黒い信号
僕の日課の一つに、朝のランニングがある。
僕をオタクだと馬鹿にする、愛しい彼女を見返したい。その思いから始めた日課だ。
だけど、今日は様子がおかしい。
早朝という事もあって、辺りには人も車も見えない。
それでも、律儀に信号を守る自分に酔う。これも、僕の日課の一つなんだ。
だけど、今日は様子がおかしいんだ。
目の前の信号が、いつまでたっても青にならない。
赤信号でないのなら、青信号だろ?
そんな、逆説的な事を考えてみた。でも、駄目なんだよ。
僕のポリシーに反する。
信号は青く輝いてこそ、渡るものなんだ。
焦るな。大した事件ではないさ。
僕は自分に言い聞かせた。
ケース1
僕は異次元世界に来てしまったのではないだろうか?
そうだ。そうかもしれない。
周りには、人影もカラスの姿だって見えない。
今、僕以外に生物は存在していないんだ。
そんな世界では、当然電気の供給はストップされているはずだ。
なんてこった。
僕は彼女に認めらる事だけが目標で、それはそれは小さな夢の持ち主。そんな、高校生のはずだったのに。
とんだ、ホラー物語の主人公になってしまったぞ。
いや。これは物語では無いんだ。
目的さえも、提示されていない。
こんな世界で何をすればいいんだよ!
もちろんの事、それは僕の勘違いだった。
一台の車が横断歩道を横切っていく。信号を確認してみると、赤信号に光がともされていた。
ケース2
そうか。解ったぞ。
僕は、ホラー物語の主人公じゃない。
人々に涙を与える、悲劇物語の主人公なんだ。
僕の世界からは、緑色が失われてしまったんだ……。
そして、少しずつ色を失っていくに違いない。
そんな僕を、珍しく優しい態度の彼女が、看病してくれる。
そして、最後には失明してしまうのだろう。
それでも、僕の愛は本物だ!
彼女の愛だってそうに違いない!
みんな、僕を見ていてくれ。
生きる勇気を、こんな僕から受け取ってくれ!
もちろんの事、それは僕の勘違いだった。
2台目の信号を横切る車の気配に気がつき、右へ視線を送ると……。
まだ薄暗い世界に、遠くで光り輝いている看板に気がついた。
それは、全国チェーンで緑色がトレードマークの、あのコンビニの看板だった。
ケース3
そうだったんだ。
僕は喜劇の主人公に違いない。
生まれた時から、二十四時間ライブ生放送をされている。そんな、特別な人間なんだ。
トゥルーマンショーならぬ、トゥルーオタクショーだ。
マンネリ化した僕の生活に、プロデューサがちょっとしたドッキリを仕掛けたに違いない。
勘弁してくれよ。
彼女にした、あの恥ずかしい告白も。
誰にも言えない、あんな秘密も。
と言うか、エロ萌えマンガを読んでいる姿さえも。
全てが全世界に放映されていたんだ!
意地の悪い企画を発案した、プロデューサーさん。
そして、世界中の視聴者様。
こんな提案はどうですか?
宝くじに十年間当たり続けた男の話なんて?
僕は、ドタバタのコメディを演技して見せますよ!
だから、お願いします!
もちろんの事、それは僕の勘違いだった。
注意深く、辺りを見回してみてもカメラの存在は無い。
それどころか、僕は軽犯罪を犯している。
僕の仮説が正しいならば、逮捕されているはずなんだ。
だって、去年のクリスマスに未成年の彼女とキスをしてしまったもの。
僕も未成年だけど……。
あれ? それなら、問題ないのかな?
このケースは保留しておくべきだな。
ケース19821
全ての謎は解けましたよ。
そうです。
いつだって、真実は単純なんですよ。
あの信号は壊れている。
それだけなんだ。
僕は、なんて地味で小さな物語の主人公なんだろう。
コメディとしても駄作中の駄作に違いない。
もちろんの事、それは僕の正解だった。
気がつけば、通勤通学ラッシュの時間になっている。
そして、工事のおじさんが、青信号の電球を交換しているではないか。
ある女子高生が、歩道の隅に移動し座り込んで考え込んでいる僕を見つけた。
「なにあいつ~! マジキモイんですけど~」
僕は日課のランニングを断念した。
だけど、全速力で走り抜けた。
いち早く家に戻らないといけない。涙が出てきそうだ。
見覚えのある制服を着ていた彼女達の存在が、ある事実を教えてくれた。
時刻は8時35分。
今日は、人生初の遅刻決定だ。
遅刻するなんて、僕のポリシーに反する。