アイドルの卵とのデート
ショーケースから取り出した指輪を店員から受け取ると、えりは薬指に通す。サイズはえりの為にあつらえたように、ちょうど良かった。
えりが指に填めているのはカルティエのラブリングである。えりの可愛い細い指にイエローゴールドの指輪はよく似合っていた。
「……可愛い」
えりは指輪を見ながら、微笑む。
私は「じゃあこれをください」と店員に言うと、女性店員は「ありがとうございます」と軽く会釈した。商品をえりから引き取ると、店員はレジへ誘導する。
「……いいの?」
えりが尋ねた。
「中古品だ。気を使う必要はないよ」
私の言葉に、えりは喜ぶ。
私は店員に「領収書をお願いします」と言った。
「畏まりました」
「宛名は上様で、品目は……情報提供代で」
私の言葉に店員は怪訝な顔をした。
買物を済ませると、私とえりはブランドリサイクルショップを出た。中古とは言え情報提供代としては破格な価格だが、先行投資と思えば安いものだ。えりの心を引き止めるためにも必要な出費だった。リサイクルショップを選んだのは、経費の節約もあるが、親近感を抱かせるためでもある。高いところに連れていけばいいというわけではない。
たわいもないプレゼントに、えりは上機嫌だった。聞けば前から欲しかったらしい。
私とえりはデート場所に新宿を選んでいた。もちろん私の目的は情報交換で、えりのバイトの休日に合わせて、デートの日取りを決めた。
えりもまた芸能界で夢見て、普段はアルバイトで生計を立ている身分だ。仕事柄そういう女を何人も見ている。自然と気も弛む。だが、えりに対して完全に心を許したわけではなかった。たわいもない会話をしながらえりを観察していたが、小細工を弄するような様子はない。そもそもそんなことができるほど器用でも、計算高い訳でもなさそうだ。
えりは、ベロアのジャケットにプリントのTシャツ、デニムのミニスカートを身につけている。
新宿を希望したのはえりだった。新宿はよく来るらしく、いろんな店を回るらしい。
庶民と金持ちの店が混在する街である新宿の雑居ぶりは、正直あまり好きになれない。やはり、六本木や銀座の方が洗練され、華やかで好きだった。
この後はえりに付き合い、服屋を何件か回る予定である。
互いに喉が渇いたので、私とえりは伊勢丹地下のカフェに入った。今話題のスウィーツが食べられるらしい。
注文を終え、席に座るとえりは、私がプレゼントした指輪をさっそく開け、指に填めた。
スウィーツが来るまでの間、私とえりは雑談に耽った。
えりは最近の仕事の内容や仕事に対しての不満、趣味や好みの男の話など、聞いてもいないことを自ら矢継ぎ早に出してくる。
このキャラを生かせば、世間で愛されるタレントになれるかもしれない。
出版社側にようやく顔を覚えてもらえるようにはなったが、まだまだ仕事はお得意様回りが主らしい。退屈はしないが、自分の話題ばかりの話にはいささか閉口する。表面上は笑顔と大げさな相槌で取り繕う。中年男の嗜みだ。
スウィーツが来た後も話はしばらく続いた。
えりの話が終わると私は、「森川の交友関係の方はどうだ? 同僚の方でプライベートも付き合いがあった人間は?」とようやく本題を切り出した。
私はいつのまにかえりに対して敬語を使うのを止めていた。それくらい二人の距離は近くなっていた。
えりは携帯電話を開くと、「これ」といいながら私の方に見せる。
「奥野仁さん。森川さん後の芹沢さんの臨時のマネージャーで、森川さんの後輩。……森川さんとはわりと仲は良かったみたい。よく一緒に飲みにいったりとかして」
えりの携帯電話の液晶画面は解像度が高く鮮明だった。本人確認がやりやすい。頼んでもいないのに奥野を撮影してくれたえりの気遣いがうれしかった。
えりはこういう部分には気が回る娘である。探偵の助手としての能力は高い。これならば実社会でも十分通用するだろう。
一人の男が映っていた。細身で黒ブチの眼鏡を掛けているスーツ姿の男だ。
セレブのパーティーに芹沢と同席した男だろう。気が弱そうで、腺病質、精力も弱そうだ。
森川が人の接する仕事に就きたいという理由でこの業界に就職したならば、この男はアイドルや芸能人が好きだという類の人間に間違いないだろう。
「逆に仲が悪かったは片岡さん」
「何?」
重要な情報だった。
「片岡さんとは芹沢さんとの仕事の方針でよく喧嘩してたって」
「奥野とはどういう男だ?」
私はえりに尋ねた。
「……ちょっとオタクっぽい。気が弱くて頼りない感じ? はっきりかなり言って事務所の女の子に舐められてるよ」
「よくそんな男が入社できたな」
「女の子に手出さないからじゃない?」
えりの意見に、私は納得した。
「そいつの住所と電話番号分かるか?」
「事務所の娘に聞けば分かると思う」
「あとその画像、あとでメールで送ってくれ」
「両方で五千円ね」
「身体で返すよ」
「……キモい」
えりは顔をしかめ、私を罵った。もちろんちゃんと金は支払うつもりだ。
ふと、蓮沼のことが頭をよぎり、私は「蓮沼という男は聞いたことがあるか」とえりに尋ねた。
「誰それ?」
えりは聞き返す。
「芸能界の実力者さ」
「ふーん」
「仕事をくれる代わりに体を要求してくるそうだ」
「一回くらいならいいかも」
「……おいおい」
「冗談。……むかついた?」
「ああ」
私は苦笑いする。えりとの会話はすぐこのような戯れになる。えりに対しては特に嫉妬のようなものは湧かなかった。
だが、瑞貴ならば定かではない。
蓮沼が瑞貴を権力を使って抱いていたならば、私は蓮沼に殺意を抱くだろうか。不快感が、心を満たす。
「芹沢玲香の近況はどうだ?」
「……相変わらず絶好調って感じ。敵無しだね」
「マネージャーが失踪した影響は無し……か」
「うーん。でもね、回りの人間が言うには最近機嫌悪いって」
「何故だ?」
「神谷裕希っているでしょ? ウチのタレントで」
神谷裕希――最近、CMの契約数を飛躍的に増やしているアクティブの看板タレントの一人である。
神谷の持って生まれたアイドル性と神秘性は事務所の固いガードにより手厚く保護されている。性格も良くスタッフ受けもいいらしい。
特に今回の件で藤崎は致命的なダメージを受けた。神谷にとっては藤崎を抜き去るチャンスが到来したともいえる。
「……事務所としては、神谷裕希を推したいって感じなんだって」
「そうなのか?」
「芹沢さん、我侭だがら持て余し気味なんだって……。神谷裕希の方がスタッフ受けもいいし、素直で可愛く、若くてしかも将来有望。それが芹沢さんは面白くないんだって話――」
芹沢周囲の人間関係が徐々に分かってきた。やはり内部の人間の情報は有益だ。
「実際、神谷は片岡統括マネージャーにめちゃめちゃ気に入られているの。ウチの事務所って、はっきり言っていかに片岡部長に好かれるかが仕事を左右するところがあるから……」
片岡の名前がまた出てきた。
片岡と芹沢には確執があるのは間違いない。そしてそれは森川とも、だろう。
「えりはどうなんだ?」
わたしは尋ねた。
「わたし? わたしは微妙……かな」
えりは少し淋しそうな表情を見せた。スタッフの私的感情で自らの将来を左右されたらタレントもたまらないだろう。だが、よくある話なのだ。
「で、部長の奴、かなり神谷に入れ込んでいて、いい仕事は全て神谷に回しているの。それが、芹沢さんは気に入らないみたい」
「神谷祐希と芹沢玲香は仲が悪いのか?」
「わたしと仲のいいメイクさんの話だと、カメラが映ってないところでは口聞かなかったって」
「目標ですとか、いいお姉さんだとかテレビの取材で言っていなかったか?」
「……ほら、それはお互いプロだから」
えりの言葉に私は苦笑する。テレビの映像を鵜呑みにするなど、私も一般人を笑えない。
やはり神谷の存在は、芹沢にとっては相当目障りなのは事実のようだ。
「まあ、あたし自身神谷祐希には相当ムカついてるもん。片岡さんに気に入られているからって調子乗ってるよね。本当」
「すぐ売れるってことは、すぐ飽きられて売れなくなるってことだ。焦ることはない」
「そうかなあ……」
単なる慰めではない。何がきっかけで売れるか分からない。それが芸能界だ。
えりにはその可能性を秘めた何かがある……と思う。
「芹沢が神谷祐希に嫌がらせをしたという話はないか?」
えりはあっ、と声を上げた。
「そういえば、最近ストーカー被害にあったとかっていう話はきいた」
「……本当か?」
えりは頷く。
「表沙汰にはなっていないけど。ほら最近体調不良とかで休んだでしょ?」
「……そういえばそんな話があったな」
芸能欄の隅に載っていた小さな記事を私は思い出していた。
「自宅へ帰る途中に襲われたって。事務所の方からファンの尾行とかプレゼントとか気をつけるように、って注意受けたけど……」
えりの顔が曇る。
「……まさか」
私は無言だった。
「……森川さんやったって言うの?」
「可能性は有るな」
私の言葉にえりは言葉を失う。
森川は神谷を監視していたのだろうか。
何の目的で……?
「――もう、やめようこんな話」
私は「そうだな」と苦笑した。
「夕食だが、何が食べたい?」
「焼肉」
えりのリクエストに内心うんざりする。すぐ、こってり系の食事を要求する。若い証拠だ。えりの食いっぷりを見るのは楽しいが、それにつき合わされるのはSEXよりある意味ハードだ。
「その代わり頼みがあるんだが……」
「奥野さんでしょう?」
図星だった。えりは私の意図をすぐに理解していた。
「えりは頭がいいから話が早いよ」
私の世辞にえりは気分をよくしたのか、表情が綻ぶ。事実、えりは勘のいい娘である。
「……その男に接触したい。ただ、接触しただけでは口は開かない。ある程度身辺を知っておきたい。親とか仕事、金、趣味、そして女性関係とか、な」
「……弱みを握って、そこから攻めるってこと?」
「分かってるじゃないか」
私は笑う。
「最近、キャバクラにハマっているらしいよ」
「……ほう」
「なんかお目当てのキャバ嬢から営業電話がよく掛かってきて、メールとかしきりに打ってるって……。これって、役に立つ?」
「ああ」
役に立つというものではない。攻めるべき方向が定まった。
「同じ事務所の娘に奥野さんが担当の娘が居るから聞いといてあげる。その代わり、今日は遠慮しないから」
「どうぞ」
えりは猫のような瞳を子供のように細めた。
「……さっきに話だが」
「何? 芹沢さんのこと?」
私は頷く。
「……そうだと思うか?」
私の問いに、えりは急に不安げな表情をすると、そのまま黙り込んだ。