軽薄な若手俳優
賀川経由で、桧垣の情報が入ってきたのは二日も後だった。
桧垣恭吾の自宅マンションの住所と入り浸っている行きつけの飲み屋に関しての情報だった。
ネタ元は、電話で言っていた俳優の追っ掛けをやっている主婦からだった。もっとも今は桧垣の追っ掛けはやってないらしく、桧垣の後輩の方に対象が移っているらしい。
奥野への接触は神山への報告を経てからのほうがいいと判断した。思った以上に調査は難航している。
奥野を揺さ振る材料はあるにもかかわらず、自宅周辺で、奥野の帰宅待ちも何度も空振りに終わっている。ここ数日は忙しいらしい。
神山に会う迄にある程度結果を出したかったのだが、ままならなかった。
桧垣の情報が入ってきたことにより、受けた仕事より瑞貴の事実確認の方に気持ちが一気に傾いていた。
私は飲み屋近くを、張り込んでいた。携帯電話を玩びながら、メールを打つふりをしている。なぜか、携帯電話を弄っていると不振人物には見えにくい。
店の入り口から、二人組の男女が出てきた。
男の方は驚くほど細身で、長身の男だった。黒いニット帽を被り、サングラスを掛けている。ジーパンは所々破れ、素肌を晒している。それが少しも見窄らしいように見えないのは、男の足が驚くほど長いからだ。
桧垣恭吾に間違いなかった。
仕事を干されていても、奴が夜毎飲み歩きができるのは、事務所の社長か、所属の看板女優に気に入られているという理由がある。
また、奴の所属事務所はセレブ直轄ではないため、謹慎程度で済んでいるのだろう。女性ファンが多いということも奴を後押しする。
遠目から見ても、すぐに分かる。
芸能人とはつくづく分かりやすい。
桧垣は、少し太めの肉付きの良い女と腕を組んで共に歩いていた。体付きに比例してガードが緩そうで、服装もどこか露出が多く、明け透けで、派手だ。
私は携帯を仕舞うと、男へ早足で近付いていく。桧垣の背後に着き、腕を組んでいない左から一気に前に回りこんだ。
「桧垣恭吾さん、ですね」
私は男を見上げた。目の前に立つと、桧垣の背の高さを一層意識する。男は私をどこか見下している。私はそんな被害妄想に駆られた。
「誰、あんた……?」
高圧的で、不遜な口の聞き方だった。事務所は礼儀を教えているだろうが、一般人にまでそれをしろとは教育していないようだ。
身体は引き締まっている。脂肪が削ぎ取られ、引き締まった筋肉に全身が包まれているようだった。
高い背丈が、奴の魅力をより一層際立たせる。
桧垣自身長身で目立つ存在なのに、それを隠そうとしない。自信の表れか、マスコミを何とも思っていなのか、それともただの馬鹿か――。
「……お聞きしたいことがあります」
私は名刺も出さず、話を切り出していた。
桧垣と自分とのスペックの違いに、同じ人間かと神を恨む気分だった。
肌は浅黒く、野性的ですらある。髪型は無造作で、蓬髪といってもいい。でもそれは悔しいくらいに決まっている。
顔のパーツはそれぞれ絶妙な位置で配置されている。
高い鼻梁に、鋭角的な輪郭二重目蓋の切れ長の目は、二重の瞳は力強い光を放っている。男から見ても嫉妬を覚えるくらい魅力的だ。この眼で見つめられたら、女はひとたまりもないだろう。
「……取材だったら勘弁ね、事務所通してね」
桧垣は型通りの回答をした。交渉とは相手が拒否したときから始まる。
桧垣が私の横を通り過ぎようとしたとき「私、セレブの蓮沼さんの被害の実態を調べてまして」と言った。
蓮沼の名に桧垣の眼の色が変わった。
「ある女性がセクハラで訴えると申しましてね、彼女の弁護士の依頼で調査を……」
「蓮沼……!?」
桧垣は大きく反応していた。私の出任せに、桧垣は明らかに態度が変化した。
桧垣に怒りとも不快ともつかぬ表情が浮かぶと、苛立たしげに頭を掻いた。
感情を顕にする桧垣を見て、私は桧垣の頭のレベルがどの程度の物かすぐに読めた。
単純そのものだ。
私に何の疑いも抱かず、与えられた情報を鵜呑みにし、感情の赴くがまま行動する。自分で考えるという行為が欠落している。
この手の人間は話を聞きだしやすい。高水準の外見とは裏腹に、内面の底の浅さが透けて見える――たいした男ではない。
「……ちょっと、先行ってて」
女に指示を出すと、私の方を向く。
「……あいつのお陰で、俺、今仕事できないんですよ」
怒りを露にしながら、桧垣は言った。
「どうしてですか?」
私の問いに桧垣は苛立たしげに舌打ちする。
「小川瑞貴に手を出したって、因縁付けられちゃって……」
「手を出したんですか?」
私は冗談のように聞いた。だが、それは私が一番聞きたいことであった。
「……飯食いにいっただけですよ。まあ、変な気が無かったって言えば嘘になるかな」
桧垣は事無げに言った。
桧垣のある種の軽さに、私は自らの中に沸き起こる不快さを圧し殺す。だが、桧垣の態度から瑞貴とは深い関係ではないらしいことは、はっきりとわかった。
「……俺も後悔してるんですよ」
桧垣は舌打ちしながら言った。
「芹沢玲香に嫌われてたから、彼女――」
「……何故ですか?」
「……知らないですよ。よくあるでしょ。女同士の……何て言うの? 相容れない、生理的なもの? 理由はないけど、嫌いだったんじゃないんですか? 彼女……芹沢玲香は意外に女優志向だし……。話題性だけで投入された彼女を不愉快なのはわかりますけど、瑞貴ちゃんにすれば関係ない話ですよ。まあ、瑞貴ちゃんって男には好かれるけど、同性に嫌われるタイプだし」
瑞貴をちゃん付けで呼ぶ、桧垣の気やすさが、許せなかった。
一方で、桧垣の分析は聞き捨てならないものがあった。そういう感情的なものが二人の間に大きく横たわり、激しい流れを生み出している。
また色男はえてして女のそういう機微に敏感である。ゆえに女の心を掴みやすい。
「……女の喧嘩って怖いよね。その癖陰険だし。男みたいに表立ってやらないけど、どんなに隠しても伝わってくるでしょ? お互いプライド高いから、口聞かないし、コミュニケーション取らないし。現場の空気最悪でさあ……」
桧垣の言葉遣いが気になっていた。明らかに私のほうが年上であるにもかかわらず、敬語の使い方が雑だった。だが、耐えねばならない。馬鹿に礼儀を説いて何になる。
「まあ、端で見てて可哀相だったから、元気付けるって言うの? いろいろ世話を焼いてやったというか、まあその程度の関係ですよ」
私は桧垣に合わせるため笑ってみせた。
要するに、この男は弱みに付け込んで瑞貴をものにしようとしたのだろう。手が早いという噂は真実らしい。
「……でも、やるんじゃなかったなあ……。蓮沼のヤロー、勝手に勘違いしやがって。向こうさん、タレントに手出されたとかで、何か怒らせちゃったみたいで……。うちにクレーム着けてきちゃって。何様のつもりなんだか……。俺、ほんと手も握ってないんだから。意外に彼女、堅くてさあ……」
私は大げさに頷きながら話を聞いていた。
桧垣は理解していない。
蓮沼の恐さを。
そして、事務所の力学を――。
この調子では、桧垣の芸能生命も長くはないだろう。
「芹沢にも頭きてんのよね……俺。蓮沼とは仲がいいみたいだから。たぶんチクったのあの女でしょ?」
「……芹沢さんですか?」
私が確認の為に聞くと、桧垣は頷いた。
「実際、このドラマでいろんな人間がひどい目に遭ってるんですよ。……数字が悪いのは瑞貴ちゃんのせいにされちゃうし、視聴率悪くてドラマのプロデューサーとかも子会社に飛ばされたらしいですよ。まあ、どこの事務所にもいい顔するから。セレブから賄賂もらってたらしいから、同情の余地ないですけど……」
数字はもとより、リベートの方が会社的には問題だったのだろう。個人的な繋がりが強くなれば、いやでもセレブのタレントを使わざる終えない。現場から外すことで、局側がセレブに牽制をかけたというのが、当たっているような気がした。
「蓮沼さんと芹沢さんは仲が良いんですか?」
私は質問を放った。
「……ええ、よさげでしたよ。どのマネージャーさんもペコペコしちゃって。芹沢のマネージャーとも飯食う約束とかしてたなあ」
思わぬところで、思わぬ情報が飛び込んできた。
蓮沼と森川は懇意――どういうことだ……?
「蓮沼さんはよく現場に来ていたんですか?」
「陣中見舞いとか言って、呼ばれてもないのに現場に顔出しに来てさあ……うっとしいつうんだか。……要は、女の子の物色でしょ。ディレクターも蓮沼には弱いからそれで、撮影は中断するでしょ。で、収録は押すし、もう最悪でしたよ。出演するほうの身にもなれって話。で、数字が悪いと全部現場のせいにするんだからさあ。たまんねーよなあ……」
「小川さんが蓮沼さんの推薦でドラマに出演されたんですよね……?」
私は質問した後で後悔した。少々踏み込みすぎた内容だった。だが、桧垣は疑問を抱く様子はまったくなかった。
「……まあ、たしかに馴々しかったな。身体べたべた触ってたし、呼び捨てだったし。瑞貴ちゃんも笑ってたけど、明らかにセクハラだったな。でもしょうがないよね。瑞貴ちゃんの事務所はセレブの系列で、蓮沼はセレブの人間。しかも幹部だもん。逆らえないよね」
「そう言えば芹沢さんのマネージャーの方も会社を退社されてるんですよ」
私は別の話題を振った。
「芹沢って、あの森川とかいう奴?」
「はい」
「蓮沼さんも森川さんを探しているらしいんですよ」
「……へえ、そうなんだ」
「何か理由があるんでしょうか?」
「ちょっとわかんねーなあ……」
桧垣は首を傾げた。
「でも、芹沢とマネージャー、別段仲悪いようには見えなかったけどなあ」
「現場ではどんな感じでした?」
「……それ関係あるの?」
「……ありませんね。すみません」
少し踏み込みすぎたようだ。
桧垣が「もういい?」と言うと「有難うございました。お手間を取らせました」と私は質問を打ち切った。
「あいつを絶対訴えてよ。……俺は何もできないけど」
証言台に立つつもりはないらしい。自己保身の術だけは心得ているようだった。
身を翻すと、桧垣は女が待っている方向へ駆け足で去っていった。
桧垣の姿が見えなくなると、私は不快さで口が粘ついたため、道路に唾を吐いた。