火を切った。

「お聞きにならないんですね?」

「何をですか?」

 私は横目で見ながら瑞貴に聞き直す。

 自分の女でもないのに、浮気を問い詰める器の小さい男のようだった。

「私はいつも貴方に、はぐらかされてばかりだ」

 私は努めて、なるべく明るい口調で言った。

「でも今回は――」

 瑞貴は唇を咬んだ。

「見損なったでしょう」

 私は何も言えなかった。

「――はっきり言ってください。タレントとしても女としても最低だと」

 答えなかった。

「それとも知っていましたか? 私と彼の関係を」

「……噂では」

「そうですか」

 何かを諦めたように、瑞貴は言った。

「こういう場合芸能人なら、まったくの出鱈目だって否定するんでしょうけど……」

 自嘲気味に瑞貴は言った。

「……少しドライブでもしませんか? 気分転換に」

 私は瑞貴を誘った。

 今度は瑞貴が何も答えてはくれなかった。



 私は車を湾岸方面に向けていた。無性に海が見たかった。

 暗い車内の中でメーターが淡い光を放っている。

 私は運転席の窓を開けていた。

 車を走らせることで、少し風に当たりたかった。

 それくらい私の身体は熱くなっていた。

 それは蓮沼に対する怒りか、瑞貴に対するものなのか、解らなかった。

 レインボーブリッジを渡ると、車を橋近くの駐車場に止め、私は瑞貴と共に車を降りた。

 私達は近くの海岸公園へ向かった。

 公園からは夜の海が見える。

 真っ黒なベルベットの布のような海が、眼下に広がっている。

 寄せては返す波の音が周りに静かに響き、止むことはない。

 夜の海が放つ潮の香りが漂う。

 夜風が、夜の寒気と共に私の火照った頬を撫で、心地よかった。

 瑞貴はドレスの上に黒いコートを羽織っていた。私にはまるで葬式帰りの寡婦のように見えた。

 瑞貴は歩みを止め、近くの手摺りに寄り掛かると海を眺めた。

「……私の歳、ご存じですか?」

 瑞貴が訊いた。

「……二五、でしたね」

 プロフィール上はだ。それを額面どおりに信じるほど初心ではない。

「――二八です。本当は……」

 恥ずかしそうに瑞貴は言った。

「……芸能界で二八なんて、オバさん扱いです。売れてる人ならともかく、笑いのネタにはなれど誰も相手になんてしてくれない」

 フォローできなかった。

 年齢をハンデだとは思わない。いい女はいくつでもいい女だ。

「……最後のチャンスだったんです。芸能界でステップアップするための。この世界でやっていくための……。だから蓮沼の要求を呑むしかなかった」

 私は何を言っていいのか、分からなかった。

 自分の気持ちすら把握できなかった。

「ドラマ出演のオファーが来て、すぐに呼び出されました。事前にセレブ系列の偉い人だと噂には聞いていました。事務所の今後の仕事の保証と共に、身体を差し出すことを仄めかされました」

 瑞貴は右の二の腕を握り締めていた。

「――それはいいんです。仕方の無いことです。わたしに魅力と実力が無かっただけですから」

「そんなことはありませんよ」

 私の言葉に瑞貴は自嘲気味に笑った。歪んだ微笑だった。

 瑞貴の唇は何か言葉を紡ごうとして、開いたり閉じたりしている。

 瞳はしきりに瞬きを繰り返していた。

「身体まで張って得た仕事でした。ちょい役だけどプライムタイムのドラマに出演できるんです。話題作りの客寄せパンダだとも十分理解してました。それでも嬉しかった――。それなのに……」

 言葉と共に、鼻を啜る音が聞こえた。

「それを芹沢に潰された――」

 私は瑞貴の方を見なかった。

 それは瑞貴に対して冒涜に等しい行為に思えてならなかった。

 私は黙って海を見ていた。

「共演者である俳優が私を口説いたんです」

「……お話に出てた、桧垣恭吾ですね」

 私の答えに瑞貴は頷く。

「――わたしの方も蓮沼との関係に疲れていました。桧垣さんとはお付き合い程度で食事に数回行きました。彼は共演者で私の数少ない味方でもあったんです。機嫌を損ねて、敵に回すような真似はしたくなかった。たとえそれが下心見え見えのものでも……。もっとも身体の関係はありません。誓って――」

 嘘ではないだろう。そう思うことにした。

 信じているにもかかわらず、瑞貴をまともに見れない自分の技量の狭さが情けなかった。

「蓮沼は独占欲の強い男です。桧垣と食事に行ったという事実だけでも、蓮沼を怒らせるには十分でした。散々罵られました」

「誰が彼に告げ口を……?」

「……芹沢玲香でしょう。疑いようもありません」

「一方でドラマの視聴率は二桁を切り、敗戦一色。で、貴方が責めを負わされた……?」

 瑞貴は頷く。

「……おかしな話ですよね。わたしは脇役なのに……。話題作りで投入されただけなのに……」

 私の中で、芹沢に対し言いようもない怒りが湧いていた。

 他人事ながら、瑞貴にひどく感情移入していた。

「――局側としては事務所への手前上、芹沢の評判を落とす訳には行かない。アクティブスターには神谷祐希という次を担う存在もいます。事務所との今後の関係を維持するためにも、わたしを切ることで手打ちに……」

「彼女はなぜそんなことを?」

「元々、彼女はわたしが出演するということが面白くなかったんです。企画自体乗り気じゃなかったのに、事務所の思惑が入り交じりドラマは台無し。さらに保険としてわたしが投入された。彼女にしては非道く女優としてのプライドを傷つけられたのでしょう」

 瑞貴は再び手摺りを握る。

「でも、わたしにはまったく関係のない話です。それだけの理由で彼女はわたしの芸能活動を奪ったんです。悪意を撒き散らし、わたしの――」

 瑞貴は唇を震わせていた。親指の爪を噛む。

「わたしの夢を踏み潰したんです――」

 瑞貴の瞳から涙が溢れ、流れ落ちた。

 口を手で押さえ、喉をつまらせ嗚咽した。

 言葉がなかった。

 瑞貴の肩に手を置くと、瑞貴は私の胸の中に顔を埋めた。体を震わせ、泣き声を必死に抑えようとする様子が伝わってきた。

 私は瑞貴が収まるのを黙って待っていた。


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