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プロローグ

 同じ世界でありながら、絶対に近付けない世界が存在する――その世界は例えば、私の視線の先にあるような所だ。

 春だというのに、日が落ちたとたんに肌寒い。風が強く、車の中でなければ風邪をひいてしまう。

 格式に満ちた歴史あるホテルらしいが、一般人の立ち入りなど端から拒絶する傲慢さを発散していた。ホテルの入り口付近のロータリーでは、ハイヤーやタクシーが数台数珠繋ぎで連なっていて、車が途切れることはない。

 私はホテルの斜向かいに車を止め、運転席で携帯電話を玩んでいる。携帯電話は一二〇〇万画素の高感度撮影が可能なカメラ機能重視の機種だ。ただし私自ら改造し、スピーカーの配線を切って無音化している。着メロなどチャラついた機能も無くなるが、その代わり音も無く盗撮できる。

 メールを打つふりをしながら、私はホテルを張り込んでいた。

 警備が妙に厳重だった。黒いスーツに身を包み、イヤフォンを耳に差し込んだ連中がホテル周辺をうろうろしている。ホテルに入るものに厳しい視線を向けている。私は警備から逃れるように時々車を移動させた。

 ホテルニューオオタニ大宴会場――芸能事務所『セレブ』創立五〇周年パーティーの会場である。7時からの開演となっている。

 物部守雄――芸能界のドンと言っても過言ではない、セレブの社長のご機嫌を伺うためにTV関係者や有名芸能人のみならず、格闘家や格闘プロデューサー、IT長者など名士などテレビや雑誌で見たことのある連中が訪れている。

 言うまでもなくマスコミは完全にシャットアウトだ。もっとも、日頃の接待や圧力で骨抜きにされたマスコミに今日の宴を取材しようとする人間はいない。

 それでも反体制精神に満ちた一部の連中は、出席する芸能人をカメラに収めようと、獲物を狙う狩人のように身を隠しながら張り込みしているかもしれない。

 私のように――。

 ハイヤーから現場マネージャーと思われる男と共に一人の青年が車から降りた。私は携帯電話を助手席に置くと双眼鏡を手にした。レンズには、青年の顔がはっきり確認できた。

 面差しは少年のような幼さを残している。女性受けしそうなフェイスだ。身長は高く、身体から無駄肉の類は一切無い。少年性と男性性が混在したアンバランスさが印象的だ。

 伊沢達也――私が今調べている調査対象である。

 伊沢は、パーティー用のフォーマルな格好に、指をシルバーアクセサリーで飾っている。シルバーアクセサリーは伊沢の趣味であり、たびたびその手の雑誌の表紙を飾っている。今日ここを先回りできたのは事前に伊沢のスケジュールを入手できたからである。

 すぐに別の車両がホテル前で停まると一人の美少女が車から降りた。

 藤崎理奈である。

 栗色に染められた艶やかな髪はパーティー使用にセットされ、肩が大きく出た赤いドレス身に付け、その上にダウンコートを纏っている。藤崎に後ろから髪を後に撫で付けたヘアスタイルの男が続く。

 蓮沼嘉津雄――セレブの幹部にして藤崎のチーフマネージャーだ。気分屋で、仕事において私的感情を平気で持ち出す、上司としては最悪の男としてその筋では有名だ。

 伊沢とマネージャーは蓮沼に深々と頭を下げると、蓮沼も軽く頭を下げた。双方の事務所の力関係が如実にあらわれていた。伊沢の事務所はセレブの傘下には入っていないが、セレブのパーティーに出席しているようでは時間の問題だろう。

 伊沢のマネージャーは卑屈なぐらい、蓮沼に媚びていた。伊沢の方は藤崎に近寄っていくと言葉をかわす。二人はドラマで共演経験がある。友人関係なのかもしれない。伊沢と藤崎はマネージャー達と一緒に一緒にホテルのロビーに入っていった。

 気温は低いにもかかわらず、私の全身は軽く汗を掻いていた。スーツの下にインナー式スペクトラ製抗弾ベストを着込んでいる為だ。ボディアーマーなどで使用されているケプラー素材以上の防弾性を有し、犯罪大国アメリカのポリス達の装備として採用されている。

 体温を逃しやすいので蒸れにくく、擦り切れ、防カビ、対ケミカル性にも優れている。また防弾性もさることながら防刃効果も高い。

 ネクタイも従来の首に巻くものではなく、シャツに引っ掛けるものだ。着脱がすぐでき、引っ張られても首が絞まることがない。ボディーガードが好んで付けるものだ。

 武器の方のぬかりなくメインは催涙スプレー、バックアップに強力ライトのシュアファイアを用意している。催涙スプレーはFBIやアメリカ陸軍がデモや暴徒鎮圧に正式採用しているものだ。成分濃度は民間用のスプレーの倍以上あり、護身具というよりは兵器に近い。

 私は普段からこの手の装備は欠かさないことにしてる。仕事上、危険に会うことはざらだ。ゆえに実戦向きの武器を装備する必要がある。特に今日のような日は何が起こるかわからない。

 ホテル入り口には新たな出席者が到着していた。ハイヤーの後部座席からマネージャーと思われる男の後で、引き締まった長身の女が表われた。女はストールを羽織り、ドレスを着ている。

ドレスとストールだけで寒くないのかと、私は疑問だった。   

 身に着けているドレスも、金掛かっていそうだが、デザイナーがふざけて作ったとしか思えない醜悪なデザインだった。だが、着ている本人がそれを有り余るくらいにカバーしている。

 美しさに異論を唱えるつもりはないが、顔を含めて全身がどこか人工的で作り物めいている。美容整形を施しているのは明白だ。莫大な金を賭けて、手直しされ創り上げられた肉人形という言い方がふさわしい。

 芹沢玲香に間違いなかった。

 芹沢玲香――元々はモデル事務所から現在の事務所に移籍し、大きく飛躍した強運の持ち主である。 

 現在抱えているCMは15本を越え、主演を張るドラマは高視聴率を叩き出す。ファッション、発言にいたっても世の女性に多大な影響を与える存在。今もっとも乗りに乗っているタレントである。

 だが、芹沢玲香はセレブ所属ではない。事務所自体もセレブ系列ではないはずだ。つまり彼女がこのパーティーに出席する理由はない。

 疑問に感じながら、芹沢玲香を双眼鏡で覗いていると、助手席で携帯が振動した。携帯電話を開くと、「芸翔 小田」という名前が表示されている。私は通話ボタンを押す。

 ――根津さんですか?

と呼ばれると、私は「はい」と返事をした。

 根津――という名は偽名だ。本名ではない。名前というものは無用に個人情報を垂れ流す。特に私の仕事に於いて本名を名乗ることは命取りになる危険を孕んでいる。

「どうしました?」と私は尋ねる。

 ――今すぐこちらにおいで願えますか?

 電話の奥の男の声は切迫していた。

「……分かりました。すぐに向かいます」

 電話を切ったとき、車の近くに一人の男が接近していた。私は舌打ちした。

 男は運転席の窓を叩く。パーティーの警備担当の人間に間違いなかった。

「……何、やってんだ?」

 窓越しに響く荒々しい言葉使いだった。

 私は無視する。助手席に置いてあるシュアファイアを掴み、ライトの底部の突起に親指をおく。車には、他にも数人近付いてくる。

「……お前、芸能記者か?」

 窓を叩いた男が再び尋ねる。警備担当とは名ばかりの、チンピラとかわらない。私は答えず、無言を突き通す。

「どこの出版社かってきいてんだ……!」

 男が声を荒げた時、私は底部のスイッチを入れると光を相手見向けた。

 純白の光が男の眼を灼く。男は短い悲鳴を上げた。

 視界を光で奪われ男達が怯んだ刹那、私はキーを回しエンジンをかけ、サイドブレーキを下げるとアクセルを踏んだ。

 踞る連中をバックミラーで確認しながら、またしても自分の用心深さと用意周到さに口の端が弛んだ。

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